第5話 忠告

ジャックが子供を助け出している頃、クロエは何とか黒い物体から逃げ出し、噴水広場まで逃げてきた。しかし街の中はそれがあちこちで徘徊しており、避難地域までもかなり距離があった。


「はぁ、はぁ…何なのよあれ!気味が悪いったらありゃしないっ!というか、切り裂きジャックはどこいったのよ!?ちゃんとあたしを守りなさいよ!!」


クロエは噴水のフチに凭れかかり、呼吸を整えた。


「全く…あたしが死んだらその瞬間に死んじゃうのに、どうしてこんな危険に晒すのかしら…。どうせ死ぬなら、可憐な少女をしっかり守り抜いてカッコ良く死になさいよっ。」


クロエがグチグチと文句を言っていると、フワッと噴水の上にあの男が降り立った。


「やぁ、ご機嫌よう、お嬢さん。」


「!?」


クロエはサッと男から距離を置き、きっと睨みつけた。


「あなたは…!!」


「随分と濡れて、可哀想に…。僕の傘に入るかい?」


男が微笑みながら傘を差し出すと、クロエは更に睨みを効かせた。


「誰が入るもんですか!大体、誰のせいでこんなことになってると思ってるの!?さっさと元の姿に戻しなさいよ!」


「それは出来ない相談だ…。何故ならそれは君の罪の証…、君が今まで何をしてきたのかわかっているのかい?」


「…あんなの、騙される方が悪いのよ。」


クロエはそっぽを向いて腕を組んだ。


「どうやら君はまだ懲りていないようだね。それとも、君の『罪』が、納得出来ないのかな?」


男は噴水から飛び降り、フチに座った。


「君の『罪』と、それまでの過去…。天秤にかけたらまだ過去の方が重いとでも?そんなの言い訳だ…それに君は、またもう一つ重い『罪』を犯したことに気付いているかい?」


「…切り裂きジャックを騙して、あなたを殺すために利用している事かしら?」


クロエは薄っすらと笑いながら答えた。


「どちらかと言うと、騙している方だね。僕を殺そうと思うのは勝手だが、彼に嘘をついたことはいただけない…。彼はどう足掻いたって死ぬ運命、それなのに何故生きる希望を与えてしまったんだ?彼にとってそれがどんなものになるのか…それが嘘だと分かった時、君をどうすると思う?彼が、『切り裂きジャック』だと言うことを忘れてはいけないよ。」


「あら、ここにきてあたしの命の心配?」


クロエはフフッと笑い、男を見つめた。


「それなら心配要らないわ?だってあたしを殺したら、彼はその瞬間に死ぬのよ?だからバレたって、あたしを殺したりしないわ。まぁあなたを殺す事もやめてしまうだろうけど、その時はまた違う方法を考えるわ。」


「…やはり君は『切り裂きジャック』を何も理解していないね。」


男は立ち上がり、傘をクロエに無理やり持たせた。


「ちょっと…!」


「彼が真実に気付いた時、君は心の底から罪に苦しみ、一生縛り付けられるだろう…。君の新たな『罪』の証は僕からではなく、彼によって下される…。それまでその余裕な態度でいることだ。」


