第2話


 地球統一に向け、休戦に終止符を打ったヴィクトル。一方ランスは劣勢を覆すため、戦争にクロスオーメンを投入しようとするも、ひとまず講和を模索すべきと考える稲田に提供を拒否される。

 東シナ海の事件以降、クロスオーメンが使われないまま一ヶ月が経過。誰もが恐れた展開はひとまず先送りにされている。しかし現場で戦う兵士にとって、毎日が地獄であることに変わりなかった。


 八月某日。

 休戦終了から一ヶ月が過ぎた。係争地をめぐる争いはまずアジアで激しくなり、ドローンの数で劣る連邦は太平洋側へと日に日に後退していた。そんな中で連邦軍が期待するのは休戦前と同じく、人型兵器「アサルトフレーム」の活躍である。


 ドローンは人間に比べ、戦いにおいて優れた点を二つ持っている。一つは訓練が不要で、捨身の攻撃で数を減らしても補充が容易なこと。もう一つは一糸乱れぬ連携である。仲間と即座に情報を共有し、一個の生物と化す彼らに比べれば、人間のチームはどんなに訓練を積んでも意思統一が遅く、結果すべての局面で初動が遅れる。戦場の主役がドローンであることは、もはや変えようのない時代の流れだった。

 ただしドローンにも弱点は残っている。意思統一を支える通信網だ。一個の生物と化すドローンだからこそ、通信網が欠けることは脳が欠けることに等しく、これをドローンの指揮者である《DC(ドローンコマンダー)》たちは極端に嫌う。だからこそやる価値がある。味方ドローンの最前列よりさらに敵陣深くへと踏み込み、ジャマーを起動して敵ドローンの通信網を叩く。これがアサルトフレームをはじめとした有人兵器部隊の主な役割だ。

 しかしこれは容易な戦術ではない。訓練に時間のかかる貴重なパイロットが、敵陣で孤立することに変わりはないからだ。


 通信網から切り離されてもドローンは無力ではない。スタンドアロン状態の戦闘プログラムは日々進化しており、攻略できる兵士も減り続けている。アサルトフレームは搭乗者の神経を制御に使うため、人型であることもハンデとなる。

 それでも生還を見込まれる精鋭だけが、アサルトフレームに乗ることを許される。彼らは最も進化した戦闘集団であると同時に、おそらくは人類最後の戦闘集団である。


『大佐、威力偵察終わりました。動画送ります』

「よし」


 大佐と呼ばれた男――セルゲイ・ヴァロフは専用アサルトフレーム《アイアン・イーグル》」の骨盤にうずくまりながら、パワードスーツのメットに転送されてきた動画を見た。緩やかな丘陵が囲う窪地にバルコの輸送ヘリと、彼らが運んできた大小様々のコンテナが集まっている。中身は建築資材らしく、窪地にバルコの防衛拠点が建造されるものと思われた。


「敵がレールガンを配備するまで、どれくらい猶予がある?」

『半日ありません。物資を囲うU字型の丘陵に、もう大型レーザーのレールが通っています。これ以上数が増えたら厄介です』


 刻一刻と堅牢な要塞化がすすむバルコの防衛拠点。建設開始から一週間もすれば二千五百キロメートル範囲の航空機を撃ち落とすようになる。そうなる前に素早く発見し、つぶし、あわよくば建設物資を回収するのがセルゲイたちの任務だ。


「敵の数は」

『見える範囲で千百十二』

「まだ食える数だな。すぐに出るぞ」

『了解』


――それにしても、窪地周辺には昨日まで何も無かった。戦いなら人間の出る幕もまだあるが、土木作業ではノーチャンスだな。


 丘陵の上に伸びるレールを目で計りながらセルゲイはそう思った。そして人間のチャンスなど、いずれ全て無くなるだろう、とも。


「偵察のドローンが最初に撃墜されたのはいつごろだ」

『二十分前です。命令通り北側から陽動をかけています。かなり無茶な進軍をしているのでドローンの被害も大きいですが』


 早口で報告するホリン・マナカ中尉はアサルトフレームではなく、六本足の先に車輪を履いた装甲車に乗り、足場良好な後方のハイウェイ跡からドローンを指揮している。セルゲイからの信頼厚いDCである彼は、地平線の向こうで戦線をぶつけ合うドローンたちを指揮している。


「アサルトフレームは《スピアー》で運ぶ。ホリン、敵が少ないルートを作っておけ。必要なら陽動作戦に部隊を追加しろ」

『はい!』

「ジュリアン、お前は後方から火力支援だ。私がレーザーを潰すから、間髪入れずにミサイルを放り込め」

『OK』


 部隊の《ガンナー(後衛)》を務めるジュリアン・チャプマン少佐の専用アサルトフレームは、狙撃用ライフルや連続ミサイルで武装した《ビッグ・ピラー》である。全高五メートル、肩幅三メートル弱の体格に目いっぱい弾薬を積んでいるため、火力に優れる代わりに装甲が薄く、主に後方支援を担当する。

 ドローンの通信を阻害するジャマーは、基本的にガンナーが積んでいる。このためガンナーは護衛の《ファイター(前衛)》よりも巨大化する傾向がある。ビッグ・ピラーは連邦軍最大のアサルトフレームだが、ベストガンナーの呼び声高いジュリアンは、的になりがちな愛機を犠牲にしたことがない。


「ニキータ、お前は私と来い。出すぎるなよ、わかったな?」

『……了解』


 二十歳のニキータ・ヴァロフ少尉はセルゲイの息子で、父親と同じ《ファイター(前衛)》である。アサルトフレームは胴体にパイロットを抱え、バックパックが大きいほど弾薬を運べるため、基本的にずんぐりとした体型になる。ジャマーを抱えるガンナーの護衛として最前線を行くファイターたちは運動性を欲しがるが、このずんぐり体型は運動性を阻害するため、古今東西のファイターたちは常に悩ましい調整を強いられてきた。

 現代では装甲と弾薬量が重要とされ、極端にスリムな機体は減りつつある。しかし全高三メートル半ばのニキータ専用機レッド・ガストは大きなショックブレードを振り回すために骨格、人工筋肉量が設定されており、胴体はスリムで手足も長い。ショックブレードの威力はすさまじく破壊効率もいいため、当たりさえすれば少ない弾薬をカバーできる。しかし的としても大きいアサルトフレームが飛び道具だらけの戦場でそれを抜く機会はほとんどない。

 それでもニキータは隙あらば剣を振り回そうとする。実際にクロスレンジでの戦闘力は神懸かっているものの、セルゲイの親心がそれを讃えることはない。そもそも軍へ入ること自体に反対だった。途中に仮眠や殴りあいを挟みながら三日三晩説教しても聞かず、ついには勝手に入隊してしまった。五年前のことだ。

 どうせなら手の届く場所に、と考えてセルゲイは息子を部隊に呼び寄せた。あれだけ言っても聞かなかったニキータが、戦場では従順なことは不幸中の幸いである。


「よし、頃合だ……行くぞ」


 予報どおり、曇天から大粒の雨が降り始めていた。夏の正午に似つかわしくない暗さ、コックピットに差し込んでくる弱々しい陽光に、セルゲイはロケットの中の写真をかざす。

 遺体さえ見つからない妻・メラーニエの写真。ニキータの輝くような金髪は彼女が授けたものだ。テロの犠牲という悲惨な別れ方をしたのに、年月が経って残ったのはいい思い出だけだった。悲しみも憎悪も、十五年という時間とニキータによって取り除かれた。セルゲイ自身の意思に関わらず。

