第三章 手嶋家

01.私、高校生なんですけど

 午前十時――。


 遅めの朝食……いや、もう早めの昼食といった方がいいかな?

 そんなことを考えながら、ダイニングでフレンチトーストを口に運んでいると、不意にインターホンの呼び鈴が室内に響いた。

 たまきさんが来るにはまだ早いし、何かのセールス?


 特に気に留めもせずテレビのリモコンを探していると、インターホンのモニターに向かって「あら、こんにちは」と話しかけるお母さんの声。


――ん? 誰だろう?


 直後。


花音かのんちゃんが来てるけど……約束してたの?」と、私の方を振り向いたお母さんに尋ねられた。


――はあ? 花音が?


 口に入っていたフレンチトーストを慌てて牛乳で流し込みながら、インターホンの受話器を受け取る。


「花音!? なにしに来たの!?」

『なにしにって……今日、ユッキーんちに行くんでしょ?』

「そうだけど、事務所の仕事で行くんだし、花音には関係ないじゃない」

『昨日、ちゃんとユッキーの家は教えてもらったから! あたしが案内するよ!』

「こっちだって教えてもらったわよ。大丈夫だから、帰れ」

『まったまたぁ、ツンデレめぇ! いいから早く開けてよ』


 ハア……と、心の中でため息を吐きながら振り向くと、お母さんが「とりあえず入ってもらったら?」と小首を傾げる。


――ここで、帰れと言って帰るようなやつなら苦労はしないよね……。


 仕方なくエントランスドアのロックを解除して、お皿に残っていたフレンチトーストを口の中に放りこんだ。

 ほぼ同時に、メッセンジャーで環さんにメッセージを送る。


 ……が、いつも通り、すぐに既読にはならない。


――さてと……困ったことになったな。


               ◇


「こんにちわ~!」


 私が玄関のドアレバーをそっと回すやいなや、外側からグイッと引っ張られ、大きく開いた隙間から花音が顔を覗かせた。


「あんたね……ドアを開けたのが私じゃなかったらどうするつもりだったのよ」

咲々芽ささめ以外の人に開けてもらった記憶ないもん」


 花音が、さっさと焦げ茶色のローファーを脱いでかまちのスリッパに履き替える。

 まあ、花音が来るときは必ず私もいるんだから、そりゃそうだけどね。


湊斗みなとなら、サッカークラブの練習に行ってるわよ」


 キョロキョロしながら廊下を進む花音の後ろから声をかける。


「なぁ~んだぁ……。久しぶりに頬ずり・・・したかったのにぃ」

「やめてよ。もう湊斗だって小二なんだから、いい加減ウザがられるよ」

「えぇ~。頬ずりがダメとなると、あとはハグくらいしかないじゃん!」


 何もしない、って選択肢はないのか。


「それより、花音……なんで今日、制服なの?」

「あ~、私服はまだ早いかな、って」

「なにが??」


 花音が呆れたように私を振り返る。


「制服姿しか見せたことのない女子が私服になるって、男子に自分を印象付ける最重要ギャップ萌えイベントだよ! なんて言うんだっけ……ボディビルバスタイム?みたいな……」

「ポジティブサプライズね」

「それそれ! そのポジなんとかを演出するためにも、もう少し制服姿を印象づけておかないと、効果が薄いでしょ?」


 誰に対して?……というのはもう愚問だろう。

 ここまで打算的だと、逆に純粋ピュアに見えてくるから不思議だ。


「ところで咲々芽……なんであんた、まだパジャマなのよ?」

「昨夜、ちょっといろいろあって遅かったのよ……」


 帰宅したのは夜の九時過ぎだったが、そのあと入浴や食事を済ませ、お母さんに事件の事を報告しているうちに、気がつけば夜中の十二時近くに。

 環さんの手伝いで土日が潰れるかもしれないので、宿題も済ませておこうと取り掛かったら、結局寝るのは一時を過ぎてしまった。


「はあ? あんたまさか、あのあと……イケメン従兄弟いとこたちとラブラブイベントでも起こしたんじゃないでしょうね!?」

「まあ……ラブと言えばラブかも……」

「なにぃ――っ!?」


 ラブはラブでも、ラブローションだけどね。


「あらあら、花音ちゃん、いらっしゃい」


 開いたリビングのドアから、お母さんが顔を出してにこやかに微笑む。


「叔母さんこんにちは! ご無沙汰してます~」と、花音の受け答えも如才ない。

「中学の卒業式の日以来かしら? なんだか、大人っぽくなったわねぇ」

「そりゃあ、もう女子高生ジェーケーですから!」

「うちの咲々芽だってジェーケーのはずなんだけど……」

「毎日見てるから気付かないんですよ。咲々芽だってだいぶ大人っぽくなりましたし……あともうちょっとで、ちゃんとしたジェーケーになりますよ」


 逆に、なにがちょっと足りないのよ!?

 ……と、問いただそうと思ったけど、私の胸に向けられた花音の視線に気づいて言葉を飲み込む。


――ああそうですか。そこですか!


「そんなことより咲々芽、なんなのよ、昨日のラブラブイベントって!?」

「花音が想像してるようなことじゃないよ。とりあえず、中に入って座ったら?」


 二人でリビングのソファに腰を下ろすと、昨夜の出来事を話して聞かせる。

 当然、あまねくんのことにも触れざるを得ない。


「そんなことがあったんだ……」


 とんちきなフラグを立てた張本人も、さすがに驚いた様子だ。


「じゃあ、あの・・ローション魔も、やっと捕まったってことか……」

「あの? って?」

「あんた、知らないの? I市の方だけど、ちょっと前から何人か被害に遭ってて話題になってたじゃん」

「そう? そんなニュース、見た記憶ないけど」

「全国ニュースでは流れてないかも。あたしも、ケーブルテレビとかで見たのかな? 確か、同じ学校の女子中学生ばっかり被害に遭ってたとか」

「中学生? 私、高校生なんですけど」

「高校生でも、スポーツブラは中学生扱いでしょ――」


 パ――ンッ! と乾いた音を立てて花音の髪の毛が乱れる。

 気がつけば、脊髄反射でテーブルの上に身を乗り出した私の右手が、花音の頭頂部を引っぱたいていた。


「いった~い!」と、両手で頭を押さえる花音。

「今は普通のブラよ! っていうか、スポーツブラだって今は可愛いのいっぱいあるんだからね!?」

「咲々芽のは地味っ地味だったじゃん」

「うるさい!」

「今朝も、みんなびっくりしてたわよ~」


 そう言いながら、クッキーの入ったお皿と三人分の紅茶をトレイに載せて、お母さんがリビングに入ってきた。


「今朝? みんな?」

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