弐、第三帝國(1)



「世界というものは、こどくである」


 ――第十二次極東大戦。

 戦火がごうごうと天を焦がす最中。


「世界というものは、どうせそのようなもので、帝國はそれにあたっての皿となろう」


 しん教きりん派、その崇拝対象が眠る街、独立中立都市・聖都『神宿』でのことであった。中立都市といっても、大戦の混乱に乗じた西方の兵が聖都の獲得に乗り出している現在、天のみを焦がすはずだった炎は、この聖都をも襲っている。


 聖都といえば、絶対的に守られた地であった。聖なる地であった。

 聖都には青く澄んだ土地しかない。戦闘というものを放棄した巫女娘たちの細腕で、今更武器など持てるはずもない。水は豊富にあるもののそれは緩やかに流れゆくだけのもので、襲いくる猛火を避ける術など、なかった。


 元々きりん派は、邪教とされたかるら派と異なり、抵抗する術というものを何も持っていなかった。かるら派とは己が中心であるとする考えなのだから、信ずるべきは己の力のみである。だからこそ、抵抗そのものがかるら派の教えであった。

 一方でしん教というと、無から有を生み出すことは可能であるとし、救いとは無の中にさえ存在しえるのであるからして、己は必然に救われるのであるとした教えが大本である。この極東大陸を広く支配している教えだ。邪教かるら派が唱えるのは『瑞は己にあり』といったものであり、しん教の正統派とされるきりん派が掲げるのは、『瑞なるものが己に代わって無より有を、つまるところ救いを生み出す』とした考え方である。一種の他力本願であったとはいえ、殺伐とした救いのない濁世の今では、浸透するのも当然であっただろう。

 

 他力本願であるがゆえ、きりん派の聖都にあるのは聖少女のみであった。

 きりん派の教祖とされ、崇拝対象であり救いをもたらすとされた、祈りを謳う聖少女のみであった。


 きりん派は、この聖少女に全てを託していた。

 この聖少女こそが奇跡であり神であり、つまり剣で盾であった。


 長い黒髪に、鮮やかな青の衣装。澄んだ海の底でも思わせるかのような深い、深い姿であった。矮躯ではあるものの、その存在感たるや何にも劣ることはなかった。もはやきりん派の域を越え、しん教の、否、あたかも世界の神にも見紛う程である。

 その聖少女は、美しい唇を、すぼめる。


「世界とは、つまり、こどくである」


 聖なる少女の、祈りの代わりに吐き出された蜃気楼のような言葉。

 それは教えの通りの瑞なるものとして相応しく、圧倒的な圧力を生み出していた。無という空間に音という有を発生させるが、その有というのは絶対のものであった。絶対的な音、納得するほかない言葉であった。


 聖少女の言葉に間違いなどない。

 聖少女の言葉こそが真実であった。


「世界など、そう。そのようなものだ」


 鮮やかな青に塗られた柱が吹き飛ぶ。

 聖都の象徴であった、二本の柱と二本の横木によって形成される門は一瞬で粉微塵であった。


 聖少女の纏う薄青と瑠璃の色をした色の着物が暴風にはためく。質素でありながらも気品漂う豪奢な着物は、小さな焦げをところどころに作っているが、それさえも美しい仕掛けと思わせるほどである。


「帝國は、そのための受け皿であるのだ」


 聖少女の伸ばされた細い腕、広く垂れた袖が焦げていく。

 しかし聖少女は気にする風など全く見せなかった。


 と、不意に、聖少女の腕を鉤爪で掴む二体の姿が出現する。

 むき出しの柔肌を傷つけぬようにと、怯える様子を見せるのは三本足の鉤爪と、一本足の鉤爪であった。

 長い尾を垂らす三本足の赤い鳥は、その翼に身体に黒を散らす。翼の先、あるいは尾の先、その頭を飾る羽の王冠は、燃え盛る火炎であった。

 太陽に巣食う怪鳥、かうであった。

 頭を垂れる一本足は、青い。しっとりと濡れた様である翼を重たげに畳み、聖少女の腕にぴたりと止まり、動かない。

 雨を吐くという、しょうようであった。


「かう。しょうよう。わたしにも手が必要であるゆえに、お前たちはまだ残っているのだ。ゆめゆめ忘れることのないように」


 まだ童女の年頃に見えるが、その歳に似合わす艶やかな笑みを口元に刻む彼女は、腕に止まる二体の巨鳥に傲慢ささえ滲ませてそう言い放つ。

 暴風は灼熱を伴って逃げ惑う巫女娘たちを襲うが、聖少女は見向きもしない。

巫女娘たちは教えにある通り、聖少女に祈りを捧げるものの、教祖の取った行動はまるで相反するものであった。その腕にとまる巨大な二体を、まるで投げつけるように炎の中へと向かわせたのだ。

