第3話


「おい、カレー味がリニューアルされたのか?」

「ええ……何度目でしたっけ?」

「俺の記憶が確かなら、十二度目だ」

「……交換します?」

「マジで!?」

「サラダ味とですよ」

「ぐ……」


 ジュリアンはたっぷり十秒は迷った。


「人生は冒険だ」

「ありがとうございます、少佐」


 プラント生まれのライスを、ゼリーと一緒に煮詰めたレーションに、新フレーバーが加わった。カレー味である。

 とはいえジュリアンもニキータも、カレーやサラダなど食べたことはないので、それはあくまで記号に過ぎない。本物を食べてみたいと思わないでもないが、今後一生付き合っていくレーションとの関係を悪化させたくない気持ちもある。

 スプーンを咥えたまま固まったジュリアンの脇で、ニキータは急いでサラダ味をかきこんだ。やっぱり返せと言われかねないからだ。


「……」


 死んだ魚のような目をしたジュリアンが、壁際に座って端末を弄っているホリンを見た。ホリンが食べているレーションはブロックタイプだ。味の評判は最悪でも両手がふさがらない利点があり、彼のように食事を面倒と考える人は重宝している。


 三人はセルゲイに呼び出され、艦の中でも一番小さい会議室に集まっていた。セルゲイ隊と呼ばれる彼の教え子たちは世界中の戦線に散らばり、この艦隊にも四小隊が割り振られている。アサルトフレームのチームは四人で一小隊、戦略は司令部が調整するものの、細かい戦術については現場の指揮官が判断するため、彼が直接率いるこの小隊は四人でブリーフィングを行うことも少なくない。

 加えてセルゲイは長年の経験を買われ、司令部から戦略面の助言も求められている。しかしそれはあくまで助言であり、自発的に発言する権利はない。セルゲイは今年四十七歳になるが、多大な功績を上げながら二十年近くも昇進せず、大佐のままだ。

 理由は、彼が戦争犯罪人だからである。家族が人質になったとはいえ、敵に脅されるまま十九人もの部下を殺した彼に、戦場に立つ許可など本来なら下りない。下りる理由はひとえに、彼の圧倒的な戦力だった。


「なんだ、食事中か」


 セルゲイが入室すると、全員が手を止めて起立する。


「ああ、いい。そのまま聞け」


 来歴のせいというわけではないが、部下への当たりはかなり緩いセルゲイである。彼が厳しいのは教育隊に居るときだ。ニキータも十五で入隊したとき、彼にずいぶん泣かされた。

 軍隊における上下関係の厳しさと人格否定には、命令は絶対という基本中の基本を叩き込むことと、コミュニケーション障害の矯正、あるいは排除という意味があるとセルゲイは考えている。エリートであるアサルトフレームのパイロットとなればそんなことはクリアしていて当然で、あとは可能な限り精神の摩耗を防いでやることが長生きの秘訣と彼は理解していた。三十年を超えるキャリアから導きだした、彼なりの理解である。


「オセアニアで戦闘が起こるのも時間の問題だ」


 部下の三人は程度の差こそあれ、憂鬱な表情を浮かべた。ジュリアンはカレー味をスプーンで指しながら「まずいなコレ」とはっきり言った。


「旗を折りに行くんですか?」

「だろうな。正直、ムダな抵抗はやめてほしいが」

「それ誰に言ってんの? 連邦軍? ジョーンズ?」

「両方だ」


 最初から連邦の勝ちはない戦争だとセルゲイは考えている。兵士たちは両政府の決断を待つしかない立場だ。少しでも有利な形で終戦を迎えたいのは同じだが、ライブアース計画を受け入れるか否かで揉めているらしい話を聞くと、現場に居る人間は嫌な顔をする。もういいから全面的に受け入れろと思っているのだ。

 永遠の命を追い求めていたエドガーベイルが、連邦有力者の保護を受けて研究を続けている、という噂は以前からあったが、連邦海域から深海工場が出てきたせいである程度信憑性を帯びてしまっているのだ。未だに生死不明の彼について、マイケルは仮に生きていたとしても絶対に許さないと公言している。この状況でライブアース計画を渋るようでは、バルコが連邦と妥協する可能性は低い。


「大佐」


 黙っていたニキータが口を開いた。


「なんだ?」

「クロスオーメンに対して、大佐はどういう展望をお持ちですか?」


 東シナ海で発生した球体と、開発者とされる吉井雄一郎の映像はメディアがひっきりなしに流している。


「お前はどうだ、ニキータ」


 質問に質問で返すなよ、と言いたかったが当然控えた。試すような自分の言い方を咎められたことも解っている。なのでニキータは率直に自分の意見を言った。


「吉井を捕らえて尋問すればいいと思います。クロスオーメンがあれば、バルコとも渡り合える」

「うん」


 セルゲイは栗色にやや白いものが混じった無精髭をなでながら、二秒ほど考えた。


「今は殺すな。政府も司令部も、異口同音にこれの一点張りだ。しかし……」

「しかし?」

「私が責任を取る。危ないと思ったら、殺せ」

「……いいんですか?」

「まともな理由の説明がないからな。お前たちが犠牲になる必要はない」


 会議室を見渡していたセルゲイが、射抜くような視線をニキータに置いた。


「理由の説明はないが、偉いさん方もクロスオーメンを広めたくないのは同じのようだ。当然だな、ニキータ? あれが広まるとどうなる?」

「最悪の場合、プラントはあらかた潰れて餓死者が大勢出ます」

「そうだな。お前の作戦では、それをどう避けることになっている?」


 ニキータは背筋を伸ばしたまま、出来るだけ無感情を装ってこう言った。


「放っておいても、いずれそうなると思います」


 ホリンが中指でメガネの位置を整えた。頷いたようにも見えた。


「ですから、ただ状況が動くのを待っているのは反対です。我々としても司令部へクロスオーメンの戦略的運用を提案すべきです。具体的には、宇宙進出のために」


 クロスオーメンが吉井の言う通りパワードスーツ程度の設備で起動できるなら、これほど心強い弾幕はない。宇宙へ上がるロケットを守る事も、月面基地で敵を迎撃する事もできるだろう。前回の月面開発はバルコの邪魔を振り切れず失敗したが、今クロスオーメンを持っているのが連邦だけなら、前回よりも状況は有利だ、とニキータは思った。


「そして宇宙を独占できれば、地球全域の制空権も握ることができる。いくら地上が乱れても最後に生き残るのは連邦だ……そんなところか」

「はい」

「ふん、意外だな」


 セルゲイは嗤った。


「お前がそんなに愛国心あふれる男だったとは。なぁ?」

「ああ、まったくだ」


 サラダ味を旨そうに食べながらジュリアンが頷いた。カレー味はいつの間にかニキータの前に戻っている。


「戦争じゃまず兵士が死んで、豚野郎ほど最後まで生き残るもんだぜ。俺ァごめんだねえ、そんな役回りは。オメーも死なない程度に頑張れや?」


 ジュリアンらしい言い分だとニキータは思った。腹一杯食うために彼は軍に入ったのだ。

 しかしニキータは死にたくないからこそ、危険を冒してでも戦争の決着を早めたかった。ともかく人間は失敗したのだ。一つの戦争が星の生き死にを左右する時代まで、軍事力の追及を止めることが出来なかった。ここまで来ればクロスオーメンが星を覆い尽くす前に、宇宙を使ってでも決着をつけなければならないし、やる以上は勝たなくてはいけない。そう考えているニキータにセルゲイはこう告げた。


「……生き残れ。こんなクソッタレな戦争に、命を捧げるな」

「……了解」

「よし、では会議に入る。まずはオセアニアの地理からおさらいだ」



 セルゲイを乗せた艦隊がオーストラリア北岸沖に差し掛かる頃、既にチャンドラはその地へ上陸していた。オセアニア警備隊が管理する港にレーションとして入り込み、それを捌く業者として潜入している諜報員の手引きを受け、アリススプリングスへ向かっている。

