第15話 罪を裁きし神

~その頃~


一方、クロエは傷を押さえながら必死にロニーを探し回った。ジャックにただならぬ事が起きるのではという考えが頭をよぎり、気が気でなかった。


「ロニー……どこなの、ロニー…っ!!」


「クロエちゃん!?」


クロエが必死に叫ぶと、道の曲がり角からロニーが走ってきた。相当探し回っていたのか、大分息が切れていた。


「ロニー…!!」


「よかった…すごく心配したんだから!!どうしたの、その怪我は!?」


ロニーはクロエに駆け寄り、傷をハンカチで押さえた。


「変な二人組に捕まって…ジャックに挑発するためにやられたの…。ロニー、ジャックが危ないの…何故かすごい嫌な予感がするのよ…!」


クロエはロニーの腕を掴み、必死に訴えかけた。ロニーはクロエの手に触れながら頷いた。


「それはあたしも一緒よ。何故か胸騒ぎがしていたの…でも今あたし達が行っても返り討ちにされるはずだわ。取り敢えずジュニちゃんを信じて、手当をしながら策を練りましょう。大丈夫…あなたが死なない限り、ジュニちゃんは生きている。そうでしょ?」


「……そうね。今はジャックを、信じるわ…。」


クロエは渋々頷き、ロニーの言うことに従うことにした。ロニーは微笑み、そっとクロエを抱えた。


「さ、もう雨が降ってきたわ。あの化け物が出る前に……、」


ロニーが言い終わる前に、例の化け物が地面からゆらりと現れ始め、ロニーとクロエの周りを取り囲んだ。


「っ!言ったそばから…!!」


ロニーは歯軋りをし、クロエをぎゅっと抱きしめた。


「こんな状況じゃ、戦っても埒が明かないわ…クロエちゃん、しっかり捕まってて。」


「ロニー……。」


クロエは心配そうにロニーを見つめながら、しっかりとしがみついた。化け物達が一斉に二人に襲い掛かると、ロニーはタイミングを見計らって僅かな隙間から逃げ出した。


「くっ……!」


ロニーは僅かに頬が切れたが、構わず安全な場所へ走った。しかし、一本道になった所で、正面にも化け物達が現れた。先程の化け物達もすぐに二人に追いつき、挟み撃ち状態になってしまった。


