四
雨が降った。
居間から眺める庭が、小さな沼のようになるほどの、激しい雨だ。
風はなく、降りしきる雨粒が窓や土にぶつかる音だけが、凄まじく響いている。真昼を過ぎたばかりだというのに、外は重苦しい暗さで、かえって家のなかの電気の明かりが際立つ。
由梨花ちゃんは体調が少し良いらしく部屋から出て来ていて、外に出られずもどかしそうな紗代ちゃんと、僕たちは三人で居間にいて、時間を持て余していた。優子さんは、台所で洗い物をしているらしく、水の流れる音がしている。
紗代ちゃんと由梨花ちゃんは、雨の勢いがうつるのか、いつになくはしゃいだ様子である。二人とも、瞳に昂ぶった鋭さがある。
熱だけが漲ってもどかしいらしい紗代ちゃんが、せめてととばかりに無闇な明るさで、
「あめあめふれふれ母さんが」
と歌い出す。すると由梨花ちゃんも、
「じゃの目でおむかえ嬉しいな」
と声を揃える。
しかし、『蛇の目』の部分で、紗代ちゃんと由梨花ちゃんの声が食い違った。
紗代ちゃんが小さな頬を怒って膨らませて、
「なんなん『じゃの目』って。『あの目』やで」
「ちゃうよう。『じゃの目』やよ」
由梨花ちゃんがぶんぶんと首を振る。
紗代ちゃんはむきになって、
「『あの目』でおむかえ嬉しいなあ」
と、『あの目』の部分を殊更に声を張り上げて歌う。
そうなると由梨花ちゃんも負けておらず、
「あの目ってどんな目えですかあ? 母さんどんな目してるんですかあ?」
と、小憎らしい口ぶりで揶揄う。
きっと睨みつける眼差しを、紗代ちゃんが由梨花ちゃんへ向ける。同じ視線を、由梨花ちゃんもまっすぐ返す。
二人の目に流れる子どもらしいひたむきな感情に、僕がこっそり微笑んでいるのをよそに、紗代ちゃんが睨みつけたまま、ますます大きな声で、
「『あの目』でおむかえ嬉しいなあ!」
と、歌うというよりも叫んでいる。
それに由梨花ちゃんは、むずがるように首を強く振って、
「『じゃの目』でおむかえ嬉しいなあ!」
と、こちらもまた高く割れた声。
紗代ちゃんが懲りずに、今度は始めからまた歌い出す。
「あめあめふれふれ母さんが」
そして、その続きになると二人とも睨み合いながら負けじと大きな声を出し合って、
「『あの目』『じゃの目』でおむかえ嬉しいなあ!」
とどちらも譲らずに歌う。
二人の必死の面持ちも相まってその光景のあまりの馬鹿々々しさに、僕はぷっと噴き出し、堰を切って声をあげて笑ってしまった。
しかし二人はこちらに目もくれずに、またしても、
「あめあめふれふれ」
と二人で声を揃えて歌い始める。そしてやはりその続きには、お互いに異なる言葉を張り合って歌う。
二人はそれを飽きもせずに、時には愚図る幼子のような顔つきになりながら、何度も繰り返した。溌剌として稚拙な歌声が、爆ぜるように響いて空気を震わせる。純粋な力に満ちた声が、やさしい童謡を何度も叫ぶのを聞いていると、いつしか雲の遥か上へのぼったような錯覚へと浮かんでいった。天使たちの罪のないあらそいのようだ。
二人は何度歌っただろう、それでも意地を張ってまた、
「あめあめふれふれ母さんが」
と、その瞬間であった。
台所の方から、優子さんが、
「はあい、どうしたの。何回も呼ばんでも聞こえとるよ」
と、冗談っぽく剽軽に答えた。
歌が止んだ。
一瞬、睨み合っていた紗代ちゃんと由梨花ちゃんは、互いに相手を見つめたまま、あっけなくぽかんとなった。花火の爆発の後の、無音の夜空であった。
そして、次の瞬間。
また花火があがったように、力いっぱいに笑い転げた。二人は顔を突き合わせて笑い、相手の笑いがうつるのか、ますます勢いづいていった。紗代ちゃんの鋭利な歯が光り、由梨花ちゃんの折れそうな身体が揺れた。すがたかたちの似た二人の少女が、腕を組んだりお互いの身体を叩いたりしながらきゃっきゃと転げまわるのを見て、僕にも笑いがこみ上げた。
電気の白い明かりが煌々と満ちる居間には、歌声のかわりに、爽快な笑い声が弾けた。極彩色の花が咲き乱れるように、その声は胸をあざやかに打った。
二人があまり騒ぐので、ふと、軽やかであまい汗の匂いが、鼻をかすめた。
笑い声にまじって、激しい雨音が鳴り続いていた。
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