 オーストラリアがライブアース計画に参加していないため、潜入するのが容易だったのは皮肉である。


 キャンベラやパースに連邦軍の駐屯地があるせいで、グノウェーが鎮座するアリス手前まで彼らの進軍を許してしまっている。さらに太平洋側のセルゲイたちが出撃準備を終えれば、連邦軍と警備隊の戦力差は圧倒的なものになる。クロエは連邦との交渉を装った時間稼ぎをしているが、連邦軍も西海岸沖のバルコ海軍を警戒しているため、そう長くは持たないはずだ。


「アリス手前で、連邦軍が勝手に検問を始めたそうです」

「バレたのかしら? ジョーンズはなんと言っているの?」


 イスラム教徒を装ったブルカ姿のリンシンが、張り詰めた声を上げた。

 クロエは市民のために貯蔵した食料を連邦軍から守るため、輸送ヘリを使って地方からアリスまで引き揚げている。食料目当てに付いていく市民達は、製造から半世紀は経っていそうなトラックやバンを貧困層のエネルギー源であるガソリンで動かしている。

 チャンドラたちはブルカで素顔を隠しているが、連邦軍の検問となればそれも通用しない。リンシンの顔は割れているため、トラックを停められたら終わりだ。


「直前で打って出るそうです。迎えをよこすからそれに乗れと」

「大味ね。やっぱりマフィアだと思われてるわ」

「亡国暮らしが長い人こそ、考え方がマフィアになってるんですよ。彼ら自身の問題です」


 自虐的なことを言うチャンドラを、彼女と同じくらい背の高い従者――クリスが励ます。

 だがチャンドラの機嫌がよくないのは自らへの待遇ではなく、道行く人々の惨めさのせいだろうとリンシンは思っていた。乾いた赤土が地平線まで広がる中、時折エンストか何かで立ち往生している車を見ると、すれ違いざまにレーションと水を投下するよう命じてきたりする。


 リンシンの推測は当たっていた。それに加え、ヴィクトルがこの地の人々に冷淡だったことをチャンドラは思い出している。オセアニアへの潜入が決まった後、彼は「居抜き」を試みるチャンドラに秘匿回線を開き、お前が危険を冒す必要はないと言った。


『このままでは私が負ける、と思っているのか?』

「いいえ、貴方は勝つでしょう。仮に私が居なくとも」

『ならば、なぜ危険な居抜きを強行する。成功すれば、労せずして連邦の旗が手に入る、からではないのか?』


 ローマにある彼の屋敷と後宮を繋ぎ、音声通信をすることが多くなった。武力で速やかに地球を統一しようとするヴィクトルは、連邦に融和的なチャンドラを何かにつけて説き伏せようとしてくる。


「お爺様が仰るように、我々は振る舞いを問われています」

『その通りだ、もはやドローンが無敵の時代ではない。だからこそ振る舞いが人心にどう影響するか、我々は熟慮せねばならん』

「だとすればクロスオーメンがあろうと無かろうと、人の住処とプラントが荒らされずに済むなら、そうすべきです。私はそのためにクロエの旗を求め、代わりに中立の立場を保証したのです」

『……本気で阻むつもりなのだな。私の統一を』

「お爺様は私に……不和を宥めよと命じられました。貴方の影に隠れていては、役目が果たせません」

『……』

「そして私にクマリを預けられたのは、貴方が不和を宥める様を見るため。貴方は私が死んでも、その後の不和を宥めなければなりません」

『……言うではないか』


 ヴィクトルの圧がゆっくりと引いていくのをチャンドラは感じた。


「後詰をお願いできますか。私が失敗した時は、お好きになさいませ。生死にかかわらず、クマリはお返しします」

『武運を祈る』


 居抜きが失敗すれば、ヴィクトルはオセアニアを焼き尽くし、その後は連邦全土に戦火を広げるだろう。口にした期待とは裏腹に、ヴィクトルが不和を宥めることはないとチャンドラは思った。


「姫様」

「……何かしら」

「車酔いですか?」


 車中の全員がチャンドラを見た。


「具合が悪いのでしたら、少し車を止めましょうか」

「……ありがとう、リンシン。でも平気よ」

「それなら結構です」


 徹底的な破壊を厭わないヴィクトル。彼の決断が人類の為になるのかどうか、チャンドラには解らない。もし彼が正しいのだとしたら、この世に残っているのは悪しき者への裁きだけだ。

 俯いていた顔を前へ向ける。車外で行進する弱い人々と、彼らを戦火で追い立てるヴィクトル。両者の嘆きをチャンドラは慈しんだ。そして決意を新たにする。

 私が生きている限り。叔父様も、この人たちも。そんな運命に遭わせたりしない。



 検問所が見え始めるころ、クロエから連絡があった。迎えが急行しているとのことだ。


「幸い、検問所にずいぶん車が並んでいます。上手く混乱に乗じれるかもしれません」

「幸いなんて事はありませんよ」

「は、申し訳ありません」


 これから争いに巻き込まれる市民たちは、道路をふさぐ柵をどけるよう連邦軍に詰め寄っている。事態の解っていない彼等を逃がすわけにはいかないものの、なんとか安全な場所へ誘導しようとする連邦軍に、チャンドラはいくらかの好感を持った。


「東上空、ヘリが複数。おそらくジョーンズの警備隊です」


 運転手が小声でそう言った。連邦兵がすでに車両の近くにいる。間もなくパワードスーツを纏った検問担当の二人組がトラックをガンガンと叩いてくる。


「チップのスキャンを行います。早く、ここに手首を翳して!」

「あのぅ、車にIDカード貼ってあるでしょ? それじゃいけませんか?」

「早くしろ!」


 渋々と言った態で、ゆっくりと運転手が手首を翳す。

 ピッ、という音がした次の瞬間、控えていた連邦兵が銃を抜いた。


「十秒以内に車を降りるんだ!」

「おい、撃ってきたぞ!」


 運転手の身分は既にバレていたが、間一髪でクロエのドローンが割って入る。ヘリ型が機銃を唸らせ、周辺に土煙を立て始めた。ついに戦端が開いた。

 連邦軍の六足型が撃ったロケット弾に撃墜される直前、警備隊のヘリ型が何かを射出した。カラーコーンのような外観をしたそれは、チャンドラの運転手を引き摺り下ろしていた二人組の足元に突き刺さり、先端にくさびをつけた金属の触手を尻からいくつも吐き出す。

 チェイン・ポッドと呼ばれる遠隔操作型の対人兵器だ。


「!!」


 連邦兵は機敏に動いたが、避けきれず足首に縋られる。繊維装甲のすき間、さらに人工筋肉のうすい場所を嗅ぎ付け、触手はくさびを突き刺した。皮膚を傷つけられた連邦兵はそれだけで体を何度も痙攣させ、やがて動かなくなる。


「降車!」


 リンシンの叫びに応じて、チャンドラたちは車を飛び降りた。ブルカ姿の女三人が驚き逃げ惑う群衆の中へと紛れ込む。


「止まれ! 止まらないと撃つ!!」


 群衆の足元に向けて威嚇射撃をしながら、四足型を従えた連邦兵が叫ぶ。市民の動きは鈍ったが、クロエの輸送ヘリは続々とやって来る。そこから投下された六足型が運動エネルギーをぶつけるタイプのロケットを射出し、連邦兵が従えていた四足型を吹き飛ばした。

 怯まずに駆ける連邦兵は、戦場から逃げる群衆とは逆に、輸送ヘリのほうへ駆けてゆくブルカの三人組に目星をつけた。軽く助走をつけ、跳ぶ。三十メートルの大跳躍は最中隙だらけだが、下を通る市民への配慮から攻撃は来ないと彼は踏んでいた。連邦軍とオセアニア警備隊は本来なら味方同士であり、政治的事情のデリケートさは戦術にも深く組み込まれている。

