壱、聖都


 現在の地図には存在しないが、その昔、端に位置していたといわれる東の大陸には、一つの巨大な帝國があったという。


 これは恐怖の象徴であったという。しん教徒の中でも邪教かるら派に属するものたちさえもがその帝國を恐れ、武器を投げ出してまで逃げたらしい。

 恐怖と畏怖とに塗りつぶされた帝國の頂点に君臨する謎の王か女王か、それは己の帝國をまほろばとでも思っていたのかもしれない。それというのも、帝國とは名ばかりであり、それは国であったかというとまったく曖昧なのだ。暴君の住まう地を帝國と呼んだが、暴君が支配する範囲を帝國とも呼んでいた。つまるところ、恐怖の王国は暴君そのものであったといえるだろう。そこにおいては暴君こそが帝國、暴君こそが全てであったのだ。


 あらゆる破壊を尽くし、そこでは何もかもが意味を成していなかったという。

 帝國内の領土というと、互いが食い合うための皿としかいえず、そこに君臨する暴君の食卓でしかなかった。執拗に繰り返された戦では、己の意思でもって立っているものは敵味方関係なく、ほぼいなかったらしい。そこに残っていたのは暴君ただ一人。拡大していく帝國領にはただ一人、暴君だけが残っていた。

 悪魔の化身を思わせる怪鳥を従えた姿は、それこそ悪魔であったという。

 暴君が食い荒らす地は、荒れ果て、何も残さない。ぽっかりとあいた穴のような虚無さえも、ない。


 しかしその驚異の帝國は、不意に姿を消した。

 文字通り、姿を消した。


 東の大陸は焦土となってすっかり消え失せたのだ。そこには何人の立ち入りも許されず、いや、そもそも立ち入ることなどが不可能だった。もちろんその大陸にはどのような人間も残ってはいない、暴君諸共消えた。不幸な戦禍に没したのではなく、自滅したのだとみなは口を揃えて言う。

 その大半は真実を見てもいないだろうが、言うことは同じであった。それというのも簡単なこと、当時、他国は帝國の足元にも及ばなかったのだ。


 残された焦土は、やがて海へ沈むだろう。

 東の大陸にはもう、何もない。


 そうして地図上から、帝國は姿を消すことになる。地図というものはあくまでも指標の一つでしかなく、その世界を忠実に描くことはないが、しかし、東の大陸は確かに消え失せたのだ。過去の地図を頼りに大陸を探したとしても、その場所に存在するのは何もかもを拒絶した焦土のみである。海に沈みかけた焦土のみである。


 さて、その東の大陸よりもさらに東へいったところ、地図の最も端には小さな島国が存在する。これは現在広く流通する地図にもしっかりと記されている国である。


 青と緑の美しいその国は、しん教の正統派であるきりん派の発祥ともされており、中心には聖なる都が存在していた。

 神が宿ると名を冠する地は聖都『神宿』、背の高い建造物に左右を囲まれた道を抜け、広々とした森をくぐった先にある。人工物とそうでないものの融合するさまというと、圧巻、それに尽きる。杭を打ったように突き立つ建造物と深く根を張る巨木、無造作に見えて整然と並んでいた。人を寄せ付けないような聖地である。


 さて、ここにおいて青い色は聖なるものの証らしい。

 鮮やかな青の門がそびえ立つ聖都は、現在、聖少女を祭るしん教きりん派の重要な聖地となっている。武器を持たないことを誓い、それを忠実に守り続ける矮小な国であったが、絶対中立とされた聖地の存在によって他国の侵略から守られていた。

 美しい都市であった。

 豊富な資源、豊かな色彩。変化に富むめまぐるしい景観。どれをとっても、そう、まさに聖都であった。そこに祭られるしん教教祖たる聖少女もまた、美しいものであった。青と白で織られた上品な着物に身を包み、祭壇で静かに佇んでいる。彼女はまさに聖少女であり、あらゆるものと異なった、いっそ異質ともいえる美しさを備えていた。艶やかな漆黒の髪、白い面、硝子玉のように透き通った大きな瞳。完璧な美しさであった。


 だが、美しさとは、罪であった。

 海原を渡った先、遠い大陸の戦渦に、聖都はついには巻き込まれることとなる。


 各国が戦を始めたのは、あの東の大陸を支配していた暴君の不在からなのかもしれない。

 恐怖による圧力から開放され、暴君による傷が癒えはじめていたのかもしれない。

 恐怖とは何たるかをすっかり忘却し、そして己の力の誇示と祖国の発展と、そしてなにより強者という悦楽を求めて、人々は武器を手に取った。多くの人を国を巻き込み、戦火を天高く巻き上げた大戦は続く。


 混乱する世界の中、聖地というものは人々の心の拠り所となるらしかった。

 癒しとなるらしかった。


 美しい地、美しい聖少女による癒しを求めて、西方の兵士たちが乗り込んできたのだ。癒しを己の唯一にしてやろうと乗り込んできたのだ。


 ちょうどそれは、聖少女が聖少女に飽いた頃であった。

 帝國と呼ばれていた西方の解体である。


 二度目の帝國の、終焉である。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る