不法侵入は速やかに

Takadanobaba city +35.713+139.709

2038-01-10 T 03:28:25 +09:00

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……


さて。

不可侵領域に脚を踏み入れている以上、自身の行動は慎重に慎重を重ねなければならない。

右手の痛みも徐々に収まりつつある。

それでは手早く作業に移るとしよう。


まずは雨に濡れたレインコートを脱ぎ、持参したズタ袋に詰め込んでおく。

履物を靴箱の下にそっと隠し、玄関口から部屋の内部を観察する。

この時間にまだ誰か残っているという状況は考えづらいが、万が一にも遺族と顔を合わせてしまった場合、話を通すのが非常に面倒くさい。

確認できる限り玄関に靴は1足。

部屋に灯りは点っておらず、寝息も聞こえない。


――オーケー、侵入可能と判断。


建物が鉄骨製なので、防音に関してはほぼ懸念する必要すらも感じないが、一応私は母子球ぼしきゅう(足親指の付け根周辺)を柔らかくクッションのように扱い、できる限り足音を立てることなく、フローリングの廊下を抜き足差し足忍び足で通過する。


暖簾のれんの先には、飾らない生の生活が露出していた。

小説、漫画雑誌、腹筋ローラー、扇風機……彼の居住空間六畳間は生前の状態のまま、モノで溢れかえっている。いや、きっと多くの警察関係者が入り込んだ結果、かつて以上に踏み荒らされたのだろう。


それにしても……独り暮らしの家にこれだけ純粋な「紙」媒体のみを保存する環境が構築されていること自体、もはや現代社会では驚嘆に値すると言っても過言ではない。


――繊維式超薄型電子書籍リーダーP A P Y R U Sの台頭によって世界的に推進された紙不要化ペーパーレスというムーブメントは、多くの一般家庭から紙の存在を消し去った。

超薄型太陽光発電パネル、超高画質有機EL、印刷可能不揮発性メモリなど、2020年代を代表する最先端ハードウェア技術達がこれでもかというほどふんだんに組み込まれたPAPYRUSパピルスは、完全なる「紙」の外見を模しながら、たった1枚で本棚10個相当の文字量を記録可能とする。


特にざらざらの紙面上にまるでインクが浮かび上がるような、紙以上に紙の見た目を追求した文字表示方式は独特であり、従来までの無機質な電子書籍リーダーと一線を画していた。

どれだけテクノロジーが加速しようとも人間は外見を重視する。逆に言えば見かけ上の紙という物体を重視していた紙原理主義者ペーパースプレマシスト達も、PAPYRUSに対しては同意せざるを得なかったのだ。

こうしてPAPYRUSの登場は縮退気味だった半導体産業に活力を与え、ほぼ衰退傾向にあった製紙産業に致命的な一撃を与えた。

弱きものはそれよりも弱きものを屠ることで、生き残りの道を見出したのである。


そして現代。

もはや紙という実体で構成された本も、一般人が目にする機会は乏しくなった。

旧来の紙式の本はほとんど自炊スキャンによってデータとして取り込まれ、新刊の本は6 G回線第6世代移動通信システム越しに携帯式VAD端末で決済すれば、何時でも何処でも瞬時にPAPYRUS上でDLダウンロードできる。


2030年代も終わりが近いこの頃、紙が本来担っていた役割は徐々に偽物PAPYRUSへと引き継がれ、本物のそれはひっそり人々の前から姿を消しつつあった。


さて、その一方でこの部屋の主はペーパーレス化の世論に反発するかの如く、紙の書籍に対して強いこだわりを有していた様子が伺える。


「ん?……あぁ、なるほど」

改めて床に散らばった書物を一瞥し、思わず納得してしまった。

それはいわゆる不健全Adults Onlyに該当し、その中でも特にその……ニッチなジャンルの書物達だ。

こういった書物の中でも特に偏った性癖に相当する代物は、ダウンロード販売が禁じられている。彼は生前恐らくネットから情報を調べ上げ、足の付きづらい裏古本屋を探して買い揃えてきたのだろう。よく見るとどの冊子も紙質がボロボロであり、丹念に読み込まれた痕跡を感じ取れる。


前言修正。

証拠: 被害男性は自身の特殊な性欲に対して、強いこだわりを有していた様子が伺える。


改めてざっと部屋を見回してみるとしよう。

この部屋を構成する要素のうち調査対象となりうるのは、【本棚】と、【犯行現場】と……ほう、これはまた懐かしい。レトロな【個人用計算端末パーソナルコンピュータ】だ。


さて、どれから調査を進めていくとしようか。



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