「……逃げ場が無いわ…っ。」


ロニーは焦りの表情を見せながら、壁際に後退りをした。化け物達は二人を追い詰めるようにジリジリと近付き、一斉に襲いかかった。


「っ……ジョーカー……っ!!」


ロニーは庇うようにクロエを抱きしめ、ぎゅっと目をつぶってそう呟いた。


「……レディーに手を出すなんて、なってないよ?君達!」


するとクロエにとって聞き覚えのある声が聞こえ、強い光が辺りを包んだ。化け物達は苦しそうに鳴きながらその声の方を振り返った。


「この声は…!?」


クロエは眩しそうに目を細めながら同じように声のした方を見た。そこには自分に呪いを掛けた男が手から光を放ちながら立っていた。


「やぁ、また会ったねお嬢さん。助けに来てあげたよ?」


男はニコッと笑い、パッと光を消すと反撃してきた化け物達に向かって一の字を書くように手をかざした。すると化け物達は謎の力によって一気に横へ吹き飛ばされた。


「なっ…!?」


ロニーはその光景を見て唖然とした。クロエも驚きを隠せず、吹き飛ばされた化け物達を見つめた。


「全く…死者でもレディーは傷つけちゃいけないでしょ?あの世で教わらなかったのかい?」


当の本人は余裕そうにベラベラと独り言を言っていた。クロエはキッと男を睨みつけた。


「一体どういうつもり?あたし達を助けるなんて…!」


「どういうつもりも何も…僕は女性が困っていると助けないと気が済まないのさ。それが大罪人でも、泣いて懺悔するなら救いの手を差し伸べるさ。」


「何それ…スーパーマンのつもり?」


クロエは汚いものを見るように男を睨みながらロニーから降りた。男はふっと笑い、手をポケットに突っ込んで言った。


「……僕は、神様さ。」


「…なんですって?」


ロニーは化け物達を警戒しながら、その言葉に耳を疑った。


「神……僕は君達人間が大好きな神様。」


男は気味悪く笑い、二人を見下すように見つめた。


「僕の名前はゼウス…罪を裁く神、罪人達のためにこの地に降り立った神さ。」


「…そんな嘘、誰が信じるもんですか。」


クロエは怒りを露にし、神を名乗る男…ゼウスをぎろっと睨んだ。


「神なんて存在しない…神がいるのなら、あたしは神に散々裏切られた!いくら願っても、神は助けてなんてくれなかった!!」


「だから、僕は救うよ。」


ゼウスは急に優しい表情になり、静かにそう言った。クロエは目を見開き、声が出なくなった。


「罪人を裁くことというのは、罪人の『罪』を取り除くってこと。『罪』を取り除かれた罪人はただの人となる……僕は君達を『罪』の鎖から解き放つためにここにいるんだ。」


「何言ってるの。現にクロエちゃん達に呪いをかけて苦しめてるじゃないの、これのどこが救いなの?」


ロニーは不服そうに腕を組んでゼウスを睨んだ。


「馬鹿だなぁ。罪人の『罪』をただで取り除いてあげるだなんて、気前が良すぎるんじゃない?取り除くには、己の『罪』を自覚し、しっかり償わないといけない……呪いをかけることで己の『罪』を自覚し償うチャンスを与えたんじゃないか。ま、そのチャンスも無駄にしようとしている輩もいるけどね?」


ゼウスはクスッと笑い、チラッとクロエを見た。クロエはハッと我に返り、再びゼウスを睨んだ。


「さて、無駄話をしにここに来たんじゃないんだよ。この死者達をどうにかしないと…。」


ゼウスは再び動き出した化け物達の方に体を向けた。


「…死者達って…?」


ロニーは眉をぴくりと動かし、化け物達を見た。


「彼らはこの国の『罪』の結晶…とでも言っておこうかな?この国に流れた何百万もの死者の血が、時を経て動き始めたんだ。『忘れられた歴史』を、取り戻すために…。」


「っ!!」


ロニーはその言葉に反応し、息を飲んだ。クロエの方はよくわかっていないようで、首を傾げていた。


「死んでも死にきれないだろうね……何故彼らが死んだかを、この国は忘れようと…いや、消そうとしてるんだから。」


ゼウスは瞳を細め、襲い掛かってくる化け物達に手を向けた。


「だからと言って、既に死んだ者が今を生きる人間を殺していいはずがないんだよ。」


ゼウスはそう言うと再び光を放った。すぐにその光は円を描き、巨大な魔方陣を描き出した。それに化け物達が攻撃をしてくると、魔方陣は盾の役割を果たし、その攻撃を食い止めた。力と力が対立し、鋭い音をたてながら火花が辺りに飛び散った。