 着地、再び疾走。チャンドラたちとの距離がすさまじい速さで縮まっていく。短機関銃を掲げた瞬間、パワードスーツを着た二人の警備隊員に斜線を遮られた。舌打ちしながら連邦兵が応射する。

 スーツにより機動力と防御力が上昇したため、火薬で弾を飛ばす銃が主役であり続けるためには、銃を大型化した上で射撃プログラムまでつける必要がある。重さよりもスペースの問題でそれはドローンやアサルトフレームの領分となり、野戦のように移動しながら戦う状況において、銃はパワードスーツにとってサブウェポンである。

 互いに小銃と短銃を撃ち合うが、連邦軍と警備隊では装備や錬度に差がある。銃口より低く身をかがめ、残る三本の手足でバンビよりも機敏な動きをみせる連邦兵に翻弄され、警備隊はツーマンセルの連携を乱されてしまう。彼らの弾丸も何発かが連邦兵の繊維装甲を叩くが、致命傷とはならない。

 連邦兵が銃を捨て、背中からメインウェポンたるショックブレードを抜いた。グラディウスのように分厚い刀身から微かな震動音が聞こえる。

 警備隊も応じるが、一人は肉薄されているのにもう一人は援護できる距離にいない。身を屈めながら不規則なリズムで歩を進める連邦兵が突然体を躍らせた。敵の呼吸が全く読めなかった警備隊は破れかぶれで剣をふるうが、直後にすさまじい破裂音を聞いた。すれ違いざまに骨盤と大腿骨の隙間を切り裂かれたのだ。彼女はそのまま転倒し、夥しい出血のため意識を失ったまま痙攣する。


「いま映したブルカ三人に絞れ、他は適当でいい……DC!?」


 もう一人の両膝を割りながら連邦兵が叫ぶ。


『こちらDC』

「ドローン同士でやれ。こっちも人間同士でやる」

『了解』


 連邦軍はクロスオーメンを警戒し、パワードスーツの配備数を増やしている。吉井という研究者の目的が良くわからないのは皆同じらしい、警備隊もパワードスーツの割合が多いな、と連邦兵は思った。


「仲間の手当てをしろ」


 警備隊の武装を剥ぎ取り、失神しているその仲間にむけて投げた。



「チャンドラ様ですね?」

「はい」

「急いで、こちらです」


 六人の警備隊がチャンドラたちを守るように取り囲む。シルエットから全員が女性とわかった。リンシンが顔を晒すと、指揮官と思しき女性が彼女を手招きした。さらにもう一人がチャンドラたちにチェストハーネスを投げる。上空にさしかかったヘリのプロペラに煽られながら、リンシンの差し出したカードに指揮官がハンドリーダーを翳すと、事前に交わされていた認証用パスワードが一致する。


「姫様!」

「大丈夫よ、一人でできるわ!」


 警備隊員が驚くほどチャンドラは機敏に動き、ヘリから降ろされたワイヤーにチェストハーネスを繋ごうとする。しかしその直前、さらに機敏なリンシンがチャンドラを抱え上げた。


「わっ!? 何――」

「いかん! 撃て、敵を近づけるな!!」


 指揮官が叫ぶと同時に、輸送ヘリからほぼ垂直にチェイン・ポッドが投下される。 

 赤土が煙となって舞う戦場を渡り、連邦兵が音もなく忍び寄っていた。数は四人。


『ハッキング! 注意、ハッキングだ!』


 警備隊のヘリから金切り声が響く。量子暗号通信機には最低でも小型冷蔵庫ほどのスペースが必要だ。兵器によってはそれを積む余裕がなく、遠隔操作をするタイプはハッキングにさらされることがある。スピーカーが拡声器となって警告を伝えたが、遅かった。DC同士の攻防は連邦側が勝り、チェイン・ポッドは大半が乗っ取られてしまう。

 

「うわあああああ」


 警備隊の二人が鎖に絡め取られた。連邦兵は自軍のDCからアナウンスをうけ、チェイン・ポッドの群れを迂回する


「指揮官、予備のヘリは!?」


 言いながら、チャンドラと同じくらい長身のクリスが、チェストハーネスをワイヤーに繋ぐ。


「今よこす……あのヘリに付いていけ!」


 指差す方向には小ぶりなヘリ型ドローンがある。リンシンはチャンドラを担ぎなおし、手ぶらとあまり変わらない速度で走り出した。


「ちょっと、リンシン……」

「クリスは囮です……出発前に言ったわね、「こういう事」もあるって」


 クリスの体がゆっくりと浮く。土煙を抜けてきた連邦兵が一瞬、その姿に目を奪われた。指揮官達が怒号を上げながら四対四の戦いを仕掛け、乱戦は混迷を極めていく。


「走れるわ」


 さびしげな声でチャンドラが言った。リンシンの肩から飛び降り、俊足をとばしてヘリ型ドローンに向かっていく。そうなるとリンシンのほうが付いていくので精一杯だった。


 その背後で、クリスを吊り上げていた輸送ヘリが、腹にミサイルを受けて横倒しに墜落した。



『パワードスーツを積んでいたドローンは撃墜されてしまいました。申し訳ないが、そのまま旗まで来てもらうことになります』

「解りました」


 ブルカを脱いだリンシンと、クロエがモニター越しに話をしている。西海岸沖に展開するバルコ海軍の指揮官――マリオもチャンネルを共有している。

 輸送ヘリは人間を積む仕様でないため、内部に浸透するプロペラ音もすさまじい。乗っている二人は骨伝導ヘッドセットを使っている。


『ですがそのヘリは足が速い。かえって良かったかもしれません』

「……何か問題が起きたのですか?」

『北西から所属不明機がここへ向かっています』

「所属不明?」


 リンシンはすぐに吉井雄一郎を連想した。

 アリススプリングスはオーストラリア大陸のほぼ中央にある。連邦軍はシドニーのある東、パースのある南西から展開、さらに北の艦隊からセルゲイ隊がすでに飛び立っており、少し遅れて西海岸からバルコ軍が進軍している。

 チャンドラの検問突破と同時に戦端が開かれ、全軍が中央を目指している形になるが、北西にはどの軍も展開していない。


『不明機はアサルトフレームをスピアーで運んでいます。撃退自体は容易ですが、北からセルゲイも来ていますので、戦力を割く余裕がありません』

『到着はどちらが早いですか?』

『セルゲイのほうが十分ほど早いと思われます』


 マリオは不明機について考えをめぐらせた後、こう言った。


『西からバルコ軍も進んでいますから、足止めさえして頂ければあとはこちらで処理します。足止めだけは必ず行ってください、旗の近くまで寄せるのは危険すぎます』

『旗には寄せない、ですね。解りました』


 クロエもその意図を解っている。しかし彼女はさらに深刻な顔をしてこう付け加えた。


『連邦はランドヴォルテックスを使うつもりです』


 映像が切り替わり、エアーズロックの影から土煙を上げながら戦車が出てくる。全高二百メートルあまり、全長は一キロメートルを超える合金の塊で、敵の施設に対し巨体をぶつけるというコンセプトでかつての武装勢力が決戦兵器としていた。

 地雷や砲弾を防ぐため前面から側面を覆うスカートをはいており、移動中は上部からミサイルを発射して戦う。しかし目的地に到達しスカートを脱ぐと、キャタピラに乗った本体から全方位に砲弾を撒きちらすため、周辺は一瞬にして焦土と化す。

 AI周辺や精密機器は守られているものの、部品の多くを意図的に放射化しているためリサイクルが難しいとされてきたが、連邦とバルコの間には武装勢力が建造した兵器を使わない、という条約があるはずだった。


