その3 オハナミ・リサイタル

 とある大きな電気店の一階。

 そこのテレビに、あいつは写っていた。


『さぁ! ライブも中盤戦! 盛り上がっていくよぉ!』

 大きなドームに満員のファンたち。

 その中央のステージに立つのは青色のフリフリのついた服……アイドルみたいな服を着た一人の少女だ。

 ピンク色のポニーテールをしたその少女はマイクを持って飛んだり跳ねたり歌ったり……せわしなく動いている。ファンのやつらもそれに応じて黄色い歓声をあげていた。


 テレビの中でライブしているのは、今をときめくソロアイドルの『青桐 美玲あおぎり みれい』だ。

 デビューしてからというもの、抜群の歌唱力と明るいキャラクター性で大ヒットし、ライブを行おうものならすぐに大入りだ。

 

 ……なぜ俺がここまでくわしいのかというと、別に俺がアイドルオタクだからじゃなく。


「ねえねえ! どうだった!?」

 俺の隣にいるパーカーをかぶった少女が話しかけてくる。

 そう、こいつこそが青桐 美玲なのだ。


 ためいきをつきつつ俺はこう返す。

「あぁ、上等じゃないか?」

「えー!? あたしこのライブ頑張ったんだけどなぁ……」

「……どうでもいい」

 しゅんとする美玲を放置して、俺は出口に向かう。

 

 俺だって、最初からこうだったわけじゃない。

 いや、こいつに対してはこうだったけど、ほかに対しては最低限の礼儀は保っていたつもりだ。

 ……一か月前のあの日までは。


『え……?』

 電話越しの母ちゃんの口から放たれた一言。それは、『姉ちゃんが死んだ』ということだ。

『ウソだろ……?』

 俺は手に持っていた受話器を地面に落とす俺。

 

 姉ちゃんはさっき『友達に謝ってくる』と言って出たばかりなのだ。


『……冗談だよな?』

 不安になり電話を掛けるが姉ちゃんにはつながらない。

 ……嘘だよな!? 嘘であってくれよ!


 だが、その願いはもろく崩れた。


 次に姉ちゃんが俺と一緒に家に帰ってきたのは、二日後で、骨になってからだった。


 その日から俺の心の中で何かが壊れた感じがする。

 何が起きても力が入らず、やる気も全く起きなくなった。

 まるで、心にもやがかかったようだ……。


 昨日までそこにあった日常。それがなくなったことに、俺はまだ適応できずにいた。



「ねえねえ! 幸助こうすけ! 食べようよ!」

 気が付いたら俺はファミレスにいた。

 目の前にはたくさんの子供っぽい料理が……。

 大方、美玲が注文したんだろう。


 テーブルいっぱいの料理を見て多少引く俺。

 というか、食えないだろ、この量は……。


 ちらりと奴の顔を見ると「大丈夫! あたしが代金持つから!」とへらへら笑っていた。

 いや、そういう問題じゃなくて……。


 とりあえずパフェをぱくつく美玲を見て、俺も目の前にあったハンバーグに箸を伸ばす。

 ただ、食おうという気は起こらなかった。


 実際口に入れても味がしない。

 決してこの店がおいしくないわけではないと思う。単純に、俺の感覚がマヒしているだけだ。


 笑顔でぱくつく美玲を、俺はため息をつきながら見ていた。

「……」

 そして、


「何もできないよ、弱虫な俺には……」

 と、口の中で無意識につぶやいていた。


 直後、バンと机が大きく音を立てた。

「!!」

 ビクッとして音が鳴った方を見ると、こちらをむっとにらみつけている美玲がいた。

 テーブルに肩肘を突っ張っているところをみると、先ほどの音は彼女が机をたたいた音のようだ。


「ど、どうした……?」

 俺が驚きを隠せずに尋ねると、美玲は興奮を隠さずに俺にこう言った。


「何にもできないわけないよ! 幸助にはいいとこたくさんあるじゃん!」

「……」

 いや、そういうことじゃなくて と言いかけたが、美玲の次の一言で、俺の発言は止まる。


「それに! いつまでもしょぼくれてたら蜜柑ちゃんに申し訳ないよ!」

「!!」

 一瞬、心臓をつかまれたような感覚に陥った。

 