 こちらを見ているメラーニエの曖昧な微笑みは、毎日の精神状態を教えてくれる。この一月余りはずっと憂いているように見えた。ニキータが戦場に出始めてから、ずっと。


 アイアン・イーグルの胸郭に当たるハッチを閉め、全高四メートルの愛機を立ち上がらせた。巨体を動かす灰色の人工筋肉が、パワードスーツを着たセルゲイの手足や胴を締め付け、彼の姿勢を安定させる。

 真っ暗闇に包まれたのは一瞬のこと、すぐメットのベゼルとコンタクトレンズ型のウェアラブル端末に、外の景色とセンサーの情報が写される。首と視線をぐるりと回して、映像に乱れがないか確かめる。

 スラスターを備えた弾薬入りのバックパックを背負えば、出撃準備は完了だ。三十年という戦歴の中、度重なるアップグレードを経ても変わらないバランス型の機体は「迷ったらセルゲイの真似をしろ」と言われ、パイロット達から信頼されている。彼が交戦回数一万回を誇る、世界最強のパイロットだからである。


 今度も目の前の戦いから、生きて帰る。仲間と共に。

 セルゲイの頭にあるのはそれだけだった。



 安全圏の輸送機から投下されたセルゲイたちは、旧カンボジア領、アンコール遺跡群の上空を、スピアーと呼ばれるアサルトフレーム用の運搬ロケットで横切っていく。


『交戦地帯まであと三十秒。高度千五百メートルを維持すれば、レーザー以外は避けられます』

「レーザーが南側に来たのか?」

『はい。そちらに向かいました。例の大型です』


 百キロ先、降りしきる雨の向こう側。レールの敷かれた丘陵の上にメタリックグレーの四角い箱が台車と一セットでいくつか並んでいる。セルゲイたちの方向から見ても投射口は見当たらず、一見すると何の設備か解らない。しかし。


『大佐! ビームコーティングが!』


 ホリンが叫ぶと同時に、セルゲイを運んでいたスピアーから激しく煙が立ち上り、銀色の流線的なフォルムの上を流れていく。

 レール上の四角い箱に変化は見られない。しかしこちらを向いている面にはいくつかの穴が開いていて、そこからレーザーが出ているのだ。焼けていくビームコーティングが証拠だった。

 アサルトフレームにもレーザー兵器は備わっているが出力が弱く、至近距離で敵のセンサーを狙い撃つためにある。エネルギー消費の多いレーザー兵器で百キロ先を攻撃するには、核融合炉からのエネルギー供給が必要だ。

 しかし融合炉さえ叩けばレーザーだけでなく、周辺に居るドローンのエネルギー源を断つことが出来る。敵は撤退するしかなくなるだろう。


『ドローンで遮蔽します』

「いや、敵との航空戦に専念しろ。ジュリアン、お前のスピアーを盾にする」

『解った』

「二人とも雲に入れ」


 雨雲の中に入ったセルゲイたちを、航空機型のドローンたちが追い抜いていく。地上で戦列をぶつけ合っている四足、六足型ドローンたちの真上に差し掛かる頃だ。そこを飛び越えさせまいと、バルコ側の航空機型も巡航をやめ、突進してくる。

 雲の上では陽光に、下では雨に晒されながら、航空機型はまずミサイルを撃ち合い、そして生き残りが格闘戦を始める。激しい砲火の応酬、しかし敵の狙いはあくまでセルゲイたちである。


『前、代わるぜ』

「頼む」


 ジェットを噴かしてジュリアンがやや先行する。セルゲイとニキータは彼を矢面にして雲を貫通してくるレーザーをやり過ごす。地上からの砲撃を、機銃掃射で未然に防いだ航空機型が、飛んできたミサイルを迎撃しようと撃ち始める。しかしそれが叶わないと解ると身を挺してスピアーを庇い、撃墜されていった。

 そうしてドローンたちに守られながら、セルゲイたちは丘陵との距離を縮める。縮めていくほどに、ジュリアンのスピアーから飛び散る火花が激しさを増していった。


「頃合だ、ジュリアンは降りろ」

『俺のスピアーも連れていきな。弾除けくらいにはなる』

「ホリン、遠隔操作出来るか?」

『はい』


 ジュリアンはスピアーを切り離し、パラシュートを開き、足首と腰、肩口のスラスターを噴かして減速する。木々がまばらに生える平地に着地した後はパラシュートを捨て、足裏の車輪を上手く転がし前方の二人を追う。木々の際を縫いながらも速度を落とさない巨体が、枝葉に巻き散らした泥はやがて雨に洗い流されていく。


「砲撃の間合いまではこのまま進む。直前で高度を落とし、スピアーを切り離す。いいな、ニキータ」

『了解』


 敵の拠点周辺には移動式砲台がいくつかある。しかし回避プログラムを備えた現代兵器に対する「間合い」は、せいぜい数キロメートルに過ぎない。弾幕を張るには数が少なく、弾速の早いレールガンは配備が間に合っていない。

 しかし襲撃があと半日遅れていれば、こうして空から近づくことも出来なかっただろう。


「いいか、レーザーに身を晒すなよ。スピアーの陰から出るな」

『解ってます』

「ホリン、火力支援をよこせ」

『はい』


 敵の防空網を突破した航空機型が、最後のミサイルを撃ち込む。それに砲台の数を減らされたこともあって、バルコ軍は核融合炉から二キロの地点まで、セルゲイたちを近づけてしまった。

 二人はスピアーを切り離し、パラシュートで減速しながら降下する。大型レーザーはセルゲイたちを焼こうとレール上を激しく動くが、その都度スピアーが射線を遮り、またセルゲイたちもスラスターを吹かしてスピアーの影に隠れる。


「ランチャーにロケットを装填しろ。スピアーの後を追わせるんだ」

『了解』


 着地の後は減速せず、そのまま余勢を駆って進む。アサルトライフルの銃口下にあるランチャーへ小型ミサイルを送り込みながら、スピアーのカメラが写す光景を見る。


「撃て、ニキータ」


 言いながら自らも撃つ。ランチャーから放たれたミサイルが、スピアーの後を追うように敵陣へ向かっていく。


「林の中に隠れろ。止まらずに追いかけるぞ」

『了解』

『スピアーのカメラ、レーザーに焼かれました!!』

「ニキータ、カメラを上げろ」


 アイアン・イーグルとのレッド・ガストが背負うバックパックから、小型カメラが上空へ射出された。

 ドローンを含め、兵士が得た情報は妨害を受けない限り部隊全体で共有される。ニキータたちは今、数十キロ後方でドローンと戦うジュリアンの状況を見ることができるし、上空にカメラがあれば俯瞰視点で自分を見ることもできる。


『小型カメラ、潰されました』

「もう一度上げろ」


 バルコ側の砲撃でスピアーが爆発炎上を始める。ジュリアンを運んだものは手前で墜落したが、他の二機は丘陵へと突っ込んでいく。大型レーザーを乗せた台車が甲高い悲鳴を上げながら急発進し、スピアーの突入地点から少しでも遠ざかろうとする。


「もう一度」


 ニキータ達もカメラを潰されるたびに上げなおし、スピアーとミサイルの突入地点を修正する。戦いの重要な分岐点に向け、緊迫した時間が流れていく。そして。


「よし、いいぞ――もうかわせない」


 地響きを立てながらスピアーは枕木をなぎ払い、その下にある杭を砕いた。傾きだした大型レーザーは小形ミサイルに噛み付かれ、直後の爆発に押されて斜面を転げ落ちていく。


「ジュリアン、敵のドローンはどうだ? キツいか?」

『楽勝だよ』


 人間と違い、ドローンには経験の差というものがない。一機が獲得したノウハウを即座に共有できるからだ。多くのドローンが同じ形態であれば、それだけ多くのノウハウを共有できるので、連邦バルコともドローンの殆どが《主要四形態》を採用している。