「内戦だから問題ない、というところでしょうか」


 若いリンシンが吐き捨てるように言う。


『ケツを蹴ってやるとしましょうか』

『出来れば彼女がスカートを脱ぐ前に、お願いしたいですわ』

『急ぎますとも。あんな年増のストリップなんざ、わたしゃ見たくない』

「……」

『おっと失礼……じゃあ、姫様を頼むぞ』

「はい」


 司令官がチャンネルから抜ける。


『チャンドラ様は……クロスオーメンの運用についてどうお考えですか?』

「開発者の意図を計りかねる、と申しております」

『……解りました。ではお待ちしています』


 通信が終わった後も、クロエはどんな答えを聞きたかったか、としばらく考えていた。

先日チャンドラが語っていた本音は引き抜きたい、というものだったが、そのまま言えば色々と問題がある。連邦には発言を利用されかねないし、マイケルには咎められかねない。工学博士としてアグニの開発やクマリの改良を指揮したチャンドラだから、吉井に対する興味も強いだろう、とリンシンは思った。

 本人がどう考えているか知らないが、吉井はいま時の人である。


「……」


 リンシンは隣に座りこんでいるチャンドラを見た。頭巾に隠されて表情は見えないが、力なく壁にもたれる様からは、今にもすすり泣きが聞こえそうだ。

 こんな所に連れてこなければよかった。逆らえない立場とはいえリンシンは改めてそう思った。戦の現実など知らないまま、大人に利用されて過ごすほうがずっと幸せだったはずなのに。アグニという恐ろしい兵器を造ったことで、彼女が苦しむ日が来るのではないかと思うと、心配性のリンシンは胸を締め付けられる。

 それでも、リンシンはあえて厳しく接した。


「話は聞いてたわね」

「……もちろんよ」

「融合炉はアリスの地下に二つ、それぞれ独立している。一つあれば基地の運営は可能ね。私達が旗を取ったら、敵は融合炉を潰してでも基地を沈黙させに来る。潰されたら私達の負け、指揮権はヴィクトル様に移行」

「……逆に西からの本隊が来るまで時間を稼げれば、私たちの勝ち」

「さすがは姫様」

「からかわないで」


 チャンドラはバルコでも一、二を争うDCである。だがドローン戦もチェスと同じで、指し手の精神状態に勝敗は左右される。

 いつまでも、メソメソして貰っては困るのだ。



『バルコの王族がアリスに入ったそうです。検問所の戦闘はそいつ絡みだとか』

「何ぃ? なぜバルコの、しかも王族だとわかる?」


 スピアーで現場に急行するセルゲイが、ホリンからの報告を受けて殺気立つ。王族かどうかなど、実際に捕まえてみるまで解らないはずだ。敵の関係者でもない限り。


『ちょっと待ってください……それどころか、名前まで解ってる。チャンドラだそうです』

『ほおー。ぜひともお会いしたいね』


 旧カンボジア領で殺されかけたジュリアンが真っ白い犬歯を剥いた。セルゲイは不機嫌と諦めが混じり合った表情でため息をつく。


「……誰か潜入してたのか?」

『ええ、しかも公安じゃない。連邦軍がスカウトした工作員です』

『で、大佐には報せなかったんですね。この土壇場まで』

『そういうことだね』


 年少組の二人はセルゲイを気遣うように黙った。

 大佐という階級にもかかわらず、重要な機密はおろか作戦立案にさえ関わる機会がない。セルゲイがここまで軽んじられる原因となったニキータは、やるせなさに唇を噛みしめる。

 かつての武装勢力がセルゲイを疎むあまり、その家族を特筆する標的としていた事は当時の連邦も知っていて、ニキータや母のメラーニエをよく守ってくれたらしい。しかしある時それに失敗し、二人を運んでいた艦ごと武装勢力の手に落ちてしまったことがある。連邦公安庁によって奪還されるまでの数時間、作戦中だったセルゲイは武装勢力が命ずるまま部下を拘束して融合炉関連施設へ立て篭り、制圧しようとする連邦兵に反抗して都合十九人を殺した。

 結局メラーニエも艦ごと太平洋に沈んだとされ、遺体も見つかっていない。連邦はこの事件を教訓としてセルゲイの後進育成に重きを置いた。彼の後継者と言えるようなパイロットは育たなかったが、彼のノウハウが浸透することで全軍のレベルは上がり、加えてバルコと開戦後、バルコの名だたるパイロットを片端からセルゲイが倒してしまったため、今日における錬度差が決定的なものとなった。

 相対的にセルゲイの影響力が弱まるにつれて、消えない罪の存在感は増してくる。連邦は彼の扱いに迷った。甘く接すれば示しがつかず、厳しく罰するには利用しすぎた。迷った末に戦奴のごとくこき使う一方で、重要な機密を知らせるには足らない、という今の有様が出来上がった。

 ニキータはこう理解している。つまるところ、家族のためなら国を裏切る“厄介者”扱いなのだと。


「北西から所属不明機が来ているんだったな」

『はい、詳細はまだ不明です』


 セルゲイのモニタに所属不明のスピアーが映る。積まれているアサルトフレームの全体像は見えないが、十中八九クロスオーメン持ちだろうとセルゲイは思った。そうでなければ単機で戦場に介入する意味はない。だが乗っているのが吉井雄一郎とは限らない。


――肝心なことは何も解らない。いや、果たしてこの戦争の行く末が見えている人間はいるのか。もし見えているなら、誰でもいいから何とかしてくれ。


『相次いで申し訳ありませんが、また未確認情報です』

「何だ」

『クロエ・ジョーンズ重傷とのこと。警備隊の無線でそういう趣旨の発言が飛び交ってます……やったのは、例の工作員だそうです』

「……誰だ?」

『ジョーンズの娘ですよ』



 メタルフラッグの管理者が選挙で決まる連邦加盟地域では、引継ぎの現場を中継するのが原則だ。今回は例外なので中継はないものの、引継ぎを行う場所は変わらない。要塞と化したアリススプリングス中央、グノウェーを地下に抱えるドーム型の小さなシェルター内には、かつてオセアニアに首都を置いていた三カ国の国旗が立てられている。

 その足元に丸い台座が設けられ、上に管理者の椅子がある。椅子の周辺には管理者の身体と脳をスキャンする設備とグノウェーまで続くケーブルがあり、認証と新しい命令受領は必ず有線で行われることになっている。

 シェルターの中にクロエとチャンドラが揃った瞬間、護衛のうち一人が突然ショックブレードを抜いた。すぐドローンが取り押さえたが、クロエは脇腹を削られていた。


「貴女、ためらったわね」


 裏切り者に向かってチャンドラがそう言うと、護衛たちを蝕みかけていた動揺が消えた。事実かどうかは関係ない、自分たちがクロエに信頼されていることを思い出したのである。クロエを刺したのはクロエの娘だったが、彼女がいくら抗弁しても無駄だった。


「あの子も私も、本当は独裁なんて、反対なんです」


 チャンドラの脇に座り、口から吐血を伝わせているクロエが浅い呼吸の合間を縫ってそう言った。すぐ傍に医療用の六足型ドローンとDCが座り、認証と引継ぎが終わるのをじっと待っている。応急処置を終えただけで、本格的な治療は引継ぎが終わるのを待たねばならない。固く握られたDCの拳から骨の音が聞こえてきそうだった。


「それでも、お腹をすかせた人々が、それを選ぶなら……そうして、二人で納得した、はずでした」

「……」

「どうして……言ってくれなかったのかしら」


 クロエの頬を涙が伝う。


「泣いている暇はありませんよ、ジョーンズさん」

「……」

「私達は必ず、人の手に豊穣の時代を取り戻します。明日にでも手伝ってもらいたい仕事があるのです。貴女にも、娘さんにも」

「ふ、ふ……チャンドラさん。不躾な、お願いですが」

「なんでしょう」

「頭巾を取って、頂けますか」


 護衛の多くは周辺の警備に出かけ、傍にいるのは女性だけだ。それでも医療班は気を利かせて後ろを向こうとしたが、それよりはやくチャンドラは頭巾を取った。クロエが微笑む。


