第12話 「冬が来る前に」

 「冬」という言葉を意識すると、条件反射のように浮かぶのがこの歌だ。

 歌詞の内容や曲調が気に入っている、というのとは違う、奇妙な愛着。歌っているのは、「紙ふうせん」。曖昧な記憶ばかり、しかし女性ボーカルの声はよく覚えている。凛として、清々しい印象。

  パラレルワールドにあるこの歌は、「冬が来る前に」とは別の世界を描いている。 

 白い息を吐きつつ、凍てついた道を学校に向かう女生徒。制服の上に深い紺色のコート、マフラーも白い。製紙工場の長い壁に添う並木道に沿い、この歌をハミングしながら歩いている。

 コラージュのように続く、映像。バレリーナ志望の友だちと夢を語り合ったこと。親しい先生たちと喫茶店でおしゃべり。お小遣いで買ったショパンの前奏曲集。バレー部の男子たちと出かけたコバケンの第九コンサート。夜に降り続いた雪。静かに舞い降りて、嫌なものを覆い尽くす。陽が昇れば白銀に輝く全て。誰も足跡をつけていない無垢の道を、女生徒は歩く。

 主人公は、私。思い出補正のような生易しいものではない。パーツとして本当でも全体として捏造した過去だから、普通に幸せである。

 過去は変えられないと言うけれど、記憶の再構築はこのように可能である。そうまでする理由をごく簡単に説明するなら、「機能不全家族」のなかで育ったから。これ以上の説明は気が進まない。とにかく、「冬が来る前に」は、私の記憶を美しく作り変える作用があるのだ。

 私のほの暗い「過去」からの逃亡履歴を少し。一番大きかったのは大学進学で、東京に出たことだ。物理的に「機能不全家族」と距離ができたことで、呪縛が緩くなり救われた。

 その後の紆余曲折を順番に書き綴ってもあまり意味があると思えないので、最近の話をしたい。

 私は夫とともに、夫の大学時代の友人の家を訪ねた。奥様であるSさんとは、しばらくぶりで話した。引っ越されてからは、数年に一度会うぐらい。

 とりとめなく話は流れていき、墓じまいの話に。Sさんは実家の隣に家を建てて、ご主人の両親と家族四人で住んでいた。実兄を早くに亡くしたため、ご主人と自分の両親の面倒を一手に引き受け、忙しい生活をしていた。病院や老人会などへの送り迎え、生活の細々としたことまで献身的に尽くした。やがて、義父と実父を送った。実父の葬儀から三年ほど経て、彼女は実家の墓じまいを決行したのだった。子どもがふたりいるのだから、どちらかが実家の後を継ぐと私は勝手に思っていたので、正直驚いた。

 隣の家の仏壇に、花を供えること。一日のことならさしたることはないが、毎日となれば負担になる。真面目な人だからこそ、中途半端は許せなかった。親戚からは「早すぎる!」と文句を言われたが、彼らが何をしてくれるわけではない。「子どもには苦労をさせたくない」とSさんは、きびきびと言った。

 それから、私たちがそれぞれに熱中していることを話した。

 Sさんは、これからは自分の描いた台本に沿って生きてくのだ、その準備をしているのだと思った。先々費やす虚しい義務から、あらかじめ解放したのだ。私は、とても嬉しく胸がいっぱいになった。

 私も義父母を送ったので、これからの台本は自分で書こう。テーマ曲は、私の最も好きな交響曲、シューマンの「春」で。冬が来る前の今、私は原稿用紙に向かい始めた。








***

お題「冬」1200字エッセイ。11月20日に書き終えました。通っている文章講座の課題です。

「冬が来る前に」を聴きながら、加筆修正したら200字増えてしまいました。

それにしても。久々聴いてみたら、やはり魅力ある歌でした。

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