純白2
「で、お前何してんだ? 三日市に住んでんのか?」
「いや、僕は弓張市だけど。三日市に住んでいるのは浅葱だよ」
「お前俺と最寄り駅同じなのかよ……。つか、彼氏でもねぇのに、宮下とどっか行くのか?」
なぜ「彼氏でもない」の部分を強調して言ったのか分からないが、突然声色に込められた敵意の方がもっと分からない。しかしすぐに、協力者になった夜のことを思い出した。
枯葉が浅葱に好意を抱いているのは、恐らく確かなことだ。彼の不機嫌そうな顔を嘱目してから、僕は小さく笑う。
「そうだね、彼氏じゃないけど、浅葱が熱を出して寝込んでいるみたいだから彼女の家に行って看病することになってさ」
「は!?」
「というか枯葉こそ、彼氏でもないのに、何の心配をしているのかな」
「し、しし心配なんてしてねぇよ! お前っ……宮下に変なことするんじゃねぇぞ!」
彼は注目されるのが好きなのだろうか。無意識か意識的にか知らないが、だんだん声量が大きくなっていって通行人の視線を引き付けている。目立つのが好きではない僕としてはとてつもなく迷惑だ。
呆れたように溜息を吐くと、それに対して文句を言うつもりだったのか、枯葉が大口を開けた。彼が喋る前に、僕は視線で彼を非難して言葉に詰まらせる。
「君は何を想像しているんだ? 僕は見舞いに何か持っていってすぐ帰るつもりだよ」
「……!」
「これだから思春期の男は。卑猥な話がそんなに好きなら官能小説でも読んでいればいいんじゃないかな」
「お、おおおお前だって同じだろ!?」
「君と一緒にしないでくれ。僕はそういう話好きじゃない」
ポケットから取り出した携帯電話で時間を確認した僕は、顔を真っ赤にしている枯葉を一瞥してから彼に背を向けて足を進めた。浅葱の見舞いをして東雲の家に寄るのだから時間が惜しい。
ふと、自分の手を見下ろして「あっ」と声を出してしまうほど己の失敗に動揺した。東雲に借りた傘は、家だ。つまり浅葱の見舞いをした後自分の家に戻り、その後に東雲の家に向かわなければならないということになる。
「くそ……」
「あ? 珍しく『やっちまった』って顔してんな。どうした? 年上で友人の俺が相談に――」
「なんでまだいるんだよ帰れストーカー。大体なにが『珍しく』だ。僕と君はそれほど顔を合わせていないし合わせたくもない」
「あぁ!?」
雑踏を掻き消すほどの怒号が再び響く。何度も何度もこう叫べるなんて、とても頑丈な喉の持ち主なのかもしれない。
「あのさ。僕はさっきも言った通り浅葱の所に行かなければならない。暇じゃないんだ。だというのに何故こうも邪魔をするのかな。それほど君は暇なの?」
「べ、別に暇だからお前に絡んでるわけじゃねぇよ!」
「ああそう。まあ君が暇だろうが暇じゃなかろうがどっちでもいいけどさ。とりあえず見舞いに何を持っていこうか悩んでいる僕に力を貸してくれない?」
「は? ……ああ、いいぜ」
何がそんなに嬉しかったのか、枯葉は喜びを必死に堪えているような顔を浮かべる。それから何故か得意げに胸を張って、ローファーを鳴らし始めた。
どこか良い店でも知っているのかもしれないと思い、僕はとりあえず彼の後ろに付いて行く。
「見舞いって言ったらやっぱメロンだろ」
「……」
枯葉の影を踏みつけて、僕はしばし固まった。そんなことなど気にせずに、足元から彼の影は進んで行ってしまう。
彼と同じ思考回路なのでは、と思ったが冷静に考えてみるとそうではない。一般常識として見舞いにはメロン、なのだろう。きっとそうだ。
だが僕は、スーパーに入った枯葉の鞄をぐいと引いた。力加減はしたつもりだが、彼がぼうっとしていたのか、奇声を上げながら尻餅をつく。
「いっ、てぇな! なんだよいきなり!」
「見舞いにメロンで本当にいいと思う? 正直に言うと重い物を持ちたくないんだけど」
「メロンの重量くらい我慢しろよ!」
「――でしたら、お花はいかがでしょうか?」