「凛々しい、お方ね」

「ありがとう、ジョーンズさん」

「あの子……本当にためらっていたかしら、チャンドラさん」

「ええ、間違いありませんわ」


 チャンドラは力強く断言する。そこで認証が終わった。


『管理者の引き継ぎが終わりました。ごきげんよう、チャンドラ』


 六足型が飛び掛るようにしてクロエを座席から取り外し、パワードスーツを剥ぎ取って治療を開始する。

 チャンドラは深呼吸をしてヘッドマウントディスプレイをかぶり、コンソールに掌を乗せた。


「姫様、合間を見てパワードスーツを着てください」

「そんな暇があるといいわね」


 心配げなリンシンを突き放すように言う。すぐ傍から、ジョーンズを治療していた女性のすすり泣く声が聞こえている。



 旧イタリア領・ローマ。


『Dネットに新しい巨大AIが登録されました。管理者はチャンドラ、序列三位です』


 王族たちの会議室にトローノの声が届く。マイケルは曾孫たちにかける猫なで声とは全く異質の、王の声でこう言った。


「ひと段落したようだな」

『全く勇ましいことです』


 トローノの管理者席で戦況を見つめるヴィクトルも、安堵のため息をついた。それを見たマイケルは嬉しくなって微笑んだ。


「ほぉ、お前がチャンドラを褒めるなど、何年ぶりかな」

『私は常に公正ですよ、父上。このままオセアニアを平定したなら、それこそ特級の功績といえる。最大限の敬意を示さねばなりますまい』

「とはいえ、所属不明機の目的も気になる」

『ええ……トローノ?』

『はい、ヴィクトル』

『全土に非常事態宣言を出し、リソースを手元に戻せ。そしてチャンドラの背中を押せ』

『了解』



 両軍のドローンが入り混じって戦うアリススプリングスにおいて、やはり一番目立っているのはランドヴォルテックスだった。高さ十メートルにもなる要塞の防壁をスカートのふちで弾き飛ばすと、警備隊の宿舎や体育館、武器弾薬庫、ドローン工場、それら施設を繋ぐ道路と並木を一切の区別無く、薄くバターを削ぐように地面から引き剥がしていく。

 

『ふん、壮観だな』


 スピアーで低空巡航しながらセルゲイが言った。あの巨大戦車が敵基地の対空設備を沈黙させるまでは、危険を冒してまで突入する必要はないと思った。アレを使ったことに対しバルコやオセアニア警備隊は怒り心頭だろうが、実際に体を張る現場としては司令部の汚さも歓迎したいところだ。


『手筈通りだ。無理はしなくていいぞ』

『おう』


 対空設備だけでなく、融合炉の一つくらいはランドヴォルテックスだけで潰せるとセルゲイは踏んでいた。元々オーストラリア大陸から運び出す手段の無い巨体なので、司令部もここで使い潰すつもりだろう。スカートに守られた本体上部に、切れ込みが入るようにして細長い溝ができる。そこを目掛け、敵の航空機型とヘリ型がミサイルを浴びせようとするが、溝から飛び出した無数のミサイルによって逆に撃墜されていく。

 そこで西から来ていたバルコのドローン部隊がようやく追いついた。先陣を切った航空機型が空から爆弾を次々投下するも、部分的かつ機敏な開閉をする溝に阻まれ内部破壊にはいたらない。それでも外壁に穴が開いたため、追撃があればあるいは。マリオがそれを命じたところで、ランドヴォルテックスに変化があった。

 スカート部分が加速、本体が減速して、側面に並ぶ無数の砲門が露わになった。そうなるまでに基地の対空レールガンが敵に砲身を向けている。目標があまりに巨体なおかげで、空を撃つのと変わりなかった。

 露になった戦車側面の砲門と、基地の対空レールガンから同時に砲弾が射出される。ショックウェーブが火災の煙と瓦礫を歪な球形に舞い上げ、雲の高さまで届ける。その中心で巨大戦車は、まるで笑うように欠けた体を左右に揺らした。


『ハハハ、これ造ったやつ、頭イカれてんな!』

「巨大兵器なんて時代遅れなのは確かですけど、やっぱりハマると強いですね」


 大興奮のジュリアンと呆れたような口ぶりのニキータ。そこへホリンの報告が入る。


『所属不明機、着陸態勢です』


 小隊全員がその映像をメットに呼び出した。スピアーを切り離し、パラシュートを開き切ることなく閉傘降下で減速する。マニュアルだ、とホリンが呟いた。

 アサルトフレームの挙動については電子制御も可能だが、それに頼らない方がバッテリーの持ちが僅かにいい。継戦能力が弱点のアサルトフレームだからこそ、そこをカバーする余裕のあるパイロットは一流と見なされる。接地はとても柔らかく滑らかで、セルゲイたちの眼鏡に適った。カンボジアで戦ったバルコ兵も無能ではなかったが、彼等より段違いに強敵だ、とニキータは思った。


「仕留めますか?」

『バカをいえ。だが一応、全員陸に降りろ。クロスオーメンが届かないとも限らん。ただ戦場に入る必要はない……見ろ、戦車殿はまだ健在だ』


 ランドヴォルテックス前面に備わった平面ドリルが勢いよく回転を始める。すでに満身創痍で砲門も潰れきっているが、前進だけはやめようとしない。先程の砲撃合戦で基地の融合炉が一つ潰れており、レールガンは半数が沈黙して対空迎撃で精一杯だ。戦車を狙う余裕はもうない。あとは方向転換と加速が終わるまで、相次いで六足型の突撃を受けているキャタピラが持てば、もう一つの融合炉もひき潰すことができるだろう。


「……」


 ニキータは目を細めながら、そう上手くいくかな、と思った。



『チャンドラ・カンビアンカ様。こちら吉井雄一郎です、はじめまして』


 所属不明機から通信を受けたチャンドラは、まずバルコの司令官と秘匿回線を繋いだ。


「マリオ、戦車を止められますか? 率直に言いなさい」

『五分五分です。ですから姫様は折を見て脱出してください』

「脱出? この地はどうなるのです」

『後々あらためて落とせばよろしい。アリススプリングスがこの有様なら、オセアニアにおける連邦の影響力は劇的に低下します。南米とここで二面作戦を行えば、制圧は時間の問題です』


 ヘッドセットの中でチャンドラは目を怒らせた。それではここに来た意味がない。すぐそこに血を流したクロエ・ジョーンズがいる。ここで戦いを続けていいのは今日までだ、とチャンドラは決意を新たにする。


『チャンドラ・カンビアンカ様、こちら吉井雄一郎です。聞こえますか?』

「お待ちください」


 チャンドラは司令官とのチャンネルに雄一郎を招き、三人の窓を作った。


「用件をどうぞ、吉井さん」

『ランドヴォルテックスの周辺でクロスオーメンを起動させます。私を基地の中に招いてください』

『……! なりませんぞ、姫様。御身を第一に考えてください』

「マリオ、私は守られるためにここへ来たわけではありません。彼に対する攻撃を止めなさい。戦車は彼に任せ、連邦のドローンを撃退するのです」


 司令官は逡巡のあとにこう言った。


『……吉井君、こちら側に投降してくれ。いずれは君もバルコの民だ。そして君の決断しだいで、死なずに済む命もあるだろう……アレクシス様が君を待っているぞ』

『私は連邦の滅亡を望んでいるわけではありません。バルコの肩を一方的に持つわけにはいかない』

「では貴方は、ここへ何をしに来たのですか?」

『貴女は連邦に「住む人々」を見捨てなかった……ぜひ私も、貴女のように振る舞いたい』

「……なぜここに私が来ると知っていましたか?」

『情報提供者がいます』


 稲田一穂に違いない、とチャンドラは思った。やはり雄一郎の行動には稲田の思惑も絡んでいるのだ。

 そしてオセアニアを手放してまで私を死なせたくないと言うのだから、私とクロエの間にある約束も知っているのだろう。ここに新しいDネットを築くという約束を。同時にそれはオセアニアをプレゼントしても、いざとなればバルコを止められるという自信の表れでもある。

