第四章

月の絵1

 一時期、ポルターガイストという言葉が小学生の間で流行っていた。幼い子供というのは、心霊現象や不思議なものに目を輝かせる。

 僕は、生まれつき能力者だった。だからこの力が『おかしいモノ』だということにすら気付いていなかった。

 小学校に入って、友達は自然と沢山出来た。友達と話すことも遊ぶことも、楽しかった。僕が能力を使って見せると、みんな目を輝かせて「すごい」と口々に言う。魔法使いみたいだ、ときらきらした目で見られる。

 みんなに囲まれて、色々な遊びをしたり手品のような能力を使ってみたり、とにかく笑顔が絶えなかった。

 それが、当時の僕にとっての日常だ。

 小学四年生になった時だったと思う。テレビの特集か何かでポルターガイスト現象について知ったクラスメートが、僕の所に来てこんなことを言った。


「お前、お化けの仲間なんだろ」


 僕の能力は、多分彼らにとって幽霊が引き起こす現象と同じに見えたのだろう。後にあだ名がお化けや幽霊になって、僕の力をすごいと褒めてくれた友達もだんだん離れていった。

 それからは能力を使うことをやめた。けれど二年くらい経った時に偽物の世界に招かれたため、その世界でだけ能力を使うことにした。

 中学校に上がれば僕のことを知らない人達に会える。僕はもう能力を使わず、普通に友達を作って普通に過ごすんだ。こちら側の世界では、普通でいられるんだ。そんな思いを抱きながら、孤独に耐え続けた。

 中学生になると、すぐに友達が出来た。出席番号が一つ前で、小説を読むことが好きな男子生徒だ。国崎くにさきときという名前だった。

 同じ小学校の生徒もいたけれど、彼らにとってもう僕の存在はどうでもいいもののようで、ほっとした。他のクラスメートとも普通に会話が出来、鴇と過ごすことも楽しくて、僕は何事も無く中学校生活を終えられると思っていた。

 中学二年でも鴇と同じクラス。いつも一緒にいたというのに、僕は夏くらいまで、彼がいじめにあっていることを知らなかった。

 鴇は放課後に係の仕事をしていたから、下校だけは共にしなかった。それが、気付けなかった原因だ。

 いじめについて知ってしまったその日、一度学校を出てから忘れ物に気が付いた。仕方がなく校内へ引き返す。翌日に提出しなければならない宿題を忘れるなんて、僕も相当寝ぼけていたなと思う。

 教室の扉に手をかけて、同じクラスの男子生徒が楽しそうに笑っている声につい立ち止まった。彼らは、あまり関わりたくないグループだ。

 素行が悪く喧嘩っ早い。授業妨害も激しい。関わりを避けていたため絡まれたことはないけれど、今この状況で教室内に入る勇気はなかった。

 僕は、面倒なことが嫌いだ。楽しそうに笑っている中僕が入って行って、気にされないという確率は低いだろう。何かしら言われると思う。

 それでも教室の扉を開けたのは、愉しそうな声に、苦しげな悲鳴と何かが投げつけられたような音が混ざっていたからだった。

 開くと、彼らの目は面白くなさそうに僕を見た。多分ここで戸惑ったり怯えたりするのが普通の反応だったのだろうが、僕にとって彼らは何も怖くなかった。

 中学に上がる前から化け物と戦っている僕には、ただの同い年の人間なんて畏怖の対象にならない。

 無表情のまま教室に踏み入った僕は、自分の机の方へ平然と歩く。けれど、五人組に囲まれて呻いていた人物の姿に、思わず足を止めた。


「鴇……?」

「っおい呉羽」


 グループの一人が、僕の胸倉を掴む。彼の背の向こうで「紫苑、助けて!」と鴇が叫んだ。

 助けを求めた罰に暴力を振るわれたのか、鴇が呻く。僕の目の前に立っている男子生徒は、鴇のことなど気にも留めずに僕だけを見ていた。それほど闖入者の存在が気に食わないみたいだ。