 聖域である社の入り口、もう目前まで攻め入っていた西方の兵を巫女娘ごと飲み込み、炎は一段と大きくなる。かうの、四肢を四方から引き裂かれたかのような鋭い鳴き声が聖都に響き渡る。


 これはまったく、ひどい様子である、地獄の始まりのようである。

 さらにひどいのは、これが事実であり、これから地獄が始まるということであろう。


「この壷の外は、果たして退屈ではないだろうか」


 聖少女は無邪気な邪気でもって、己を崇め讃えていた全てを焼き払っていた。

 炎に長い黒髪を焦がされようと気にしていないらしい。音はないが哄笑さえする様子で、しかしどこか鬱屈な色を湛える瞳を、焼け落ちて土となっていく周囲へやっていた。

 これが後にだきにと呼ばれ恐れられる女王の目覚め、あるいは復活である。


 そして同時に聖少女と呼ばれた崇拝対象が、恐怖の対象となった瞬間である。


「……うん?」


 焼き尽くした焦土を、しょうようの雨で癒して歩いていた女王は小さく声を上げた。

 聖都は最早、ただの焦土であった。その焦土の上、転がる虫たちの中には生き残ったものもいるらしい。虫は、まさに虫の息であり、惨めにもごろごろと僅かな足掻きともいえる身じろぎをしているらしい。

 それを目ざとく見つけた女王は、白い素足で煤けた地を踏みつけた。

 女王の頭上ではしょうようが旋回して雫を撒き散らし、女王の伸ばされた腕にはかうが火の粉を零しながらとまる。


「愉快か不愉快か、賽でもあれば投げて決めるが何もないなあ」


 ころころと、鈴の鳴るような愛らしい声であった。


「そうだ、最後くらいは聖少女として勤めを果たしてやるとしよう」


 なあ、かう、それもよいだろう。


 女王がそう言いながら漆黒の嘴を撫でれば、赤と黒の混じった瞳を細めるかう。この鳥は、己が女王によって生かされていることを理解しているが故、その寵愛は何よりの幸福であると分かっているのであった。

 この女王の寵愛とは、つまり安楽である。安らかな眠りを約束されたのと同じである。


「おまえ」


 この凄惨な地に似合わぬ、微笑。

 何よりも愛らしいそれは、間違いなく聖少女の微笑である。


「おい、おまえだ。わたしはおまえを三度目の帝國、その第一部隊長とすることに決めた、今決めた」


 その手を差し伸べる相手は、西方の兵。

 まだ若い兵士は、恐らく徴兵の命令に示される年齢の最低ほどであっただろう。それでないにしろ、華奢な身体であった。


「起きろ、起きろ、はよう起きろ」


 朦朧とした意識の中、その男の目に彼女が聖少女として映ったのに違いはあるまい。


「この地と教えと、そのものの意味にかけて、運のいいお前を、わたしはこれからきりんと呼ぼう」

「あ、あ……」

「ほら、起きろ」


 聖少女が己に救いの手を差し出している。


 事実でありながら間違っているその事実に、聖都を奪ってやろうと攻め入ってきた西方の兵は、信じられないとばかりに力なくも目を見開いた。この有様を自軍の攻め入った結果と思い込んでいる兵士の男は、すっかり勘違いをしているといえよう。それは若さゆえではない、きっと誰もが、屈強な戦士であろうともそう思っただろう。


「栄えある第一部隊長であるのだ、誇るが良い。西方の地を踏んだことは未だないから分からぬが、だがしかし何よりも高い地位であるといえよう」

「お、おれ……ここで、死なないのですか」

「死にやしない、今はまだ」


 差し伸べた手を、兵士が見つめる。

 ほっそりとした少女の指先は、救いをもたらす聖少女のものであった。


「救いであるぞ」


 のろのろと痛む身体に鞭打ってその手を取ると、兵士は稲妻に打たれたような気さえしたという。衝撃であった、この小さな身体の何処にここまでの威厳と恐怖と絶対性が詰め込まれているのか。手を取っただけで分かる、これは絶対者であると。同時にまったく孤独のひとであると。

 壊れそうに小さな聖少女の手を取って、兵士は揺るぎない忠誠を誓うのであった。


 こうして、だきにときりんの関係は、主従関係となった。だきにはきりんを駒とさえも思っていないが、きりんはだきにを聖少女だとして疑わなかった。


「さあ、きりんよ歩け。ゆけ、焦土を片付けろ。生き残った虫がいるならば潰すか、それかこのわたしを呼ぶのだ」


 だきには絶対悪でしかなかった。

 しかし、きりんは善人でしかなかったのだろう。


「さあ、壺の中身を片付けるには、まずここからだ。潰せ、潰せ、残らず潰すのだ」

「はい」

 

 そして第十二次極東大戦は、これを合図として終結することとなる。


 聖都を中心として構成される極小の島国は、第三帝國として二度目の産声を上げる。第三帝國の出現は、大戦終結と同時に混沌の幕開けを示していた。いつぞやの暴君が再び目覚めたのであった。





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