第19話 暴走
~廃工場~
その頃、クロエとロニーはジャックがいるであろう廃工場にたどり着いていた。敵がいるかもしれないためすぐには入らず、裏口から様子を伺っていた。
「物音一つしないわね……ジャックは本当にいるのかしら?」
「どうでしょうね…。でもここ以外こんな建物思いつかないし……間違いないと思うけど。」
ロニーは扉に耳を当て、中の音を確かめたが、やはり何も音はしなかった。
「取り敢えず入ってみましょうか。そばから離れないでね、クロエちゃん。」
「うん……。」
二人は扉をゆっくり開け、中に入っていった。中にはやはり誰もいなかったが、明らかに血の匂いが奥から漂ってきていた。
「うっ……血の匂いが……っ。」
「……嫌な予感しかしないわね。」
クロエが耐えきれず鼻を抑えて顔をしかめる中、ロニーは少し眉を眉間に寄せるだけだった。二人が奥に進むと、ジャックがキルアに滅多打ちにされたところに出てきた。そこで壁を見た二人は、初めてジャックがいるはずの場所にいないことに気がついた。
「この血……明らかにここに張り付けられていたはずなのに。」
「ジュニちゃんは?どこなの!?」
二人は必死に部屋を見渡したが、血痕を辿ろうにも辺り一面血の海のせいで全くわからず、隠れられる場所もほとんど無かった。
「……自分で逃げ出したのかしら?」
「でも、そんな状態でもなかったでしょ?」
「そうだけど……ん?」
二人が会話をしていると、ふとクロエの足元に何か落ちてきた。クロエがそれを確認すると、それは嫌という程見た血だった。
「……まさか、」
二人は固唾を飲むと、ゆっくり天井を見上げた。するとむき出しの骨組み部分に、ひっそりと佇んでいる影が一つあった。ゆっくり呼吸をしていたが、その体からはボタボタと血が落ち、それが骨組みを伝ってクロエの足元に落ちていた。
「ジャ、ジャック……?」
「…何か様子がおかしいわ……。」
ロニーはすぐに異変に気が付き、クロエを背中で隠した。
「………。」
その影は何か呟くと、かなり高さがある天井から飛び降りてきた。
「っ!」
ロニーはクロエを抱えて後ろに飛び退いた。その影は天井に開いた穴から漏れる月明かりに照らされ、はっきりと姿が見えた。それは明らかにジャックだったが、表情や気配が全く違った。
「……ジャック?どうしちゃったの?」
「………。」
クロエの声にも全く反応せず、ジャックは二人を真っ直ぐ見つめた。その瞳は光を宿しておらず、最早見えてるのかどうか分からなかった。やがてジャックは左肩に打ち付けられた鉄板を無理矢理引き剥がし、それを思い切りロニーに投げつけた。
「っ!?」
ロニーは咄嗟にそれを右腕で防いだが、少し深く切れてしまった。
「ロニー!ジャック、何で攻撃するのよ!?」
「クロエちゃん、出ちゃダメ!」
ロニーはジャックに駆け寄ろうとするクロエを必死に止めた。
「……る。」
「……え?」
二人はやっと聞こえたジャックの言葉に耳をすました。
「……俺、が……守る……。死ん、でも…守……る。」
「!」
その瞬間、ジャックの左肩から影が溢れ出し、ジャックの体を半分覆った。現れた左腕はいつもより不気味に感じ、爪先はいつもより長く鋭く尖っていた。
「……ど、どうなってるの?」
「分からない……呪いの力に飲み込まれてるのかも。でも、あの呪いはそんな風になるだなんて……。」
書いていなかった、そう言おうとしたクロエだったが、もしかすると原本には書いてあるのかもしれないと思い直し、口を閉ざした。
「とにかく、ジャックを何とか正気に戻さないと!」
「でもどうやって……あんなジュニちゃん殴れないわよ!」
