若さという奇跡の回復力
おぼろげに目が覚めると、
母親と叔父の顔がそこにあった。
数時間に及んだ手術の間、不安がる母に、兄である叔父がずっと付き添っていてくれたのだと、後から聞いた。
麻酔から目が覚める瞬間ってのは、薬の調整でわかるものなのだろうか、
それとも、麻酔から覚めそうな兆候があったのだろうか、
どっちにしろ、麻酔から覚めて始めて見たのは、半泣きの母の顔だった。
無事に終わったからね、と声をかけてくれた。
自己血(輸血が必要な場合に備えて、自分の血を取っておくこと)も必要なかったけど、一応全部入れてもらったし、
と、よく意味のわからない説明だった。
母も安堵していたのだと思う。
その後、医療ドラマよろしく、1.2.3っ!の掛け声で、
別のベッドに移される。
私の腹は見事にかっ捌かれて、大工道具のスタッカー的なもので、バチバチっと止めてあるだけなので、
激痛がはしる。
いてえええええええええええええ。
はい、いたいねー、ごめんねー。
子宮部のみの開腹なので、声は出せたんだろうなぁきっと。
その後、感染症も起こらなかったため、
ICUのようなところで、1泊程過ごして、
一般病棟に移る。
ICUで一泊したときは、ちょっと体動かすだけで、激痛だし、
数時間おきに、看護婦さんが様子やら何かの数値やらチェックしにやってきて、
目が覚めるしで、
えらく居心地悪かったですけど、
若かったから回復も早かったんでしょうか。
みるみるうちに、傷口は塞がっていきます。
消化器系がどうのじゃないから、ご飯もすぐ普通になったし。
まずは、起き上がってみてー。
それができたら、立ち上がってみてー。
次は数メートル歩いてみてー。
あとは、もう慣らすためにひたすら歩け!!て感じでしたよ。
だって、手術後、退院まで10日もなかったんじゃないかな。
手術のために入院したときは、前段階も含めて
2・3週間とか、そんなもんでした。たぶん。
病院での食事に関しては、
私も作る仕事をしている人間なので、
あまり下手なことは言えないんですが、
やっぱり食欲が湧くような内容ではないんだよね、、、。
まぁ病院によるんだろうけど、
この時私が入院していたところは、まぁそんな感じでした。
でも、残してるのを見つけられると、
ゴハンが嫌ならパンに替えてもらいますー?とか
牛乳が嫌なら、ヨーグルトに替えてもらいますー?とか
臨機応変に、対応してくれたのは嬉しかった。
それでも、日曜に見舞いに来た両親とお昼を食べた時は、
病院食でなく、母がこしらえた弁当食ってましたけどね。
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