愛のありか

 愛のありかを知っていますか。脳とか心とか、それとも思い出の宿ったものだとか。と君が聞くので、ぼくは、ええ、とか、ああ、とか生返事をした。君は特に気にする様子もなく、くるったおんなが死んだ話をする。自分の体を食い破って失血死した、狂ったおんなの話を。


 よくあることなんです。君は続ける。彼女はきっと、どこからどこまでが自分か、確かめたくなったんだと思う。ぼくは笑った。そのような正気を保つようなちからが、彼女にあったかどうか、疑問だ。


「誤作動」

 君が呟く。

「脳の誤作動」

 ぼくが補う。

 君はぼくの顔を見上げた。

「一度誤作動を起こしてしまった個体は」

 君が言った。視線を壁の方に送る。

「速やかに処置されなければならない」

「君は違う。特別だから」

「いえ、違いません」

 私はなにも特別なんかじゃない。死んだ彼女たちと同じ。君は胸の傷をそっと開いて見せた。君の胸の中には、ぼくの愛が潜んでいる。

「あなたが私に拵えてくれたからだ、機構は完璧です。でも私の胸にあるのは、」

 そこで君は言葉を切った。

「愛だよ」

 ぼくは両手で君の頬を包み込む。

「違います」

 これはただの、凶器です。ものです。物質です。あなたは私の体に証拠を隠匿しようとしている。


 ぼくはかぶりをふった。


「彼女にそれを見せた?」

「見せました。胸を開いて」

 君の体内にはナイフが眠っている。ぼくが妻を刺したナイフ。それはぼくにとっては愛そのものだった。

「君はぼくの愛を裏切った」

「私はあなたの妻ではない。同じ顔貌をしていたとしても、別ものです。これは、単なる人殺しの証拠です」

 君は体の内側からナイフを取り出す。自分の器官を傷つけてでも。あ、陽子の生体記憶を刻んだ記憶媒体が損傷してしまったのではないか、とぼくは怖くなる。

「やめろ!」

 カラン。軽い音がして、ぼくの目の前にナイフが放り投げられた。

「これは愛じゃない、欺瞞です」

 乾いた冷たい声がする。

「わたしはあなたの、妻じゃない」

 そんなわけない、妻の顔をして、妻の記憶をもって、妻の声をした君は、君は。

「死んだ彼女たちを、あなたは笑いますが、彼女たちは少なくとも、あなたのような嘘はつかなかった」

 くるったあたまを正常に見せかけるために、いくつも嘘を重ねて、あなたもう、立っているのもやっとなくらい、その嘘に押しつぶされそうになっているのではないですか。

 と君は言った。妻の声で、妻の貌で。かっと顔が熱くなり、頭が真っ白になった。君につかみかかるぼくの足は、うまく大地をとらえることができない。雲を押しているようだ。裏腹に、手にはどんどん力がこもる。めりめりと、白い首にぼくの指がめり込んでいく。ぼくはもうお前たちから自由なんだ! 

 自由―――――

「学習しませんね」

 君は言った。ぼくは君の頬を打った。妻の記憶が君にそう言わせるのか。それともそれは、君の現在の思考から零れ落ちた言葉なのか。疑念を振り払うようにぼくは叫んだ。

「これが愛だ! 愛だ! 愛だ」

 叫びながら君の顔を殴り続ける。

「愛のありかはぼくがちゃんと知ってる」

 死んだ愛人の顔がふと脳裏に過った。

「あなたは何も知らないのよ」

 可哀そうな人ね。

 その声が妻の声なのか、目の前の君の声なのか、死んだ愛人の声なのか、自分自身の心の底から響く声なのか、わからない。わかりたくもなかった。愛なんてものは。すくなくとも、愛なんて呼べるものは。最初からこの世に存在していなかった。

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