「くっ……流石にこの数だとこの程度じゃ甘かったかな?全く君達の力は底知れないね…っ!」


ゼウスはもう片方の手にも別の魔方陣を描き出し、そこから蒼い焔を生み出した。


「まぁ直に君達を成仏させてあげるからさ……その時までちょっと大人しくしといてくれないかな!?」


ゼウスは盾の魔方陣を消すと同時に、焔を化け物達に向かって放った。焔は凄まじく燃え盛り、化け物達をあっという間に飲み込んでしまった。


「ギィアァアアッッッ!!!!」


化け物達は奇声を放ちながら苦しみ、消えかけながらもまた地面に沈んでいった。


「んー、完全には力を消耗し切れなかったか。まぁあれで全部ではないし、あまり意味はないか。」


ゼウスはパンパンと手を払いながらブツブツと独り言を呟いた。ゼウスの力を見た二人はまた唖然としていた。


「……本当に神なのかしら。」


「う、嘘よそんなの……どっかの凄腕の魔法使いよ。」


ロニーとクロエは少し引きながらコソコソと話した。ゼウスはむすっとしながら二人を見た。


「別に信じようが信じまいがどっちだっていいけど、一応助けてあげたんだからお礼ぐらい言ってほしいもんだね。」


「お礼なんか言わないわよ。言ってほしいならジュニちゃんとクロエちゃんの呪いを解きなさい。」


ロニーはクロエを背中に隠し、拳を構えた。


「うわ…ちょっ…!?」


「それでも解かないっていうなら、あたしがあんたの頭殴り潰すわよ!」


「キャー、ロニーカッコイイーやれやれー。」


クロエはふざけた調子でロニーの応援をした。ゼウスはやれやれと苦笑いしながら後退りした。


「いやいや…君に殴られたらこの僕でもやばいと思うし…ね?それに僕には呪いを解くことは出来ないし…、」


「あん?」


ロニーはいつもの女性の声ではなく、恐らく地声である低い声でガラ悪く聞き返した。ゼウスは冷や汗をかきながら、首に巻いたマフラーをクイッと口元まで上げた。


「あはは……参ったな…。」


「っ!?」


ロニーはそのマフラーと仕草を見ると、目を見開いた。


「……あんた、なんでそのマフラーを持ってるの…。」


「……え?」


ゼウスは一瞬言葉の意味が理解出来ず、上手く返事ができなかった。


「なんでって……そりゃ僕のものだからだよ。」


「嘘、あんたのものの筈がない。」


ロニーはハッキリとした口調で言った。


「その水色のマフラー、端にMの文字と太陽と月の刺繍がしてある…マリアがジャックにあげたマフラーよ。」


「そ、そんな…同じものぐらい僕が着けてたっておかしくないじゃないか。」


ゼウスはさらに鼻の上までマフラーを上げ、何やら焦っている様子だった。


「それと同じものはないわ。だってそれはマリアの祖母が自分で作ったものなんだから。それに、あなたのその仕草…ジャックの癖よね。」


「…ジャックって、お父さんの方の?」


クロエはチラッとロニーを見て尋ねた。


「そうよ……この際、ややこしいからジョーカーって言った方がいいわね。」


ロニーは頷き、ふと瞳を細めた。


「……この名前、あまり呼ばれたくなかったみたいだからね。」


「……。」


ゼウスは隙を見て退散しようとしていたが、それに気付いたロニーは足元に落ちていた小石を拾い上げ、思い切りゼウスの顔目掛けて投げつけた。ゼウスは血の気が引き、ギリギリの所で避けた。


「ひっ……。」


小石は後ろの壁にぶつかり、粉々に粉砕した。それだけでなく、壁の一部もパラパラと崩れていた。


「……あれ当たったら死んでたわね…。」


クロエはプルプルと震えながら壁を見つめるゼウスを少し憐れんだ。


「あたしに拳を握らせたら敵わないってことも知ってたみたいだし…、」


ロニーはゆっくりゼウスに歩み寄りながら、質問を投げかけた。


「あなた……本当は、誰なの…?」


「……ロナウドっ!!」


ゼウスは大声でロナウドを呼んだ。すると上からロナウドが飛び降りてきて、ロニーとゼウスの間に降り立った。そして手にしていた懐中時計をパカッと開き、それをロニーの方に投げた。


「全く、手のかかる人だ。」


ロナウドがそう言うと、懐中時計から鋭い光が放たれ、ロニーが目をつぶった瞬間に二人の姿が消えてしまった。


「っ!?」


「消えた…?」


二人は辺りを見渡したが、懐中時計すら見つからなかった。


「……逃がしちゃったわね。」


ロニーは苦笑いしながら、クロエの方を振り返った。その表情の裏に何かを秘めていることを、クロエは察した。


「ロニー、大丈夫……?」


「ええ、大丈夫。馬鹿よね、あれがジョーカーなわけ……いや、ジョーカーが生きているわけないのに。」


ロニーは泣き出しそうな声で、小さく呟いた。


「……ジャックのお父さんも、亡くなってるのね。お母さんは知ってたけど……。」


クロエは少し気まずそうにしながら言った。ロニーは首を横に振り、遠くの方を見つめた。その先には今は政府の本拠地になっている、かつての王家の城が見えた。


「正式には、生きてるか死んでるか分からないのよ…。ジョーカーはこの国の王を相手に、一人で戦ったわ。王の軍勢はそれは凄い実力を持った者の集まりだった。でも結果は王の負け……王は死に、軍勢は全員戦えない程度に負傷していた。でも、ジョーカーは見つからず、見つかったのはジョーカーの夥しい量の血だけ……。どこかへ引き摺られた形跡も無く、ただ一箇所に血溜まりができていただけだったの。」