「テメェ、何堂々と邪魔しに来てんだよ」

「――邪魔なのはお前だ」


 僕を掴んでいる手を振り払うと、彼はバランスを崩した。おかげで鴇の姿を見ることが出来る。転がっている椅子の傍で床に這った鴇は、ひどい怪我を負っていた。

 それを見た後、彼らや自分に対しての苛立ちだとか、様々な情感が終脳に溢れかえった。冷静さを欠いたまま、ただ鴇を助けなければと、視界にあるものを能力で滅茶苦茶に投げ飛ばしていた。

 気が付いた時には椅子や机など教室中のモノが散乱していて、鴇を囲んでいた五人が傷だらけだった。

 はっとして、床に倒れたまま呆然としている鴇に駆け寄った。


「鴇、早く保健室に」


 鴇を助け起こそうと伸ばした手は、払われる。何が起こったのか分からなかった。鴇はゆっくりと体を起こして、僕から離れるように後ずさる。


「……の」

「鴇?」

「化け物!」


 その一言は、どんな凶器よりも鋭かった。鴇の声も体も震えていた。瞳は、あからさまに僕を拒絶する。

 僕はただ、鴇を見た。

 僕達は、友達だよね――そんなことを聞けるほど、僕の心は強くなかったみたいだ。口を開いても声すら出せない。唇を引き結んで俯くことしか出来なかった。

 普通じゃない人は、普通の人に拒絶される。それがどれだけ仲の良い友達でも。その友達を助けたいと望んでいても。相手は認めてくれない。

 異常者は、受け入れてもらえない。

 人は結局、自分達と違う者を迫害する。

 友達も、そんなものだ。


     ◇


 眠る時間は全くなくて、私はまずお風呂に入ってからリビングに行った。萌葱が信じられないものを見たと言いたげに目を擦ってから私を見つめてきた。


「すごい、姉さんがわたしに起こされずに起きてきた」

「そんなに驚くこと? 私、声をかけられたらすぐ起きるでしょ?」

「かけられないと起きないよね」


 その通り。何も言い返すことが出来ず苦笑を返す。いつもは六時三十分くらいに起きて、それからお風呂に入って支度を始めるのだが、今日は三十分も早い。

 萌葱はいつも六時に起きて朝ごはんと弁当を作ってくれる。たまには私が作ろうと思ったのだけれど、寝ていなくても敵わないとは思っていなかった。


「お風呂を後にするべきだったかなぁ」

「夜に入ればいいのに」

「だって、寝ると寝癖がつくでしょ?」

「姉さんはいつでも癖ついてるから、寝癖なんて気にならないよ」


 確かに癖毛だが、寝癖が目立たないなんてことはない。萌葱はストレートだから羨ましく思う。伸ばした方が似合いそうなのに、彼女は肩口で切り揃えていた。そのさらさらの髪を見ながら、私は椅子に座って頬杖を突く。


「そういえば、癖っ毛とストレートならどっちが好きかな……」

「あのさ、姉さん最近恋してるの?」

「こっ!?」


 こ、ここここ。「こ」だけを繰り返していると、萌葱が私の「こ」の後に「けこっこー」と気の抜けた声で続けた。

 相変わらず無気力な妹は、聞いてきた割に姉の恋路などどうでも良さそうだった。


「まあ姉さんが恋しようが何しようが勝手だけどさ、最近帰ってすぐ寝てるのが気に食わない」

「えっ」

「母さん心配してたから。彼氏出来たなら報告はすべきだし、夜ご飯いらないなら連絡入れるべきだよ。せっかくこの時代にはケータイっていう文明の利器があるのだからさ」


 まるで別の時代から来た人のような物言いだが、もちろん萌葱は私と同じく平成生まれだ。欠伸をしながら背もたれに寄りかかっていると、目の前のテーブルに美味しそうな朝食が置かれた。

