第7話 買い物

翌日、クロエはモゾモゾと体を動かしながら目を覚ました。空を見上げると雨はすっかりやんで、雲一つない晴天だった。


「よう、起きたか?」


まだ寝惚けているクロエの顔を、ジャックはニヤニヤと笑いながら覗き込んだ。


「…面白そうに見るんじゃないわよ。ふぁ~っ、よく寝た…。」


「そりゃよかったな。あんなに文句タラタラ言ってたくせによ。」


ジャックは大きく伸びをすると、立ち上がってズボンの砂を払った。クロエは少しムッとしていたが、ふとくっきりと残っているジャックの腕の痕を見つけた。


「…ずっとあたしを支えながら寝てたの?」


「あ?寝てねぇよ。いつあいつらが入ってくるかわかんねぇし、そもそも雨の日は音が気になって寝れねぇんだよ。」


ジャックはケロッとした様子でそう言うと、肩をコキコキと鳴らしながら周囲を見渡した。


「…朝飯配られてるみてぇだから、取ってきてやるよ。それまでにヨダレ拭いとけよな。」


「んなっ!?」


クロエは慌てて頬を拭いたが、特にヨダレは付いていなかった。


「んもうっ!!ヨダレなんか垂れてないじゃない!!」


ジャックは必死に笑いを堪えながら、朝食を取りに行ってしまった。クロエは恥ずかしそうに頬を赤らめながら、ジャックと同じようにスカートの砂を払った。


「全く…本当に腹が立つわ。どうしてあんな奴を選んじゃったのかしら。」


クロエは階段に座って頬杖をついた。


「……それにしても、あたしったら夢の中でジャックが温かいなんて言ってたわね。何馬鹿げた事をいってたのかしら?」


クロエは空を見つめ、小さくため息をついた。


「…何だか変な気持ち、胸の中がすごくザワザワする。これも全部あいつの呪いのせいだわ…。」


「何でもかんでも呪いのせいにしてんじゃねぇよ。」


ジャックはクロエの耳に冷たい缶を当てた。クロエは肩を震わせ、小さく悲鳴を上げた。


「なっ、何するのよ!?」


クロエは耳を押さえながらジャックを睨んだ。


「気の抜けた顔してるから、目覚ましてやろうと思ってな。んで?何が呪いのせいなんだ?」


ジャックはククッと笑いながら首をかしげた。クロエはふいっと顔を背けた。


「別に、何でもないわよ。」


「ふーん。」


ジャックはクロエの隣に座り、貰ってきたサンドイッチの入った包みを渡した。


「さっき警備の奴らと話してきた。どうやらあのバケモンは街から消えたらしい。安全が確認でき次第、ここから出られるとよ。」


「あらそう…。でも、大丈夫なのかしら?」


クロエは包みを開きながら不安そうに言った。


「あれがいつ出てくるのか、それが分からないことには安心出来ないわ。それに、誰構わず襲いかかるようだし。」


「確かにな…、だがいつまでもここで縮こまってるわけにもいかねぇだろ?」


「そうだけど…。」


「…テメェの事は俺が守ってやるんだ。何も心配ねぇだろ?」


ジャックはそう言うとサンドイッチを頬張った。


「そ、そういう問題じゃないのよ!」


クロエは少し頬を赤くしながら怒鳴った。


「…この街の人が、あんなのに殺されたりするのが嫌なのよ。気が悪いじゃない。」


「お?一応そういう気持ちはあるんだな、自分の事しか考えてねぇと思ってたぜ。」


ジャックは目を見開きながらクロエを見た。


「ふんっ、言ってなさいよ。」


クロエは不機嫌そうにサンドイッチをかじった。そんなクロエを見つめた後、ジャックはふと思いついた。


「…なぁ、こんな騒ぎのあとじゃ、出てくるもんも出てこねぇだろ?だから暫く休みって事であの野郎を忘れて、買い物でもしねぇか?」


「…買い物?」


クロエは少し声のトーンを上げ、ジャックを見つめた。


「あぁ、昨日服買ってやるって言ったしよ。どうせこれからも居候するなら、なんやかんやいるだろ?いい加減揃えた方がいい。」


ジャックは残りのサンドイッチを押し込み、コーヒを飲んだ。クロエは少し機嫌が良くなり、ふっと微笑んだ。


「なら、大金用意しときなさいよ?あたしは何でもこだわってるんだから。」


「…居候のくせに贅沢言いやがって…。」


ジャックは呆れた顔をしながらカラになった缶を握り潰した。





そして昼過ぎ頃、漸く町の安全が確認され、人々は我が家に戻る事を許された。逃げる際に大いに目立ってしまったため、これ以上人の目につかぬよう最後に出ようとしたジャック達に政府の人間が声を掛けた。


