第3話

 唯一明かりが灯っているビルの三階。そこはレクリエーションの場として設計されていたのか、階段を上がり一本道の僅か数歩程度しかない通路を行き止まりまで進むと右手側にドアが一つだけあり、そこを押し開くと仕切りや柱の無い広い部屋があった。

 床には薄汚れたカーペット。そして部屋の奥には一人、ぼろの着物を纏った中年ほどと思われる男性が胡座を描いていた。


「ほほう、おまんがくだんの骸骨仮面か。おっかないめんだねえ……石ノ森、好きなのかい? おれあ好きだぜ。がきん頃はまんがはそらあたっくさん読んだもんだ」


「……」


「およよ? おしゃべりは嫌いけ。こりゃ失敬したねえ。なんせおれあ大好きだからさ、おしゃべり。わざわざ山から降りてきてさ、猿とか鹿とか、そんなのとしか過ごしてなかったからさ、人恋しいんだよねえ……えへへ、悪いな。あと一口だけ飲ませてくりょし。山じゃいっさら飲んでなかったもんでよ。安酒でも美味い美味い」


 無精髭に延び放題の頭髪。申し訳程度に結ってはいるが、なんとも汚ならしい見た目をした男は透明なプラスチックのカップに紙パックの日本酒をなみなみ注ぎ入れると、やっとお喋りを止めてそれを口の中へと流し入れた。


 男に仮面をからかわれた"彼"だったが、それに気を悪くした様子は無く、部屋に漂う酒の匂いに僅かに口元を歪めるばかり。まだ戦意を感じ取れない男から、赤いカラーレンズでその下の目元を外界から隠した彼はその視線を男から逸らす。男の両脇には凡そ60cmほどある鞘に納められた刀と思しきものが無造作に置かれ、それ以外はつまみの類とパックの酒が三本程。


 やがて望みの一口、とは言わずたっぷりカップ一杯分飲み干した男の盛大な吐息が彼の意識を男へと戻した。男は振り向かず手にしていたカップを後ろへと放り投げると、宙を舞ったそれは男の背後にあったゴミ箱へと綺麗に飛び込んで行った。

 振り返り、ちゃんとゴミ箱に入ったことに手を叩いてはしゃいだ男はその後も周囲のゴミを一つ一つ投げ込んで行く。そして最後に投げられないゴミを手にとぼとぼとゴミ箱まで歩いて行った男はそれを捨てて、埃を落とすように手を互いに叩いてまた戻って来る。そして首を回し肩を回し、跳んだり手首や足首を回したり、全身を解す動作を行った男は置かれた二刀をそれぞれ拾い上げて腰へと差した。


「待たせてすまんな。律儀な男で助かったよ。殺し屋なんて思っていたからもっと短気なもんかと想像してたが、いやいや、おれは運が良い。さてねえ、ほいじゃあ……おっ始めようけ。安心しろし、おまんが殺せと言われたのはおれで間違いねえ。鬼童衆が一人、この双鬼でね。……あいや、やっぱしえらい恥ずかしいなこれ。無し無し、おれあ大五郎って言うんだ。自分は? なんつうんだい」


「……」


「かかかっ、ほうけほうけ、おまんはおしゃべり嫌いだったなあ。殺すも殺されるも、おれあ相手のこと知っときたい質なんだが、仕方ないねえ。兄さん方に叱られる前に帰るとするけえ。いざいざ、尋常に勝負勝負!」


 一気に湧いて溢れ出てくる殺意。目に見えるのではと思う程にそれははっきりとしていて、そう錯覚させ得る程に大五郎のそれは彼の五感を侵した。毛が逆立ち、全身の皮膚に栗粒が立ち上がる。

 そしてそれは大五郎が両脇の刀、長さからすれば少々小振りなそれを両方共に抜き放ったことで、重苦しい泥の様だった殺気は一転、その切っ先から連なる刃のように鋭く鋭利に尖り、彼を貫かんとした。その感覚に突き動かされて彼は思わずその身を後方へと大きく飛び退かせていた。そして我の目を疑う。


(気に当てられたかと思ったが、何という速度。縮地とでも言うのか……!?)


 殆ど反射的、動物的な感覚に体が動いただけの彼であったが、殺気に突き動かされたものだと思っていたばかりに先程まで自らの居た場所に今は大五郎が居ることに戦慄した。彼には大五郎がまるで視認できなかったのだ。


「驚いた、驚いた。まさか躱して見せるとは驚いた。そりゃあえらい勘だねえ、自分。大体は一太刀で決まっちまうもんなんだがねえ……おれあ感動したぜ。おまんとなら愉しい斬り合いが出来そうだ。ところでおまんの得物は何なんだい? まさか空手けえ」


 にやりと不敵な笑みを顔面に浮かべた大五郎は実に愉快そうで、右手の刀で自らの肩をとんと叩いてすらいる。あれだけの動きを見せていて、それでもまだ全力でないというのならば、彼は自らに最悪の事態すら覚悟させる。


 故に彼は万策尽くす為に大五郎の問い掛けに答えることはせず、深い呼吸を一度した後、ゆっくりと腰を落とした。それを戦闘態勢だと認識した大五郎もまた、無精髭の這えた顎を剣の柄頭で掻きながら口元の笑みをより一層深くする。互いにそれらしい構えは作らない。だが張り詰めた空気が二人の間で更に圧縮して行き、そしてやがてそれが限界に達した時、両者は互いに互いの死地へと飛び出した。

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