幽の鬼、豪の鬼
「いかん……やってしまった」
黒髪の女はガウンに降り掛かった砂埃を叩きながら嘆息した。
鬼界という檻の中で何度目かの攻防を経て彼女の周囲は天災に見舞われたかのような状況だ。
アスファルトが剥げ、木々がへし折られ、建物は抉られ大穴を穿たれ倒壊しているものも見受けられる。この殆どが彼女に殴り飛ばされ、蹴り飛ばされ、投げ飛ばされた男の直撃によるものだ。
これだけの破壊の力を一身に受けてしまえば、鬼といえどただでは済まない。そのはずなのだが――
「強いなぁ、あの少年。というより、相性最悪やん」
女は苛立たしげに頭を
「なんにせぇ、現状確認といくか……」
彼女は跳び上がると背の高いビルの屋上に着地し、男を吹き飛ばした方向を確認した。激突の衝撃で舞い上がった砂煙の中を歩く男を捉える。しかしその姿は先程のものとは大きく異なっていた。
「歩くモザイクやね、まるで」
男はボロボロになった衣服を身体に貼り付けながら歩いている。問題はその周囲だ。不規則に彼を中心に空間が霞がかっていた。さながらモザイクや砂嵐を画面いっぱいに表示したディスプレイが出現と消滅を繰り返しているかのようだ。先程からこのモザイクが彼女の拳を阻んでいるのだった。
「あげなタイプはせからしかね」
しかしそれ以上に厄介な能力を相手は宿していると彼女はにらんでいる。モタモタはしていられない。彼女はハッと息を吐くとクラウチングスタートの姿勢を取りビルの屋上から予告なしに全力で突撃した。
狙いは無数のモザイクの盾に守られた鬼――その少し手前。
「だあありゃぁぁっ……‼」
ドッ! ゴォォ……!
自身を砲弾にした一撃の着弾音は衝撃そのものだった。致命的な響きが鈍く鳴り、遅れて大地が揺れた。アスファルトが弾け飛び、その
――無数に盾があったところで、叩けんのなら叩き割るだけ……なんやけど。
彼女はカッと目を見開き相手を観察する。
男は着弾の前に彼女の襲来を察知。盾を自身の前方に集中して展開するが礫によって盾は破壊され彼自身にも降り注いだ。しかし直撃の瞬間、男の身体が溶ける。まるで空気に溶けたようにその身体は掻き消えダメージを回避したのだった。
――そう、叩けんのなら潰せる。けど、叩けん相手は潰せん。
厄介な相手だ。その能力を確かめると同時に相手の
「がっ⁉」
「まず……一発」
仰け反りかけた身体を無理やり引き戻す。見ると男の腕が煙のように霞んだ状態で伸長し、拳だけが実体化して一撃を見舞っていた。
「こ、んっ! ガキがぁ‼」
ただちに実体化したままの拳を叩くが手応えはイマイチだ。霧散した拳と伸びた腕が男の身体へと戻っていく。その集結よりも速く懐に飛び込み拳を振るが、自身の能力を理解した男の前に有効打は難しかった。関節がありえない方向へ曲がり、胴や腕が伸び縮み歪曲する。急所は攻撃の気配を察知しただけで霧散してしまう。打撃一辺倒で御せる相手ではない。
「舐めんなやっ!」
「ぐっ⁉ クソ! マジか……?」
それでも攻防の中で隙きが零になることはない。大きなダメージは見込めなくとも実体化している箇所をぢりぢりと削っていく内に堪らず男はその全身を霞ませ姿を隠した。
「はぁー‼ マズったわ」
想わぬ難敵に女は歯噛みした。自身と相性の悪い能力。どこまでのことが可能かはわからないが最悪この
――敵に塩、送り過ぎたか? これは、滅する他ない?
彼女は首を振り思考を打ち消す。相手は同胞、生まれは違えど容易く消し去ることは流儀に反する。
「なぁー! 少年よぉ! 鬼の自覚ってなモンは出来たか~⁉」
自身の突撃で生じたクレーターの中心で女は叫ぶ。返事はない。彼女は舌打ちとともに懐からスマートフォンを取り出し視線を落とした。ややあって、どこからともなく男の声が聞こえてきた。気配を探るがその所在は不明だ。
「……自分が普通じゃないどころか人間でないことはよくわかったよ。お姉さんもそうだけど。けど、わからない。どうして僕は記憶喪失も同然の状態で自分を普通の人間だなんて思っていたんだ? 鬼って……なんだ?」
その声は空気の溶けているせいか酷く虚ろにも
鬼の女は耳を澄ます様に瞳を閉じてから一息吐き、答えた。
「そやな……『云うを忘れた魂から剥がれ落ちた欠片を
「……僕も誰かに作られた、ってこと?」
「や、たぶん少年は自然発生やね。アタシは養殖もので少年は天然モンよ。詳しいことは機会があれば追々、やね」
「……実はよくわかってないだろ、お姉さん」
落胆するような声に鬼はケヘと笑った。
「そんなん、人間だって変わらんよ! そこに在る人がどげなヤツかは調べりゃわかる。けど、なしてそこに在るように成ったんかは誰も知らんっ! 理由なんぞ知らんがなってもんよ⁉」
「そんなのどうでもいいってこと? 自分だって、鬼なのに……」
「そうは想わん!」
「…………」
鬼は歌うように高らかに吠える。
「人が押し黙って押し殺した魂の亡骸……そげなもんの山の上にアタシら鬼は生まれた。鬼は生まれながらに人の嘆きを背負うとる。傷つき弱った心、悲しく寂しい心と共にあるんが鬼やね」
けどな、と彼女は続ける。
「だからこそ、鬼は笑うために生まれた。アタシはそう想う」
そう宣言すると、彼女は両手で柏手を打った。
「さあ! 少年! レッスン二、己の特性の使用は終了して次、いくよ⁉ ここを越えれな、どの道お陀仏やから、気張よぉっ‼」
彼女の闘気に呼応するようにスマートフォンから稲光がバチバチと立ち昇り始めた。
「茨木ィ、のろいよぉ⁉ 『呑ちゃん』コッチに送るにどんだけかかっとんの? こげなのはキメた後にシュッと出さんと締まらんやろがっ⁉」
稲光のなかから吐き出されたのは大人の身の丈程の金砕棒だった。彼女はそれを片手で受け止めると肩慣らしに振り回し始める。打撃を目的とした重量を有するはずの武器がじつに軽やかに舞う。
「さて、名もない鬼の少年。ココまできたんなら行き着く先がなんであれ、名乗るんのが礼儀。出来るんなら顔、見せて欲しいんけどな?」
豪の鬼の声が荒廃した鬼界に響く。すると風に攫われてしまいそうな煙が渦巻き幽の鬼が姿を表した。
「ありがとう」
「…………」
一人はケヘと笑い、一人は憂うようにだが――笑った。
「じゃあ、いこうか? アタシはロ
鬼の姫――酒呑童子は金砕棒『
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