ロニーが気が引けるのも無理はなかった。いくら不死身と言えど、再生能力は普通より少し高くなる程度……つまり、ジャックの体はまだ殆ど再生出来ていなかった。肉は抉れ、内臓は潰れ、もはや流れる血など尽きようとしていた。
「そうだけど……っ。」
クロエはどうすればいいか全く思いつかず、ただロニーの後ろに隠れるしかなかった。
「……。」
ジャックは少し体勢を低くすると、地面を蹴って凄まじいスピードでロニーに襲いかかった。ロニーはギリギリのところでクロエを抱えて避け、すぐに身構えた。
「ジュニちゃん、やめて!!あたし達が分からないの!?」
そんなロニーの叫び声にも反応せず、ジャックはすぐに進路を変え、ロニーの頭を蹴りつけた。ロニーは視界が揺らぎ、すごい勢いで横に吹っ飛んだ。
「ガッ……!!」
「ロニー!!」
クロエはすぐにロニーに駆け寄ろうとしたが、首元に鋭く尖った黒い指が触れた瞬間動きを止めた。
「……ジャックっ。」
クロエは恐る恐るジャックの方に顔を向いた。ジャックはクロエをクロエと認識していないのか、鋭い目付きでクロエを見下ろしていた。
「……あたしを殺したら、あなたも死ぬのよ?忘れたの?」
「……知るか。」
ジャックは右手でクロエの首を掴み、上に持ち上げた。
「くっ!?」
クロエはジャックの手を掴み、必死に逃れようともがいた。それに一切揺るがず、ジャックはクロエを壁に投げつけた。
「きゃっ!!」
クロエはドサッと床に倒れ込み、動けなくなった。それにトドメを刺そうと!ジャックは更に指を尖らせながらクロエに近づいてきた。
「……全部守る……死んでも守る…それが俺の役目……邪魔すんじゃねぇ。」
ジャックはボタボタと血を流しながらも、一歩一歩しっかりと足を動かしながらそうはっきり言った。
「っ……全部って、他に何を……っ。」
クロエは必死に腕を動かしてジャックから逃れようとしたが、それを待たずしてジャックが地面を蹴り、クロエに腕を振り下ろした。
「っ……ジョーカーッ!!!」
瓦礫に埋もれ、身動き出来ないロニーは必死に手を伸ばし、ジャックに向かって思わずそう叫んだ。クロエの目をつぶることもできず、変わり果てたジャックの姿を見つめることしかできなかった。しかし、ジャックの指がクロエに届く寸前、ジャックとクロエの間に一つの懐中時計が投げ込まれた。
「……?」
ジャックがそれを認識した瞬間、懐中時計はパカッと開き、強い光を放った。
「っ!?」
「……全く、嫌な予感が的中した。」
この声が聞こえると、光はいくつもの時計の形になり、ジャックの体を囲んだ。そしてその時計の針は通常とは逆に回り出した。
「……。」
その間、ジャックはだんだん目の色が元に戻り、体から力が抜けていった。
「この時計……!」
クロエが横に振り向くと、そこにはゼウスを逃がした男、ロナウドが立っていた。
「やっぱり!!ジャックに何したの!?」
クロエはジャックが殺されると思い、慌てて宙に浮かぶ懐中時計に触れようとした。
「おやめ下さい。私はその方を殺すつもりは毛頭ない。できる限り傷の部分の時間を戻し、回復させているだけです。」
ロナウドは丁寧に説明しながらロニーの方に歩み寄り、体の上に乗っかっている瓦礫を丁寧にどかした。
「お怪我はありませんか……と聞く前に、明らかにありますね。」
そう言ってロナウドはロニーに手を差し伸べた。
「あ、ありがとう……。」
ロニーはその手を取り、ゆっくりと立ち上がった。ロニーは頭から少し血を流していたが、あれだけの衝撃を受けていてもどこも折れたりしていなかった。
「ジュニちゃんは……?」
「もう暴走は止まったようですが、残念ながら傷が酷すぎて私の残りの力では完治できませんね。暫くは昏睡状態になるでしょう。」
