またどうぞ
友達がいない。物心ついたころからずっと。人とどうやって仲良くなって良いかわからない。話したり、ご飯を一緒に食べたりすることはできる。でも自分から連絡先を聞いたり、連絡を取ろうと試みたり、遊びに誘ったりすることが、できない。
例えば小中とクラスの中で居場所がない、というようなことはなかった。でも学校という場所を離れたら、一体どうやって他人と触れ合っていいか、全くわからなくなってしまう。距離感が、わからない。
服を買うのについてきてほしい、という人がいればついていくこともある。カラオケや食事、テーマパーク。でも自分から楽しい、とか、次もまた行きたい、行こうね、というようなことが言えなくて、結局すぐに離れてしまう。
どうやって関係を維持したらいいのかわからない。繋がり続けるためにはなにが必要なのだろう。どうやったらみんなみたいに自然にできるだろう。わからない。
地方のどマイナーな大学のおしゃれな名前の割に何を学ぶのが目的か全然ぴんとこない学科を卒業して、製紙会社に就職した。相変わらず友達も恋人もいない。大学生の時に二人だけ、男の子と関係を持った。でもどうしたら恋人としてちゃんとできるのか。全然わからなくて、どちらの関係も途中で立ち消えてしまった。「つまんない」
「お前といても、つまんない」
言われた言葉をかみしめるけど、どうやったらつまる女になれるのだろう。
同じ年齢の女の子が結婚して子供を持って、引っ越したり副業で才能を開花させたり。私だけがどうしていいかわからないまま、ずっと同じ場所にたたずんでいる。そんな気がした。
ある夜、お酒を飲みながらひとりで居酒屋のカウンターで一夜干しの魚をつついていたら、どうしようもなく寂しくなって、虚無感に包まれた。この町にもこの店にも私のことを知っている人は誰一人いないのだと思った。孤独感がわっと押し寄せてきて、気がつくと、私はひとり泣いていた。冷えた日本酒の注がれたグラスが汗をかいている。
それは唐突に体の奥から沸き起こってきた。涙となって目からあふれてくる。瞬きの瞬間に零れ落ちる。店内には大将お気に入りのWANIMAがカウンターの向こうから小さく流れている。会話を楽しむ客には耳に入らないくらいの音量、それに私は気がついてしまう。なぜなら私はひとり無言で料理と向き合っているから。私の周りには音がないから。
あ、と思って目元を抑えたけど、涙は一向に収まる気配を見せない。仕方がないので泣きながらホッケを食べた。だんだんと自分が何で泣いているのかわからず、不思議な気持ちになってくる。自分の感覚を他人事みたいに感じる。
不意に目の前に小さなヒスイ色の器が差し出された。中には魚の肝に小葱と紅葉おろしを散らしたものにポン酢がかかったもの。大将の太い指から顔の方に視線を上げると、反対の方の手でぐっと親指を立てているのが見えた。
私は涙を拭いて、ポケットティッシュで鼻をかみ、ぼーっとした頭でピンクがかった白っぽい肝を箸先でつまんだ。口の中に入れるとなめらかで甘い。葱と紅葉おろしの刺激的な香りがツンと鼻の奥に広がる。日本酒でそれらを流し込むと、アルコールのとんがった香りが最後に鼻に抜けて、満足感だけが残る。
しばらくして、あ、そうか。と思い至った。大将のあの親指は、私を慰めてくれていたのか。大将は私にとっては知らない人だけれども、大将にとって私はたまにくるおひとりさまの客、だったのかもしれない。「おいしいです」と呟くと大将はにかっと笑った。WANIMAが好きな人とは一生分かり合える気がしない、と思っていた。でもそれはただの偏見だったのかも。自分が暗い曲ばかりを好んで聴くから、明るい曲が好きな人とはわかりあえないものだと思い込んでいた。私は、間違っていたのかもしれない。歌の好みなんて些細な問題で、ほんとうはもっと、いろんな人と仲良くなれるのかもしれない。
「おあいそ、」
と声を掛けて席を立つ。会計はいつもと同じ値段、肝の代金は含まれていなかった。途端に申し訳なくなって、でも謝るのは違う気がしたので、ごちそうさまでした、と頭を下げると、「またどうぞ」と返される。ああ、わたしを、見知ってくれている人がいたんだ。
駅までの道を歩く。雑貨屋さんのショーウィンドに自分の顔が写った。さっきまで泣いていた割には、普通の顔に見えて、安心する。まともな足取りで、サクサク歩いている、私。ICカードを改札にかざし、駅のホームに降りる。電車は自宅に近づくたびに人気が少なくなっていく。
夜の街が川面に移って揺らいでいた。知らない人だらけの、街。まち。電車の中の人の顔。疲れた顔、誰かと笑いあう顔、顔、かお。よくわからないけど、また泣きそうになる。この人たちにもそれぞれ帰る場所があって、待っている人がいるかもしれない。私は人に「待たれる」ことを知らないまま、人生を終えるんだろうか。そのときふと、「またどうぞ」の声が蘇って、背筋が伸びる。
またどうぞ。
また、行ってもいいんだ。
電車のドアが開く。冷たい外気が赤くなった頬に触れる。私はここから、また、あのお店に行ってもいい。そうするとなんだか、どこにでも行ける気がしてきて、自然と歩幅が大きくなる。背筋を伸ばして見るいつもの景色は、なんだか少し普段とは違って見えた。気のせいだろうか? 気のせいだったとしても。
ピ。電子音。改札をくぐる。南口に降りる。私はどこへ行ってもいいんだ。思い出した途端肩の荷が軽くなった気がして、見上げた星空がいつもより高く感じた。つむじ風が巻き上がって遠く空へ地上の空気を運んでいく。ごう、と巻き上がった髪を押さえつけて、私は歩き出した。
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