「……どうして、ジョーカーは王と戦うことになったの?王と戦うなんて、国と戦ってるのと一緒じゃない。」


クロエは不思議そうに首を傾げた。ロニーは困ったように笑い、クロエの頭を撫でながら言った。


「理由を話せば、長くなるわ。まずは店に戻って、手当しながらジュニちゃんを助ける作戦を練らないと。」


「……そうね、わかった。」


クロエは頷き、差し出されたロニーの手を握った。そして二人は急いで店に戻っていった。





~時計台の屋上~


「全く貴方という人は……あれほど派手に動くなと忠告しておいたというのに。」


不思議な力を使ってゼウスを救出したロナウドは、抱えていたゼウスをそっと下ろした。ゼウスはため息を吐きながら足を組んで座った。その様子は完全に参っていたようだ。


「今回ばかりは忠告を聞いておけばよかったと心底思ったよ…。普段はうるさいだけなのに。」


「殴られたいんですか?」


「冗談だよ、こんなに弱ってる僕にそんな怖いこと言わないで。」


ゼウスは本気で殴ろうと拳を握るロナウドを制し、頭を壁に凭れさせた。


「……まさか彼女がこのマフラーに気がつくとはね…。迂闊だった。」


「…完全にマフラー着けてる事、忘れてたんでしょう?」


ロナウドは呆れたようにため息を吐き、額に手を当てた。


「あははっ、バレた?」


ゼウスは苦笑いし、マフラーをクイッと持ち上げて口元を隠した。


「ロナウドだって、たまに眼鏡着けてる事忘れるじゃん?元々視力よかったから。」


「……老眼は気にしてるので、触れないでください。」


「いやまだ老眼って言ってないんだけど?」


ゼウスはくすりと笑い、ゆっくりと立ち上がった。


「まぁ、これから彼女と……あと彼に関わる時はもっと気をつけることにするよ。」


「そうして下さると、助かります。私のこの能力だって、いつでも使える訳ではないのですからね。「ロナウド!助けて!」と言われても時を止めてそさくさと逃げられない時もあるのですよ?」


「ハイハイ、スミマセンデシタ。」


「…本当にお願いしますよ。」


ロナウドはやれやれと頭を振り、いつの間にか回収していた懐中時計をズボンのポケットに突っ込んだ。


「そんな事より……あの黒い者達、そろそろ本気になってますね。」


「僕が小石で脳天貫かれてたかもしれなかったのに、そんな事って何?」


ゼウスの鋭い目線を無視し、ロナウドは目を細めながら町を見下ろした。


「切り裂きジャックも我々が思っている以上の状況になってしまっている……このまま放っておけば、鍵となるあの娘も殺られ、切り裂きジャックもそこで終わってしまいますぞ?貴方様の『作戦』も、あの二人がいなければ失敗してしまいます。」


「わかってるよ、そんなことは。今のところ、まだ化け物共は僕の力を一発喰らえば怯む程度だ。まだ時間はあるよ。」


ゼウスも町を見渡すようにみて、そう言った。


「だが、あの人間兵器が蘇ったことで、新たにこの地に血が流れれば…その分時間は早く進んでしまう。それまでに切り裂きジャックにはこの国の罪に気付いてもらわないと……、」


ゼウスはニヤリと笑い、両手を広げて空を仰いだ。


「この国に、裁きを下せなくなってしまう。切り裂きジャックに消えてもらうのは、この国に裁きを下したその後なんだからさ。」


「……それで、どうなさるのですか?直接助けに行きますか?」


ロナウドはゼウスの言葉を急かすように尋ねた。しかしゼウスは首を横に振り、ロナウドを見た。


「まだまだ、甘やかす訳にはいかないよ。クロエが死ななければ、切り裂きジャックは死なないんだし、彼女だけ守ればなんとかなるよ。問題はあの人間兵器夫婦をどうやって止めるかだ。どうせまともに話は通じないだろうし、敵に回すにしても厄介な相手……殺すにしても、多分今は不死身だろうね。」


「不死身ですか。それはまた厄介過ぎますな……。様子を伺っていたところ、男の方はかなり血に飢えていた様ですし。」


ロナウドは顎に手を添え、深刻そうな顔をした。


「いや…彼はまだマシだよ。どちらかと言うと、厄介なのは女性の方だ。彼女からはどこからか闇を感じる…深くて暗い思いが、彼女の心にある気がする。」


ゼウスは目を細め、静かにそう言った。


「……化け物共の、『餌』にならないといいけど。」


「…確か、彼らは流れた血の中に秘められた憎しみや怒り……所謂負の感情を糧に力を強めるのでしたか?」


ロナウドは内ポケットに入れてあった手帳を開き、メモを見ながら確認した。ゼウスは頷き、街に背を向けて時計台の巨大な時計を見た。


「そう…そして失われた過去……自分達が生きていたという証を取り戻すために、過去を繰り返す。彼らはまだ、『戦争時代』の中にいるようなものさ。人を殺してきた戦争の記憶が、彼らの生きてきた唯一の証なんだ。」


ゼウスは暫く目を閉じると、深く呼吸をしてからロナウドにニコッと笑いかけた。


「でも好き勝手やられるのは困るからね。ロナウドは彼女、クロエの命を守ること。僕はあの夫婦を監視しておくから。」


「…かしこまりました。くれぐれもお気を付けて。」


ロナウドはそう言って胸に手を当てお辞儀をすると、一瞬にして姿を消した。ゼウスはそれを見届けると、これまた風のように消えた。

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