ロニーはクロエのもとに戻ってくるとジャックの様子を伺った。ロナウドは冷静にジャックの容態を説明しながら懐中時計を確認した。懐中時計の針の動きはだいぶ鈍くなり、もうすぐ止まりそうだった。
「……もう少し回復させることができれば良かったのですが、以前貴女方からあの馬鹿を逃がすために力を使ってからそう時間が経っていないもので。」
そう言ってロナウドは針が止まる寸前で懐中時計を手に取り、パタッと蓋を閉じた。その瞬間ジャックを囲んでいた光の時計が消え、ジャックはよろっと前に倒れそうになった。
「おっと。」
ロナウドはジャックの体を受け止め、ゆっくりと床に寝かせた。ジャックはいつの間にか気絶しており、ぐったりとしていた。クロエはジャックの頭をそっと支えた。
「ジャック……。」
「あの殺人鬼も戻ってくる頃でしょう。早めに退散なさってください。私はこれで……。」
ロナウドはそう忠告すると、その場を立ち去ろうとした。
「待って。」
クロエはロナウドを呼び止めた。ロナウドは背を向けたまま立ち止まった。
「……何か?」
「何で助けてくれたの?ジャックをこんなふうにしたのはあなた達なのに……一体何がしたいの!?」
クロエは薄ら目に涙を浮かべながら怒りを顕にした。ロナウドは暫く黙ったあと、口を開いた。
「……勘違いしないでいただきたい。彼の目的はあくまで別のもの…貴女方は裁きの対象であり、目的の駒であっただけ。その駒が死ねば、彼の目的は達成出来なくなる……ただそれだけの事です。」
「目的……?」
ロニーは眉をピクリと動かし、瞳を細めてロナウドを睨んだ。
「目的に関しましては残念ながら秘密事項ですので、お答えは出来かねます。」
ロナウドは顔だけ振り向き、ジャックの顔を見つめると瞳を細めて呟いた。
「まぁ、私の個人的な考えとして言わせれば、その方は私の…のようなものでありますから。」
肝心の部分はクロエ達には聞こえなかったが、それを言ったあと僅かにロナウドの灰色の瞳が蒼く光ったのだけははっきりとわかった。ロナウドは暫くジャックを見つめたあと、瞳を閉じて軽く会釈をし、再び歩き出してその場を去ってしまった。
「…何なのよ、目的とか駒とか…。」
クロエは悔しそうに俯き、そっとジャックの頬を撫でた。
「でも、奴らがクロエちゃんとジュニちゃんを殺すつもりが無いのは明確になったわね。」
ロニーは腕を組みながらロナウドが去っていった方を見つめて言った。
「何だかおかしいと思ったのよねぇ。赤の他人であるクロエちゃんが呪いにかけられたあとジュニちゃんと接触し、その後すぐジュニちゃんが呪いをかけられ、その命を繋ぐ対象がクロエちゃんだったなんて……出来すぎてる。」
「もしかして、あたしが水晶で腕のいい殺人鬼を占ってジャックが出てきたのは、あいつらが仕組んだことだった……?」
クロエはハッとしてロニーの方を見た。
「わからないけど……可能性は高い。最初からこの状況を作り出そうとしてたなら辻褄が合うわ。だけど、ジュニちゃんとクロエちゃんを襲った殺人鬼に関しては、もしかしたら予想外の事だったのかも。だから慌てて助けに来た。目的が達成出来なくなるからね。」
ロニーは頷き、淡々と解析した。
「……何だかムカつくわね。そこまで手のひらで転がされてただなんて……。」
クロエはムッと頬を膨らまし、再びジャックの顔を見つめた。
「……大体、裁きの対象だったって、あたしとジャックの共通の罪があるってことでしょ?一体何が一緒なのかしら…。」
「さぁね……クロエちゃんはともかく、ジュニちゃんはきっと自分のことは聞いても答えてはくれないだろうから…。」
ロニーは苦笑いし、辺りを見渡した。
「……さっきのロナウド?って人が言ってた通り、すぐ殺人鬼が戻ってくるわ。急いで戻りましょ。」