 突然何が何だか分からなくなる。

 ただ、確実に言えるのは、心の奥底からドロドロしたものがこみ上げてきたということだ。


「それに、蜜柑ちゃんは幸助のことを――」

「もういいよ!」


 美玲の発言をさえぎるように俺は叫ぶ。

 そしてそのまま無言で立ち上がり、ファミレスを後にした。


 その時の美玲の視線は、俺は気づけずにいた。


―――

 無我夢中で市街地を走る。

 周りの雑踏を抜け、住宅街を走り、川辺を走る。


 歯を食いしばり、下を向きながら手を大きく振る俺。

 目からは熱い涙がこぼれ、頬を伝って流れていく。


 一か月たった今でも信じられない。

 姉ちゃんが、姉ちゃんが……。


 俺だってわかっている。

 このままじゃいけないってことくらい。


 だけど……、だけど……!


―――

「はぁ……はぁ……」

 気が付いたら、俺は息をきらせて桜公園にいた。

 目の前にあるのはまだ咲いていない桜の大木。それを夕日が照らしている。


「……」

 俺はこの場所の記憶がある。

 ちょっと昔の話だ。


 姉ちゃんと俺と、家族で花見に来た時、満開の桜の前でこう言ったんだ。

『幸助、また、桜を見にこようね!』

 

 俺は素直にうなづくことはできず、ぷいとそっぽを向いてしまった。

 後から聞いた話だと、姉ちゃんはちょっと寂しそうな顔をしていたらしい。


「……」

 心の奥から後悔の念が沸き上がる。

 あの時、姉ちゃんの言葉にうなづいてやれれば……。

 あの時、俺が素直になれてれば……。

 あの時、姉ちゃんと……。


 思い出すたび、思い出がボロボロと涙になってあふれてくる。

 両手で目をこすって止めようと思ったが、一向に止まる気配はない。


「……姉ちゃん、なんで死んじまったんだよ。

俺を置いていくなよ……!」

 地面にへたり込み、懇願するようなつぶやきを浮かべる。

 決して、届くことがないということを知っていたが。


「おーい! 幸助ー!」


 誰もいないはずの桜公園。

 突然そんな声が遠くから聞こえてきた。


 振り返ると、そこにはぜぇぜぇと息を切らせた美玲の姿が。


 彼女は俺の近くまで来たかと思うと息を整えてこう話し始めた。

「やっとみつけたよ……。いろんな人から目撃証言もらって、やっとたどり着いたんだからね!」

「……」

 そっぽを向く俺。

 すると、


「えいっ」


 でこのあたりを指ではじかれる。

 少し後ろによろめいて美玲の顔を見ると、彼女は笑顔を浮かべながらこう言った。


「まったく、幸助は変わらないなぁ。

これじゃあ、蜜柑わたしが心配するじゃん」


 一瞬、美玲の声が、姉ちゃんの声に聞こえた気がした。

 だが、美玲はそんなことを気にせずに話を進める。


「実はね、あたしも蜜柑からは元気づけてもらったんだ。

最初のころにね、売れなくて、シンガーやめようかなって思った時に、

『信じてるよ、美玲だから! きっと、最高のシンガーになれるよ!』って、蜜柑が励ましてくれたんだ。

それから、運営も軌道に乗ってどうにか今のポジションにいるわけなんだけど……」

 少し彼女の顔が曇った気がした。

 だけど、そんなことを吹き飛ばすかのような笑顔で彼女は両手を広げてこう言った。


「でも、大丈夫! これをもらった分、あたしが幸助を元気づけてあげる!

それが、きっと、蜜柑の願いだから!」


「……!」

 ……これが、売れっ子アイドルの笑顔か。

 一瞬で、俺の曇った心が晴れたような気がした。


 すると、美玲はエアマイクを持って歌いだした。

 まるで鈴が鳴るような、かわいい歌声で。


『信じてるよ! 本気の声で、ほら、気持ちを表して!


 ふさぎこんでいちゃダメダメ! 一歩踏み出して!


 きっと、大切な人はそばにいるから!』


 美玲一番のヒットソングだ。

 ただ、俺には、これが別の意味にも聞こえる。

 歌詞を歌ってるだけじゃなくて……。


「これ、姉ちゃんが……」

 ……まさかね。


 二人きりのシークレットライブ、今日ばかりは楽しませてもらうか。

 俺はそう思うと、いつの間にか止まっていた涙を拭いて彼女の歌に耳を傾けていた。

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