コンパニオンプランツ
景崎 周
コンパニオンプランツ
仕事を終えて部屋に戻ると、いつも通りガラスケースの中で彼女が眠っていた。
小柄な彼女をすっぽりと覆う、ライトつきのドーム型ガラスケース。
温度と湿度を調節されたそこが、彼女の寝床であり楽園でもある。
「ただいま、リア」
囁きながら靴を脱ぎ捨て、部屋の空調を作動させた。
そっと、そうっと。起こさないように。
リアはとても寒がりだから、室温が上がるまでは出してあげられない。
そろそろ適温かな、と思えたのは俺が作業服から部屋着に着替え終えた頃だった。
「リア、リア。帰ったよ」
軽くガラスをノックして名前を呼ぶ。
膝を抱いて眠るリアの目蓋はすぐに震え、緩やかに開かれた。
「ん……」
血潮色の愛くるしい瞳と、俺の地味な灰色が交錯する。
「ヴィン! おかえりなさい!」
顔を
十七の俺と変わらない年ごろの容姿も、仕草故に幼く見える。
まぁ、リアたちは人間とは成長速度が違うから当たり前なのだけれど。
「ただいま」
幼い仕草とは対照的に、胸元は豊かに膨らみ、四肢も柔らかく肉付いている。
悩みに悩んで買い与えた半袖のワンピースもよく似合っていた。
隠すにはもったいない体を見られるのは俺だけ。
コンパニオンプランツの育て主だけの特権だ。
だからこそ皆が求める。
生活を潤すための出費は安くない。
安くないから、誰もが必死に働いて手に入れようとする。
「寒くなかったか?」
「うん、平気。いっぱい寝たからお腹空いちゃった」
朗らかな笑みに俺も頬が緩んでしまった。
「じゃあ、ごはんにするか」
「やった! ヴィンだいすき!」
ガラスケースを開き、リアを部屋へと招く。
四つん這いになって出てきたリアは、飛びかかるように俺に抱きついた。
「ヴィンあったかぁい」
「リアは冷たくて気持ちいな」
耳元で、息を漏らすような笑い声が聞こえる。
押し付けられた胸や、声や、独特の甘い匂いにゾクゾクと身震いしてしまいそうだった。毎日の習慣なのにいつまでも慣れないし、気持ち良い。
これだからコンパニオンプランツは癖になる。
「今日の配給は美味しいものだったら嬉しいな。ここ最近毎日お芋ばっかりでイヤだもん」
「さすがに五日連続マッシュポテトは勘弁してくれだよな」
「お肉かお魚が食べたい! あとパンも!」
ようやく腕が解かれ、俺達は見つめ合う。
「今日は近年稀にみるご馳走だった」
「わーい!」
きらきらと目を輝かせるリアの頭を撫でて、台所へ向かう。
狭いワンルームには簡素な調理スペースが設けられていて、いつもそこで配給品を調理するのだ。
「なんだろなー、なんだろなー!」
「なんだろな」
配給袋を開けてまず出てきたのは俺の顔ほどある黒パン。
政府はしばらくこれで食い繋げ、と言いたいのだろう。
「パン! すごい! 久しぶりだね」
「まだあるぞ」
お次は。
「きゃあああ! おっきい! 美味しそう!」
リア大興奮のヴルストも数日分まとめて与えられた。
太っ腹すぎて恐ろしい。
「これで終了。さて、どうしたい?」
調理法はリアに一任している。
俺より頭が柔らかくて発想が豊かな彼女に任せると、大体美味い飯にありつけるから。
「昨日のマッシュポテトが少しだけ残ってて……パンがあって……」
頭をひねって唸り導き出されたのは。
「こんがり焼いてサンドイッチにする!」
「了解。ちょっと待ってろ」
こうして俺は二人分のサンドイッチもどきを作ったのである。
*****
人間と共に歩める人ならざる存在を。
人間の心を癒し休息を与え、寄り添える存在を。
約十数年前。
高尚な科学者たちは高尚な御託を並べ、新たな生命群『人型キマイラ』を創造した。
その一つが俗にコンパニオンプランツと呼ばれる生物だ。
人間と姿かたちは大差ないが、人間にはない鮮やかな髪と瞳が目印で、性格は非常に温和。
育て主を慕い、話し相手となり、愛を育むことも不可能ではない。
そんな生き物だ。
停滞した世界は新たに生み出された一族を瞬く間に受け入れ、いつしか無くてはならないものとなった。
俺自身、リアのいない生活にはもう戻れないだろう。
毎日他愛もない話を聞いてくれて、悲しみも喜びも共有できて、何より俺だけを見てくれる。