男はそう言ってクロエの頭を撫でると、霧の中へ姿を消した。


「ちょっと!どういう事なのよ!待ちなさい…っ!!」


クロエが男を追いかけようとした時、後ろから黒い物体が襲いかかってきた。


「っ…!!」


クロエはぎゅっと目をつぶったが、一向に痛みは訪れず、そっと目を開けてみた。そこには攻撃を受け止めているジャックの姿があった。


「ジャック…!」


「ったく…ちょこちょこしやがってこんなところに居やがったのかよ!俺がどんだけ雨の中探したと思ってんだ!!」


ジャックは黒い物体を跳ね返し、左手で切り裂いた。するとそれは煙のように消えていった。


「うるさいわね…!あたしだってどれだけそれに追いかけられたことか!」


「テメェなんかちっせぇんだから、床の下でも隠れときゃいいだろうよ!」


「嫌よ!洋服が汚れるじゃない!!」


「命と服どっちの方が大事なんだよ!?」


「っ…。」


ジャックにそういわれると、クロエは言い返すことができず、ムッとした。


「…どうせそんなに濡れちまったら一緒だろうがよ。服ぐらい、今度買ってやる。」


ジャックはヒョイっとクロエを抱き抱え、あたりを見渡した。


「…言ったわね、あたしはそこら辺の安物なんか着ないから。」


クロエがぼそっと呟くと、ジャックはにっと笑った。


「居候が、文句言ってんじゃねぇよ。」


ジャックは周りに敵がいないことを確認すると、地面を蹴って近くの建物の屋根に飛び乗った。


「キャッ!?」


クロエは目を見開きながらジャックにしがみついた。


「な、なんでこんな高さまで跳べるのよ!?」


「さぁな、俺にも分からねぇが、どうもこの呪いの力らしい。あらゆる身体能力が跳ね上がった。」


ジャックは疾風の如く屋根の上を走り抜け、避難地域までクロエを運んだ。





無事避難地域に辿り着いた二人は、そのままそこで一夜を過ごすことになった。流石に全ての人が建物で過ごすことは出来ず、二人は屋根が大きい建物の裏で休むことにした。


「…しっかし、何だったんだろうな。」


ジャックは支給されたタオルで髪を拭きながら口を開いた。


「さぁ…生きている人間では無いことは確かね。」


クロエは先ほど支給された新しい服に着替えていたが、やはり体が冷えたのか腕を摩っていた。


「そりゃそうだろーよ。あんな真っ黒で目も口もねぇなんて人間じゃねぇよ。」


ジャックは溜息を吐きながら壁に凭れた。


「この呪いがなかったら、それこそ終わってたぜ。あんなのまともにやり合えねぇ。」


「あら、珍しく弱気ね。」


クロエはジャックを見つめた。


「もしかしてオバケとか怖いのかしら?」


「ばっ、馬鹿かテメェ!!俺がそんなの怖いわけねぇだろ!」


ジャックは明らかに動揺しながらそう答えた。


「ふーん。意外とビビリなのね…。あ、もしかして逃げてる時に聞こえた情けない叫び声の持ち主は、あなただったのかしら?」


「はぁ!?ちげぇし、俺叫んでねぇし!」


「あらそ、まぁどうでもいいけど。とにかくもう疲れたわ…。」


クロエは壁に凭れながらうとうとし始めた。


「…こんな汚いところで、しかも外でこんな服で寝るなんて…最悪だわ。寒いし、絶対体痛くなる。」


「文句が多いな、相変わらず。あいつらに襲われないだけましだと思えよ。」


ジャックは上着を脱ぐと、乱暴にクロエにかけた。


「っ……。あなたは寒くないの?」


「俺は真冬に外で寝るなんて全然苦痛じゃねぇから、雨に濡れたぐらいザラじゃねぇよ。」


「…。」


クロエは暫くジャックの顔を見つめたあと、上着をギュッと握りしめながら丸まった。


「…一応言っておくわ。ありがとう……。」


「……おう。」


ジャックは真上の空を見つめながら返事をした。クロエはそれを聞くと、静かに瞳を閉じた。しかし、やはり寒かったのか少し震えていた。


「……世話がやけるお嬢だぜ。」


ジャックはそっとクロエを抱き寄せ、自分の体温で温めた。するとクロエの震えは止まり、やがて健やかな寝息を立て始めた。


「…しかし、あいつの言ってたこいつの過去って、一体何だ?」


実はジャックはクロエを探す途中、クロエと男の会話を途切れ途切れに聞こえていた。そこでクロエが罪を犯す前に何かあったことを悟っていたのだ。


「…ま、俺も話さなかったし、聞くのもあれだからな。気になるが、ほっといてやるか。」


ジャックはフッと微笑み、それから夜明けまで静かに雨を見つめていた。

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