渋谷啾々ナイト

「逃げられたぁ~、あんヒトつれないわ」

「……お前の追跡から、か?」


 赤ガウンの女は歩いて数分の地下のバーに着くと、待ち合わせていたスーツの男に向かってお手上げのポーズを示した。男は眉をひそめてからテーブルを指で軽く叩いて着席を促す。


「嫌や。酒の一杯でもヤッてからでないとあかんやろ? 相変わらず、無粋やね」

「…………」


 スーツ男が無言で黒革の長財布から紙幣を差し出すと、ガウン女は猫のような動作でそれをかっさらいバーカウンターへと向かう。背丈の低さも相まってその様は悪ガキのようにも映る。カウンターでしまりのない声で『ぼーもぁ』と注文している姿はまるでお使いだと、男は嘆息した。

――実際『お使いに行かせた』というのは正しいか。こちらの思うように動いてくれないことも含めて。

 

「ん? どしたん?」

「いや、つまらない妄想をした」

「ほーぅ?」


 グラス片手に戻ってきた女が小首を傾げていた。レースアップのパンプスにデニムのホットパンツ、黒のタンクトップの上に羽織った薄手の赤いガウン。およそ子供には似つかわしくない衣装と露出だ。おまけに手にした酒はストレートのウイスキーだ。


「普段つまらんアンタはどんなつまらん妄想したん?」

「相方の職務態度がどうにかならないものかとな」


 小ぶりウイスキー用のグラスを置き、椅子にちょんと腰かけた女が九州のなまりで男を煽りケヘと意地悪く笑う。濡羽色の髪と吊り目な顔立ちはアジア人の風貌だが、肌の色は白く人種は不明だ。線は細いが四肢はスラリとしていて子供の身体つきとは異なる。顔付は整っていて人形のようだが、口元に湛える笑みは嗜虐的にきらめいていた。


「そらまた、つまらんなぁ。大体アンタやってどうかと思うよ?」

「何が言いたい?」

「全身黒でカッチリ固めた格好。いいもんで抜かりなくまとめてるのはいいけど、この時分にネクタイまではカッチカッチやん。TPOち、もん考えんといかんやろ」


 きっちりと締めたままのネクタイをビシリと指さされ男は閉口した。思わぬ相手からの真っ当な指摘だ。いくら自分は裏方とはいえ周囲に溶け込んでいた方がなにかとやりやすいことは確かだった。

 思わず口撃に反論代わりに『仕事』の話を進めようと男は口を開きかけるが、女はそれを手で制した。


「待って。まだ香りを愉しんどらん」


 女はグラスを傾けくるりと回してすぅと鼻を鳴らす。気取った仕草に様になるのは美貌ゆえか。こんなことならウイスキーの愉しみ方など手ほどきするんじゃなかったと、男は軽く後悔した。


「お前は少々状況を愉しみ過ぎる」

「そらね。無粋という瓦礫がれきの山の上に立っとる身の上やん? おまけに日々退屈しとるからね。酒くらい愉しまんと」


 黄金色の瞳と指を店内を巡らすようにくるくる回してから男の胸を指す。

 女が『わかるだろう?』と言わんばかりに浮かべた笑みに男は今度はハッキリと後悔した。


 § §


「……で、実は相手の尻尾を掴んではいた、と?」

「なんなん⁉ なにその不服そうな面は?」

「俺はいま、自分を恥じている」

「なんねっ⁉ ちっと勿体つけただけやん、サプライズよ、サプライズ!」

「…………」

「ちっさ! つまらん上にちっさい男やね⁉」


 女がチロチロと酒をやるのに任せてしばらく待っていると、彼女はニヤけながら懐からスマートフォンを取り出した。怪訝そうな顔を男が浮かべるとその笑みはいっそう深まり『じゃん♪』と掛け声をあげながらその裏側を見せた。

 そこには奇妙にひしゃげた金属片が張り付いていた。元々の姿はわからないが、大きな力で押しつぶされたであろうことが伺える。女はそれが件の少年を追跡している際にひとりでに跳んできたのだと付け加える。そして今度は鼻を鳴らして『わかるだろう?』と得意げに笑ったのだった。


「なぜ、最初に重要なことを報告しないんだ……?」

「アンタかって、労いの一言も駆けつけ一杯もないやん?」

「「…………」」


 二人は睨み合いを始めるが男の方が折れてヤレヤレと肩をすくめた。今後の方針を決めるのは自分の役割なのだからと。


「これで限りなくクロに近いグレーだ。分析して足場を固めたら本格的にいくぞ」

「……わかった」


 相方もその分担くらいはわきまえているようで、ぶすっとしながらも首肯した。


 トントントントン


 だが不満は解消されていないようで、女はそっぽ向きながらテーブルを小刻みに叩き始めた。ご丁寧に空になったグラスの横に手を添えるかたちで。テーブルの上で女のスマートフォンが小刻みに震えている。


「どうしてお前はこう、手がかかるんだ……後輩を見習え。後輩を」

「あ? 口やなくて、金出すトコやろ? あと、他の女の話すんなや」


 ぎりりと犬歯をむき出しにしてみせる女に男は紙幣を渡してやる。今度は万札だ。どうせ次は高いヤツを頼むに違いない。これで気位の高い相方の溜飲が下がるのなら安い経費だ。本気で机を叩き出しなどしたらかなわない。


「まったく……」

「どうせ、これも経費で落とすんやろ? 威張えばんなや、上司」

「……それが上司に対する物言いか?」

「せからしかぁ! 啾々しゅうしゅうとつまらんこと、言いよってから……! かじったろか?」


 女は肩を怒らせてカウンターへ向かっていった。スーツ男は思わず周囲へ目を向けるが誰も二人を気に留めてはいなかった。


「…………」


 ため息のひとつでも漏らしたいところだが、いまは何が相方の導火線に火をつけるかわかったものではない。男は早く家に帰りたいと願いながらも黙して語らず女を待った。


「……ホレ」

「……どうも」


 案の定、女は一番高い酒を手に戻ってきた。ただ、両手に持ったグラスの片方を男の前に置いてくれた。

 少しだけ男の溜飲が下がった。

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