 まず装甲に優れ、昆虫を模した動きをする六足型、運動性に優れ、哺乳類や爬虫類を模した四足型、燃料の補給手段があれば強力な爆撃も行える航空機型、そして主に後方支援や通信支援をするヘリ型である。さらに命を持たないドローンは捨て身の攻撃も出来るため、一機ごとのコストは安く、数を増やす傾向にある。

 蓄積されたノウハウと、偶然を排除する数の多さ。そして一糸乱れぬ連携。現代戦は盤上のチェスにより近づき、状況にそぐわない判断にはより厳格な裁きが下る。


『ジャマーを起動するぜ。しばらくサヨナラだ』


 ジュリアンを中心に半径数キロの範囲で通信障害が発生する。敵味方の区別がない諸刃の剣だが、ドローンの戦列を飛び越えているので影響はバルコ側にしか出ない。一部とはいえ、ドローンの命令が更新できないことはDCにとって大きなストレスだ。脳梗塞という表現はDC達のスラングでもある。

 バルコのDCは数十機の四足型にジャマーの討伐を命じた。狼を模した足の速い四足型がビック・ピラーへと殺到していく。


『おー来た来た。急げよホリン』


 ジュリアンはアンコール遺跡の一つに向かって平地を後退しながら、狙撃銃の弾速を活かして四足型を討ち取っていく。対する四足型は頭の代わりに付いている砲を撃つこともなく、全速力でジュリアンを追いかける。

 遠距離の撃ち合いであれば、射撃と回避のプログラムが機体と武器の性能を限界まで引き出してくれるため、的の大きさ、互いの運動性能、弾の速さで間合いが決まる。子牛大で足も速い四足型だが、倍以上に大きいビッグ・ピラーも高価なスラスターを備えるため鈍足ではない。弾速で大きく勝るジュリアンはそれを最大限に活かしながら、敵の間合いに入ることなく遺跡までたどり着いた。

 堂の壁や木々にむかってカメラを射出、貼り付けながら、ジュリアンは回廊の角に蹲った。追いかけてきた四足型は足跡を辿り、迷路のように入り組んだ遺跡内を散開してジュリアンを探す。


『ふぅー』


 ジュリアンは笑った。敵のドローンは単純にこちらの後を追うよう命じられているらしい。DCならもう少しイヤらしい命令を思い付かなきゃな、と思った。いくらドローンが優秀でもその価値は指揮官次第、兵士と同じだ。

 ジュリアンはジャマーを切った。点在するカメラが四足型の居場所を捉え、ジュリアンに座標を送る。バルコのDCも命令を更新しようとするが、もう遅い。ジュリアンは穏やかな気持ちで連続ミサイルを発射した。一瞬上空へ舞い上がった小型ミサイルが、四足型の頭上へと降りそそぐ。


『ボス、発電所が見えたら狼煙上げてくれ。そしたらジャマー切って、ミサイル撃ち込む』

「了解。よくやった、ジュリアン」


 ジュリアンは通信を切り、のうのうとジャミングを再開した。彼の活躍でホリンの操るドローンが優勢となり、瞬く間にバルコのドローンを殲滅していく。



『敵の輸送機が撤退を始めた。急ぐぞニキータ』

「了解」


 資材を持ち帰られては実入りが減る。だが資材以上に優先して確保しなければならないものがあった。それはDCやアサルトフレーム・パイロットといった敵兵士たちである。


『敵衛星に動きあり!』


 強張ったホリンの声が聞こえる。


『そうか。狙いはどこだ?』

『我々です。陣地の偽装は見破られていたようですね、間もなく真上に差し掛かります』


 軍事衛星は休戦中にチャンドラによってアップグレードされた。新型は「アグニ」と名付けられ、旧型と比べ推進剤による細やかな方向転換が効くようになり、遥か四万キロメートル上空から動く標的も狙えるようになった。一回の攻撃で大都市をクレーターに変える破壊力を持つアグニのために、連邦軍は貴重なアサルトフレームのパイロットを、このひと月だけで五人失っている。

 ヴィクトルはマイケルの助言を受け入れ、連邦がクロスオーメンを使わない限り、アグニも防衛にしか使わないと宣言した。破局的な戦争が、もう明日にも迫っていることをニキータは思い出す。


『ニキータ、丘陵の上にスモークを焚け』

「了解」


 ニキータは雑念を振り払った。ともかく、生き残るため目の前の戦いに勝たなくてはいけない。セルゲイと共に、敵陣を囲う丘陵の頂上にスモーク弾をいくつか撒いた。化学反応によって生じた熱が、濡れた地面から湯気を立ち上らせ、白煙をより一層濃いものにする。


「大佐……!」


 いよいよ大詰めである。ニキータは父親の背中を見送りながら息を飲んだ。

 身を屈めながらセルゲイは煙の中に突っ込んでいく。彼が射出したカメラは丘陵の向こう側を一瞬だけ映すものの、すぐにドローンたちの短射程レーザーによって焼かれてしまう。だがセルゲイには一瞬で十分だった。射撃と回避のプログラムを停止し、視界ゼロのままマニュアルでアサルトライフルを撃つ。

 敵陣の六足型たちは、なにも棒立ちだったわけではない。移動しながら、あるいはコンテナの陰に遮蔽を取りながら煙の中のマズルフラッシュ目掛けて応戦していた。だがセルゲイの弾丸はドローンを深々と抉るのに、ドローンの弾丸はセルゲイの左肩から手の甲までを覆う盾に弾かれてしまう。

 そのことを、ニキータは聞こえてくる音で察していた。甲高い兆弾の音は近くから、破滅的な重い音は遠くから響いてくる。やがてセルゲイは煙の中から戻り、機体表面を雨で冷やしながら悠々と弾倉を換えた。


「大佐、盾を換えますか?」

『いや、破損はない』


 ファイターの多くが持つ盾には専用のコーティング剤があり、液体としてアサルトフレームの体内に蓄えられている。ビームコーティング的な性能もそれなりに持つ一方で、強い衝撃を受けると固形物化する特性があり、接着剤と空気の混ざったジェルとして盾を覆い、銃弾を滑らせることに一役買っている。

 銃弾を直角に受けてしまえばあっさり壊れるため扱いには注意が必要で、コーティングする際はコーティング面積などもパイロットの裁量で決めなくてはならない。アイアン・イーグルのバックパック脇に折りたたまれていたサブアームが、スプレーでコーティングを復元した。

 盾を液体にして、体内に蓄えているとも言えるこのシステムが、ファイターたちの堅牢さに寄与している。


『もっとスモークを焚け』

「はい」


 ニキータが新しくスモークを焚き、セルゲイは先ほどの手順を繰り返し始めた。今度は煙の中から時折姿を見せる余裕があり、残り少ないドローンたちを速やかに沈めていく。

 射的の上手さなら人間に勝ち目は無いはずなのだ。しかしセルゲイはお互いの視界に制限を加えることで、予測の力を台頭させている。それをこの完成度でこなせるのは彼だけだとニキータは思った。ドローンの動きにも多くのパターンがあるのに、一目見ただけでその後の動きを見切ってしまう。

