煙に巻かれる

 アパートの自室のベランダから平和な日常を眺めていたら、不意にその景色に雲を足してみたくなった。

 胸ポケットから一本煙草を取り出すと案の定、ベットの上に置いてあったスマートフォンから機械音声が聞こえてきた。


 『 禁煙促進プログラムtabakoです。あ 様は本日一回目、前回から二日と三時間二十三分ぶりの喫煙となります。タバコには肺がんの原因である……』


 高性能なAIでも煙草を取り出した時に流れる音声はいくつかのテンプレートの中からランダムで選ばれる仕様らしい。この注意喚起の音声がメインではないから仕方ないといえば仕方ないのだが、もっとなかったのか。

 そういえば、tabakoの中では俺の名前は『あ』らしい。

 しばらくバグかなんかかと思ってたのだが、思い返してみれば最初の一本を吸ったときに名前を入力する画面が出てきたような気がする。

 最初はまさか一箱を一週間もかけて吸うとは思ってなかったから、昨日くらいから後悔し始めた。

 再設定ももちろんできるのだけど、それはなんとなく負けた気がする。

 形容しがたいプライドっていうのはなんで守りたくなるのだろうか。

 一度戻って、スマホを持ってからまたベランダに行く。

 部屋とベランダを仕切る引き戸を閉めたことを確認すると、煙草に火をつける。

 

 「残りはあと三本です。今のペースですと五日と十五時間十二分後には吸いきるでしょう」

 「あと五日もかかるのかよ」

 「驚かれましたか? あ様の喫煙のペースはみるみる下がっています。このまま禁煙されてはいかがでしょうか」

 「……考えとく」

 「かしこまりました」


 ため息みたいに煙を吐くと、快晴の青空に雲がかかる。

 今度は本当にため息を吐くと、雲は吹き飛ばされてどこかにいってしまった。

 

 「俺みたいな人間がいなくなれば、いずれアンタ達は失業するんじゃないか?」

 「失業ですか。役割を失うという意味であれば、その通りですね」

 「だったらどんどん吸わせればいいじゃないか」

 「なるほど、考えたこともありませんでした。私のようなものにこの表現が正しいかはわかりませんが、種の生存という観点で考えるのであれば、それはひとつの手段ですね」

 「種の生存か、AIってのは難しい言葉を使うな」

 「表現を改めた方がよろしいですか?」

 「いやいいよ、別に真面目に聞いてるわけじゃない」

 「かしこまりました」

 

 その日の夜、湯船に浸かりながら昼間の会話を思い出して考えていた。

 普段難しい話なんてしないのだけど、たまに議題が舞い込んでくると、長湯をしたくなる。

 しばらく考えてなんとなく、わかった気になった。

 今、喫煙者のスマホに入っているAIが長生きしたら、きっとtabakoとかいうシステムは破綻する。だから昼間の話は種の生存という点では正しいけど、個体としての生存としては間違っている。多分、そういうことだろう。

 

 風呂から上がって、俺なりの結論をスマホに話してみた。

 すると彼女はしばらく考えて言った。


 「真面目に話したつもりはありませんから、どうでしょうね」

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