第5節

 昨日の事が久野にはどうしても理解できなかった。何故、宇都宮が嘘をついたのか。

 あの部屋にはもちろん久野と宇都宮しか居なかった。あの性格から、宇都宮が誰かを呼んだとは思えない。先生なら名前が出るはずだ。ということは、彼以外久野を運んだ人物はいないということになる。

 なのに、宇都宮はわざわざ自分の価値を落とすかのようなことを小島に言った。そこが久野の思考を狂わせている。

「あの人のこと、全然、分かんないよ」

 痛みは消えたものの、まだたんこぶの消えない後頭部をさすりながら呟いた。

「去年はあんなにがんばってたじゃないっ!!」

 生徒会室の側に来ると、聞き慣れた声が聞こえてきた。しかし、久野には今日はいつもとは少し違う気がした。

 その場で立ち止まり、聞き耳を立てる。

「私は去年の貴方みたいな人が生徒会長になって、一所懸命に働く生徒会長の苦労を、少しでも減らしたいって思ってたのよっ!! 貴方なら大丈夫だと思って、生徒会長を任せたのに……。なのに……貴方は……」

 声が徐々に掠れていき、聞き取りにくくなった。若干の間を置いて、生徒会室から宇都宮が出てきた。彼は久野の存在には気付かずに、反対方向に歩いていってしまった。

 早足で久野は生徒会室へと向かい、何食わぬ顔で中に入った。生徒会室に入ると久野に気付いた小島が右手で目を擦り、サッと眼鏡を掛ける。

「副会長、泣いてたんですか?」

「そんなわけないでしょ。目に睫毛が入っただけよ」

 とは言うものの、目は右目だけではなく左目も真っ赤に充血しており、声もいつものような張りがない。

「そうですか」

 ぎこちなくならないように普段通りの態度で鞄を置いて、パソコンを起動させた。

「怪我、もういいの?」

「はい。昨日無理しなかったおかげで。まだちょっとたんこぶは残ってますけど」

「そう……」

 にははと笑って見せたが、小島は至って静かに返す。他に会話も出ず、パソコンのファンの音とキーボードを叩くだけが生徒会室に沈黙と一緒に佇んだ。

「どうしたんですか? 今日は元気がな――」

「ごめん……私、帰る」

 そう言うと、小島は鞄を持って逃げるように生徒会室を出ていってしまった。久野には何も言えなかった。彼女を呼び止めることも出来なかった。

 彼には宇都宮のことは分からない。一年長く生徒会で知り合っている小島も、宇都宮のことは分かっていない。小島は一年前の彼を知っているだけに、尚更分からなくなっているに違いない。

 そんな彼女を呼び止めたところで、自分が何を言えるんだと、久野は自分に聞いた……。

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