宿駅、斯くや呑みて。

「しかし、まさか、その老体で焦土帯を目指すとはな。正気とは思えん」

 

 場末の宿駅にある市の出店先で、大して美味くもない煮豆を食いながら、魔女は呆れたように呟いた。

 そう、この爺の願い。

 それこそが、焦土帯……文字通りの焦野を目指すというのである。

 嘗ては、この灰の魔女も、無数の戦術級火術を叩きこんだ、ある意味で因縁の地である。同僚の魔女の多くも戦死し、呪詛となって汚染魔力が今も土地に残る焦土帯は……文字通りの呪われた地なのだ。しかも、その呪詛は少しずつ外へと溢れ続けており、焦土帯は今も広がり続けている。無論、連合軍もこの焦土帯の扱いには苦慮しており、噂では、聖水の堀か何かで呪詛の流出を無理矢理食い止める計画を立てているとかなんとか。

 

「待ち人がいるものでな」

 

 確かに、そういう近寄りがたい場所であるからこそ、反政府勢力の隠れ家には丁度いい場所ではある。帝国人であるこの老人縁の人物ともなれば、連合軍からすれば十中八九敵対者であるだろうし、ある意味で妥当な目的地とも言えた。

 

「つまり、貴様の願いは、焦土帯での待ち人との再会を手伝え、といったところか。その歳で、女でも待たせているのか? いや、娘か孫か?」

「ここでそうだ、と答えたら、見た目相応にやきもちでも妬いてくれるか?」

「戯け、糞爺が」

 

 ブリキ製のコップに注がれたエールを飲み干しながら、魔女は吐き捨てた。

 

「良い飲みっぷりだな。流石は年上」

「女の年齢に触れるのは野暮の極みだぞ。そういう貴様は食が細いな」

「ドカ喰いは身体に悪いんでな。それに、私は安酒は好かん」

 

 そう言って、若干古めかしい帝国語で年嵩の商人に何やら注文を付けて小銭を渡すと……途端に、商人は嬉しそうに顔を綻ばせて、如何にも高そうな薬酒の瓶を差し出してきた。どうみても金額に見合わない、上等な代物である。

 

「……狸爺め、どんな魔法を使った?」

「言葉を魔法というなら、確かにこれも魔法かもしれんな」

「はぐらかすな。種明かしをしろ。さもなくば、妾にも寄越せ」

 

 そうにじり寄る魔女を後目に、老人はゆったりと薬酒を杯に注ぎ、一口嚥下してから、やおら、語りだした。

 つまりは、寄越す気がないということである。


「大した話ではない。元々このあたりは、戦時中は帝国の前線補給地だった地域だ。連合の杜撰な辺境統治とは比ぶるべくもない厚遇を受けていたろうよ。そんな帝国前線統治時代を過ごした者達からすれば、未だに里心は連合ではなく、嘗ての帝国に在るというワケだ」

 

 そう、どこか皮肉気に語って、また杯を傾けた。

 隣で恨めしそうな顔をしている魔女に寄越す様子は、無論ない。

 

「種明かしという肴を寄越したのだ。君も、もう少し旨そうに酒を嗜んだらどうかね?」

「ふん、これは妾なりの気遣いだ……貴様は、妾のこの顰め面を肴に酒を飲むのだろうからな」

「なるほど、流石は魔女。良く人間を分かっている」

 

 

***

 

 

 資金的に余裕があるわけでもないので、宿は当然一部屋である。

 魔女が指先でランプに火を付けながら、夕飯の干し魚を齧る。

 

「火種がいらないのは便利そうだな」

 

 寝台に寝そべりながら、老人が笑う。

 対面の寝台に座ったまま、魔女は忌々しげに舌打ちをした。

 

「魔力が戻れば、この宿を丸ごと薪にする程度は造作もないのだがな」

「それは不便そうだな。寝床を燃やされては堪らない」

「案ずるな。その時は寝床が燃えたと気付く間も無く灰にしてくれるわ」

 

 人の形こそしているが、魔女は基本的に戦術単位の重火器である。

 魔女一人で砲兵一個大隊分ほどの火力は悠々出せる。

 とは言え、所詮一人は一人なので、便利な事ばかりでもないのだが。

 

「契約者である貴様が名を明かせば、もう少し力が出せるのだがな」

「生憎と、ランプの火種を提供してくれる程度で私は満足しているのでね。それに、名乗らないのはお互い様だろう?」

「魔女にそれを言うのだから、本当に性格の悪い爺だ」

 

 魔女は、心底忌々し気に吐き捨てた。

 魔女に名前などない。強いて言えば、灰の魔女という称号こそが名である。

 魔女となった時に、名は隠されるのだ。

 真名は魔女に限らず、魔力を源泉に力を振るう者にとっては生命線である。

 

「名を隠す理由でもあるのか? 糞爺」

 

 八つ当たり気味の詰問にも、老人は涼しげに笑うのみ。

 

「あまり、自分の名が好きじゃないだけさ。ま、私も若くは無い身なんでね。歳相応に色々あるのさ」

 

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