希薄な人間関係を潤す救世主、あるいは理想的な伴侶を世界は欲していたのだと思う。
「ヴィン、私ほっぺたが落ちそう。やっぱりヴィンの料理は世界一だね」
「褒めながら俺のを狙うな。この食いしん坊め」
「むぅ……バレたかぁ」
リアは残念そうに頬を膨らませた。
備え付けのローテーブルを囲んでの食事は、癒しでもあり戦争でもある。
リアは隙あらば俺の皿に手を伸ばそうとしてくるのだ。
本来、コンパニオンプランツは専用の固形食糧のみで生きていけるように造られている。
だから、人と同じ食事を摂ると、ほとんどの個体が体調を崩してしまう。
しかしリアは食虫植物ウツボカズラの一種、ネペンテス・アンプラリアを元に作られており、人間用の食べ物を消化し吸収できる。
寒さと乾燥に非常に敏感で繊細ではあるものの、食卓を共にする喜びを分かち合えるコンパニオンプランツ。
当然の如く大人気種であり、俺がリアを迎え入れられたのは奇跡とも言えるだろう。
「ヴィンの料理が美味しいのがいけないんだもん」
「焼いて挟んだだけだけどな」
パンを切って焼いて、ヴルストを焼いて、マッシュポテトと一緒に挟んだだけ。
まあ、前日まで芋オンリーとかパンオンリーとかばかりだったから、マシではあるかもしれない。
「でも美味しい! 明日も作ってくれる?」
「もちろんお作りいたしますよ、お姫さま」
「やった! 早く帰って来てね」
「ああ、頑張る」
屈託のない微笑みに、苦労も疲労もどこかに吹き飛んでしまう。
明日も明後日も明々後日も、俺はリアのために汗水たらして働くのだ。
「あ。ヴィン、お口のところ、ついてるよ」
見惚れていた顔が近づき、口角に舌が這った。
「んふふ、ごちそうさま」
柔らかくて、冷たくて、息が止まるくらいに扇情的な感触。
ひた隠しにしていた考えが浮上するには充分だった。
至近距離で舌なめずりをする美しい少女を、滅茶苦茶にしたい。
そう思った瞬間。
「きゃっ」
カーテン越しの閃光が視界を白く染め上げた。
「……最近よく降るな」
室内唯一の掃き出し窓は、安物の遮光カーテンで塞がれている。
なのに苛烈な光は俺の目を眩ませた。
「お星さま?」
「と、思う」
落下位置を確認するため、立ち上がってカーテンを開ける。
窓の向こう側。
代り映えのない荒涼とした大地と乱立する塔の合間に、光源を見つけた。
「二キロってとこか」
「これまでで一番近いね」
二人くっついて、景色を眺める。
陽の光を遮る、七色の雪に覆われた景色を。
雪を被ってそそり立つ、おびただしい数の歪な塔を。
人類の醜さが招いた最悪の現実を。
「あっちの塔がいくつかやられてるな」
推定二キロの距離では、大規模な火災が発生していた。
深々と降り積もる雪と塔に遮られても、しっかり視認できる。
自室が高層階だと、こんな時役に立つ。
「人間の居住区があるところ?」
「どうだろう。植物工場かもしれないし、畜産施設かもしれない」
「へぇ」
汚染によって人間は塔の外では暮らせず、塔は降り注ぐ星に脅かされるようになった。
人工衛星とも隕石とも敵国の兵器とも言われるそれは確実に人間を滅し、世界を原初の形へと作り変えている。
「配給減らなきゃいいなぁ」
「減ったら固形食糧に切り替えな」
「やぁーだぁー! あれ美味しくない! ヴィンと同じ食事がしたい!」
リアは口を尖らせて腕に縋り付く。
本来の食餌が嫌とは贅沢な。
「人間用の配給もじきに固形食糧に切り替わるらしいぞ」
「うっ……」
いつかは二人して味のない塊を摂らなければならなくなる。
工場の奴らの噂話だから真偽は定かではないが、遠くない未来には実現してしまうだろう。
「……私はずっとヴィンの手料理が食べたいのに、偉い人はいじわるだね」
「仕方ないさ」
「配給の量もどんどん減ってるのに?」
「食い繋げられるだけでまだ贅沢な部類なんだそうだ。よそでは餓死者が出てるらしいし」
「お腹が空きすぎて死んじゃうの?」
空腹の恐怖からか、リアの柔らかいものが強く押し付けられる。
「ああ。リアも俺も、骸骨みたいにやせ細って動けなくなって、ついには喋れなくなって枯れ死ぬんだ」
ありありと血潮色の瞳に絶望が滲んだ。
口をぎゅっと噤んで、リアは俯く。
「もし」
しばらくして、決意を秘めた眼差しが俺へ注がれる。