 チャンドラは改めて気を引き締めた。この二人を決して侮ってはいけない。


「マリオ、私の声が聞こえましたね。連邦を撃退し、吉井さんを基地に迎えなさい」

『……解りました』


 司令官は最後に、雄一郎の顔をじっと見てから回線を切った。睨むわけでも、言葉で恫喝するわけでもない。そんな事をする必要はない。前線で命をかける王族は当然死ぬこともあるが、死なせた人間が許されたことは一度もない。

 誰もが知っていることを、改めて言う必要は無かった。


『では、戦車を止めてご覧にいれます』

「ええ、お願いしますわ」



 基地上空で連邦とバルコの航空機型が激しい制空権争いをしている。その隙に方向転換し、加速を始めたランドヴォルテックスに向け、雄一郎の専用機呑山(てんざん)は全速力で駆けていた。

 アサルトフレームの役割は火力のガンナーを守備力のファイターが護るという分担で、進化するにつれてより分業が極端になっていった。ガンナーはより攻撃的で軽装甲の機体になり、多くのファイターはショックブレードを捨て、代わりに予備の盾を背負うことで生残性を上げた。実際に連邦軍のアサルトフレームで、剣を装備しているのはセルゲイと、ニキータだけである。

 しかし呑山は黎明期とさほど変わらないバランス型で、全局面対応というコンセプトがアイアン・イーグルに良く似ていた。そして彼もまた剣を背負っている。それに気付いたニキータは、雄一郎の動きを強く意識する。

 巨大戦車を取り囲もうとしていた連邦の六足型が、雄一郎に気付いて追いすがる。しかし雄一郎は瓦礫や砲撃の弾痕など、足場の悪いところに差し掛かっていた六足型のそばを狙って通ったため、本来なら同じ程度の間合いに微妙な差が出た。雄一郎はその際を縫うように移動しながら射撃し、盾を消耗することなく進撃していく。


「!! 中尉、敵のドローンが」

『そうだね……大佐、敵ドローンが不明機の妨害をやめたようです。それどころか、羊羹のほうへ誘導しています』


 羊羹。つい先程、兵士の間で付けられたランドヴォルテックスの愛称である。


『なんだ。結局グルだったのか、連中は?』

「大佐、このままでは戦車がやられます。やはり我々でヤツを仕留めましょう」

『駄目だ。クロスオーメンに巻き込まれたら、こっちもただのマトだぞ』

『それにニキータ、さっきから敵ドローンの動きが妙にいいんだ』


 ドローンたちはDCから受け取った工程表に沿って戦っている。DCは様々な「もし」を想定するため、殆どの工程表はツリー化している。さらに「一番近くの敵を撃つ」といった動作にも「足音を立てずに」とか「全速力で」といった条件付けが加わる上に、数万規模にもなる工程表を素早く正確に管理するためには、メタルフラッグをはじめとした大型ドローンの処理能力が重要となる。

 しかし勝つためには処理の速さだけでなく、判断力も重要だ。例えばドローンを同じ数ずつ二陣営に分け、ジャングルの中で互いの大将機を狙わせたとする。あえて不利になるような陣形を敷いてドローンを誘い込み、予め掘っておいた落とし穴に落とすとか、偽の大将機を用意して囮にするとか、成否の不明な判断をドローンに代わって下すのがDCである。


 連邦でも指折りのDCであるホリンは、警備隊のドローンを指揮しているのがグノウェーではなく、トローノだと確信していた。しかも彼にとっては屈辱的なことに、DCの能力ではバルコ側が上だった。

 DC同士の意志統一にはドローンと違ってタイムラグがある。だからDCの多いことが必ずしも有利とならない。連邦側が百人単位のDCを投じているのに対し、バルコ側は殆どの命令を一人が下している。


『警備隊の旗、おそらくバルコのDネットから支援を受けています。ここはもうチャンドラの手に落ちたんだ……大佐』

『何だ』

『撤退を進言します。バルコの本隊がやってくるまでに、警備隊を倒すことはできません。少なくともドローン戦だけでは……』

「なら、アサルトフレームが戦えばいいでしょう?」

『ニキータ、仮にここを抑えたとしてもね』


 バルコは王族が敵の手に落ちたら、それを死んだものとして扱う。交渉の材料としては使えない。既にグノウェーがバルコの手中にあるなら、仮に今すぐチャンドラを倒せたとしても、バルコの本隊を退ける手段がない。


「自分は反対です。もう基地を取り戻せないとしたら、なおさら旗は潰しておくべきです。この基地が潰れれば、オセアニアを巡る戦いはまた仕切りなおしだ。でもここをバルコが使えるなら、バルコが断然有利です」


 懐柔や恫喝、あるいは暗殺などを駆使して敵のメタルフラッグだけを奪い、施設やドローンを壊さずそのまま利用する。これはバルコがドローンウォーズ初期から多用してきたやり方だ。その先陣を切ってきた彼らの王族は、だからこそ庇護下の国民から尊敬されている。しかし。


『……』


 セルゲイとジュリアンの冷めた雰囲気をニキータは感じていた。基地を潰したほうが連邦有利なのは間違いない。そんなことは解っている。だがそれに命を懸ける理由を彼らは持っていない。

 生存率の高い作戦に、なるべく安全なやり方で取り組む。連邦最強であるこの小隊なら、それでも群を抜いた戦果を残すことが出来るのだ。もちろん彼らも神や超人ではないから、カンボジアで遭遇したような危機もある。誰が好きこのんで、そこへ向かっていくというのか?

 ニキータは複雑な感情に顔をゆがめた。戦争の勝ち負けを決めるのは兵士ではなく、政治だという達観がセルゲイを堕落させている。アサルトフレーム一機で何度も国を救った英雄は、もう居ないのか?


『不明機、羊羹と接触します!』


 制空権争い真っ最中のドローンから、ランドヴォルテックスを見下ろす映像が送られてくる。その足元に駆け込む不明機はまるで山の麓に居るように見えた。しかし直後、航空機型をも巻き込むほど巨大なウェーブエフェクトが出現し、ドローンからの中継が途絶する。


「おお、これがあの……」


 現れたのはほんの数秒間、掻き消えるのは一瞬だった。巻き込まれたドローンたちは、まるで凍りついたように動かない。しかしランドヴォルテックスだけは移動を続けている。


『……ホリン、ドローンは?』

『沈黙です。羊羹からも応答なし。たぶん、ああして動いてるのは……』


 惰性。あれほど力強かったランドヴォルテックスの進みが徐々に鈍り、融合炉のはるか手前で止まってしまった。赤い夕焼け空の下、刺し違えて機能停止した不明機と並び、完全に静止する。


『東シナ海の時より範囲がずっと小さい、調整可能なんだな……』

「中尉、不明機のパイロットは!?」

『近くに動けるドローンが居ない。だから解らないな。情報どおりなら、パワードスーツも人工筋肉しか動かないはずだけど』

「大佐! 行きましょう!! ヤツを捕まえるんです!」


 駄目だ。セルゲイがにべもなくそう言おうとしたところで、司令部が勇ましいラッパのメロディを全兵士の通信回線に乗せた。

 

『ラッパだと? チッ……』


 全軍突撃の合図である。DCの裁量を越えて動くアサルトフレーム乗りは、DCとしても優秀でなければ味方ドローンと連携することができない。さらにパワードスーツ使いとしても優秀な兵士が選抜されるため、アサルトフレーム乗りは戦術的に重要なことを全て知っている。彼らに対し、司令部も細かい指示は行わない。任せるのが一番だと経験で思い知らされているからだ。