 どこから顔を出し、どういう角度で撃ってくるか。全てを見切っていなければ、敵陣に引きこもるドローン部隊を、一度の被弾も無いまま壊滅させることなど出来ない。


『アグニが撃った! 撃ちました!』


 ホリンが叫ぶと同時に、セルゲイはスモークの中から狼煙を立てた。ジュリアンがジャミングを停止する。


『どうしたボス、発電所を視界に入れろ』

『ジュリアン、時計の針を合わせろ』


 砲弾は秒速百キロメートルで地球へ向かってくる。着弾までおよそ四百秒しかない。


『向こうにもアサルトフレームが居た。今逃げていった。捕まえに行くから、お前もこっちに来い……バルコ人の傍が、一番安全だ』

『発電所を壊すのは俺のミサイルだったな。終わったらすぐ装備を捨てて――』

『駄目だ、このままでは敵を逃がすことになる。足止めのためにお前のミサイルが必要だ』

『……解ったよ。頼むぜ、ボス』

『ああ。ホリン、ドローンを使って彼を護衛しろ』

『了解!』

「大佐、行きましょう!」

『よし、突撃する』



 セルゲイたちは敵のアサルトフレームが輸送ヘリに乗り込む直前で、その羽を撃つことができた。周囲には仮設の工場がいくつか並び、資材入りと見られるコンテナもある。その向こうには管理する者の居なくなったアンコール・ワットが見える。

 ヘリを壊されたバルコ兵たちは遺跡に向かって逃げ始めた。四機ともニキータたちと同じファイターなので、全速力で逃げる彼らとの距離が縮まらない。


「大佐、どうしますか」


 そうなると重装備のジュリアンは置いてけぼりだ。アグニの弾丸は推進剤による軌道修正も可能なので、安全地帯は敵兵を中心にせいぜい一キロメートル以内だとセルゲイは踏んでいた。ジュリアンとの距離はまだ二十キロメートルもある。


『焦るな、ニキータ』


 瞬間、セルゲイが跳んだ。ジャンプの後にスラスターを吹かし、高さ二十メートル以上まで飛び上がる。林の中を器用に縫って逃げるバルコ兵の姿が、セルゲイたちのメットに映る。


「少佐!」

『よっしゃ!』


 ジュリアンが連続ミサイルを撃った。上空へ舞い上がったミサイルが、セルゲイの視界を通してバルコ兵を捕捉する。

 しかし四人いるバルコ兵たちも黙ってはいない。彼らは空中のセルゲイを撃墜すべくアサルトライフルを撃ち返す。弾丸が轟音とともに交錯する。セルゲイは機体制御のセーフティーを切り、運動性能を限界まで使って回避した。スラスターを断続的に吹かして縦横に激しく揺れると、乗員の身体にもリスクがある。だがそれを気にしていては死ぬ場面だ。


『……ふぅー、はぁー……』


 鼻血をすすりながらセルゲイは深呼吸をした。身を晒したのがほんの二秒強の間だったため、盾はコーティングが剥げるだけで済んだ。身体への負担は大きいものの、機体への損害はない。

 回避プログラムに頼るだけでは撃墜されていたはずだ、あとであの回避運動を分析してみよう……ニキータは上空を通り過ぎるミサイルを確認しながらそう思った。そして射撃体勢に入る。

 バルコ兵にジュリアンの連続ミサイルが襲い掛かる。急旋回してミサイルを一列にまとめ、アサルトライフルで撃墜するもの、榴弾を投げつけ誘爆させ、爆風を盾で防ぐもの……どれも水際立った回避運動だったが、それはアサルトライフルで狙うニキータにとって恰好の隙だった。

 

「……やるな」


 射撃プログラムのなかに自分の意図を交えて撃った。それは上手く行ったように思う。しかし狙いをつけた二機は銃弾をいくつも受け、人工筋肉から黒い血液を噴出しているものの、なんとか致命傷は避けていた。チャンスが多すぎたため目移りしたのが良くなかったかもしれない、欲張らず一機に絞れば良かったか……そう反省するニキータの脇を、盾にコーティングを施しながらセルゲイが疾走していく。

 足裏のローラーでぬかるんだ土の地面を滑り、時折木の根を跨ぎながら。それでも上半身の動きは全く影響を受けない。ニキータは弾倉を交換しながらなんとか真似しようと動き始めた。

 直後、セルゲイが二発撃った。標的となった一機は他の三機よりミサイル回避に手間取っていた。最後のミサイルを撃ち落とした後、彼は膝を打ち抜かれて回転しながら尻餅をついた。回転したせいで、セルゲイに背中を晒すことになった。

 アサルトフレームの装甲は前面に集中し、背後はバックパックやスラスターを備えるため急所となる。セルゲイは続けざまに二発撃った、弾丸は二発ともスラスターの排気口に吸い込まれていく。

 動けなくなったバルコ兵だが、決断は早かった。大した損傷はないアサルトフレームを惜しまず捨て、パワードスーツ姿のまま逃走を再開する。

 だが尻尾を掴んだことに変わりない。


『よし、これで追いつける』

「おそらくあの遺跡で合流し、隙を見て逃げるつもりでしょう」

『急げ、ジュリアン』

『急いでるっつの!』


 ジュリアンは既に武器を捨て、全速力で疾走している。着弾まであと二百秒、それだけあれば遺跡手前まで辿り着けるかもしれないが、バルコ兵に隣接しない限り安全でないと思うべきだった。


『それより早く敵を狩りな』

『そうだな。私に続け、ニキータ。出過ぎるなよ?』

「……」

『どうした、文句があるのか?』

「いえ」


 絶対に逃がすな、と言って欲しかった。そりゃあ腕に自信はお有りだろうが、この局面で指揮官が兵士にかける言葉はこれだろうと思った。

 ニキータが始めて初めて実戦に出たのは、休戦終了直後の一月前である。だが現代は東京VRのおかげで実戦と変わりない訓練が積める。しかも教導を務めるのは他でもない、交戦回数一万回を誇る世界最強のアサルトフレーム乗り・セルゲイ・ヴァロフだ。彼の圧倒的な経験値を引き継げば、ベテランとルーキーの差は無いに等しい。

 しかしセルゲイの態度にはルーキーに対する気遣い以上のものがある。彼の子煩悩のせいで、ニキータは度々いまのような恥ずかしい思いをしてきた。セルゲイを慕うジュリアンやホリンは何も言わないが、内心では苦笑いしているだろう。


 遺跡の影に隠れたバルコ兵たちが、周辺にカメラを射出する。情報量の差は大きいが、危険な待ち伏せを恐れてばかりも居られない。


『私が先行して探る。合図をしたら来い』

「……はい」


 いい加減にしろと言いたかった。そんなニキータの心を酌んだかのように、バルコ兵が討って出てきた。ちょうどセルゲイが角を曲がった瞬間、待っていたかのように側面から姿を現した二機がニキータへと狙いをつける。


『退け!』


 ニキータは命令に従った。ただし撃ちながら従った。セルゲイの舌打ちが聞こえる。

 相手は二機だが、射角の決定権は引き撃ちするニキータにある。ニキータの盾は肘の先までを覆う六角形の小振りなものだが、お互い弾を打ち切ったとき、盾へのダメージは二機いるバルコ兵のほうが大きかった。


「ふん」


 盾を持つファイター同士の戦いはプログラムに頼りすぎるとそれを見切られ、弾をはじかれてしまう。まして距離百メートル足らずの今、良くも悪くも超反射だのみであるプログラムより重要なのは、パイロットの読みだ。この調子なら撃ち合いを続けても負けはしない……弾倉を交換するため堂の陰に滑り込んだとき、敵がそのまま突っ込んでくる気配を感じた。ニキータは歯を剥いた。

 堂の陰から躍り出ると、彼我の距離は二十メートル前後にまで縮まっていた。バルコ兵は一人が正対、一人が回りこみながら、手分けしてレッド・ガストの目にレーザーを照射した。レンズを焼かれまいとニキータがシャッターを下ろしたとき、バルコ兵たちは勝利を確信した。

 ニキータがロックオンアラートを聞くのと、盾の裏に隠していた、すでにスイッチの押してある電磁閃光弾を手放すのが同時だった。光と轟音と電磁波により、一時だけその場の全員がセンサーの恩恵を失う。