「もし、ヴィンの食べるものが無くなって、ヴィンが骸骨みたいになって、死んじゃいそうになったら」
「なったら?」
「……そうなったら、私のことを食べていいよ。きっと美味しいから」
甘ったるくて、真剣で、嘘偽りのない愛の言葉。
これだからコンパニオンプランツは、人型キマイラは世界に受け入れられたのだろう。
「――血の一滴も、内臓の一欠片も残さずに食べてやるよ」
これが彼女と交わせる最上級の誓いだ。
望みを叶えなければならなくなった時、俺は躊躇ってはいけない。
こんなに真摯な願いを無下にするなんて、許されるはずがない。
俺は笑って彼女を殺めなければならない。
「リアはどんな味がするんだろうな」
胸の奥の軋みを隠して、リアの唇を奪う。
強く吸い上げて、舐って、感触を味わった。
唇だけで、こんなにも芳しいのだ。
肉も内臓も血液も、極上品に違いない。
最期の日が来ないように祈りながらも、味を知りたいと思う自分がいた。
リアのためなら労働は苦にならない。
よくわからない鉄の塊を組み立てるのも、異臭のする薬品を運搬するのも、防護服を着て工場外部の清掃をするのも、勤務中に落命した同僚を処理するのも。
全部全部、リアのためなら耐えられる。
俺はリアを手に入れたくて必死に働いた。
今はリアの喜ぶ顔が見たくて必死に仕事を続けている。
これは自ら選択した道だ。
選択したおかげで俺はリアと暮らせているのだ。
部屋に帰れば、朝までずっとリアが隣にいてくれる。
これ以上の贅沢があってたまるか。
退屈な日々を共に生きてくれる存在に、食べてと囁かれる以上の贅沢なんて無いに決まっている。
「んふふ。もしかしたら、ちょっと青臭いかもしれないかな」
唇が離れると、リアは蠱惑的に目を細めた。
「大丈夫。俺別に野菜嫌いじゃないし?」
くすくすとリアは楽しそうに笑う。
俺もつられて口角が上がった、その時。
「っ!」
閃光が再び部屋を純白に染め上げた。
目を焼く光に続いて、地鳴りのような振動が俺たちを床に跪かせる。
星が、間近に落下したのだ。
「リア、怪我は!?」
「いたた……大丈夫だよ」
赤くなった膝を
「明るいね。物語に出てくるお日さまみたい」
照明も空調も機能を停止した。
しかし、室内はかつてないほどの明るさに包まれている。
窓から下を覗けば、のたうち回るように輝く巨大な球体が姿を誇示していた。
周囲の雪を解かし、抉れた地面を更に抉り取りながら。
「に、逃げないと」
でも、どこへ?
塔の下層はすでに轟々と燃え上がり、逃げ場はない。
窓を突き破ってしまえば、雪に肺を焼かれながら落下するだけ。
もう、終わりだ。
「くそっ!」
頭を抱えた同時、また視界が塗り潰される。
「わぁ……」
床にひれ伏した俺たちが見たのは、無数の流星群だった。
絶え間ない閃光と振動が塔を襲い、俺はリアの肩を抱くことしかかなわない。
「すごい……」
対照的に、リアは降り注ぐ星々に目を奪われていた。
「きれい……お星さまってこんなにきれいだったんだね……」
こんな時にらんらんと目を輝かせて「ヴィンもそう思うでしょ?」と俺に微笑みかける。
コンパニオンプランツと人間では五感の感じ方が異なる。
俺には眩しすぎるこの光も、リアの目には幻想的に映っているのかもしれない。
だとしたら、きっと俺は。
「ああ、本当に。リアの次に綺麗だ」
肩を強く抱くと、リアは「んふふ」と体を預けてきた。
リアを食べられないのは残念だけど、最後に寄り添って逝けるのなら、俺は幸せ者だ。
労働者として造られて、家族も、友達も、恋人もいない。
孤独に苛まれながら生きてきた俺を、たった一人愛してくれたコンパニオンプランツ。
他愛もない会話が、食事が、喧嘩が、どれも等しく尊い思い出として記憶に刻み込まれている。
ほら、今だってかけがえのない笑顔がすぐそこにあるじゃないか。
「リア」
伝えなければ。
最後に相応しい言葉を。
「――愛してる」
「私も」
もう何も恐れない。
愛さえあれば何もいらない。
「いつか生まれ変わっても、ずっと一緒にいような」
刹那、世界は漂白された。
コンパニオンプランツ 景崎 周 @0obkbko0
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