 とはいえセルゲイたちも兵士なので、あえて司令部が出した命令に逆らうことはできない。逆らえば命令違反となる。


『いいか、敵の戦列を飛び越えようとするな。一機ずつ着実に処理していけ。いいな!!』


 しかしニキータはセルゲイの命令を聞かず、生き残ったドローンが入り乱れてほとんど掴み合いをしている戦場に突っ込んでいく。


『!? ニキータ、きさま!?』

「上位命令です、大佐」


 セルゲイは泡を食って息子の背中を追いかける。


『聞かねーガキだなー。おかあちゃん頑張れー』

『少佐……』

『あんだよ』

『行くしかないですよ』

『解ってるよバカ。気楽でいいよなお前はこのバカ』

『すみません』



 ニキータが先陣を切ったことで、連邦のアサルトフレーム全機が攻勢を強めた。セルゲイ隊の中でも親子に対する感情は様々だが、戦場で味方を見殺しにするような教育は誰からも受けていない。


「司令部!!」

『どうした、セルゲイ大佐』

「ランス……大統領」


 ランス・ガードナー大統領は連邦軍の最高司令官でもある。今回の作戦、立案段階では居なかったはずだが、チャンドラに応じて出てきたのか。推測もそこそこにセルゲイは叫んだ。


「目標を融合炉に絞るべきです!! 旗を目標にすれば敵の逃げ道を塞ぐことになる……自爆されたら全員死にます!!」

『基地に自爆出来るような爆薬はない。安心して最適な行動を取れ。旗と融合炉が両方無事で、チャンドラが生きていればグッドだぞ。さらに吉井まで捕まえたとなりゃあお前……恩赦も検討しなきゃならんな?』


 額に青筋を立てながらセルゲイは個人回線を要求した。相手の返答を待たずに要求を連打し続ける。


『いいかげん子離れしたらどうだ、セルゲイ』

「勝手なことを言うな、この野郎!!」


 元は同じ部隊で辛酸を舐めたアサルトフレーム乗りだが、事件を契機に進む道が分かれた。それでも以前のように屈託なく振舞ってくれるのはとても嬉しい。しかし仮にも上司にこの野郎はないだろう、とランスは微笑みながら思った。


「ご執心か? まさか貴様まで、あの吉井とか言うやつに!? 稲田のほうを押さえれば話は簡単だろう!?」

『稲田を抑えるのが簡単だと? 相変わらず寝技を知らんな……いいか、この戦いに吉井を介入させたのは稲田だ。奴は連邦とバルコの力を削ぎ、新しい勢力の主導権を握ろうとしている。それを成し得る男だ、あれは……だがそうはいかない。お前も解っているはずだ。支配者は王でも闇でもない、民であるべきだと』

「……」

『旗はとられても構わん。だが吉井だけは捕えろ。出来なければ殺せ。近い将来、否応なくこの星の支配者が決まる。民にこそクロスオーメンが必要なんだ』

「支配者なんぞ誰でもいいが、犠牲を尊ぶような奴はクズだ。クロスオーメンを抱えてバルコに特攻するのは誰なんだ?」

『……』

「こんな戦いを続けていたら、いつか星が割れる。割るのは王でも闇でもない、案外……お前なんじゃないのか?」



 連邦のアサルトフレーム部隊が戦場に本格参戦すると、チャンドラたちバルコ軍は押され始めた。五年という休戦期間と東京VRが彼等の錬度をさらに上げたらしく、旗を奪い取れば勝ち、という当初の見込みが頼りなくなりつつある。

 チャンドラもドローンの指揮に追われていた。敵には極めて優秀なアサルトフレーム乗りが何人も居る。DCを含めた彼ら全員と、同時にチェスをしているようなものだ。もちろん制限時間は一人分である。


「姫様、お願いです……」

『黙りなさい、リンシン』


 アサルトフレームを駆るリンシンは先ほどから何度も撤退を進言している。シェルターすぐ傍で護衛に当たる彼女をして、何度か連邦のアサルトフレームと交戦しているような有様だ。余裕など少しもない。今はまだ護衛のドローンが多いからいいが、着実に数を減らされているのに、敵のアサルトフレームを撃破できたことはない。

 彼我の間にある圧倒的な錬度差にリンシンは戦慄していた。もし彼等が決死の覚悟で来たら、間違いなくやられる。


「うっ、こいつ……!?」


 そんな事を考えていた矢先、他とは動きが違うアサルトフレームが現れた。強さも格別だが、何よりシェルターに対する執念が違う。


『リンシン、その細身はレッド・ガストだ。セルゲイの倅だ。なんとしても殺せ』

「……解りました、司令」


 バルコ軍にとってセルゲイは一番の仇敵だ。事件の後も家族のために戦うと公言して憚らないセルゲイなら、息子を失うことで大きく戦意を削がれてもおかしくない。そうでなくてもレッド・ガストは猛然とシェルターへ攻撃を仕掛けてくる。突出する彼を見殺しにしまいと周囲のアサルトフレームも攻勢を強めてきた。もはや多少の損傷では引く様子がない。

 リンシンは死を覚悟した。



「マリオ、シェルターの守りをお願い。セルゲイは私が抑えます」

『姫様、重ねて申し上げますが――』

「やりなさい」

『……了解』


 融合炉を守るドローン部隊と、資材倉庫を挟んで撃ち合っていたセルゲイたちが前に出てきた。それを援護するガンナーが電磁スモーク弾で煙幕を張る。チャンドラはうめき声を上げた。先程から何度も繰り返されている展開だ。

 見えれば手が打てる。聞こえれば先が読める。しかしあらゆるセンサーに意味のある情報が入ってこない。同士討ち覚悟でドローンに撃たせても敵にはロクに当たらず、霧が晴れた後に見えるのはドローンの残骸だけだ。

 話には聞いていたが、これが戦士の勘働きというものだろうか。お互い目と耳を塞げば人間にも勝ち目がある、などという戦術を、命なきドローン相手に成立させてしまうのがセルゲイ・ヴァロフなのか。今回も手ごたえの無いまま煙が晴れ、味方の反応だけがごっそりと消えている。ここを破られたらもう後がない……弱気にかられそうになったところで、男の声が聞こえてくる。


『チャンドラ様、二番通りに四足型をよこしてください』

「……!?」


 砲台と左側面の足をすべて潰され、もがいている六足型のそば。息がかかりそうなほど近くに人影がある。ほんの少しだけ途切れた煙幕の間にその姿が見えた。

 一般的な戦闘用パワードスーツが鎧だとすれば、それは厚手のライダースーツのようなフォルムだった。装甲は胸部、背面、膝から下、肘から先だけで、大きな関節を守るものはなく、弾帯さえ締めていない。収納は腿のあたりのダブつきだろうが、銃が入るほど大きくはない。

 生存性とは移動力、機動力のことだと、その姿で主張していた。いや、それよりも。


――いつの間に。


 直後、球形のウェーブエフェクトが出現し、セルゲイたちを巻き込んだ。モニタの沈黙によって突然の暗闇に襲われたパイロット達だが、その理由をすぐに察知する。

 追加骨格のないパワードスーツと違い、アサルトフレームの火力管制には搭乗者の神経だけでなく、高度な電子機器も併用されている。クロスオーメンに巻き込まれた時、機体の人工筋肉が部分的にしか動かせないことを予見ていた彼らは、よどみなくハッチを開いて外に出た。


「全員引け! 後方のガンナーは聞こえていたら合図しろ! 全隊後退、生き残ったドローンにも援護を要請しろ!!」


 融合炉そばに居た警備隊のドローンにも、セルゲイの絶叫が届く。全隊後退――それを信用するなら、どうやら切迫した危機は去ったらしい。安堵のため息をつきながら、先程のささやき声が望んだとおり、チャンドラは配下の四足型を走らせた。


『まさか、姫様!?』

「逆転するにはこれしかありません」


 先程のパワードスーツ――雄一郎が通りに駆け込んでくる。チャンドラは四足型を彼の前に座らせ、背にしがみ付くのを確認してからシェルターへと運ばせる。

 シェルター前にもガンナーのスモーク弾が着弾し始めた。もう時間がない。



 煙幕の中から飛び出たニキータは、予想通り警備隊のアサルトフレームがすぐ傍にいるのを確認した。あわててこちらを振り返る敵のマシンガンをショックブレードで叩き落とし、手首の内側に仕込んでおいたソードオフ・ショットガンで脚部を撃つ。


