○第二章

「神じゃ」

 は?

 いや、意味が全くわからない。

 月子たちがまだ騒いでいたものの、俺は普通に飯を食って、風呂に入って、歯を磨いて寝たのだ。

 そう、俺は寝たはずだ。だが、目の前にいる初老? それとも子供? いや、よくわからない存在は、一体――

「だから、神と言っておろうが。普段はトラックに轢かれた人などを異世界へ転生することを生業としている、あの神じゃ」

 待って、なんの話!

 ますます意味がわからなくなってきた。いや、目の前の存在が何やら言わんとしていることはわかってきたが、いや、神? 何故神様が俺なんかに用があるんだ?

「そう、そこじゃよ。聞いとったぞぉ。一郎程のラーメンの才能がありながら、その一生をラーメンに捧げんとは何事じゃ!」

 え、説教食らわせるために来たの! 神様が?

「『豊』のラーメンも食べたことがあるのじゃが、一郎が継いでくれるのなら必ずや異世界を救うラーメンが出来るはずじゃというのに」

 だから待って!

「ラーメンの才能の話じゃ」

 いや、本当に待って! なんだよ、ラーメンの才能って……。

 大体、自分のやりたいことはその人の資質ではなく、その人のやりたいという意思で選ぶべきなんじゃないのか?

「なるほどのぉ。何も利点がないのに取り組む気持ちになれないのは、確かにその通りかもしれんのぉ」

 いや神様、そんな話してませんよ俺! 職業の自由とかそういう話してますよ!

「よろしい。では一郎に、ラーメンに対して前向きに取り組めるような力を授けよう」

 え?

 深くにも俺は、この時ときめいてしまった。なにせ、人を異世界に転生させる神様だというのだ。もしそれが本当なら、俺にチート能力を授けてくれるかもしれない。そのチート能力を使えば、俺は楽に生活出来るかもしれない!

 そう思った瞬間、俺の周りをまばゆい光が包んだ。その光が現れた事で、俺はようやく自分に形があることを思い出した。

「ふぉふぉふぉ。今お主に、麺力を与えた」

 め、麺力?

 困惑する俺に、神様は優しく微笑みかける。

「麺力とは、ラーメンの心が、いや、ありたいていに言ってしまえば、ラーメンが擬人化して見える力じゃな」

 呪か何かかな?

「神がこの人ならば! と見込んだラーメンに携わる人間に与えておる力じゃ」

 こんな馬鹿げた力を、俺以外にも押し付けられた人がいるのっ!

「ふぉふぉふぉ。麺力使いは麺力使いに引かれ合う運命なのじゃ」

 その優しい笑い方やめろ!

「神が与えるのはあくまできっかけに過ぎず、麺力の高さはその人が持つ潜在能力とラーメンとの対話によって変化するものじゃ」

 やばい! それっぽいこと言い始めた! 説明し切って帰る気だなっ!

「麺力が高いほどラーメンを理解できる。翻って、美味しいラーメンを作ることが出来るのじゃ。じゃが、逆にラーメンと対話できなくなると、麺力が落ちるので、ラーメンが美味しくなくなるなどの副作用が起こる。注意するのじゃぞ」

 いや、そんな事よりもこの呪いを呪解していけよ!

「む、いかん。まだ至高の一杯の説明が出来ておらんというのに、夜明けが――」

 このふざけた力にまだ先があるのかよ! おい、ふざけんな! こんな力もらっても嬉しくもなんともねぇぞっ!

