第6話 クロエの過去

クロエは夢を見ていた。それは自分がまだ子供の姿になる前の記憶だった。年齢は二十歳ぐらいで、随分大人びた女性だった。腕には沢山の紙袋がぶら下がっており、隣の男に首飾りをねだっていた。


(あぁ…。あたしが男を騙し始めて、大分慣れてきた頃ね。こんなこと思い出すなんて、何だか死に際みたい。)


クロエはそれを遠目から見つめていた。あの頃はまだ気持ち的にも余裕があり、次々と男を捕まえてはヒモにしていた。だが次第に、人を本気で愛する事など忘れてしまった。自分が騙されていたと分かった男は、途端に激怒し、今までの優しさなどは消え去った。クロエはそれがひどく気に入らなかった。愛しているなら、騙されていたって愛せばいいのに、結局は相手も見返りが欲しいだけなのだ。そう思うようになった時、クロエの心は黒く染まっていった。


(愛なんて、馬鹿な話…結局信じられるものなんてない。裏切り、裏切られる世界…あたしが裏切ると同時に、相手もあたしを裏切る…。それで、いいのよ。)


いつの間にか夢の世界は更に遡り、クロエがまだ少女の頃の記憶になっていた。クロエは広い草原で少年と遊んでいた。とても幸せそうで、近くにいる二人の家族も微笑ましそうに見つめていた。あの頃は純粋な愛がクロエの周りに溢れていた。しかし、ある日…彼は曇天の空の下で、死んだ。本来ならクロエが同じ場所で死ぬ筈だった。クロエは少年に嘘をつかれたことに腹を立てて喧嘩をし、家を飛び出した。そしていつもの草原で泣き、遂には崖から落ちようと身を投げた。だが追いかけてきた少年はクロエの腕を引っ張って阻止し、クロエに謝罪するために自ら崖に飛び込んでしまったのだ。その少年がついた嘘は、本当は彼には既に親が決めた婚約者がいたという事だった。だが少年は、クロエと結ばれたいと思い、二人で遠くに逃げようと告げようとしていた。だがクロエはそれを最後まで聞くことが出来ずに家を飛び出したのだ。それを水晶を覗いて知ったクロエは、あまりの辛さに声を上げて泣いた。悲しみはそれだけでは終わらず、クロエは少年を殺したと犯人扱いされた。いくら説明しても少年の家族どころか、自分の家族でさえ信じなかった。それどころかクロエの家族は、クロエの優れた才能で裏で金儲けをしていた。それが殺人を犯したとなれば、もう金儲けも出来なくなり、今まで優しかった家族は一変してしまった。そして遂にクロエは皆に崖まで追い詰められ、悪魔と言われながら自分の母親に突き落とされた。今まで信じてきた愛が、全て失われた瞬間だった。何とか一命を取り留めたものの、クロエはもう誰も信じられなかった。


(あれからあたしは死にものぐるいで生きてきた。あたしは家族にまで騙されていた…ならあたしだって人を騙したっていいじゃない。あいつらが裁きを受けなかったのに、何故あたしだけこんな『罪』を背負わなきゃならないの?)


クロエはいつの間にか涙を流していた。それは大切な人を亡くした悲しみではなく、偽りの愛への憎しみだった。


(あたしはもう誰も信じない…この世の人間全て利用して生きていく。どうせ誰もあたしを本気で愛してくれないんだから…。そもそも、愛なんか要らない。優しさも、温もりも…この世は全部嘘で出来てる。なのに…。)


クロエは瞳を閉じながら手を握りしめた。


「どうして…こんなにも彼の腕の中は、優しく温かく感じるの…?『切り裂きジャック』のくせに…酷く残虐な殺人鬼のくせに…。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る