夕飯の後、優子さんが紗代ちゃんを連れて、月に一回の村集会へ出かけていった。

 集会所に集まりなんでもない会議をするだけらしいのだが、村の唯一の小さな子どもである紗代ちゃんには、お菓子が配られるらしかった。高校生までは貰えるからと、僕は紗代ちゃんに頻りに誘われたが、彼女の祖母の言葉を思い出して断った。

 優子さんが僕の気兼ねに気づき、うちもおるんやし大丈夫と含みのあることを言ったが、しかしまさかこの歳になって優子さんに迷惑をかけてまでお菓子を貰いたいはずもなく、僕はやはり遠慮した。

 紗代ちゃんは愚図ったが、早く行かないとお菓子が貰えないと優子さんに言われると、もう僕のことなんて忘れたように宿を飛び出して行った。

 僕は部屋で横になって、ぼうっと窓から夜空を眺めた。そういえば、ここに来てこんなに手持無沙汰なのは初めてだと、ふと思った。紗代ちゃんに連れられて遊びに出かけたり、由梨花ちゃんと他愛もない話をしたり、優子さんの家事をたまに手伝ったり、そんなことをしているうちに、毎日時間が過ぎて行く。

 星に彩られた夜空は、窓を透かして見ているとどこか味気なく、そういつまでも見ていられるものでもなかった。

 僕は欠伸をして、風呂にでも入ろうと、部屋を出た。

 この宿の風呂は、母娘たち三人と共有である。いつも一応は客である僕が一番先に入り、その後に彼女たちが入る。まだ紗代ちゃんも由梨花ちゃんも子どもだから、三人一緒に入るらしく、湯上りに居間で酒を飲んだりしていると、「いい湯だな、ハハハン」などと優子さんまで声を揃えて歌うのが、薄らと聞こえてくることもある。そんな時、僕は懐かしいような切ないような、胸がいっぱいになりたまらなくなる。

 階段をおり、廊下を風呂場へと進んでいく。優子さんと紗代ちゃんがいないと、しんとして、庭で虫が控えめに鳴くジジジと電流のような音が、儚げに流れてくる。

 鈴虫や蟋蟀が秋のかなしみをうたい、蝉が夏の狂乱を叫ぶのに比べると、この無名の虫の声はなんと淡泊だろう。しかしそのさりげなさゆえに、夏の夜に漂う鬱々とした熱のようだ。

 そんなことを考えながら、脱衣所の扉を開く。

 瞬間、僕は、はっと息をのんだ。

 そこには、由梨花ちゃんが全身の肌をさらして、立っていた。

 あまりの衝撃に自分を失い、僕はただ呆然として、目の前の裸体を見つめてしまった。

 由梨花ちゃんはさっと自分を抱くように両手で身体を隠す。全身の肌の、溶けかかる雪の濡れて透き通った白さが、薄らと桃色に染まる。

 彼女の怯えたような瞳とまっすぐ目が合う。

 見ている自分を見る彼女に気づき、僕はようやく意識がはっきりして、慌てて言葉をしぼりだす。

「ご、ごめん。誰もいないと、思って。優子さんと紗代ちゃんがさっき出かけて、さ」

 由梨花ちゃんは、なにも答えず、じんわりと潤んでいく眼差しでこちらをじっと見つめている。微かに寄っている眉根と、きゅっと結ばれている小ぶりの唇には、抗議や詰問の色はなく、ただ恥じらいだけが青い炎のように静かな激しさで燃えている。

 僕はまとまりはじめた意識で、この状況に陥った理由の説明など今の彼女にはどうでもいいと気づき、もう一度「ごめん」と呟きながらすぐに扉を閉じた。

 慌てて部屋に戻る。

 騒ぐ胸を持て余しながら横になっていると、どうしても、さっき目にした由梨花ちゃんが、脳裏に浮かんできた。

 あばらなぞは骨の薄らと浮くほどほっそりしていて、育っていない胸から水のようにやわらかそうな腹までは、ほとんど平らだった。青白い肌のなかで、乳の先だけが、娘らしいあざやかさであった。華奢な腕で隠そうとして、それでも慌てたせいかひょっこりのぞいていたのが、なんとも可憐である。

 裸体を目の前にしない今の方が、かえってその姿態がまざまざと蘇ってくる。どこまでもあまく、蝶の羽のように軽い匂いが、ぼんやり漂ってきそうですらある。

 目を瞑った闇のなかで由梨花ちゃんの身体を観察して、長いこと飽きないでいると、突然、部屋の戸の開く音がした。

 病的な夢想から醒めて、戸の方を見ると、由梨花ちゃんが立っていた。今度は裸ではなく、彼女が寝間着によく着ている白いロングワンピースを纏っていた。意識のなかで弄んでいた彼女の姿は、こうして現実の目で見ると、命の生々しさでより一層美しい。

 僕が、「さっきはごめんね」と言うよりも早く、由梨花ちゃんが口を開いた。

「お風呂、空いたから、どうぞ」

「ああ、うん」

 僕は曖昧に頷いて、謝罪を口にしようとしたが、飲みこんだ。さっきのことを話題にするのは憚られるほど、由梨花ちゃんの恥じらいは濃かった。こちらを見れないでじっと俯き、白い肌を首まで激しく赤らめているのは、あっと声を出してしまいそうなほど清潔だった。羞恥の赤の奥にも、なめらかな白さは透けている。

「優子さんと紗代ちゃんは、もう入ったのかな」

 彼女の気を逸らそうと、そんなどうでもいいことを僕は口にした。

 由梨花ちゃんは消え入りそうな声で、

「今日も暑いし、外出たら汗かくし、帰ってから入るんとちゃうかな」

 と呟いた。

 僕は気まずさを紛らわせるようにまたなにか言おうとしながら、不意に、ある爛れた錯覚にとらわれた。白いワンピースの奥に彼女の身体が見えるのである。

 僕は恍惚にあまくしびれて、現実にいきなり現れた幻を眺めた。身体は、現実の迫力と夢のあざやかさで、胸に迫り息もつけぬ美しさであった。

 少しの間そうやって僕が我を忘れていると、由梨花ちゃんは、自分の身体を見つめる視線の意味に気づいたらしい。恥ずかしさを爆発させるようにはっと目を開くと、戸を閉め、部屋の前を走り去っていった。


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