 

 俺が罵声を全て吐き出す前に、目覚ましの音が聞こえてくる。その音はとても遠く感じるのに、何故だか明瞭に聞こえて――

 

 そして俺は、目を覚ました。

「あ、おはよう! お兄ちゃん。今日はあたしが朝食にラーメンを――」

「わかった、月子。俺が作る」

 目覚まし時計と当たり前のように俺の部屋に入り込んでいた月子を黙らせ、俺は一階の厨房へと降りていく。俺の家は一階が『豊』としてお店に、二階が俺たちが住む居住区となっている。

 しかし、ずいぶんと変な夢を見たものだ。

 寝ぼけた頭を覚ますようにしながら、体を動かしていく。頭を別のことに動かしながらでも、ラーメンを作るのは体が覚えていた。

 神様がなんだか知らないが、麺力? ふざけるのもいい加減にしてほしい。いや、あれは俺の夢なんだ。だとすると、あの夢は俺の願望ってこと? いや、中二の願望でもあれはないだろ。

 そう思い、苦笑いを浮かべた時には、もうものは出来上がっている。俺と月子の二人前。

 器にスープを注ぎ、極細麺を浮かせるように沈める。叉焼二切れにメンマ、ナルトを入れ、刻んだネギを散らせば完成だ。

 そして、完成した時。

 

 その少女が目の前に現れた。

 

「マジかよ」

(マジかよ)

(思っている事と言っている事が全く同じよ、一郎)

 少女はくすくすと笑いながら、俺の周りをぐるりと一周した。明らかに、人間じゃない。というか、まさか――

(まさか、君は、ラーメンなのか?)

(ええ、そうよ。それ以外に何があるっていうの?)

 いや、可能性ならいろいろとありそうなものだが。

 ラーメンが擬人化して俺の目の前にいるだなんて、正直目の前の少女が宇宙人でした、と言われたほうがまだ納得できそうだ。しかもこのラーメン、何故だか委員長系な雰囲気がある。

 でも、昨日のあれは、夢じゃなかった? だったら、この少女は本当に、俺の作ったラーメン!

(もう、だからそう言っているでしょ?)

「お兄ちゃん、まだ出来ないの?」

 少女の形をしたラーメンの中から、月子が現れた。あまりにもショッキングな映像で、俺の心臓は止まりかける。だが、あの様子からして月子にはラーメン? 少女? が見えていないようだ。

「あ、なんだちゃんとあたしの分とお兄ちゃんの分出来てるじゃない」

 ラーメン丼ぶりを見て月子が言った言葉に、俺は衝撃を受けた。そうだ。俺が作ったラーメンが擬人化してしまうということは、ラーメンを作れば作っただけ擬人化されたラーメンがどこかに存在しているということになる。いや、この世全てに存在するラーメンが擬人化して俺には見える可能性もあるのだ。しかし、俺の目の前にはラーメン一丁分しか現れてない。

(もう一丁は?)

(あら、至高の一杯の説明がされていないようね)

 少女はくすくすと笑いながら、月子の中を通り過ぎる。

(思考の一杯は、麺力を持つ人間が作った唯一擬人化して見えるラーメンの事なの。麺力を持っている人の殆どが、自らラーメンを作る人達よ。それなのに、やたらめったら擬人化したんじゃ、麺力を持っている人の視界は、擬人化されたラーメンで埋め尽くされてしまうじゃない)

(どんな地獄絵図だそれは)

(だから、思考の一杯というものが存在しているのよ。麺力を持った人が擬人化出来るラーメンは一杯のみ。そして擬人化したラーメンを見ることが出来るのは、麺力をもつ人間のみ、ってね)

 自分の作ったラーメンから意味不明な力の説明を受けるという謎事態に、俺は一瞬正気を失いかける。しかし、頭に浮かんだ疑問がなんとか俺を正気に保ってくれていた。

(だが、一度作った至高の一杯はその後どうなる? 食べ物なんだから、いずれ腐るだろ)

(食べられなきゃ腐らないわ)

(は?)

(だって、至高の一杯なのよ? 時間が経ってスープの温度が下がる、麺が伸びる、腐って食べれなくなる。そんなもの、一体どこが至高の一杯というの?)

(マジか! 俺は今、地球のエネルギー問題を解決出来る力を持っているんじゃないのか?)

(もちろん、この力の範囲が及ぶのは、ラーメンに限ったときだけよ)

(クソ使えねぇなこの力!)