入り口付近で言い合いをしていると、視界がカラフルに彩られた。僕と枯葉の間に割って入ったのは、色々な種類の花の束だった。
どうやらスーパーの中で営業している花屋のようだ。営業スマイルで僕達を交互に見やると、女性はくすりと笑う。
「好きな子のお見舞いですか?」
「違う」
僕とほぼ同時に、全く同じ否定文句を口にする枯葉。言葉は同じでも、彼の方には感嘆符が付いていた。枯葉の声量に驚いたのか、女性店員は目を丸くしてきょとんとしている。
けれどすぐに口元に手を当てて微笑むと、花屋の中に入るよう手で促した。
「お見舞いに食べ物も良いでしょうが、お花も素敵ですよ。女性に送るなら喜ばれると思います」
「へぇー……なあ呉羽、これなんかどうだ?」
動物園に初めて来た子供みたいな、輝かせた顔で沢山の花を見ている枯葉が傍にあった花を指差す。彼の表情を見る限り、花を買っていく気満々みたいだ。
「なんで百合なんだよ、お前馬鹿なのか?」
「はっ!? これ百合なのか!?」
それを買うつもりだったのか既に手に取っていたが、僕から花の名を聞いてすぐに元の場所に戻した。流石の枯葉でも、百合を贈るのは縁起が悪いということくらい知っていたようだ。
それからじっくり花を眺めながら何度も「へぇー」と呟いている。黙って見られないのか、と心でぼやいてみても、彼の意識は花にしか向いていないようだった。
仕方がないから枯葉は放っておいて、僕は僕で浅葱の見舞い用の花を買おうと思う。結局成り行きで花を買う流れになっているが、心配なのは値段だ。
「……」
「――なあ呉羽! この花はなんて花なんだ?」
「それ店員さんに聞いてくれる?」
僕と枯葉のやりとりを聞いていて、察したように先程の店員が枯葉に近寄って行く。それを横目で見ながら、僕は白い花に目を引き付けられた。花束が挿されている透明な入れ物に、その名称が書かれていた。
花屋なんて初めて来たから気が付かなかったが、店員に聞くまでもなく名前が書いてあるじゃないか。
「カーネーション」
母の日によく宣伝されている花だ。真っ白なカーネーションをそっと手に取って眺めてみると、なんとなく浅葱が持ったら似合いそうだと思った。
彼女は白が似合うような気がする。好きな色は何色か聞いたらどう返ってくるだろう。少し興味が湧いてきた。
「可愛らしいですよね、白いカーネーション」
枯葉との会話を終えたのか、店員はいつの間にか僕の傍に立っていた。この花を見ながら自分がもし笑っていたらと思うと恥ずかしくなってくるが、きっと大丈夫だ。花を見て浅葱のことを思い浮かべ、顔を緩ませるほど表情豊かではない。
僕は相変わらず笑みを絶やさない店員に、持っていた花を差し出した。
「……見舞いに良くないのであればやめますが、そうでないならこの花でお願いします」
「かしこまりました」
カウンターの方へ向かった店員の後を追いながら、僕は財布を取り出す。言われた値段を支払って、花束を受け取ると「母の日やお母様に贈るのならあまりお勧め出来ませんが、そうでないなら素敵な花言葉の花ですよ」と教えてもらえ、少しだけほっとした。その花言葉がどういうものなのか聞くのは面倒だったため、聞かずに店を出る。店員というのは話し出すと話が長いイメージがあるから、必要のない会話を避けておいた。
枯葉を置いてきたことに気付いたのは、やけに五月蝿い足音が追いかけてきてからだった。
「あ」
彼の存在を忘れていた。思い出してすぐに店の前の歩道で立ち止まり、振り返ってみると、何故か勢いよく胸倉を掴まれる。
その手を振り払って文句を言ってやろうと思ったが、彼があまりに必死な形相をしていたせいで、振り払おうとしたことも文句を言おうとしたことも頭の中から消えてしまった。
「なんで置いていくんだよ! お前馬鹿なのか!? あんな店に一人でいる男子高校生なんて恥ずかしいに決まってるだろ!!」
「……男が花屋にいてはいけないなんて決まりはないと思うんだけど」
