過去の俺自身の話

 記憶の先で俺は、心臓の爆発音が脳まで熱くなって耳鳴りがする中だった。

 意気込みが苦しくて、口の中から甘味がした。肺の中に空気を吸い込もうとしたら、逆に吐き気が続いた。

 立っている力もなさそうに見えた。

 片手を壁に手を付けて体を支えている様子は、もうすぐ倒れても可笑しくない状況だった。

 「アルパ、B2F4。振り返す。アルパ、B2F4!」

 倒したはずの軍人が通信機を使って仲間に連絡を取った。

 しくじったと思った俺はヘルメットを外した相手の顔面を力一杯蹴り飛ばしてあげた。けど、受信機から赤い光が入っていた。

 対応が遅かった。強いて相手を気絶させなかったことが浅かった。舌打ちされても反論できない対判断だと、俺は思った。

 他にいい方法を探せなかった俺自身が憎いと痛感する時、通信機の光が青く変わった。

 「ハジメ、私だ。」

 太い機械音から中年男性の声が混じって響いて聴こえた。

 あれを聴いた瞬間――一瞬だが――耳鳴りが消えた気がした。身体が先に動いて、背筋がゾックとする途中に鳥肌が出た。

 残された記憶でも、あの日聞いた『父さん』の声は身体の内側に隠してあった魂を強引に取り締まる感覚がした。あれは悪魔の囁きに間違いないと、思った。

 「ああああああああ!」

 過去の俺が獣のように泣きわめいた。

 理性を失った俺は真っ先に受信機を踏みにじった。あまりの勢いで壊そうとしたから足元が滑り、気を失った軍人の横に寝転んだ。

 半分壊れた受信機からは微妙に男の声が少しずつ流れてきた。

 俺はそれを許さず、素手で受信機を打ち壊した。拳から血が走ってもやめなかった。壊して、壊して、壊し続けて。壊そうとした受信機が破片になるまで、血に濡れた拳で見えない何かをぶち抜けた。

 「無駄な行為はやめろ。サルでもあるまいし、ちゃんと考えてから動け!」

 廊下から怒り狂った声が響いた。

 まるで今、俺を見守っているような口癖くちぐせであった。

 「お前は私の息子だ。なら、親に恥をかかせる真似はするな。」

 声が消えない。消えない声が耳鳴りとなって耳の奥に席をとった。病的に苦しみながら、両手で耳を塞いでのそのそと這った。肘が赤むけになった。

 それでも声は響いた。

 苦しくて仕方なく俺は壁に耳を突き当てた。しばらくの間は耳鳴りが消えていった。少し気分が楽になって素早く現場から逃げ出した。

 音がいなくなると急に身体が元気になった。やはりこえが俺の邪魔をしたことに間違いない。

 走るたびにふくらはぎが凍ったゴムみたいに固くなった。運動不足が原因だと思う。当たり前だった。ここは人が生活する場所より仕立てる場所に近かった。身体を動かそうとしたら、無駄なことはやめろって言いつつ、軍人が現れて捕獲した。

 普通に遊びたかっただけなのに、これは大袈裟な身振りだと思わない?

 大体、軍人が施設を管理する事態が非常識である。最初は変だと思わなかったけど、どんどん白い部屋から時間を過ごすだけの生活が続いたら、ある日突然目が覚めた。

 ここは逃げるべきだと。

 と思い込みする途中にようやく下に行ける階段を見つけた。

 「――」

 俺の思考は父さんに読み取られていたそうだ。

 会談に向かう廊下には軍人さんたちが大勢集まって、黒くて硬い制圧用の棒を握って、ここに来る俺を待ち明かしていた。

 大丈夫だ。彼らは俺に指一本触れない。

 父さんが口を開く前にあそこを抜け出せば――。

 「――」

 軍人さんたちの中で一番上の人が唇を動かした。大変だ。いよいよ彼らも父さんに

 逆らうまで俺を捕まえようとする様子だった。

 怖れる必要はない。父さんに学んだことは体に染みついて、本能と一緒になっている。要するに、しばらく相手の動きを見抜いたら次に繋がる道が現れる法則もんだ。

 例えば今、先に前に進んだ軍人さんの腰にはナイフがぶら下がってある。あれは俺たちにとって危険物だから病室に入れてはならないものだ。まずあれを手に入れて次の方法を探すことにする。