 ニキータはアサルトライフルのランチャーから、ロックなしで小型ミサイルを撃った。記憶を頼りに、回り込んできたバルコ兵の足元を撃った。さらに視界無しのまま突進した。

 光が晴れると同時に、敵の小型ミサイルがニキータの頭上を通り過ぎた。電磁閃光弾のためにロックが外れたのである。そしてニキータのミサイルは、突然の閃光に驚き飛び退いていたバルコ兵の足元に刺さり、石畳を爆風で吹き飛ばす。

 レッド・ガストの背から電光石火の剣閃が伸びた。バルコ兵は回避運動で体勢を崩されながらも、応じて盾を振りかざす。

 追いすがるニキータの飛び膝蹴りと、バルコ兵のシールドバッシュが交錯する。激突、押し合い。一刹那ごとに移り変わる局面を支配し、敵の呼吸を見切ったのはニキータだった。

 押し込もうとした瞬間、盾を掴まれて横に流されたバルコ兵はバランスを崩してしまう。ニキータは敵機の腕と軸足を一度に切断した。さらに反転しながら回り込み、返す刀でバックパックだけを斬り飛ばし、機体へのエネルギー供給を断つ。前のめりに倒れたまま、バルコ兵のアサルトフレームは沈黙した。

 残ったバルコ兵を振り返る。十メートルまで距離が縮まっているのに、この期に及んで彼は弾倉を換えようとしていた。


「この――ボケてんじゃねーよ」


 煽るように、足元に頽れたアサルトフレームの頭を剣で叩いてみせる。敵の激昂が伝わってくるようだった。コーティングの剥げた盾を構え、バルコ兵が突進してくる。しかし彼が盾を振るうことは無かった。頭、膝、足首と撃ち抜かれ派手に転がり、ニキータの前で止まる。

 単発ではなく連射、しかも全弾命中。


「おまけに、空中からか……」


 片手を尖塔の屋根にかけたアイアン・イーグルは、米粒ほどの大きさに見えるほど遠くに居た。あの人には何が見えているんだろう、とニキータは思った。


『生きて帰りたければ投降しろ。無駄に命を捨てるな』


 オープンチャンネルで諭すようにセルゲイは言った。尖塔の傍に胴体だけとなったファイターが横たわっており、ハッチをワイヤーで締め付けられている。中にバルコ兵が閉じ込められているのだろう。

 これで、ここ一帯にアグニの砲弾が降ってくることはない。


「少佐……」

『余計な声をかけるな。彼の集中を乱してはいけない』


 ニキータは大破したバルコ兵の機体を遺跡の外に引きずり出す。少しでもジュリアンに近づけるために。しかし間もなく雨雲のために薄暗かった空が明転した。太陽が降ってきたかのようだった。



 終末的な光景だ、とセルゲイは思った。

 隕石のように燃える弾丸が、まるで焚火の煙をそうするかのように分厚い雲を打ち払い、破裂しながら彼方の平地に降り注いでいる。周囲には海のように波打つ地面があって、踊り狂う岩石や樹木が、それぞれに相応しい断末魔を上げながら時折足元に滑り込んでくる。

 セルゲイはステップを踏んで波に乗りながら、時折スラスターを噴かしてそれを避けた。


『クソッ……』


 ニキータが毒づいた。ノイズの向こうからジュリアンの雄叫びが聞こえたあとに通信が途絶え、また復帰する。そんな事が何度も繰り返されたのち、ついにノイズさえ聞こえなくなった。ホリンは太腿を鷲掴みにしている自身の右手に気付き、左手でそれを揉み解した。疎らになってきた弾丸の雨と、途切れてしまったジュリアンの生体反応を祈るような気持ちで見比べている。


「……ジュリアン、聞こえるか」


 砲弾の雨が止んでから一分弱、セルゲイはそう問いかけたが返答はない。荒涼とした沈黙が横たわりかけたその時。


『残念だが――ジュリアン・チャプマン少佐は死んだ。二階級特進だ』


 とても深刻な声色で、ジュリアン・チャプマン少佐がそう言った。ホリンのモニタに彼の生体データが復帰する。健康状態は良好だ。


『――神様!』


 狭い車内で精一杯ダイナミックに、ホリンが両手を突き上げた。ニキータも短く叫んだ後にこう祝福する。


『……さすが、しぶといですね、少佐』

『あたりめーだ。俺ぁアケミを妊娠させるまで、死ぬわけにゃいかねーンだよ』

「……」


 部下たちの元気な声を聞き、セルゲイもようやく一息つくことができた。


「ジュリアン、迎えが必要か?」

『頼む。いやー機体の上半身がぶっとんでるからよ……直撃してりゃー生きてるわけねェし、ショックウェーブだけでこの有様ってことだな。まったく、お空が直接見えるもんだから、ヘヴンズゲートかと思ったぜ』

『輸送ヘリをすぐに送りま……大佐』


 ホリンの声が一段低くなった。


「どうした」

『バルコのチャンドラから通信です』

「早いな……回せ」


 小隊全員が瑞々しい頻伽の声に聞き入った。


『ごきげんよう、大佐』

「ずいぶんとお怒りのようだな、チャンドラ姫」

『そのようなことはありません。いつも私たちの従者に礼節を尽くしてくださること、感謝しています』

「……今回も、慣例通りでよろしいかな?」

『はい。南シナ海へ迎えをやります』

「了解した」


 捕虜たちはカンボジア沖に待機するセルゲイたちの艦に一度連行されるが、たった今から七十二時間以内にバルコ側へ引き渡さねばならない。ヴィクトルと違って連邦に同情的なチャンドラを本気で怒らせてしまわないよう、休戦前から続いている捕虜関連の取り決めは確実に履行すべきだった。


「……ほかに用件が無ければ、仕事に戻らせていただこうか。おかげさまで、これから忙しくなるのでね」

『そう、まだ戦うつもりなのですね』

「……」

『一刻も早く戦争が終わることを願っています。貴方がその助けになってくださる日を、お待ちしていますよ』

「……さようなら、チャンドラ」


 セルゲイはチャンネルを閉じ、ため息をついた。

 そして持ち帰るべき資源のことを思い出し、半ば以上諦めながらホリンに問う。


「……着弾地点の様子はどうだ」

『範囲は五十キロ四方ってとこです……空撮しましたが、燃えているクレーターがあるばかりで……何もかもペースト状になってますよ。あと母艦からの報告ですが、海に細かい石が降っているそうです』

「……解った。すぐにほかの部隊と連絡を取れ。作戦実行前なら中止して母艦に戻るよう伝えろ。資源の回収も、捕虜を連れていない部隊はあきらめるんだ。厳命だと念を押せ」

『了解しました』


 先ほどまで降っていた雨が、セルゲイたちの周囲だけぱったりと止んでいた。

 雲にはほぼ円形の大穴が開き、そこから覗く真っ青な空が、折り重なった雲に真っ黒くフチ取られている。東の空は立ち上っていく黒煙と、掘り返された土埃とが地表まで連なって夜よりも暗い。土埃は雲を破って天を突いており、ホリンの目にまるで巨大な竜のように映った。


『……どうなっちまうのかねェ、この戦争はよ』


 ビッグ・ピラーの残骸に腰掛けながらジュリアンが言った。今度こそ、本当に深刻な声色だった。 



 新型軍事衛星「アグニ」に出鼻をくじかれた連邦軍は、極東の係争地を諦めユーラシア大陸から撤退。戦況は防戦一方となった。

 そんな中、四大加盟地域の一つであるオセアニアが離脱を問う選挙を行い、勝利した離脱派は戦闘停止を宣言し、バルコへの編入を望んだ。

 もう戦いたくない。そうしたオセアニアの望みに応え、支援物資を満載した艦隊を送り込むバルコと、「加盟地域の民意を尊重する」との条約を無視し、武力で離脱を阻止しようとする連邦。望まざる戦火からオセアニアを救うため、自らこの地へ潜入しようとするバルコの王族が居た。