 半分に割られたオムレツから、とろっとしたチーズとひき肉が顔を覗かせている。皿の端に盛られたプチトマトを一つ摘まんで、まだ料理中の萌葱の背を眺めた。


「私もお母さんのご飯が食べられなくて寂しいよ。寝るつもりは無かったんだけど、寝ちゃって。あはは……」

「疲れてるんじゃない? もしかして、彼氏が相当性格悪いとか?」

「違うよ! 紫苑先輩はクールだけど優しいし気遣ってくれるし良い人だもん! それに、彼氏じゃないの! 私が先輩に抱いているのは別に恋心じゃないと思いまーす!」


 火を止めた萌葱が顔を振り向かせた。半分ほどしか開かれていない目で、適当な相槌を打たれる。


「なるほどなるほど、紫苑先輩。年上が好きだったか」

「こっ、恋じゃないもん!」

「へー、ほー、ふーん。まあわたしには関係のないことだよ。とにかく、夜ご飯いらないなら連絡しなって」


 こくんと頷きながら、オムレツに手を伸ばした。触れる前に、手の甲に痛みが走る。

 萌葱が私の箸で私の手を叩いたのだ。むっとして睨んでみたが、顔を見てもらえない。彼女は平然と、私の箸とご飯と味噌汁を並べていった。


「悪いのわたしじゃないから。手でオムレツ食べようとしたどこかの誰かさんだから」

「だって、オムレツが私を食べてって呼んでたから!」

「通院をおすすめします」


 当然のことながら冗談だ。食べ物の声なんて私には聞こえない。言い方が悪かったかもしれない。食欲に身を任せたら手が伸びてしまった、と言えば通院を勧められなかっただろうか。

 私の向かい側に座ると、萌葱も朝食を食べ始めた。


「萌葱はさ、好きな男の子とかいないの?」


 中学二年生なら、好きな男子生徒がいないこともないだろう。

 気付くのが遅かったが、蘇芳ちゃんが着ていた制服は萌葱のものと同じだ。勉強に集中したいからという理由で私立の中学校に通っていた私と違って、萌葱は市立の中学校に通っている。蘇芳ちゃんも中学二年生だったはずだから、もしかしたら知り合いかもしれない。


「わたしが恋愛に興味を持っているとでも?」

「ねえ、蘇芳ちゃんって知ってる?」

「は? 河内さん?」


 どうやら知っているようだ。しかし呼び方からして友達ということはないのだろう。そもそもこの性格では友達がいるかどうかすら少し心配になってきた。

 萌葱の言葉を待ちながらオムレツを口にすると、美味しくて頬が緩んだ。


「知ってるけど、クラス違う。性格悪いとかで孤立してるらしいよ。テストの成績すごい良いって聞いてさ、天才は孤立しやすいって話本当かもって思ったから記憶に残ってる」

「そっ、か」


 孤立している、だけだろうか。いじめにあっていたりしないだろうか。昨日会ったばかりだが、心配だ。

 けど、いじめられたとしてもあの性格なら気にしないかもしれない。


「蘇芳ちゃん、頭いいんだね」

「頭脳明晰、スポーツ万能。まさに文武両道って感じの子。僻みか何かは知らないけど、彼女に対する悪口とかよく聞こえてくるかな。河内さんがさー、とかなんとか言って、その後決まって笑うんだ。話す話題ないのかな、ああいう子たちって」