 身長が高い大人は子供を捕まえるために体を折る必要がある。棒の振る舞いも動きが大きくて良く見詰めれば避けることができる。特に相手が新人だとしたら、ナイフを引き寄せて相手の足元を突き刺す。

 「許可が落ちた。さっさと子供を捕まえ――」

 耳の傷が治ったからナイフで切り落とした。

 殆どの大人は予想意外な場面と出会うと慌てて理性を失う行動を見せる。今も倒れた仲間を助けるより、各自のものは各自で解決する雰囲気だ。

 相手の動きが止まったと判断される時は、迷わず目的を達成する道を選んだ方がいいのだ。つまり今は軍人さんたちの後ろにある階段より、生存率が高い方法を探すべきだった。

 周りを振り向いたら、窓が目に入った。

 「――」

 近寄る軍人さんはナイフで内ももを差しこんであげた。油断もすきもない軍人さんは、一旦捕まれて喉に傷口を開けたら素直に道も開いてくれた。要領さえ分かればお互い顔を赤めなくてもいい関係になる。

 これも父さんが教えてくれた。また考えたら頭の中から音がしたので、もう一度壁に顔をぶつけた。

 大丈夫だ。まだ父さんと出会っていない。

 俺はバカな大人を後ろにして階段に向かうドアのハンドルを握った。

 「――」

 開けたドアの隙間から階段を降りてくる軍人さんと目が合った。期待外れの方法をあっさりと諦めて次に移す。これも父さんからの学びであった。

 数秒前に目にした窓までの距離を目積もりで量った。倒れた軍人さんを避けて走る道と、後ろから襲ってくる軍人さんの速さを頭の中で考えてみた。

 そして、準備が終わったポーズで位置についた。

 『よーいドン!』

 独り言で出発の信号を打ち上げた。窓グラスが壊されるまで力をためないと脱出は失敗に終わる。だから、後のことは考えずに駆け込みをした。

 あ、そう言えば俺、素足だった。

 「――」

 音が消えた世界から抜け出したら、そこには茨の畑が広がった風景が広がった。

 確かめる時間は約5秒。手に頭を埋めて落ちたおかげで気を失わなかった。代わりに両腕はしばらく使えない状態になった。

 大丈夫だ。両足が無事なら何の問題にならない。

 ここまで来たらもう一安心できる。良かった。俺は間違っていなかった。俺は何とも心配しないまま前に進んだ。音が消えたことすら忘れたままだった。

 「5分だ。」

 再び中年の太い声が右側から聞こえ始めた。今度はすぐそばで囁いた。

 「斬った耳が再生するまでの時間はおよそ5分がかかる。その内、私は君の取り扱いに最適な方法を探した。つまり、君は自ら自分の首を絞める道を選んだ。」

 壁で作られていた世界から逃げても結局父さんの声は耳元で響いた。無視しようとすればするほど、どんどん狂ってしまう自分自身を見つかる。

 大丈夫だ。大乗だと思えば大丈夫になるはずだ。だと、俺は独りで勝手に勘違いした。

 「君はわざと親の存在を無視しようしている。他の子どもとは違って、君は特別だ。特別に私をあらゆる形で失望させる。」

 「ああああああああ!」

 「ハジメの名前が勿体ない!君は母の胎内から産まれる以前に、私から始まった息子だ。それを否定して何の意味がある。戻ろう。今ならまだ間に合わない」

 俺はまた聴こえてきた耳障りが消えるまで唇を噛んだ。あれは悪魔の誘いだ。俺の存在を否定して新たな悪魔を生み出す存在だ。噛んで、噛んで、噛み付いて言葉の出口を封じた。ダメなら舌を噛む覚悟もある。

 誰よりも必死に親の元から逃げ出そうとした俺は、一度も後ろにいる父さんに振り向かなかった。

 未だにも、なおまたこれからも。

 俺は父さんを否定する心算である。

 

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