「お待ちください。」


「あ?」


ジャックは首だけを振り向かせ、政府の人間を見た。政府の人間はジャックに歩み寄り、ある物を手渡した。それは大きなルビーが嵌められた純金で出来た指輪だった。


「…何だ、この指輪?」


「それは我々政府の許可証代わりです。それがあれば立ち入り禁止の場所でも入れるようになります。拝見させていただいたところ、あの化け物に対抗できるのは、貴方しかいません…恥ずかしい限りですが、お力をお貸し頂きたい。」


「成程、要するにあいつらが出てきたらどこ入ってもいいから退治しろってことか。」


ジャックは指輪を太陽に照らして観察しながら言った。政府の人間は申し訳なさそうな顔をしながら続けた。


「そういわれると辛いものです。我々が守るべき市民に、このような危険な事を頼むわけですから…。それ以外でも、何か調べる必要があれば何かと役に立つはずです。困ったことがあれば、それを見せてください。」


「…ま、お守り程度に貰っとくわ。」


ジャックはそう言って微笑むと、指輪を胸ポケットにしまった。


「我々も何が情報が手に入り次第、ご連絡いたしますので、お名前と電話番号か住所をお教えいただけますか?」


「……あ、あぁ。」


ジャックはそういわれると、急にドキッとして青ざめた。クロエは慌ててジャックの腕を引っ張って耳打ちした。


「安心しなさいよ。今のあんたはただの市民A、名前教えたところで、誰も『切り裂きジャック』という殺人鬼なんて知らないわ。」


「お、おぉ…そうだった。」


ジャックは安心して肩をなでおろし、さっと振り返った。


「俺の名前は…ジャッ、ジャックだ。普通の、ジャック。」


(馬鹿……。)


クロエは呆れた様な顔をした。


「住所と名前はこれに載ってるから。」


「ジャック殿…成程、万屋ですか。何卒、ご協力お願い致します。」


政府の人間はジャックの名刺を受け取ると、きっちり敬礼をした。ジャックは軽くお辞儀して、早足でその場を離れた。クロエがその後ろをちょこちょことついて行ったあと、政府の人間は不思議そうに呟いた。


「…あの娘は、あの方の子供だろうか…?随分若い父親だな…。」





それから数日後、すっかり活気を取り戻した町に、クロエとジャックは買い物に出かけた。空は青々としていて、子供たちはあの恐怖も忘れて無邪気に走っていた。


「すげぇな、数日前化け物が現れた町とは思えねぇぜ。」


ジャックはほのぼのとした表情でその光景を見ていた。


「本当ね~。穏やかというべきか、気が緩いというべきか…。」


クロエは大量に作った買い物リストを見ながら呟いた。ジャックはそれを見ると、呆れたような表情をした。


「…おい、それ本当に全部必要なんだろうな?」


「当たり前じゃないの。」


「必要の意味分かってるのかよ、無かったら生きていけねぇもんだぞ?香水とかアロマとか要らねぇだろうがよ。」


「そこらの女共は無くても生きられるでしょうけど、あたしには必須よ。無かったら生きていけないわ~、そしてあなたもね。」


クロエはにやっと悪そうな笑みを浮かべながらリストをヒラヒラと見せつけた。ジャックは軽く舌打ちをしながらポケットに手を突っ込んだ。


「ほら、行く店は山ほどあるのよ!さっさと行かないと日が暮れるわ!」


「お、おいっ!俺のジャケット引っ張るな!高いんだぞ!?あと走るんじゃねぇ!!」


クロエはジャックのジャケットを引っ張りながら走り出した。ジャックはよろめきながら必死にクロエについて行った。それから二人は店を転々とし、高いブランド品ばかりを買い占めていった。ジャックは片腕にも関わらず荷物を全て持たされ、ほぼ前が見えない状態だった。


「あー、いい買い物したわぁ。少し足が疲れちゃった。」


「…俺は今にも倒れそうだぜ…っ!!」


ご機嫌なクロエをジャックはうらめしそうに睨みつけた。するとクロエはある店の前で立ち止まり、じっと何かを見つめた。


「……。」


(?何見てんだ…?)


無言でガラスの向こうを見つめるクロエをジャックは不思議そうに見つめた。だがやがてクロエは視線をそこから外し、ジャックの方を振り返った。


「さ、一通り買ったから戻りましょう。早速模様替えしなきゃ。」


「…あーあ、俺の家が段々狭くなる…。」


「うるさいわね、なら大きい家に引越しなさい。」


「何でテメェのために引っ越さなきゃならねぇんだよ!!」


ジャックは再び歩き出したクロエの背中に向かって吐き捨てるように言った。いつもならここで不機嫌そうな顔をするところだが、クロエは何故か今日は楽しそうにその言葉を聞いていた。ジャックはよほど買い物が嬉しかったのだろうかと考えたが、実際どうなのかはよく分からなかった。

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