「お兄ちゃんお兄ちゃん! なんでさっきから地団駄踏んでるの?」

 月子の言葉に、俺ははっとして顔を上げた。そうだ、この場には月子がいたんだった!

「わ、悪いな、月子。お兄ちゃん、ちょっと疲れてるかもしれない」

「え、大丈夫? あ、それでね、あのね、お兄ちゃん。あたし、こっちのラーメンが食べたいんだけど、いいかな?」

「ん?」

 月子が指を指したのを見て、俺は首を傾げた。何故ならその丼ぶりは、いつもは俺が使っている丼ぶりだからだ。

 それを見て、ラーメンが不敵に笑う。

(さすがね、月子ちゃん。本能的に、それが至高の一杯だと見抜いている)

 何がどう流石なのか、全くわからない。

(でも駄目よ、月子ちゃん。これは至高の一杯。その名の通り、高みに至った人間以外、おいそれと私を食べれるものじゃないわ。そ、そうね。誰なら私が食べられてもいいのかといえば、それはやっぱり私を作ってくれた一郎以外ありえな――)

「いいぞ、月子。残さず食べろよ」

(ちょっと待ってよ一郎!)

(……なんだよ。急にもじもじし始めたと思ったら大声出したりして)

(え? なんで? でも、一郎? あれ、私よ? 私なのよ? 私をあなた以外の人に食べられてもいいの!)

(いや、だからだろ。ラーメンは食べ物だ。食べて何が悪い)

 しかも月子が食べたいと言ったのだ。普通に考えて、食べさせない理由がない。

(ほ、本当に? 嘘でしょ、一郎)

(何が嘘なんだよ。お前も食べ物なら、食べられたいはずだろ?)

(だからなのよ!)

 ラーメンが涙目で騒ぎ始めるが、我が妹はもう止まらない。自分の箸を持ってくると、満面の笑みを浮かべた。

「えへへっ。いっただきまーす!」

(一郎! 私は食べ物なの! だからね、美味しく食べられるのがこの上なく幸せなのよ! そして私は至高の一杯なのよ? 美味しく食べられないわけがないじゃない! あぁッ! 駄目、喜んじゃう。一郎以外に食べられてるのに、一郎に見られてるのに、私、嬉しいよぉ。らめぇ! すごい! すごいのぉおおぉかき混ぜちゃぁ、あぁッ! 一郎ぉッ! あだぢぃ、うれぢぃよぉぅ。いぢろぉ以外にでゃべりゃりぇてぃりゅのにぃ、うれぢぐなっぢゃううぅぅぅうううう! らめにゃの、らめにゃのぉおおぉぉにぃぃぃ! いぢろぉぅ、み、みにゃいでぇぇぇ! うれぢぐなっだ、あだぢぃをみにゃいでぇぇぇッ!)

(楽しそうだな、おい)

 美味しそうに俺の作ったラーメンを頬張る月子の横で、俺の作ったラーメンがよがり狂っている。シュールな光景過ぎて、一周回って俺は平常心を保っていた。

 まず、擬人化したラーメンの方だが、月子がラーメンを食べれば食べる程、その姿は薄くなっていく。つまり、擬人化された至高の一杯は残りがある限り擬人化は維持され、食べきれば擬人化は解かれる。まぁ、擬人化する対象が食べてなくなるのであれば、それは当然と言えるだろう。

 では、月子が食べ終わった後はどうだろう?

 俺の麺力はなくなるのだろうか?

 結論から言うと、答えはノーだった。

(もう嫌! 一郎の前であんな恥ずかしい姿、一郎にも見られたくなかったのに! もうお嫁に行けないわ、私っ!)

(ラーメンでも結婚出来るのか)

 どうやら至高の一杯とは、この世に一杯だけしか存在できないが、その一杯がなくなった後なら作り直すことが出来るらしい。泣き叫ぶ擬人化した俺のラーメンを見ながら、俺は深い溜め息をついた。

 いらん能力が出来ちまった。

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