 親連邦の代表格であり、クマリの主であるチャンドラ。Dネットが作った新しい王国のルールは、王族自ら先陣を切ることを要求していた。



 マイケル・カンビアンカが隠居の準備を始めたことは、連邦だけでなくバルコ内までもある種の緊張状態にした。

 何よりもまず王権の分割継承が注目された。Dネットによって全てが一本の旗に集約されるバルコの体制は、安定した支配という点では理想的であり、その分割となればヴィクトルでなくとも予想外の事態である。


「ご苦労様。ゆっくり休んでください」

『面目ありません。次は必ず』

「……ええ。期待しています」


 スクリーンに映っているのはセルゲイに敗れ、捕虜となっていた軍人である。次も生きて帰りなさい。頭巾の中だけに留まる呟きのあと、チャンドラは通信を切った。彼女は球形スクリーンの中で全天を映像に囲まれており、視線をずらせば起動エレベータの先端で整備を受けるアグニを見ることも出来る。移動都市クマリの管理者席は常に、映しきれないほどの情報で囲まれている。


 現場のドローンが低コスト化する一方で安全圏のAIが巨大化したのは、ドローン最大の武器が一糸乱れぬ連携であり、そのために必要な頭脳労働を現場で行うリスクが大きいからだ。黎明期には多種多様だったドローンだが、一機ごとに高度なAIを備えるタイプは淘汰され、低コストタイプを巨大AIが統括する、という今のスタイルが主流になった。

 こうした中央集権こそが同時多発的に起こった戦火を鎮めることに役立ち、それはバルコのような独裁国家への追い風となった。時代がマイケルを望んだ。身びいき無しでチャンドラもそう思っている。


「次は何かしら?」

『連邦のニュース速報です。こちらをご覧ください』


 従者の徐林杏(ジョ・リンシン)が、球形スクリーンの外からチャンドラをサポートする。チャンドラよりふたつ年上の二十二歳で、主が生まれた時から傍に仕えている。


「ニュース速報? いま報告すること?」

『貴女の婚約者が事故死しました。暗殺でしょうね』


 チャンドラの手元に映像が飛んできた。連邦のニュース速報が「ある自治区」の皇太子死亡を伝えている。

 創設当初から武力の統合を急いでいた連邦は、敵対する武装勢力を懐柔することもあった。多くの場合、武装勢力の自治区を認める代わりに資源を求め、それは連邦軍に吸収された。こうして軍の整備は進んだが、強い武装勢力は交渉を有利に進めたため今も力を保っており、自治区同士の抗争が起きると連邦軍でさえ手を焼くことがあった。


 ある自治区で未婚の少女が強姦された。そこでは不特定多数の男と姦通した女は死罪である。少女の処刑が決まった後、別地域の人権団体が彼女を救い出したことで、引き渡しを求める自治区側との紛争がぶり返し、今日まで続いていた。


『私たちと戦うために、改めて自治区を接収するつもりです。開戦しましたから、貴女に配慮する理由もありませんし……こうした動きは、今後も続くかと思われます』


 チャンドラは事故死したという連邦の青年――婚約者の顔写真をじっと見て、目を閉じた。手紙のやり取りを何度かしただけで、会ったことはない。それでも自らの世界観をしっかりと伝える知性の持ち主だった。宗教色の強い大勢力の王子であるためか独善的な面もあったが、個人的な部分ではやさしい青年だとチャンドラは思っている。

 犯された少女の方を処刑するのは、断罪よりも殉教を促す意味があると彼は言っていた。そうした世界観を努めて好意的に見ても、なお遠くに感じたからこそ、チャンドラは親同士が結んだ婚約を破棄しなかった。彼女は戦争が嫌いだったので、相手を変えるために武力ではなく、自分の血を利用しようと考えていた。

 マイケルは二百人以上の子を成したが、妻を選ぶ基準は「既にいる妻と文化が被らない」ことだった。多種多様な世界観と交配し、そこに「自分の血」という共通項を作ろうとしたのだ。母親の文化の中で育った子供たちは、建国時にマイケルが述べた「私の血族が星を守る」という言葉に基づき、強大なバルコのDネットへアクセスすることを許されている。これがバルコにおける権力のルールである。

 以前、連邦から体制の民主化を求められたとき、マイケルは「家庭のことをとやかく言うな」と言ってのけた。つまり世界の半分を治める一家があるだけで、誰も領土に縛り付けてはいない。王族がつくる社会はそれぞれ多種多様だが、そこに属さずとも食事や家は配給されるし、学問や思想にも不自由はなく、望めばドローンによる安全保障も享受できる。


 バルコの王族は世界観の番人。人の受け皿の番人であって、人の支配者ではない。それを知りながら自分を迎えようとしたのだから、あの青年もきっと変わりたかったに違いないとチャンドラは思った。少女の処刑について彼は、人を支配しなければ社会を維持できない自分たちが情けないとも言っていた。しかし貴女と夫婦になれば、そんな事をせずに済むだろう、とも。


『姫様、どちらへ?』

「部屋に戻るわ」


 チャンドラ自身、不幸になる気はない。時間をかけて夫を変え、自分もまた変わることで、嫌悪さえ感じる世界観に幸せを見出す自信があった。自分の子や孫の時代には、ドローンたちもただの守護者として人々に認知され、その番人が王である必要も無くなればいい。そうすればきっと連邦とも一つになれる……そういうチャンドラの理想から世界は遠ざかり、祖父が終わらせようとした戦火の時代に戻ろうとしている。彼女はただ、それが苦しかった。



「……はぁー……」


 部屋に帰るなり彼女は頭巾を外し、歩きながら服を脱ぎ始めた。寄ってくる女中たちにそれを渡し終えると、下着姿のまま天蓋付きのベッドに腰掛け、ごろりと寝転びながら乗り上げる。長身に見合う肩幅と肉付きのいい尻が、その間にあるウエストのくびれを強調する。細い首を起こして髪留めを二つ、三つと外せば、腰まで伸びる黒髪がシーツに広がり、その上を白虹が立つように艶が流れた。


「先にお風呂入っちゃいなさい」

「うーん」


 部屋に入るまでは慇懃に振舞っていたリンシンだが、入るなり砕けた口調になる。眼鏡型のウェアラブル端末を多目的ジャックに繋ぎ、くつろぐように軍服の襟を緩めた。東南アジアに展開する連邦軍、特にセルゲイたちの作戦を分析しなければならない。セルゲイとその教え子たちがどう戦うかは、終戦を早めるために知っておくべきことである。


「あんたたち、ちょっと外して」


 脳波で端末を動かしながら、リンシンは女中たちを別室へと送り出した。念のため回廊まで人気の無いことを確認してから、チャンドラのベッドに腰掛けてこう言った。


「どうして今日、アレクシス様を呼んだの? まさか明日の話をした?」

「そんなわけないでしょう。ただ会いたかっただけよ」

「……ならいいけど」

「もう会えないかもしれないし」

「滅多なこと言わないで。大丈夫、きっと上手く行くから……って。なんで私が励してんのよ。私はいまでも反対なんだからね、こんな危ない作戦」

「おかしい、リンシン」


 身を捩って笑うチャンドラをリンシンは恨めしげに睨んだ。


「何よ、怖くなった? じゃあ今からでもやめよう?」

「いいえ」


 幾度となく繰り返したやりとり。リンシンは深くため息をつき、諦めて何も言わなくなった。


 チャンドラは連邦四旗のひとつであるオセアニアのメタルフラッグ《グノウェー》を奪うため、オーストラリア大陸中央・アリススプリングスへ潜入する。ただし旗手であり《オセアニア警備隊》長のクロエ・ジョーンズは味方である。欺くべき相手は、オセアニアにも基地を置く連邦軍だ。


