09.柊家

 あまねくんと一緒の学校に行くことになったら、事務所に行かない日でも今日みたいに送ってもらったりすることが増えるのかも?

 いや、いくら従姉弟同士とは言え周くんみたいな美麗系男子と一緒に帰ったりしたら、ぜったいに周りからあれこれ言われるよなぁ。


 って言うか、まず花音かのんが黙っちゃいないな!

 下手したら、毎日事務所や自宅まで付いてきかねないぞ、あいつ。


「どうしたんだ? ニヤけたり、しかめ面になったり……」

「え? な、なに? 見てたの!?」

「横顔だけど、いろいろ表情が変わってオモシれぇなぁと……」

「趣味わるっ!」


――さっきまで窓の外を眺めていたくせに、いつの間に!


「そういえば、あまねくん、まだ道場に通ってるの?」

「柔道の? うん、まあ……週に二日だし、ちょうどいい運動だよ」


 ちょくちょくたまきさんに呼び出されるので、学校の部活動は入っていないらしい。

 ただ、小学生の頃までは本家の叔父さん――つまり、周くんのお父さんにみっちり鍛えられていたおかげで、かなりの実力者ではあるらしい。

 なんの才能もない私と違って周くんなら、柔道部でもきっと全国クラスの活躍ができるだろうと思うと、少しもったいない気もする。


 もっとも、中学生ながら百八十センチ前後という超高身長に、運動神経だって人並み以上だ。なにをやったってかなりの成績を収められるだろう。

 いったい、何を食べたらこんなに大きく……と、そこまで考えて、リュック以外には手ぶらの周くんに気がつく。


「あれ? お弁当は? 買ってなかったっけ?」

「ああ、なんか、公園のゴタゴタのせいで、気付いたらどっかいっちゃってたな……。カップ麺もあるし、今日はそれでいいよ」

「そ、そっか……なんか、ごめん……」


 シートの合間からカーナビを確認すると、すでに時間は午後九時を回っている。


「遅くなったし、やっぱり今夜はうちに寄っていったら? お父さん出張で留守だし、お母さんだけだから気を使わなくていいよ」

「叔母さんだけなら、さらに行けないだろ」

「なんでよ?」

「柊さんの留守中に他所の男が訪問するって、拙いだろ、世間的に」

「はあ? 男って……甥っ子じゃん!」


 ラブローションは知らないくせに、変なところには気が回るのね。


「どっちにしろ、明日、どうなるか分からないからもう少しプログラムの調整しておきたいし……。前回、跳躍リープ中に一度フリーズしちゃったから」

「そっか……じゃあ、何か持っていこっか? 夕飯」

「それもまずいだろ。深夜に、男子の部屋に女子が訪問とか……」

「深夜って、まだ九時過ぎじゃん! それに、女子っていったって……私は純粋な女子じゃないんでしょ、あまねくん的には」


 少し膨れた私を見て、周くんがフッと鼻から息を漏らす。


「なに? 怒ってんの?」

「べつにぃ~。あまねくんにどう思われようと、私にはどぉでもいいですしぃ」

「帰ってシャワー浴びてなんやかんややってたら、いい時間になっちゃうだろ? いいよ今夜は……危険だし……」

「危険……って、私んちからあまねくんの部屋まで、何が起こるっていうのよ? 同じ階・・・じゃん!」


               ◇


「ただいまぁ……」

「お姉ちゃん、おかえりぃ――!」


 自宅マンションの玄関ドアを開けると、すかさず奥から駆け出してきたのは弟の湊斗みなとだ。

 七歳、小学二年生。くりっとした二重に利発そうな鼻筋、母親譲りの白い肌に小さな花が咲いたような薄い唇。

 姉の私が言うのもなんだが、正直、めちゃくちゃ可愛い。


 私と性別が逆になればよかったのに……とは、親戚中から言われすぎて耳タコだけど、私ですらそう思ってるから文句も言えない。


「湊斗ぉ~! まだ起きてたんだ!?」

「うん! お姉ちゃん、もうすぐ帰ってきそうだってお母さんが言ってたから、待ってたの」

「そっかそっかぁ……って、今はダメ! お姉ちゃん、汚れちゃったから!」


 聞きようによっては危ないセリフを吐きながら、抱きついてきそうになった湊斗を慌てて制止する。

 かけられたのは頭からとはいえ、ローションは全身に飛び散っている。

 すでにだいぶ乾いて、事件直後のようにベタベタしている……ということはないが、あちこちカピカピと照かっている制服に湊斗を抱きつかせるのは忍びない。


「あらあら……大変だったみたいね~」


 エプロンで手を拭きながら奥から歩いてきたのが、母の柊萌葱もえぎ

 飛鳥井本家のとおる叔父さんの、一回り年下の妹に当たる。

 二十歳で結婚し、二十一歳で私を生んだので今は三十六歳だが、ややふっくらとした皺の少ない童顔のせいで、未だに二十代後半に見える。

 客観的に見ても、女性としては十分に可愛らしい容姿に分類されるだろう。

 メッセンジャーでちょくちょく状況も連絡していたので、思っていたよりも心配はしていないようだ。


「お父さん出張中だったから……迎えにいけなくてごめんね?」

「ううん、大丈夫。あまねくんも一緒だったし」

「あまねくんも夕飯、まだなんでしょ? 連れてくればよかったのに」

「ああ~、一応誘ったんだけどね。明日、たまきさんところの手伝いにいくし、お父さんが出張中だって話したら、気を使って……」

「あらなんで? お父さんいないんだから、逆に気を使わずに済むのに」


 確かにうちのお母さん、歳の割には若いし、逆に周くんはとても中三には見えないけどさ……それにしたって、さすがに不倫疑惑はありえないでしょ!?

 お母さん一人ならともかく、私や湊斗だっているんだし。


「じゃあ、夕飯のビーフシチュー、持って行ってあげましょうか?」


 言いながら、エプロンを外しはじめる母。


「あまねお兄ちゃんのところに行くの~!? 僕もいく~!」


 と、湊斗も母のスカートの裾をつかみながら、一緒に台所へ戻っていく。

 周くんに懐いている……というのもあるけど、こんな時間に外に出ることなどまずないので、それだけで湊斗にとっては深夜のお散歩気分でわくわくするようだ。


 ……といっても周くんの部屋、同じ七階フロアの、たった四軒先なんだけどね。


 中学生ながら一人暮らしを許可してもらえたのは、柊家わたしんちと同じマンションに住む、ということにしたからだ。

 ただし、ここは賃貸じゃなく分譲マンション。

 子供の一人暮らしのために、マンション一部屋をポンッと購入してしまう事実から、飛鳥井本家の並外れた財力の一端が垣間見える。


「ついでだから、私が持っていこうかぁ?」と、玄関から声をかけると、

咲々芽ささめは、早くお風呂入っちゃいなさい!」


 キッチンから、母の声が聞こえてきた。

 確かに、こんな姿でシチューなんて持っていったら、また周くんに怒られそうだな。

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