08.弟のように思ってた

「いわゆる〝濡れフェチ〟なんていわれる性癖の連中ですな」


 槇田まきた刑事が軽く咳払いをして続ける。


「……とりあえず、未成年が刑事の前で、そういう画像を回し見るのは控えてもらえませんかねぇ」


 そう言うと、口元に苦笑いを浮かべた。


 って言うかこの刑事、笑い事じゃないでしょ!?

 そもそも、濡らすだけなら水でいいよね!? なんでローションなのよ?


 眉をひそめた私を見て、何を勘ぐったのか、


「ああ……まあ、詳しいことはまた取り調べのあとになりますが、ローション以外に変なものを混ぜていたということはなさそうですから、その点は安心していいかと」


 槇田刑事が的外れなフォローを始める。


――そんなこと考えてもいなかったのに、余計不安になったよ!


「変なもの?」と、すかさず聞き返したのはあまねくんだ。

「ああ、いや、こういう犯行ですと、液体の中に……例えば唾液だとか尿だとか、まあ、あれやこれや余計なものをまぜる輩もいるんですよ」


 槇田刑事の説明によれば最近、管轄は別だけど、他の地域でも同様の事件が何件か発生していて警察でも警戒を強めていたらしい。

 犯人のスマートフォンにあった画像を見る限り、恐らく同一犯であろうということ。そして、これまでの被害者にかけられていた液体の分析結果からも、ローション以外の成分は検出できていない、というような説明を聞かされた。


――そういうことなら確かに、今回もローションだけである可能性が高いわよね。


 唾液? 尿?……どころか、他にもあれやこれや・・・・・・余計なものが混ぜられていたなんて、想像しただけでも気持ち悪すぎて吐き気がする。

 ほんと、ローションだけでよかった……


――いやいや! よくはないけどねっ!!


「で、これからのことなんですが……被害届けは、どうします?」


 槇田刑事から、届けを出せば、明日改めて供述調書を作成する必要があるとの説明を受けて、私は周くんと顔を見合わせる。

 少なくとも明日は無理だし、仮に日にちをずらしたところで、面倒臭いことに変わりはない。


 ローションを掛けられた以外に怪我もないし、他の被害者から届けは出ているので、あの男がこのまますぐに釈放、ということはないらしい。

 そもそも暴行罪は親告罪ではないから、現行犯逮捕であれば当然だ。


 ムカつく気持ちがないといえば嘘にはなるが……数万円の示談金のためにこちらだけが個人情報を与え、あんな男の関係者とこれ以上関わるのも気が滅入る。


 一応、親とも相談をしてから、ということで今日の提出は見送ったけど……。



「届け……どうしよう……?」

「被害にあったのは咲々芽なんだから、咲々芽が決めればいい」


 警察車両――黒いミニバンの後部座席に座りながら独りちると、質問をされたと思ったのか、すぐあとから乗り込んできた周くんが答えた。

 今夜はこのあと、この車で自宅まで送ってくれるらしい。


「そうは言ってもさ、捕まえたのはあまねくんだし、届けを出せばあまねくんだっていろいろと面倒なことになるよ? 実況見分とかそういうの、あるんじゃない?」

「私人逮捕したのは俺だし、どっちにしろいろいろ聞かれるんじゃないかな。いずれにせよ、このことで俺のことなんて気にすんな」


 走り出した車の中で、前を向いたまま答える周くんの横顔をそっと覗き見る。

 ずっと、一つ年下の弟くらにしか思ってなかったけど……いつの間にか頼もしくなったなぁ……。


 私の視線に気付いたのか、周くんもフッとこちらへ視線を向けて、


「なんだ?」

「あ、ううん……そういえばまだ、お礼言ってなかったよね。公園のこと……」

「助けたって言ったって、逃げた犯人を捕まえただけで、結局被害には遭ってるし」

「それでも全然違うよ! もし逃げられてたら、あんなわけの分からない写真、どんな使われ方してるのか気持ち悪くて仕方ないじゃん」

「そっか……」

「うんうん。だから、ありがと」

「いや、別にそんな大したことじゃ……」


 周くんが指で鼻の頭をかきながら、窓の方へ顔を向ける。


――あれ? 照れてる?


「ってか咲々芽も、弱いくせに危ねえことにホイホイ首突っ込むんじゃねえよ、ゴキブリみたいに」

「ごっ、ゴキッって……。わ、私だって、強くないだけで、そこまで弱いってわけじゃ……」

「同じだっつぅの。なんのために俺が一緒に帰ってんだよ」

「ご、ごめん……一応確認はしたんだけど、店の中……」

「いや、その前からおかしかったでしょ」

「え?」

「店に入る前から、様子おかしかったじゃん。もしかしてあの変質者のこと、最初から知ってたんじゃねぇの?」


――気付いてたんだ……。


「う、うん……。でも、あのときはまだ、そこまではっきりとした確信があったわけでもなかったから」

「それでもいいから、そういう時は一声かけろ」

「うん……そうだね……」


 これまで弟のように思ってたから、私の方でもついついお姉さんになったような気分で接していた。

 そばにいてくれるのはもちろん心強いけど、かといって助けを求めるとか、そういう対象ではなかったんだよなぁ。


 ……今までは。

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