鬼姫×嬉鬼×快怪~渋谷ドランカーナイト~

世楽 八九郎

プロローグ 鬼ごっこ

「あ~そびましょう♪」

「な、なんで……? なんで付いてくんの?」


 週末の渋谷、夜の道玄坂。渋谷駅前のスクランブル交差点から吐き出された人間と駅へと向かう人々が行き交う坂道を逃げるように若者は歩を進めていた。


「ええやろ、少年? アタシ、君のこと気になるんよ」

「…………」


 少年と呼ばれた――薄手のパーカーにキャップを被った人は良さそうだがどこか無個性な印象の男は困惑する。彼の背後には小柄な女性がトトと付いてきている。赤いガウンをまとった黒髪の女がニコニコ笑みを浮かべながら男に話しかけ続けていた。

 昨今客引きに対する規制の強化もあって、渋谷という繁華な場所にあってもしつこいセールスに出くわすことは滅多にない。にもかかわらず、女は男を追いかけてきている。


「なあ? なぁ……?」

「…………」


 くすぐったくなるような猫撫で声で女は迫ってくる。見ればガウンの下は露出の多い格好でそのテの職の人間にも思えるが、その声音は純粋な楽しさや好奇心に彩られていた。

 自分がそういう店を利用するタイプに見えるのかと、男は疑念を抱く。ならばナンパだろうか。僅かに浮ついた感情につられて彼の視線は女性の方へと向かった。

――違う。そうじゃない。


「無視せんで、アタシ退屈は嫌いなんよ」


 すぅ、と見開かれた瞳を覗き込んだ瞬間、背筋がゾクリとする。本能のアラートはそんなぬるい状況ではないと訴えかけている。この笑みは違うものだと。

 それに先程からこれだけの人混みのなかを彼女は難なく付いてきている。まるでいまここに自分達しかいないかのように、全く無理なく自然に。彼女の背丈からしてそんなことが出来るだろうか。


「あ、あの! 俺! そういうのは、そ、そのっ! 違うんで!」

「あっ⁉」


 男は叫ぶと脱兎のごとく坂を駆け上がっていった。女は追おうとするが視界の端で何かが光る。


「ん……!」


 カッ! 


 伸ばしかけた手をガウンの内に突っ込むと素早く引き戻す。舞踊を想わせるしなやかな動きで彼女が取り出したのはスマートフォンだ。その動きの鋭さと一瞬鳴った金属音に周りの人々は彼女を見やるがすぐに関心を無くす。


「あーあ、逃げられたわ……」


 彼女がヤレヤレと首を振るとサラサラと濡羽色の髪が揺れる。肩をすくめてから踵を返そうとする彼女だったがスマートフォンをしまう途中で口角をにぃと釣り上げた。


「逃げられたけど、尻尾くらいは捕まえたんやない?」


 誰かに尋ねるように呟くと女は来た道を陽気に身体を揺らしながら歩き始めた。


「……相手がトカゲの類やったら、つまらんけどな」


 渋谷の夜空の澱んだ黒とは違う綺羅びやかな黒髪の下で女がケヘと笑った。

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