「俺が恥ずかしいんだよ! 口にしなくても聞こえてくるんだからな! 『男の子が花屋に……』とか『好きな子への贈り物かしら』とか! 客ども心の声うるせえんだよ!」
そういえば、彼は心の声を聞ける。集中しているときは全く聞こえていないようだが、一体どのような感じで聞いているのか少し気になった。
その僕の疑問も聞こえていたのか、枯葉は僕から手を離すと自分の額に手を当てて盛大に項垂れた。
「聞きたくなくても聞こえてくるんだよ。普通に話してるボリュームで、普通に声に出して言ってるみてぇに。言ってることと思ってることが違う奴は、普通の声と心の声が被って聞こえてきて一番気持ち悪ぃ」
つまり彼の耳には、僕が今聞いている通行人達の声がほぼ二倍になって聞こえている、ということだ。想像してみただけで、耳を塞ぎたくなる。
未だに額に手を当てている彼は、今まさに気分が悪くなっているのではないかと心配になってきた。顔色を窺えないのがもどかしい。
「……大丈夫だ。別に今は気持ち悪くねぇし、もう、慣れてる」
「そっか。こんなに沢山人がいても、僕の心の声ってちゃんと聞こえているんだね。柄にもないことを思っていた自分が恥ずかしい」
「すげぇ雑音だらけでも、聞きてぇもんに意識集中させれば聞き取れる。俺が聖徳太子だったら全部聞き取れたのかもな」
「生き辛そうな世界だね」
憐れむように言ってしまってから、つい、枯葉から視線を外した。こういうことは多分、言うべきではない。思ったとしても、相槌のように口に出すべきではないことだ。
憐れみはきっと、侮辱の類義語だから。
怒られても仕方がないなと思ったが、聞こえてきたのは笑い声だった。
「お前、さっき柄にもないことがどうとか言ってたけどよ、むしろ普段柄にもないことばっかして無理してんじゃねぇの?」
「は?」
「むかつくくらいお人好しで優しいのが、案外お前の本当の顔なのかもな」
「……僕はお人好しでなければ優しくもない。自己嫌悪が激しいだけの面倒くさい奴だよ」
僕のどこにお人好し要素と優しい人要素があるのか、自己評価の低い僕自身としてはまったく分からない。むしろ他人をすぐ優しいとか思える人間の方が、純粋で単純で優しい人なんだと思う。
「呉羽の言う通り、すげぇ生き辛ぇよ。別に誰とも関わらないなら『うるせぇな』で済むんだけどよ、友人関係が一番面倒くせぇ。学校ってアイアンメイデンみてぇだよな」
……ああ、拷問具か。馬鹿かと思っていたが頭がいいのか、それともそういう知識だけは豊富なのだろうか。咄嗟にそんな例えが出せるなんてなかなかの表現者だと思う。
「というか友達いるんだ?」
「っ、急にお前らしい酷い発言やめろよ。お前と蘇芳くらいしかいねぇよ。ちなみに宮下は彼女候補だ」
「へぇ、そう。じゃあ僕はそろそろ行くよ」
携帯電話の時計を確認して、枯葉に背を向けた。時間は既に十七時くらい。家庭によっては夕食の時間かもしれない。もう少し早く見舞いの品を決めて行くべきだったと思い、早足で駅を離れようとした。
けれども背中に枯葉の声が降りかかって、歩みを遅めてしまう。
「なあ! お前、宮下のことどう思ってんだ? 本当は好きなんじゃないのか?」
馬鹿馬鹿しい質問だった。僕の心の声が聞こえているのなら、それに対する答えがノーであることくらい分かっているだろうに。仮に好きだったとしても、僕の性格上口頭で本心を告げることだってありえない。
足を止めて顔だけ振り向かせると、枯葉の真剣な目が僕の答えを待っていた。本当の思いを求めている彼の目に、僕は僕らしく意地の悪い微笑を向けてみた。
「好きだったら君は僕を――又は浅葱を、どうするだろう?」
枯葉が口を開けようとしたのを見てから再び前を向いて歩き出した。僕の問いは問いであって問いではないから、返事はいらない。問題を出しておきながら正解を知らない僕は、彼の解答に興味なんてなかった。
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