第6話 命を削る“ゆりかご”
翌日、卵が一斉にふ化しました。全部で百匹を優に超える数のウジ虫が、彼女の体に宿ったのです。
無邪気で何も考えていないハエの子供たちは、無我夢中で彼女の体を咀嚼しています。
うんちは食物の残渣の塊であると同時に発酵した栄養の宝庫です。
まんま、まんま~。
心なしかそのように聞こえます。ハエの子供たちは、さも満足といった表情で栄養を取り込んでいきます。
可愛い子たち。たんとおあがり。
彼女は本当に聖母のような眼差しで、それを見守っています。
お日様が照る日も、雨が降り注ぐ日も、風が吹きすさぶ日も、彼女は自身をハエの子供たちに与え続けました。
僕は囓られ、消費され、減っていく彼女を、ただ見ていることしかできませんでした。
やがて、何倍にも大きく成長したウジ虫たちは、一匹、また一匹と彼女の体から離れていきます。
ウジ虫たちは乾いた土の上に横たわると茶色くなって硬化し、サナギとなりました。
全てのウジ虫たちがサナギになる頃、彼女の身はもうほとんど欠片しか残っていませんでした。
彼女の目は使命を成し遂げた達成感と共にその光を失いつつありました。
ねぇ。
彼女が今にも消え入りそうな声で話しかけてきました。
私、良い“ゆりかご”でしたか?
えぇ、どのうんちよりもすばらしい“ゆりかご”でした。
“ゆりかご”とはすなわち“生命のゆりかご”。直接、動物の餌となることで彼らの命を育むことなのです。
しかし、安らかに土に還るのとは違い、“ゆりかご”になることは、僕たちうんちの精神に大きな負荷をかけます。やはり痛覚がなくても生きながらに身を咀嚼されるのは、大変な恐怖なのです。少なくとも、僕がそれを望む勇気はありません。
それを自ら望み、成し遂げた彼女はなんと勇敢なのでしょう。なんと気高いのでしょう。僕は短いうんちの生の中で、彼女に出会えたことを誇りに思います。
お願いが・・・・・・あるんですの。
何でしょう? 何でも言ってください。
この子たちが・・・・・・無事に羽化して・・・・・・飛び立つところを・・・・・・・・・・・・見届けて欲しいの。私はもう・・・・・・・・・・・・・・・還るときが・・・・・・来たようだから。
何を言うのですか。あなたはまだまだ元気でいられますよ。
今度は・・・・・・下手ですわよ。ごめんなさいね・・・・・・辛いものを・・・・・・・・・・・・見せてしまって。
何も辛いことなどありません。
でも・・・・・・今・・・・・・あなたは・・・・・・・・・・・・泣いてらっしゃいますよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
なぜ、僕は泣いているのでしょう。うんちが泣くなど聞いたことがありません。
ただ、一つだけ思い当たる事実があります。僕はただ、彼女が消えゆくのが、どうしようもなく悲しかったのです。
本当なら喜んで、称えて、褒めてあげればいいのに、僕は彼女が使命を果たして自然の摂理通りに消えてゆくのが、どうしても受け入れられなかったのです。
汚物だというのになんと屈折した考えでしょう。これでは、うんち失格です。
・・・・・・ねぇ。
はい。
・・・・・・・・・・・・ありがとう・・・・・・見守ってくれて。
・・・・・・・・・ダメですよ。まだ・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さようなら。
彼女の目からすうっと光が失われました。
欠片だけだった彼女は土に染み込み、土へと還ったのです。
美しかった彼女は、消えて無くなってしまいました。
う・・・・・・・・・うぅ・・・・・・・・・・・・・・・うぅぅぅぅ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
僕の中で何かが爆発しそうです。
うああああっぁぁぁあぁっぁぁあああああああっうあああああああ!
それが爆発して、僕は泣き叫びました。どうしても止まらないのです。僕はただ悲しくて悲しくてその気持ちに捕らわれて、ずっと泣いて叫び続けました。
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