「……うん。」
ロニーはジャックを背に背負い、クロエはそのあとをちょこちょことついて行った。ジャックはまるで死んでいるかのように体が冷たく、苦しげな表情を崩さなかった。
~時計塔の屋上~
「……なーんか、ベラベラと話してきたんじゃないのぉ?」
先に戻ってきていたゼウスは、不機嫌そうに頬を膨らませながら扉を開けて屋上に入ってきたロナウドに問いかけた。
「はて、何のことやら。」
ロナウドは表情を崩さず、軽く誤魔化しながらゼウスの方に歩み寄った。ゼウスは全てお見通しだと言うようにため息をつき、頬杖をついて町を見下ろした。
「僕に隠し事できると思わないことだね。何?私にとって孫のようだって?何サラッと言っちゃってんの?」
「バレてるのであれば隠す必要もありませんね。実際そうなのですからいいではないですか、それに向こうは聞き取れてませんから。」
「そういう問題じゃないから。てか聞き取れてたらどうするの?君と彼の関係がバレれば、僕だってバレかねないんだから。」
「……あの方々は、頭が切れますが裏の裏を読みすぎて変な風に考えるタイプですよ。今頃あなたのこと『初代切り裂きジャックの兄弟か何か』だと勘違いしてますよ。」
ロナウドは全く悪びれる様子もなく、淡々と言った。ゼウスは余計ムカッとし、ギロっとロナウドを睨みつけた。
「……だからジジィは甘いんだよ。」
「それは考えですか?それとも孫に対して…ですか?」
「両方だよ!とにかく、今後は発言に気をつけること!!」
ゼウスはビシッとロナウドに指を指した。ロナウドはやれやれとため息をつきながらその指を軽く払いのけた。
「はいはい……。そんなことより、あの殺人鬼の方はどうだったんです?」
「また君はそんなことと……ま、僕の予想通り、男の方はいい方向に向かってるよ。一人、犠牲が出たけどね……。」
そこまで言うと、ゼウスは少し悲しげに瞳を細め、再び町を見下ろした。
「犠牲?殺人鬼がやったのですか?」
「いや、あの化物だ。いよいよ生きてる人間と見分けがつかなくなってきたよ。どうやらそろそろ仕掛けるつもりだ。」
「……切り裂きジャックの血が、流れたからですか?」
「……それだけじゃない。今頃あちこちに潜んで一般人も手にかけ始めてる筈…僕の予想より遥かに早いスピードで力を蓄え、計画を進めてるようだ。」
「……いつも一人で、やろうとするからですよ。」
「……!」
若干焦りを隠せない様子のゼウスに、ロナウドはそう呟きながらポンッと頭に手を置いた。ゼウスは少しビクッと肩を震わせ、驚いた表情でロナウドを見た。
「『あの日』も、そうでした。私に隠して一人で……「最期まで付き合え」と言ったのは、貴方でしょう?」
ロナウドは初めて硬い表情を崩し、少し意地悪そうに笑って見せた。
「貴方様の計画……この私があんな雑魚どもに潰させはしませんよ。」
「……ロナウド。」
ゼウスは少し照れくさそうに顔を背け、ぼそっと呟いた。
「あ、ありがと……」
「というか、いつも計算が甘いんですよ。どこからその自信が来てるのやら……。」
ロナウドは勇気を振り絞って礼を言おうとしたゼウスの言葉をぶち壊すように罵った。ゼウスは顔を引き攣らせながらロナウドを睨みつけた。
「君ってやつは……どうしてそう簡単に僕を傷つけるんだい……っ!」
「本当のことを申しているだけでございます。ほら、予想より事が進んでいるのでしょう?時間はありませんよ、さっさと行きますよのろま。」
「…………ロ〜ナ〜ウ〜ドォオオオ!!!」
毒を吐いてさっさと歩き出すロナウドの後ろを、ゼウスは怒鳴りながら走って追いかけた。
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