 不快感丸出しの表情で、萌葱はウインナーに噛み付いた。思い出して苛立っているのか、咀嚼する彼女の顔は全く美味しそうではない。

 確かに、女子の会話には悪口が多いと思う。それではしゃいでいることが悪いとは言えないけれど、聞いている方としては嫌な気分を味わう。

 孤立していると、笑い声に敏感になる。私だけかもしれないが、自分が笑われていると思い込んでしまうのだ。


「ま、そんな話をしていると美味しいものもまずくなるからもうやめていい?」

「あ、うん、ごめんね萌葱。萌葱が蘇芳ちゃんと友達だったらすごい偶然だなって思って聞いてみただけだから」

「ふうん。河内さんと友達にでもなったの?」


 蘇芳ちゃんに多少の興味があるのか、萌葱の目は冷めていなかった。それにしても、友達と言って良い関係なのだろうか。

 少し悩んだ後、笑顔で頷いた。


「うん。昨日知り会ったの。なんていうか、プライドは高そうだけど根は良い子だよ」

「へえ……」


 萌葱の、深いところまで知りたがらない性格に感謝した。どこでどう出会ったのかとか聞かれたなら、どう返せばいいかわからなくなる。

 流石に、能力のこともあちら側の世界のことも話すわけにはいかない。

 信じてくれるかもしれないけれど、だからと言って萌葱には関係の無い話だ。


「姉さん、そろそろ髪結ったら? せっかく早起きしたのにのんびりしていると遅れるよ?」

「ま、まだ平気だよ!」


     ◇


 少しだけ涼しい気候になってきた。一昨日はブレザーを着ていて暑かったが、今日はそれほどでもない。少しずつ、季節が秋に向かっている。

 心地いい風に鼻歌を乗せたくなるが、隣にいる紫苑先輩に笑われるかと思ってやめておいた。

 欠伸をすると、紫苑先輩の目が私を向く。せめて口元を手で隠せばよかったと思ったが、先輩は私の顔なんて気にしていなかっただろう。


「……大丈夫?」

「へっ?」


 ただ欠伸をしただけなのに、先輩は本気で私を心配している。そんなにひどい顔だったのかと不安になった。もしかしたら昨日眠れなかったせいで、くまが出来ているのかもしれない。

 少し恥ずかしくなって、私は先輩に顔を見られないよう俯いた。


「えっと、大丈夫ですよ?」

「本当に? 無理はしない方がいいよ。授業中に寝たって構わないし、教室で寝るのが嫌なら保健室に行くってのもありだ」


 ポケットから折りたたみ式の小さい鏡を取り出して、私は自分の顔をちらと見てからすぐ仕舞い直した。くまが出来ているわけではなくて安心する。

 紫苑先輩はただ単に、私の寝不足を心配してくれていただけみたいだった。


「……ところでさ、浅葱があの世界に招かれたのは昨日? まだ能力が分からないって聞いたけど」

「あ、いえ。紫苑先輩に会った日です。能力は分からないんですけど、心当たりはあります。でもどうやっても使えなくて」


 夜だけおかしな世界にいることになるなんて、未だに信じられない状況だが、紫苑先輩も同じだということにほっとしている自分がいた。けれども先輩の顔は、とてもつまらなそうに歪められていた。しかし、私の視線に気付いてこちらを向いた相貌はいつも通りだ。


「心当たりって?」

「あの日、車に轢かれかけて絶対に間に合わないと思ったんですけど、間に合ったんです。だから、もしかして私はワープ出来るのかなぁなんて」

「そっか」


 紫苑先輩は短く返しただけで何も言わなくなる。しん、としたまま、人通りの少ない通学路を進む中、少しだけ気まずさを感じた。先輩の口数が多い方ではないのは知っているから、傍にいるのに互いに黙っていると何か喋らなければと思う。

 こんな心境を紫苑先輩が知ったら、笑うだろうか。


「先輩って――」

「浅葱。能力を使えないのは危険だし、使えたとしても君は危なっかしい。人兎は人の匂いを感知して、辿って、襲う。人がいるのが建物内だろうが関係ない。だから、次からは合流しよう。弓張市まで来れるかな?」


 小さく、私は頷いた。私の家は弓張駅と三日駅の中間くらいの所にあるから、行こうと思えば行ける。ただ、それまでに人兎に出会ってしまったらと思うと体が震えそうになる。

 能力を使えることが出来ればいいのに、まだ使うことが出来ないため、走って逃げることしか出来ない。


「合流場所は弓張駅だ。もし襲われたら自分でなんとかして。僕は君の危機を察知して駆けつけるなんてこと出来ないから」

「は、はい。それで、えっと、質問してもよろしいでしょうか?」

「質問? ……ああ、さっき何か言いかけていたね。遮ってごめん」

「いえ。紫苑先輩の能力は、どんなものなんですか?」


 蘇芳ちゃんは髪を操ることが出来、甲斐崎さんは心を読める。紫苑先輩はどんな能力なのか、興味があった。


「……能力者を捕まえている組織に目を付けられるから、普通の世界であまり能力を使うなって言われたんだけど……見せた方が分かりやすいか」


 彼は歩く速度を少し遅くして、ガードレールを指さした。何の変哲もないガードレールをじっと見つめていると、彼が何かを呟く。聞き取れなかったから聞き返そうとして――ガードレールが突然立てた大きな音に意識を奪われた。


「な……」

「まあ、こんな感じ」


 突然曲がったガードレールに驚きすらしない先輩は、溜息混じりにそう言った。その発言から察するに、今あれを曲げたのは他でもない先輩なのだと思う。


「え、っと?」


 それでも私の口から疑問符が飛び出したのは、信じられなかったからだ。というよりも、何が起きたのかをちゃんと説明してもらいたい。紫苑先輩が小さな声で「面倒くさいな」と呟いたのを私はしっかりと聞いていた。理解力がなくて申し訳がない。


