第5話 シャコンヌの編曲 2/3
バッハの「無伴奏」とつく作品に、あれれ?と思った記憶があります。
何それ? と思っていたら、まんまじゃないの「伴奏」がないってことね。ヴァイオリンならピアノと組合わせるのが最小編成ではないのかな、と。
「無伴奏」に慣れてくると、今度はそれに伴奏をつけるという発想が不思議でした。メンデルスゾーンとシューマンは、その不思議なことをしています。今、メンデルスゾーンのほうを聴きながら書いています。
バッハを崇拝していたふたりのこと、原曲に何か感じるものがあっての伴奏なのか、と思っていたのですが、どうやら違うようのですね。
驚いたことにロマン派の初期は伴奏がないスタイルはあり得ない、とされてたんだって! これ第1話で触れました「時代性」に入るんだろうか。よく分かりませんが、とにかく、バッハを崇拝していたメンデルスゾーンとシューマンは伴奏をつけたんです。おそらく、演奏するのに必要だということで。
先に試みたのは、メンデルスゾーン。1840年ということは31歳のとき。
https://www.youtube.com/watch?v=KA8HL0BydFI
シューマンは1854年、44歳。作曲家生活の終わりごろ。
https://www.youtube.com/watch?v=ZGoIT5VU14k&t=6s
メンデルスゾーンとシューマンは、数年ライプツィヒに住んだ時期が重なっています。両者独身だった1、2年の間は、お昼ご飯やそのほか直接対話する機会がたくさんあったのではないかと思います。
シューマンからクララへの手紙には、「ぼくが彼のところに行くよりも、彼がこちらを訪れるほうが多い」とあるんですね。簡素なシューマンの下宿で、あるいはカフェや食堂や歩きながら、偉大なバッハについてたっぷり話をしたに違いなく。↑の編曲作品や作曲した作品にバッハの影響が色濃く残っていることから、ふたりの並々ならむ思いが伝わり幸せな気持ちになります。
バッハ没後100年にあたる1850年から、バッハ全集の刊行がはじまりました。すでにメンデルスゾーンはいない、シューマンは作曲家生活の最後の地デュッセルドルフへ。ここに至るまでにふたりの貢献も大きかったはずだし、長生きできたら何らかの形で関わり続けたんじゃないかな。
バッハの楽譜が新しく出版されるとともに、バッハ研究が進んでロマン派の後期にはその実りを得ていたのでしょう。バッハ作品かな? というのも含めて集められる。しかし、無伴奏作品の伴奏にあたる楽譜がどこを探しても見つからない。欠けていたのではなく、元々なかったのだ!
ブラームスの親友にして名ヴァイオリニストのヨアヒムが伴奏なしで演奏した背景には、このような流れがあったのではないか、と指摘されています。きっとそうですね。
ブラームスからクララにあてた手紙に、左手編曲の経緯に触れていますので、次回に。
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