少しして、優子さんがエプロンを外した姿であらわれた。

 手に持つ盆には、ざるそばと天ぷらが載っている。

 すぐに少女もやって来た。つゆを注いだ器と空のコップが四つずつ載った盆を、器用に片手で持ち、もう片手にはお茶の入った容器を持っている。

 優子さんはそれを見てすかさず、

「もう、三つでええ言うたやんか」

「いや! 由梨花もいっしょ!」

 少女は激しく言い、盆の上で器からつゆがこぼれそうになるのを、上手く腕を動かして安定させる。

「そんなん言うても、由梨花かてしんどい言うて出てこんかもしれんで」

「ほんなら、しんどい言うてたらもういいから! でもしんどくなかったら、呼んできてええやん。なあ、お願い、ええやろ?」

 少女が懇願するように優子さんを見上げる。

 優子さんは、少しの間少女と視線をぶつけ合ってから、仕方ないと折れるように息をついた。

 そして、机を挟んで僕の向かいに座り込み、

「ほんま申し訳ないんですけど、もう一人増えてもええですか?」

「もう一人?」

「はい、うち、もう一人、娘おりましてな。これの双子なんですけど」

「なあ、ええやろ兄ちゃん」

 少女が隣から口を挟む。

「あんたは黙っとき」

 優子さんが、素早く少女の脛を叩く。少女は、いた、と声をあげて拗ねた目つきで優子さんの横顔を睨む。

 僕は笑って、

「ああ、全然構いませんよ、どうぞどうぞ」

「すんませんなあ、お兄ちゃんお客さんやのに、勝手なことばっかり言うて」

「そんな、とんでもない、気になさらないでください」

 僕はそう言ってから、少女に目をやる。

「早く呼んどいで、君もお腹空いてるんだろ?」

 僕の言葉に、少女は破顔して頷き、部屋を出て行った。

 優子さんに、コップにお茶を注いでもらったりしながら待っていると、少しして、廊下の方から声が聞こえてきた。

「ほら、はよう。なにしてんのよ由梨花」

 少女の声で、そう口走るのが聞こえる。

「いややって、もう」

 そう答える幼さの滲む声は、少女の声とどこか似ているところもあるが、比べるといくらか弱々しい。

 もう一人の少女の声で、

「いや。離してえな」

「なんでいやなんよ、怖い人ちゃうって言うてるやんか」

「だって、恥ずかしいもん」

 声が近づいてくるにつれ、なにかを引きずるような音も聞こえてくる。

「なにあほなこと言うてんの、なにが恥ずかしいねんな」

「恥ずかしいやんか、知らん人なんか」

「わけわからん。もうそんなんええから、面白いから。あんな、テレビみたいに喋んねん」

「はあ? どういうこと?」

 その時、障子が開いた。

 引きずる音の原因がすぐに分かった。

 少女は、へたり込むようにぺたんと座っているもう一人の少女の、片方の腕を掴んでいる。おそらく、そうやって引きずってきたのだろう。

 引きずられてきた少女は、少女と、よく似ていて、しかし決定的に違っている。

 長い紺色のキャミソールワンピースからすらりとのびる首や腕は、少女のように生命が漲っているような細さではなく、儚げで脆い細さである。肌はかなしいようなこの上ない白さで、それとは対称的に黒々とした髪は、座っていると床までつきそうなほどに長い。一本一本の毛は幼い細さだが、長いからか軽やかに揺れはしない。目元も鼻立ちも、少女とよく似ているのに、どこか、静かに泣き出しそうな、哀れな弱々しさがある。

 彼女は、僕と目が合うなり、耳まで仄かに桃色に染めて俯いてしまった。

「やあ、こんにちは」

 僕は、できるだけ警戒心を持たれぬよう、努めて爽やかに微笑んだ。

 しかし、彼女は俯いたまま、ペコリと小さく頭を下げるだけである。

 さて、どうしたものか。

 気まずく思っていると、少女はお構いなしに部屋に飛び込んできて、僕の隣に座った。

「ほら、兄ちゃんも母ちゃんも由梨花も、ぼさっとしてんと、はよ食べようや」

 僕は、戸惑いが少し救われるようで、同じように朗らかに、

「そうだな。君が作ってくれたんだろ? お手並み拝見だね」

 と言った。すると優子さんがくすくすと笑い声をあげて、

「お兄ちゃん、違うんよ。この子、つゆ注いだだけ」

「あれ、そうなんですか」

 僕は、少女の小さな額を人差し指で軽くついて、

「なあんだ、さては、料理なんてできないんだな?」

「あほか、めっちゃできるわ!」

 少女が鋭い奥歯を剥き出しにして言う。

「ほんなら、兄ちゃんの明日の朝飯作ったるわ! 美味しすぎてびっくりするで! 泡ふくで!」

「それは勘弁してほしいな……っていうか、なんで夕飯じゃないの。今日の夕飯作ってくれればいいじゃん」

「夜ご飯はあかん」

「どうして?」

 僕が聞くと、少女はつまらなそうに唇を尖らせて、

「だって、夜ご飯は大人しか作られへんもん。うち、まだ子どもやもん」

「なんだそれ」

 僕は声をあげて笑った。

 優子さんが微笑みながら、

「料理なんてでけへんのに作りたいっていうから、朝ごはんと昼ごはんは手伝わせても、夕飯は手伝わせへんのです。お客さんにもいろいろ出したりせなあかんのに、台所おられたら邪魔やから」

「ああ、そういうことですか」

 納得しながら、余韻のように小さく笑っていると、少女は反抗するように、

「でも、これはうちがとってきてんで」

 と、皿に盛られた天ぷらを指す。

 優子さんが言葉を足す。

「そのカボチャとナスは、近くの畑で育ててるんをこの子が収穫してきたんですよ」

「あとこの手長エビもうちが釣ってんで!」

「へえ、そりゃ凄いな。どこで釣れるの、これ」

「川行ったらすぐやんこんなん」

「そんな簡単なの?」

「うん、うちが天才的やねんな」

 少女が自慢げに胸を張る。

「やるなあ。でも、それ料理じゃないよね?」

 僕がそう揶揄って笑うと、少女は僕の肩を叩きながら、

「ううう、でも、うちが釣ったから美味しいの!」

「ほんと?」

「ほんま! じゃあ、もうこれ、料理やんな!」

「いや全然違うでしょ」

 僕がすかさず言って笑うと、少女も高い声で笑った。

 そして、ふと、別の小さな笑い声。

 見ると、廊下に座り込んだままのもう一人の少女が、小鳥のさえずりのような笑い声をあげている。

 優子さんがそちらを振り返って、

「ほら、由梨花もおいで、お母さんの隣。ご飯食べ」

 と声をかける。

 もう一人の少女は、くすくす笑ったまま頷き、優子さんの隣に座った。

 それを見て少女は、満足げに顔を華やがせて、なにかに一人納得するように頷き、声をあげた。

「さあ、はよ食べよ! 兄ちゃんも母ちゃんも由梨花も、急がなうちが全部食べたるからな!」

 少女は言うや否や、勢い良く箸を取った。


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