Every Jim has his Jill[中]

 舘野たての由麻ゆまの気を引くことができないまま、季節は過ぎた。

 以前はサッカーでうまく発散させられていた性欲は、受験生の身には制御が難しかった。

 俺は欲望に負けて、告白してきた2年の女とセックスだけの関係を始めたが、気持ちがないのがばれてひと月で別れた。

「別れたの? 早くない?」

「うっせ」

 気づけば、吉田乃梨子のりこと軽口をたたく仲になっていた。

 それはそれで心地いい関係だった。

 俺に初めてできた純粋な女友達だったかもしれない――たとえ、相手が俺を異性として意識していたとしても。


 受験シーズンを迎え、卒業式を迎えるばかりとなった。私大組は、だいたい進路を確定させていた。

 さりげなくリサーチしたところ、舘野の彼氏は九州にある工学系の大学に進むようだ。

 舘野は俺と一緒で東京都内の私立大に進学予定だから、遠距離になるふたりに割り込めるかもしれない。

 完全にスルーされていると思うこともあるが、なんだかんだで話しかければそれなりに対応してくれる舘野。

 好意が伝わっているのかどうかは読めないが、卒業となったら別れを惜しんでくれるかもしれない。

 そんな期待を持っていた。


 卒業式の予行演習の日の放課後、俺は帰りに舘野をつかまえた。

「ちょっと来て。頼む」

 職員室かどこかへ行こうとしていた舘野の手首をつかんで、ほとんど引きずるように階段の下まで連れてゆく。

 その姿は目立ったはずだった。どこから漏れたか、俺の舘野への気持ちはいつのまにか周囲の知るところとなっていた。まあ、その頃にはさすがに俺も開き直っていたのだが。

「あのさ、知ってると思うけど」

 西階段の下は、告白スポットとしてひそかに知られていた。廊下から身体を隠しつつも、ほどよい間隔をキープしてふたりきりになれる空間がある。

 何しろ俺自身がこの3年間、女たちからしょっちゅうそこへ呼び出されたのだった。

「なんかおまえのこと気になんだよね、俺」

 舘野は通学鞄を両腕で抱きしめるようにして立っている。特にびっくりした様子はない。

 隣りの席だったときよりだいぶ伸びたまっすぐな髪が、持ち手の金具にかかっている。

「東京行ったら、会えたりしない?」

「もし会えたらね」

 俺の精いっぱいの告白に、舘野は曖昧な返答をした。

「彼氏としてってことだよ」

 少しイラっときて、語気が荒くなる。こんなのが愛の告白だろうか。

「あー、わたし彼氏いるんだ。ごめんなさ……」

「それは知ってるよ。知ってて言ってんだろうが」

 思わず舌打ちしてしまった。やばい、と思ったが手遅れで、舘野の表情はみるみる固まった。

「遠恋になるんだろ。東京で俺と付き合えばいいじゃん」

「……先のことはわからないけど、でも」

 でも、あなたじゃない。

 彼女の心の声が聞こえた気がした。

 俺は耐えきれなくなり、無言で彼女に背を向けた。

 それが、高校卒業前の苦い思い出だ。


 再会したのは、大学2年のクラス会のときだった。地元ではなく、首都圏に進学したメンツだけで渋谷に集まった。それでも15人近くはいて、にぎやかな会になった。

 大学入学後、俺はスポ根漫画のヒーローじみた身なりを一新した。髪を染めてワッフルパーマをあて、しゃれた眼鏡をかけ、裏原系のファッションに身を固めた。我ながら垢抜けたと自負していた。

 でも、旧友たちはみんなそれぞれ都会に染まっているようだった。芋っぽいやつなんて、ひとりもいない。

 中でも、幹事の吉田はぐんと垢抜けていて驚かされた。俺とは逆に高校のときかけていた眼鏡がなく、毎日ポニーテールに結わえられていた髪はふんわりと下ろしてあった。それだけでもずいぶん「委員長」から「女子」に変身した感があった。

 その吉田と舘野が並んで飲んでいる。そこに絡んでいるのは、不良で有名だった楢崎ならさきいずるだ。意外な組み合わせに思えた。

 ゆるいウェーブのかかった茶色い髪。だいぶ雰囲気は変わっているが、一目で舘野とわかった。俺に失恋の痛みを教えた女。

今話しかければ、あの苦い思い出が帳消しにできる。そんな気がした。お互い青かったよね、と笑い飛ばしてもらえれば。

「お久しぶりでーす」

 ビールグラス片手に、背後から声をかける。舘野が振り向く。

 清純派でミステリアス。そんな印象だった彼女は、ぐんと大人っぽく都会的になっていた。私服のせいか、化粧のせいか、それとも内面の変化がそう見せるのか。

 その大きな目が俺の視線をとらえたとき、なぜだか俺は妙な確信を得た。

 今夜は――舘野由麻を、落とせる。


 その予感通り、俺は帰宅の電車から彼女の手を引いて一緒に降りることに成功した。

 そんなに酔っているふうでもないのに、舘野由麻はすんなり俺についてきた。どういうつもりなのかさっぱりわからないけれど、とにかく気が向いたんだろう。

 その気が変わらないうちに――――駅のホームで、俺は急いで彼女を抱き寄せ、人目も構わず口づけた。

 高校の頃夢にまで見た舘野とのキスは、かすかにアルコールの味がした。


 今思えば、彼女がフェロモンのようなものを発していたのかもしれない。きっと、それを俺が本能的にキャッチしたのだ。

 女にだって、どうしても誰かとやりたい夜はあるのだろう。

 夏の夜気を吸いながら彼女の細い手首をつかんで雑踏をうねり歩き、たどりついたラブホテルで、俺は舘野由麻を夢中で抱いた。

 吸いつくような瑞々しい肌をした、舘野のしなやかでえろい身体。快感に歪む美しい顔と、乱れる髪。控えめながらも、しっかり感じていることを表すせつなげな声。

 夢のようだった。

 制服を脱がせることはできなかったが、俺の屈辱の片想いはこういう形で報われたのだ。

 たとえ、突き上げれば突き上げるほど、俺のことなんか少しも好きじゃないことが伝わってくるセックスだったにしても――。

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