02.さすがにそれはポンコツ

 今朝も、みんなびっくりしてたわよ……と言いながら、クッキーと三人分の紅茶をトレイに載せて、母がリビングに入ってきた。


「今朝? みんな?」

咲々芽ささめの制服、そこのクリーニング屋さんに出してきたときにね……」


 私も何度か訪れたことはある。

 あそこの奥さん、話好きだもんなぁ。


「話したの? 昨日のこと」

「だって、あの汚れだし、訊かれちゃうでしょう」

「まあ、それはそうだろうけど……」

「『男に、頭からラブローションかけられて帰ってきた』って言ったら、クリーニング屋の奥さん、かなりびっくりしてたわよ」

「そりゃねっ!! っていうかそれ、変な方向でびっくりされてない? 大丈夫!?」


 みんなって、もしかして、他のお客さんまで?


「ラブローションじゃなくて、普通のローションでいいよね」と、花音も真剣な顔で頷く。


 問題はそこじゃないが、確かに、ラブローションはさすがにマズい気もする。

 飛鳥井の家に生まれながら異能の力が発現しなかった母は、早くから本家の生業せいぎょうとは切り離され、のんびりと育てられたらしい。

 ただでさえ安穏とした田舎で、幼少期と思春期の多くを祖母――私から見れば曾祖母と一緒に、スローライフを満喫していたという母。


 まあ、普通の人とリズムが違うというか、不具合が多いというか……。

 天然っぽくなるのは無理もない。


 ちなみに、異能の力が発現する原因は遺伝だけではなく、飛鳥井家のある土地の地主神じぬしのかみ〝龍神〟と、飛鳥井家の屋敷神やしきがみが関係していると伝えられている。

 なので、飛鳥井家から出た者――例えば私の母のように、他所へ嫁いだ者の子に異能の力が発現することは通常あり得ない。


 私に妙な・・異能が発現したのは、出産時期にちょうど父の単身赴任が決まったため、里帰り出産をしたせいらしい。

 だとしても、かなりレアなケースではあるようだけど。


「とりあえず、準備してきたら? 環さん、何時にくるの?」


 クッキーを口に運びながら、花音かのんが壁時計を確認する。


「十二時に迎えにくる約束だから、まだ余裕はあるけど……」


 再び、スマートフォンでメッセンジャーを開いてみる。

 先ほど送ったメッセージは……まだ既読になっていない。

 もっとも、環さんは電話にすらすぐにでないことが多く、SNSのメッセージにいたっては二十四時間以内に既読になることの方が稀だ。


 以前、夕飯の買い物の前に、何か食べたいものがあるかメッセンジャーで問い合わせたときも返信がなかったことを、ふと思い出す。

 結局、献立は適当に考えて、そのことは私もすっかり忘れてしまっていたんだけど……。


 それから三日くらい経ってようやく届いた返信が、一言『エビ』。

 なんのことか分からず、一日考えた挙句『エビ?』って聞き返したけど……それ以来、急ぎの用件で環さんとメッセンジャーは使っていない。

 これはやっぱり、今日も未読のまま来ちゃうパターンだろうなあ……。


「そういえば花音ちゃん、環くんのこと知ってるの?」と、母が訊ねる。

「はい! 昨日、紹介してもらって」


 ニコニコ笑顔で答える花音。

 途端に、環さんとあまねくんの、日本人離れしたルックスについて会話に花が咲き始める。

 こうなると、可愛い湊斗みなとのことも話題に上り、最後に『なんで咲々芽あなただけそんなのっぺり顔なんだろ』という話になるのがパターンだ。


 ヤレヤレだよ。

 のっぺり顔のお父さんを見れば、だいたい理由はわかるでしょ……。


「準備してくるよ」と二人に言い残して、そそくさと席を立った。


 自分の部屋に戻ると、パジャマ代わりのスウェットから黒いショートパンツに履き替え、Tシャツの上から灰色のパーカーをダボッと重ねる。

 大きめのパーカーが流行っているから……というわけではなく、周くんのお下がりをもらったらこのサイズだった、というだけだ。

 彼が小学生の頃に着ていたものらしいが、それでも袖はかなり余っている。


 セミショートのボブヘアを前髪ごとハーフアップにして、軽くヘアピンで止める。

 化粧もしないし、準備といってもこれで終わりだ。

 最後に、替えの下着・・・・・をウエストポーチに入れてリビングへ。

 そのままソファーに腰を下ろして、クッキーをつまみ始めた私を、目を丸くして眺める花音。


「うそ……だよね?」

「何が?」

咲々芽あんた、その格好でいくつもり!?」

「う、うん……。おかしい?」

「おかしいでしょ! 早朝のゴミ出しじゃあるまいし、休日の女子高生がお出かけするスタイルかそれ!?」

「花音だって、制服じゃん」

「女子高生にとって制服は、ある意味、私服以上の戦闘服でしょ!」


 叔母さん、これどう思います? と、私を指差しながら母に訊ねる花音。


「環さんの手伝いをする時は、だいたいいつもこんな感じよ、佐々芽は」

「そうなんですか!? ちょっと咲々芽! いくら男性陣が従兄弟だからって……さすがにそれはポンコツ過ぎよ!」

「男性陣って……合コンじゃないんだから……」

「とにかく諦めるのは早いって! 雪実ユッキーだって言ってたじゃん。四頭身なら結婚できるって……」

「いくら咲々芽でも、五頭身はあると思うわよ?」と、心配そうに私を見る母。


 私はどこぞのゆるキャラか!

 普通に七頭身はあるわよ!


四親等・・・ね……。っていうか、そんな理由じゃないから」


 おめかししたところで、手嶋さんの家でなにか・・・が見つかれば、おそらくその足であそこ・・・に行くことになる。

 あそこに入るなら、オシャレなんてしてもどうせ無駄骨になるんだよね……。


 不意に、インターホンの呼び鈴が室内に響く。

 エントランスからではなく、直接玄関脇のボタンを押された音だ。


 午前十一時。

 環さんなら暗証番号は知っているけど、まだ時間が早いし、そもそも、迎えに来たって普段はエントランスまで。

 誰だろう?と思っていると、モニターに向かって「そんなの、いつでも良かったのに」と話す母の声が聞こえてきた。

 すぐにこちらを振り向いて――、


「あまねくんが小鍋を返しにきたわよ? あがってもらう?」


 直後、ブフッ! と音がしたかと思うと、花音の口から飛び散ったクッキーの粉が私の全身に降りかかった。

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