「おっ……」


 半ば千切れかけた足を引きずりながら組み付いてくる敵に、ニキータは少し面食らった。ただ事ではない執念を感じる。相手の腕を何とか避けて、横腹を蹴り飛ばしうつぶせに倒すと、露になった背中のバックパックを切り裂き、エネルギーパックに剣を突き立てた。


「死にたくなきゃ、そこでじっとしてな」


 オープンチャンネルでニキータはそう言った。元は同じ国の兵士だ。無闇に殺せば余計な恨みを買うことになる。


「シェルター内のやつ、西側に寄れ!」


 さあ王手だ。味方の援護を受けながらニキータはシェルター東側に取り付き、外壁にショックブレードを刺した。火花を浴びながら手際よく扉型にカットし、半地下となっている内側に蹴りこむ。


「ゲームイズオーバー。ドローンを止めて出て来い、今すぐ!!」


 射撃を受けないよう外側から呼びかけつつ、カメラを投げ入れる。粉塵の向こう側でブルカの裾が翻った。そういえばチャンドラは男に素顔を見せないという話だ。どこまで配慮してやるべきか?

 そんな事を考えていると、コックピットが真っ暗になった。電子機器の反応が一切ない。


「ふぅっ……」


 手探りでサーベルを掴み取り、ハッチを空けて外に転がり出る。周囲と空を見回しても、先程のウェーブエフェクトは見えない。

 まさかもう近くにいるのか? 気配を感じて振り返ると、小ぶりなショックブレードを振りかぶった人影が見えた。振り下ろされる前に懐に入り。首根を掴んで頭から地面にたたきつける。そこで、吉井にしては背が低すぎることに気付く。

 メットのふちを掴んで引き起こしざまにシェルターの外壁へ叩きつけると、そこに背をこすりつけながら女は穴の内側へと崩れ落ちていった。脳震盪のためしばらくはまともに立つことも出来ないだろう。

 女が着ているパワードスーツは市民用のものだ。そこでニキータはピンときた。戦闘用のパワードスーツは使い手の体に合わせたオーダーメイドだが、市民用はおおよその体格さえ合えば着れる仕組みになっている代わりに、性能が低い。

 つまりこいつは、自前を持ち込むことが出来ない身分なのだ。と言う事はここへ潜入したチャンドラの護衛ではないか。だから女なのでは?


「リンシン!?」


 果たしてそんな叫びがシェルター内から聞こえる。


「リンシンちゃんは無事だぜ。それより――」


 早く外へ出てこい。言い切る前に再び気配を感じて振り返ると、今度こそ戦闘用パワードスーツが駆けこんでくる。彼の握っている脇差を見て、ニキータは鼻で笑った。移動力特化も過ぎるとただの逃げ足特化だ。そんな有様で向かってくるつもりか? 

 すぐさまサーベルを抜いて腰を落とし、自らもすり足で間合いを詰めていく。

 膝や肘の角度、足の開き、頭部から背中にかけての撓み。ニキータは自分の姿勢を一度一ミリ未満の精度で自覚しており、自分の切っ先がどういう早さで、どこまで伸びるかを少しのズレもなく把握している。パワードスーツにより身体能力が人の反射を超えた現代において、自分の動作の意味を全て把握しているなら、それが出来ない相手になど万回斬り合っても負ける事はない。既に姿勢が完成しているニキータに対し、敵は相変わらず軸を無防備に揺らしながら、大股開きで寄ってくる。

 何の感慨もない。ただ心を凪ぎに保ち、機に備えるだけである。生け捕りという命令だから、腕か足を斬り落としてやればいいだろう。

 そういう意図をもって、相手を懐深くまで誘い込まなかった為に、ニキータは敵の剣閃を避けることができた。


「!?」


 敵が間合いに入ってくる直前、山盛りだった隙が掻き消えた。その消え方があまりに鮮やかだった為、ニキータは思わず盲目的に引いてしまった。結果的にはそれが功を奏したが、なぜあんな短い刃物で「自分の膝を掠られた」のかは解らないままだ。それは敵の動きの上限が読めないということであり、とても危険なことだった。


「ふぅー」


 目を皿のようにして敵を洞察する。その動きを見切るために。

 そうしてしばらく睨み合っていると、やがて敵が動いた。後ろ歩きをしながら距離を取り、倒れていたリンシンとかいう女を抱え、シェルターの中に入っていく。


「……。こ、この――逃がすか!」


 予想外のことに虚を突かれた。我にかえって後を追おうとした瞬間、視界の隅にドローンを見た。バルコの六足型である。

 ニキータはぎくりとした。しまった、撃たれる。だが銃弾を浴びたのはドローンのほうだった。ビッグ・ピラーがとどめとばかりに傷ついたドローンを蹴り飛ばす。


『お前余裕だなァー!? こりゃ置いてってもいいかなァー!?』


 ニキータの通信装備が死んでいるため、ジュリアンはスピーカーを使って叫んでいる。ハイトーンボイスの罵倒にもニキータは感謝するしかない。全速力でビッグ・ピラーの懐に駆け込み、その腕に抱えられながら撤退する。激しい揺れのため、マウスピースをしているのに口の中がすこし切れた。



「リンシン!? あぁ、お願いだから返事をして!?」

「脳震盪です。動かさないで」


 シェルターの中は薄暗かったが、科学燃料を備えた非常灯と、ニキータが開けた穴から差し込む夕日のおかげで人の表情程度なら判別できる。メットを外すとリンシンは目を開けていて、チャンドラの顔をはっきりと見ていた。


「大丈夫? 気分は?」

「はい……それより、姫様」


 リンシンは立ち上がろうと手足を動かすが、上手く行かない。雄一郎はグノウェーの管理者席を見分したが、反応はなかった。これでは地下のAIが無事かどうかわかない。計算通りなら無事のはずだが。


「姫様、お顔が」

「え?」

「頭巾、外れたままですよ」

「……」


 はっと背筋を伸ばし両手を頬に当てると、肌の感触。顔を青くするチャンドラの背後からそっと頭巾が差し伸べられる。慌てて袖で顔を隠しながら、頭巾を被り直した。物心ついてから初めて、男性に顔を見られてしまった。望んで守ってきた戒律ではないが、いざ破ってみると思いがけないほど後ろめたい。


「連邦軍は撤退を始めました。間もなくお迎えが来られますよ」

「ありがとう、ございます……貴方は、吉井雄一郎さんですか?」

「その通りです」


 立ち上がり、向かい合って礼を言う。決して味方ではないのに、妙な成り行きになったとチャンドラは思った。一方で雄一郎はこれを千載一遇のチャンスと捉えていた。チャンドラと言えばバルコの中でも五指に入る重要人物だ。直接話をする機会など今後あるかも解らない。


「それで、相談があるのですが」

「なんでしょう?」

「穏便に自分の船へ帰りたいというのが一つ。貴女ともっと話をしたいというのが一つ」

「なら鎧を脱いでください。急いで」

「出来ません」

「貴方がもし、この状況を切り抜けたいと思っているなら、脱ぎなさい。貴方の立場を示す必要があるわ」

「ええ、おっしゃる通りだ。私は服従するために来たんじゃあない。もし私がそんなことをすれば、稲田はクロスオーメンを撃ちます」

「……!」


 クロスオーメンが世界中で使われずに済んでいるのは、この吉井雄一郎が稲田の意向に沿っているからなのだ。逡巡する間にもドローンの足音が近付いてくる。ようやく身を起こしたリンシンが、雄一郎をにらみつけた。鎧を着たままの彼をヴィクトルが見たら、問答無用で襲いかねない。


「貴女はここを陥落させた。貴女の言葉になら、ヴィクトル様も耳を傾ける。そうでしょう?」


 壁に開いた穴から、六足型の足が覗いた。チャンドラは意を決して、雄一郎を守るように射線を塞いだ。

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