幼き日のエルナと絵本





これは、およそ十年ほど昔の話




翡翠色の髪の幼い女の子が、一冊の絵本を抱えて歩いていた

辺りをきょろきょろと見渡して誰かを探しながら、クランハウスの中を散策していく様子は、どこか庇護欲を掻き立てる

彼女は暫くうろうろと歩いていたが、やがてソファーの上で寝息をたてている少年を見つけると、とてとてと駆け寄る


「メル!」


彼女が彼の名を呼ぶと、名前を呼ばれたメルはむくりと上体を起こす

メルはすぐに彼女を見つけると、「エルナ、どうしたの?」と優しく尋ねる

エルナは手に持った絵本をメルに差し出すと、目で何かを訴える


「ああ、読んでほしいんだね?」

「ん」

「わかった。じゃあ、おいで」


メルはエルナを自分の膝の上に座らせると、エルナに見えるように『勇者様とお姫様』というタイトルの絵本を開いて、ゆっくりと読み始める


「『昔々、とある王国にとても魔法に優れた王女様が居ました

 王女様は、大人になるまで平和に暮らしていましたが、あるとき国に異変が起こりました

 魔王の国が攻め込んで来たのです

 大勢の悪い魔物や魔族に、その国の兵隊さんたちは次々と倒されていきました

 もう後がなくなった王国の王女様は、言い伝えにあった儀式を行いました

 すると、どこかからか宝石の勇者様が現れたのです

 黒い髪に黒い目をした宝石の勇者様は、王女様のために次々と悪い奴らを倒していき、最後には魔王までも倒しました

 こうして、その王国は救われました

 王国を救って英雄となった宝石の勇者様は、その国の王女様を妻にして、世界を救うための旅に出ました

  おしまい』」


メルは絵本を読み終えると、絵本をぱたんと閉じる


「エルナはこの本ばっかり読んでるね。他にも本あるよ?」

「メルが、この本好きそうだから」

「そっか。ばれちゃってたかぁ……」


メルは少し恥ずかしそうにそう言うと、膝の上のエルナの頭を撫でる

エルナは気持ちよさそうに目を瞑って声を漏らす


「メルは、絵本が好きなの?」

「うーん……絵本が好きっていうよりも、勇者様が好きなんだよ」

「どうして?」

「そうだね……強いて言えば、勇者様が僕の大事な人だったからかな?」

「大事な人?」

「そ、大事な人」


メルはそう言うと、「さ、本も読んだし文字の勉強しよっか」とエルナを膝から降ろし、テーブルに座らせる

傍から見れば明らかで強引な話題転換だが、まだ幼いエルナは違和感を感じる程度だった


「ねぇ、メルは、わた……ぼくと、一緒に居て楽しい?」

「そりゃあそうだよ。当たり前。僕はエルナたちが大好きだよ。ほら、今日の分の書き取りしようね」

「うん!」


メルに大好きと言われて、珍しく満面の笑みを浮かべるエルナ

そんなエルナを見てメルは柔らかな笑みを浮かべる

やはり、メルにとっても自分に懐いてくれる子供は可愛いし、メルにとってエルナの笑みは、エルナが成長した気がして大変喜ばしいものだった

特に、エルナはメルにとって大事・・なので、他のメンバーよりもエルナが可愛く見える

まあ、他のメンバーに失礼なのだが、エルナは色々と特別なので仕方がない


「そういえば、まだあのナイフ持ってる?」

「うん。棚の奥にしまってある」

「そっか。ありがとう」


メルはテーブルの上のコーヒーを飲むと、ふぅっと息を吐く

昔から飲みなれた味に懐かしさを覚えつつ、メルは昼下がりの時間をまったりと過ごす

エルナが文字の練習をするカリカリという音が、丁度いい音楽となって聞こえる


(ああ、平和だなぁ……)


のんびりとした時間はメルにとって貴重なものだ

そう言う意味では、それほど喋らず、メルの平和を邪魔しないエルナとメルの相性は良いだろう

メルはソファーの上に寝転ぶと、そのまま夢の世界へ旅立とうとする……


「メルさん!ミルファとサルガスが!」


が、メルの束の間の平和はそんなシャウラの声で遮られた

メルは溜息を吐いて起き上がると、慌てているシャウラの元へ向かう


こうして、クラン『紺色の霧』の時間はゆっくりと過ぎていく




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