「視界に入っている物体や人物に働いている力の大きさを自由自在に変えられる、って言ったらいいのかな。あそこに落ちている空き缶を浮かせることも出来るし、押し潰すことも、捻って歪めることも出来る。人の腕を折り曲げることだって容易だし、潰してしまうことも簡単だ」


 つまり紫苑先輩は、やろうと思えば簡単に人を殺せる。腕を折れるということは、きっと首だって折れるのだろう。そう考えると、少しだけ怖いなと思った。

 以前先輩が、「君の指一本ずつ折るよ」と言っていたけれど、簡単に出来るのだろうと理解してつい手が震える。

 黙りこくってしまった私の顔を、紫苑先輩が覗き見た。


「浅葱?」

「え、あっ、ごめんなさい。なんでもないです」

「……別に良いよ。慣れているから」


 私が紫苑先輩を怖いと思ってしまったことが伝わってしまっている。それは明白だった。それでも先輩は、微笑んで、優しい目で私を見た。

 ――違う。優しい目、じゃない。先輩の目は、何の感情も宿していない。優しい目なのに、その奥には、感情なんて込められていない。

 慣れている、という言葉が私の耳に妙に残っていた。

 私だって同じ能力者なのに、先輩に怯えてしまった自分を罰したくなって手を強く握り締める。


「君はさっき、ワープ出来る能力を持っているのかもしれないのに使えないと言ったけど、移動出来る範囲が限られているんじゃないかな。僕や東雲の能力と同じように、見えている範囲限定っていう可能性がある」

「あっ、なるほど」


 その通りかもしれない。使ってみようと思った時、私は二回とも見えていない所に移動しようとした。横断歩道を渡りきりたいと望んだ時は、確かに移動先が見えている場所だった。

 能力を使えるようになれたら良いと思っていたが、瞬間移動のような能力でどう人兎と戦うのだろう。これでは結局逃げ回れるだけだ。協力者の紫苑先輩達の力にはなれそうにない。


「はぁ……」

「……溜息を吐きたいのはこっちだよ」

「ご、ごめんなさいっ!」


 咄嗟に謝ったけれど、ん? と首を傾ける。なぜ紫苑先輩が溜息を吐きたくなるというのだろうか。


「……ごめん、なさい」


 理由はどうであれ、きっと私のことだ。私が駄目な所ばかりだから、先輩も呆れてしまっているのだろう。だから、私はもう一度謝罪をした。

 はあ、と、紫苑先輩の口から大息が漏れる。


「いや、僕だってこれは想定外だったし。あー……納得いかない。気に食わない」

「そ、そんなに私が能力者であることが駄目、ですか?」

「は? ……別にそれはどうだっていいよ。僕が言っているのは君があちら側に招かれたことだ。君を死なせたくない僕は、面倒事が増えた」


 本当に、この人は正直な人だと思う。他人のことに関すると包み隠さず本心を曝け出しているのが常、みたいな。

 面倒だというのなら、しなくてもいいです。そう言いたかったものの、飲み込んだ。紫苑先輩は多分、正直だけれど素直ではない。優しい人だけれど、その優しさを自分では知らないような、そんな人だ。


「私、早く戦えるようになりたいです」

「別に無理に戦わなくていいよ。逃げていてくれれば」

「ですが、私も戦えるようになれば紫苑先輩の面倒事を減らせるじゃないですか」


 迷惑ばかりかけてはいられない。友達だから迷惑をかけていいと言う人もいるが、紫苑先輩が私に迷惑をかけないから、私も迷惑をかけたくない。

 だって、友達はきっと助け合うものだ。私ばかり助けてもらうのは、なにか違う気がする。私も彼の力にならなくては、いけないような気がする。

 だから、私はそうありたい。そうあることを誓うように、顔を綻ばせた。紫苑先輩は、こちらを見ていなかったけれど。

 前だけを見つめる瞳はとても静かで、何を考えているのかすら分からない。先輩は、『友達』をどういうものだと思っているのだろう。『私』を、どういうものだと思っているのだろう。

 まだ遠い彼との距離に、私は軽く目を伏せた。

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