03.周くんと花音

 直後、ブフッ! と音がしたかと思うと、花音かのんの口から飛び散ったクッキーの粉が私の全身に降りかかった。


きたなっ! ちょっと花音かのん、なにやってんのよ!」

「まあいいじゃん……ついでに、もっとお洒落服に着替えなよ」

「〝ついで〟の元を作ったの、あんたじゃん……」

「そんなことより、咲々芽ささめ!」


 口の周りに付いた粉を手でぬぐいながら目を見開く花音。


「なんであまねくんがここに来るの? 家、近いの!?」

「ま、まあ、そんなに遠くはないかな……」


 むしろめちゃくちゃ近い。


「なんで教えてくれなかったのよ!」

「なんで教えなきゃなんないのよ」

「あたし、ターゲットはあまねくんにしよっかな、って、昨日言ったよね? 咲々芽も聞いてたでしょ!?」

「まあ、聞いてたといえば聞いてたけど……」

「じゃあ教えてよ」

「〝じゃあ〟の意味が分からない」


 あれ? 来客ですか? と、玄関からあまねくんの声が聞こえてきた。

 花音の靴に気づいたのだろう。


「ええ、咲々芽のお友だち。あまねくんのことも知ってたわよ。今日、環くんたちと一緒に出掛けるんでしょう?」

「はい。でも、彼女・・が迎えにくるなんて聞いてなかったけど……」


 そう言いながら、ドア枠を避けるように、少しだけ首を傾げてリビングへと入ってくる周くん。直後、花音と目が合い――、


こっち・・・かよ!」と、あからさまに眉間に皺をよせる。

「こっち、ってどっちよ!?」と、軽く頬を膨らませながらも、嬉しそうな花音。


 きびすを返した周くんにぶつかりそうになって「ひゃう!」と、母が悲鳴を漏らす。


「ど、どうしたの!?」

「い、いや、来てるのがこっち・・・だとは思わなくて……」


 どうやら、靴の持ち主が手嶋てじまさんの方だと思っていたらしい。


「とにかく、座りなさいよ、あまねくん♡」


 二人掛け用ソファーの中央に座っていた花音が、奥へずれて隣の座面をポンポンと叩く。

 それを見て「ハァ……」と短くため息を吐いたあと、こちらへ向き直ると私の隣の一人掛けソファーに腰を下ろす周くん。

 花音の顔を見ながら――、


「どういうことだ咲々芽? なんで、矢野森やのもりさん……だっけ? ここにいるの?」


 私だって分からないわよ……。


「なんか他人行儀だなぁ。昨日みたいに花音かのんって呼んでいいよ!」

「呼んでねぇ―よ、一度も!」


 部活かなにか? と、周くんが、今度は私の方へ顔を向けて訊ねる。

 花音の制服姿から、学校の用事だと想像したのだろう。


「いや、そういうわけじゃないけど……制服が戦闘服らしいよ、花音の」

「戦闘服?」


 改めて周くんに見つめられて、花音が、少しだけ恥ずかしそうに身をよじる。

 男の子の……しかも、年下男子の前で花音がこんなふうにはにかんだりするのは異常事態といっていい。

 まさか、周くんのこと、すでに本気モード……!?


「やだなぁ、あまねくん、そんなマジマジとぉ……。ほら、制服ってさ、身が引き締まるっていうか……」

「なんか、引き締める必要あんのか?」

「そういうわけじゃないけどぉ……。それにほら、あたしって、見た目ちょっと大人びてるじゃん? 制服を着ると、ちゃんと制服通りの人間になれるから」


 周くんが、驚いたように少しだけ目を大きくする。


「へえ……それ、ナポレオンの言葉だろ? よく知ってるな」

「ナポレオン?……って、ワインだっけ? 制服となにか関係があるの?」


 花音が小首を傾げる。どうやらナポレオン・ボナパルトをご存じないらしい。

 まあ、コロンブスも知らないくらいだし、不思議でもないけどね……。

 ちなみに、お酒の方のナポレオンだって、ワインじゃなくてブランデーの等級だし、なんだかいろいろと間違えてる。


 周くんが、横目で一瞬私を見たあと、再び花音に向き直って小さく息を吐く。 


「まさかとは思うけど……今日、一緒に行くつもりじゃないよな?」

「ええ!? まさか、あたしを仲間外れにしようとしてたの、みんな?」

「仲間外れもなにも……もともと仲間じゃねぇし」

「うわ! ひっど!! 雪実ユッキーと咲々芽なんて知り合ったばっかりだし、二人だけじゃ彼女も緊張するでしょ!」

花音あんただって昨日初めて話しただけじゃん」


 私の言葉に、一瞬、イラッとしたように眉を寄せる花音。


「とにかくぅ、あたしがいたほうが逆に助かるって!」

「逆になってないけどね、全然」


 周くんの分の紅茶を持って、母がリビングに入ってくる。


「まあまあ、いいじゃない、花音ちゃんも一緒に行けば。大勢の方が楽しいわよ」

「ほらほら! お母様だってそうおっしゃってますし!」


 さっきまで叔母さんだったのが、いつの間にかお母様になってる。


「あのね……今日は遊びじゃないんだからね? 一応仕事なんだし、楽しい必要はないんだよ」

「もう、うるさいな~、咲々芽は仕事仕事って……。せっかくみんな集まるんだし、今日はもう、仕事の話はしなくていいでしょ?」

「その話をするために集まるんだよ!!」


 そもそも、手嶋さんの話を持ち込んだのは花音あんたでしょ!


 三十分後、再びインターホンの音が室内に響く。

 十一時五十分……今度こそたまきさんだろう。


「環くんも寄っていく?」と、インターホンに向かって訊ねる母に、「時間もないしすぐ出るよ」と声をかけて玄関へ向かう。

 周くんと花音も、私に続いてリビングをあとにする。

 やれやれ……という周くんの溜息と、小躍りするような花音の対照的な空気が背中越しに伝わってくる。


 仕方がない……とりあえず、手嶋さんの家だけ・・は一緒に連れて行くか。


「今度は、環くんも一緒に、ゆっくり遊びにきてね」


 少し残念そうな表情で見送る母の言葉に、はい、と軽く会釈をする周くん。


「いってきまぁ~す」


 ドアを閉めるとすぐ、周くんが先に立って歩き始める。


「パソコン取ってくるわ……。すぐ戻る」

「うん。じゃあ、エレベーター呼んでおくね」


 私の言葉に軽く手を振り、小走りで四軒先のドアの中へ消えた周くんを、ポカンとした顔で見送る花音。


「ねえ、咲々芽……あまねくんがあんなところへ……」

「ああ、うん……。あまねくんち、あそこだから……」


 まあ、こうなったら、どうせあとから家の場所も訊かれただろうし、遅かれ早かれバレるよね……。


「ええええ――――――――っ!!」と絶叫する花音。土曜のマンションのフロア中に響くような大声だ。

「う、うっさいバカ!」

「こんなの、ほとんど同棲じゃんっ!!」


 三~四軒、キッチン窓が開き、隙間から住人が様子を伺うように顔を覘かせる。


「人聞き悪いこと言うな!!」


 ご近所さんに軽く頭を下げながら、慌てて花音をエレベーター前まで引き摺っていった。

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