 オセアニアは連邦に加盟するのが最も遅かった地域で、三年ほど前まで武装勢力たちによる抗争の舞台だった。加盟後も採掘資源の大半を連邦軍に上納しているためインフラ整備が進んでおらず、食料も世界最大のプラントを持つ南米に依存している。そこに休戦終了が重なって食糧支援も打ち切られ、出口の見えない飢えが始まった。

 これを受けてオセアニアは連邦からの離脱を問う選挙を行い、離脱派が勝利した。彼らは豊かなバルコへの編入を望んでいるが、それを阻むためにランスは今このときもクロエと交渉しているはずだ。


 ドローン戦において重要なのは数と、AIの処理能力である。オセアニアの所有するドローンは一千万機と少なくないが、それを指揮するグノウェーにはドローンを戦わせるだけの処理能力がない。土木作業や市民相手の治安維持なら、現場に居るドローンたちの小さなAIでも処理できる。しかしドローン同士の戦争となれば、何千万というドローンから情報を吸い上げ、飛び交う銃弾を数えるほどに詳しく戦場を知る必要がある。敵味方の位置、損傷率、攻撃や回避の成否の統計……それを知らないまま戦っても、百対百程度の戦いなら番狂わせもありうるが、万対万の戦いになれば、処理能力の十分な方が百戦して百勝する。

 このためオセアニア警備隊は有事の際、北米メタルフラッグ《ヒュージ・ソーサー》のDネットに吸収されるはずだった。逆にもしグノウェーをトローノに吸収されてしまうとしたら、連邦にとってそれは精鋭一千万機が敵になるか、味方になるかの違いになる。劣勢の連邦は特に譲れないところだが、離脱の民意を尊重すればグノウェーだけでなく、リターンを見込んで投資した資源採掘施設までバルコ側に渡ってしまう。阻止するためなら同胞への武力行使も辞さないだろう。そのための連邦艦隊がすでに東の海へ展開しており、そうはさせまいと西側に陣取るバルコ艦隊と一触即発の状態だ。


 そんな状態でも交渉をする余裕があるのは、連邦にもアドバンテージがあるからだ。それは《ゴースト認証》と呼ばれるDネットの認証手段に関係しており、これをパスするにはバルコの王族自らグノウェーの管理者席に着かなければならない。チャンドラがオセアニアに潜入するのはこのためだ。


 Dネットの統合はボタン一つで出来るわけではない。侵入を許さない鉄壁のシステムだからこそ、外部との統合には融通の利かない手続きが必要だ。メタルフラッグは豊富な処理能力を、決められた量子キーを持つAIにしか分配しない。そしてトローノから分配を受けられる量子キーは、バルコ王族の脳からしか採取できない。その採取方法がゴースト認証だ。生きた脳から思念を抽出する方法は、肉体の着脱や脳の改造が出来る現代において最も確実な本人確認手段である。

 そしてメタルフラッグ級のAIはグノウェーに限らず、量子キーの採取や旗手からの命令を受ける際、必ず本人を管理者席に着かせるようハード面からも要求している。旗手が国民に背き、地球の裏側に居る人間へ旗を売り渡すことを防ぐためだ。


 旗手となる人物に例外なく謁見を求めるメタルフラッグたち。この防止策はDネット黎明期から一般的だが、マイケルは敵のDネットを盗むため敵地に潜入し、管理者を捕えて脅迫、そのまま無血開城を実現した事がある。彼が「居抜き」と呼んだ戦術を、チャンドラは孫として再現するつもりだ。

 しかしランスは大統領就任時、グノウェーに量子キーを登録している。その序列が1位になればグノウェーが手に入るため、クロエに旗の引き渡しを国外から要求出来る。だからクロエは、あくまで秘密裏の潜入をチャンドラに持ち掛けた。クロエ自らオーストラリアに潜入するバルコ諜報員へコンタクトしてきたのだ。話の内容までは漏れていないとしても、彼女自らそんな真似をすれば連邦側に翻意を悟られて当然なので、どのみち武力によるメタルフラッグ強奪は時間の問題と思われた。


 いつ戦闘が始まるか解らない地域に、我が姫君を送り込む。率直に言ってリンシンは辛かった。自ら戦場に出て戦うのは王族たちの伝統であり、彼らが尊敬される根拠でもある。しかし他にも勇猛果敢な王族はたくさんいるのだ。なぜ若い女性のチャンドラなのか、という思いがあった。指名してきたクロエに会ったら、嫌味の一つくらい言ってやるつもりだ。

 

「アレクシス様が来たわよ。食事もまだらしいわ。どうする?」

「しまったぁ、お風呂まだだわ」

「ぐだぐだしてるからよ」

「いいわよ、一緒に入るから。食事は任せるから、ここに用意して」

「そう。じゃあ皆に運んでもらうから」



「先生の動画を見たかい?」

「吉井さんの? ええ、届いたわ」


 二人掛けの四角いディナーテーブルの上に、ロブスターをメインに据えた食事がのっている。食材は全てプラント生まれである。前菜からデザートまで一緒くたに乗せられているので、食卓は少し手狭だ。チャンドラは切り分けたロブスターの身を口に運び、飲み込んでからこう言った。


「君はどうするつもりなんだ?」

「どういう意味?」

「クロスオーメンを見ただろう? あれを得るために、先生を捕まえるべきだ。今すぐ」


 そう言って、アレクシスはチーズの掛かったトマトを頬張った。

 吉井雄一郎からのメールは世界中の権力者や報道機関に届いていた。添付された動画には真っ黒な坊主頭にスーツで語る雄一郎と、簡素な丸椅子と、窓のない真っ白な部屋だけが映っている。なので場所も時刻も不明だが、話題が変わるごとに入るあからさまなフレームスキップが、相手によって伝える情報に差があることを匂わせている。


 まず連邦とバルコのメディアへ向けて、


『東シナ海でお見せした兵器はクロスオーメンといいます。肉体を捨ててVRへ行くことを検討している方は、今から語る兵器の性質を十分理解し、リスクについて熟考してください』


 兵器の性質について、彼はドローンなどが備える高度な電子回路を破壊する兵器であり、起動には生命が必要で、かつ生命に害はないと説明した。いま使えるのは自分だけだが、広まれば食料プラントはもちろん、VRを運営するAIも危険に晒されるとも。

 さらに続けて、


『ライブアース計画に賛同します。深海工場は存在してはならない。取り締まりに協力するつもりです』


 というメッセージが語られた。クロスオーメンの存在と、工業取り締まりへの意欲。大きく分けてこの三つが世界に向けて示されている。

 さらにバルコ王室へ向け、


『クロスオーメンの運用は私に一任願いたい』


 と語られている。しかしアレクシスはこれを知らない。クロスオーメンが確認されて以降、アレクシスは外部との連絡を制限されている。そうすべき事情がマイケルにはあった。


「彼さえ捕まえれば、戦争はあっという間に終わる。解るだろう? 「私なら」すぐ彼を捕まえられる。そうなったらセルゲイもガードナーも、まとめて私が倒してあげる」

「駄目よ」

「……どうして?」


 挑むような視線を受け流し、チャンドラは悠然とカリフラワーのスープを飲んだ。アレクシスも食べるタイミングなのに、彼女はナイフとフォークを握ったまま返答を待っている。


「冷めるわよ?」

「……」


 感情が高ぶるとすぐ顔が赤くなるアレクシス。白磁のような肌のせいでよけいにそれが隠せない。今も少しだけ赤いのは風呂あがりのせいばかりではないだろう、とチャンドラは思った。


「詳しいことは話せないけれど、吉井さんは取引相手になるかもしれないの。まだ危害を加えるわけにはいかないわ」

「連邦が彼に何をするかわからないのに……手を拱いて見ているのかい? 君だって知ってるはずだ。仮に稲田あたりがクロスオーメンを持っていても、それが連邦中に広まったとしても……「あれ」がある限り、私たちが負けることはない!」

「まずひとつ、そうなったら大勢の人が飢えて死ぬわ。クロスオーメンのせいで」


 アレクシスは少し気後れした。


「ふたつ、貴女にクロスオーメンを与えるわけにはいきません。エーゲ海の底にある「あれ」は、まだ名前さえ付けられていないわ。その意味を知りなさい。確かにあれとクロスオーメンを組み合わせれば無敵でしょうね。でもあれの事は、造った貴女でさえ、よく解っていないはずよ」

「そんなことはない! 私なら制御できるさ! それを……あれのことを君たちが理解できないだけだ!」

「そう。もっと正確に言うならそういうことよ。貴女はあれをどう造ったのか“私達に伝えられない”」


 アレクシスはうつむいた。肩が小刻みに震えている。


「蒙昧な姪でごめんなさいね。でも従者達の命を預かる身として、仕組みのよくわからないものを無敵にするわけにいかないわ。いざという時、壊す手段がないんだもの」

「……」

「私達は、貴女の知性に驚かされてばかり。だからこそ、いつもどこかで貴女が孤独なのも知ってるわ……同じ目線で話せる人が見つかって、嬉しいのね?」

「そういう次元の話じゃあないよ」


 大きく息をついて、アレクシスは居住まいを正した。


「パパの引退について、どう思う?」

「……」

「主従の愛、なんて言うけれど。愛されてるのは私たちじゃなくて、パパだ。人の愛を勝ち取るには、印象的な事実が必要だ。核や菌を使わずに勝ち抜いて、従者に手厚かったからこそ……「その実績があるからこそ」彼は王で居られる。来年から二十二世紀だと言うのに」

「そうね」


 混乱期を平定し善政を敷いたという実績は、混乱期が無ければ手に入らない。人から信用を得るためには、振る舞いだけでなく機会が必要だとチャンドラたちも解っており、だからこそマイケル・カンビアンカの王権を引き継ぐむずかしさを感じている。


「彼の家族だから、という理由だけでは、人々に納得してもらえない。いや……もう納得に縋る時代じゃない。そう思ったからこそ、パパは引退したんだ」


 チャンドラの目が据わった。

 彼女もマイケルの引退については不安に思っている。ドローンによる統治など、クロスオーメンに打ち砕かれてしまうのではないか? そんな中マイケルが引退したために、国の崩壊はバルコ内でも囁かれている。

 幼い頃、永遠に続くと思っていた祖父の統治。絶大な権力を持ちながら延命の研究を許さなかったことや、連邦を焼き尽くさなかったことが彼の高潔さを証明している。すべての生命のために。だからこそチャンドラは祖父を敬愛しているが、彼の引退を機に矛盾した思いが芽生えたのも事実だった。


 どうして永遠に生きてくれないのか? どうして乱れかけた世に背を向けるのか。

 人を超えた特別な存在。貴方にだけは、そうあって欲しかったのに。


「彼はこう思った。主従の愛、それの裏付けはあくまでDネット。つまりドローンたちだ。彼らが絶対に逆らわないからこそ、彼らに管理された人間たちも逆らわない」

「やめなさい」

「この構図はマシーンが生まれた時から約束されていた、運命だったかもしれない。でもクロスオーメンが出てきて、それは覆された」

「アレクシス」

「世界が、この世のルールが自分の王権を祝福していたと思ったのに、そうではなかった。もう王国は続かないだろう。ならこんな世界どうでもいい、後は勝手にしろ。こんな所かな……君は失望しないかい?」

「……アレクシス」


 チャンドラが声色を下げると、アレクシスはびくっと震えた。氷に触れたように。


「いいこと? アレクシス。貴女と吉井さんを引き合わせるのは、ライブアース計画が完全になった後よ。それまでは……彼のやり取りを規制します」

「……」

「食べなさい」


 促しても、アレクシスは暗い顔をするだけだった。


「君に刃向かうつもりはないんだ、私の敬愛するチャンドラ……ずっと、姉妹のように育ってきたね」

「……ええ、私も愛してるわ、アレクシー」

「けれどもし君が、この狭い星で、まだ旧い生命たちと暮らしていきたいと思うなら。かつて休戦を決めたパパのような甘い決断をしてはいけない。私たちはこのくだらない戦いを、一日も早く終わらせて。私たち以外の誰も、ドローンやクロスオーメンを造れない体制を築かなければいけない。その点で……私はヴィクトルに協力するつもりだよ」

「宇宙へ出るつもりなのね」

「そうさ。月面基地を造れば、支配はより完璧になる」

「人が一度滅んでも、またやり直せる。ランスもヴィクトルもそう考えているわ……アレクシー、貴女もなの?」

「私には君と、先生さえ居ればいい」


 アレクシスは見つめ返す。今度は臆さない。


「いずれにせよ、私たちにはクロスオーメンが必要だ。絶対に……いつでも私を利用して。いいかい、私なら、すぐに。この問題を解決できる」


 以降は、無言のまま食事が進んだ。



 夜明けに自然と目を覚ましたチャンドラは、隣で寝ているアレクシスを起こさないようベッドを下り、静かに支度部屋へと入った。まだ暗いうちにローマを出る予定だ。

 いつもの格好に着換えながら、チャンドラは稲田一穂との会話を思い出していた。ほんの数日前、雄一郎からのメールが届いた後に、稲田と暗号通信をしたのである。


『貴女に新しいDネットを立ち上げて頂きたい。連邦とバルコから独立したDネットです』

「なぜ?」

『連邦とバルコには仲介役が必要です。連邦としては全面戦争を避けたい、これは休戦前から変わらない。しかし今は深海勢力のせいでお互い不信感が拭えない。なので小さな約束をするにも実体のある担保が必要だ。そこで貴女のDネットに、連邦のドローンと管理者を預けようという話です。預ける代わりに、彼らの意図も汲んで頂きたい』

「“預ける”必要はありません。連邦のDネットもドローンも、全て我々が“頂きます”」

『私はクロスオーメンの現物を持っています』


 チャンドラは目を瞑った。

 休戦終了から約一ヶ月、連邦がクロスオーメンを用いる気配はない。それは吉井雄一郎の理性を伺わせる事実だ。あの兵器について、連邦が何も知らない可能性は十分ある。

 しかし稲田一穂だけは例外である。彼の支援なくして雄一郎の出奔と生存はありえないのだ。現物を持っているという言葉も、彼が言えば説得力がある。


『ランスは使いたくて堪らんようですが、私は違いましてね。ともかく終戦に漕ぎ着ければそれでいい。必要なら深海勢力の撲滅にも手を貸しましょ。しかし……私ぁ吉井ほど寛容じゃありませんので、お気を付けください』

「理解しているようですね、いたずらにあの兵器を用いればどうなるか。それをわかった上で、バルコに負けるくらいなら使う。貴方はそう言っているのですね?」

『率直に申し上げますが、マイケル様亡き後にバルコがどういう政治をするか、見えないのですよ。私どもはそれが不安でしてね。バルコによる一極独裁は避けたい。が、避けるために戦いを長引かせ、深海の捜索が遅れるのは望ましくない。これは多くの管理者が一致するところです。だからライブアース計画履行までという条件で、新しいDネットを整備して頂きたい。そこになら身を差し出す覚悟があると、彼らは申しております』


 その一人がクロエ・ジョーンズなのだろう。着換えを終えたチャンドラは、誰も居ないエントランスでリンシンと合流する。


「行きましょう」

「はい、姫様」

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