ラグドール

葵 一

 

 歴645年、冬。智将と謳われたウェルゼ国の国王ガストニー・ノーベルセンが病にて突如この世を去り三か月あまり。ガストニーを警戒して侵略を躊躇していた隣接国のイブロンはこの機を逃すはずもなく、自国9千に対して4万の軍勢を率いて領地の目前に迫っていた。後を継いだ若干15歳のクルツ・ノーベルセンは聡明と言われているが、実戦経験の乏しさもあり、その才覚は未だ父に及ぶほどではない。

 主要な将軍や大臣が集まる軍事会議では大きなテーブルに地図を広げたまま決定的な対抗策もなく難航していた。

「――ですので、この地へ陣を敷き、相手を迎え撃つのが――」

「相手は4万の軍勢だぞ、迎撃など愚策。籠城こそが――」

「籠城こそなんの意味があるっ、後方に援軍でもいるのか、救援があるのか!」

 クルツは椅子に腰を深々と沈め、将軍たちの話を聞いている。父の知性で国の維持と将軍たちの足並みは揃っていたが、不在となった今では完全にバラバラ。相手は軍事国家であり到底勝ち目の薄い今、降伏論も出ている。

 クルツが決定すれば皆がそれに従うだろう。しかし、国を引き継いだ身として、ただ決定するだけでは飾りに過ぎないと空しく思えた。

(父上はどのような作戦を思いつくか……。)

 ガストニーから教わったことを思い返す。しかし、小競り合いはあってもこれほどの大軍を相手にする戦など、経験も教えもなかった。それに何故か戦略や戦術よりも国政についてばかり教育の時間を割いていたようにクルツは思う。

 記憶の隅々まで打開するきっかけはないかと父に関することを掘り返す。

 そんな中、数年前に城で最も高い塔が目についた時のことを思い出した。クルツはその塔について尋ねたことがあったが、ガストニーは知らなくて良いと何も話さなかった。

「あそこにはクルツ様のご兄弟がおられます」

 今は亡き大臣の一人がそっと教えてくれた。正確には妾の子供らしい。その妾の子は大それたことに国の崩壊を企てた謀反人らしく、妾の命と引き換えに以後は塔へ幽閉される事で許されたそうだ。

(父の評判を知っていながら尚、国の崩壊を企てる者……それほど策謀に自信があったということか?)

「みんな、聞きたいことがある」

 言い争っていた将軍たちはクルツの一声に静まり返り、彼に注目した。

「この城で最も高い塔にいる者について、なにか知っている者はいるか?」

 この言葉に大臣の一人が青ざめた顔で、

「国王様、あそこにいる者については触れてはなりませぬ。この国で最も禁忌とされる事でございます。ガストニー前国王様からも厳に仰せつかっております」

 そう窘めるように発言した。

「発言したくないものは発言しなくて構わない。僕の質問に答えられる者だけでいい。その塔にいる者は今も生きているのか?」

 クルツの問いに幼い頃より教育係として長く面倒を見てきた大臣ユーニーが前に歩み出た。彼はガストニーにも信頼されていた老臣ではあるが、クルツの良き理解者であり祖父と孫ほども歳の離れた親友のようでもあった。

「ご存命でしょう。身の回りの世話をさせる女中が常に付いておりますので、何かあれば報告があります」

「そうか。では、その幽閉されている者をここへ連れて参れ」

 ユーニーを除き他の将軍らは声を上げて動揺した。先ほど進言した大臣が歩み出た。

「クルツ様なりません、国を窮地へ追いやろうとした者を牢の外へ出すなど。女中を取り込み、再びその機会を窺っているやもしれません。それもこのような事態の時に」

「このような事態だからこそだ。半日も国の重臣を集め会議を行っているが、何の成果もないではないか。このままでは幽閉されている者が手を下すまでもなく、隣接国によってこの国は滅びる。この国を崩壊させようとした知恵の持ち主ならば、この国を救う知恵も持っているやもしれん」

 口々に反感が伝えられるがクルツは一切を取り合わない。見かねたユーニーが場を鎮め、側近に充分な警戒を施して幽閉されている者を連れてくるよう指示した。会議は一時中断とし、席について到着を待つ。

 しばらくして側近が戻ってきたが苦い顔をしていた。ユーニーが気にせず発言を促すと、

「塔を降りる理由が死刑でないのならば、もう一度この塔を上る必要があるだろう。そんなのは面倒だから、用があるならそちらから出向いて来い、という事でございます」

 多くの将軍は怒りを露わにし、クルツとユーニーがだけが苦笑いした。

 いくら反逆者で幽閉されているとはいえ前国王の子供であることに変わりはなく、身分を盾にされてしまうと一兵士の判断で強引に連れ出すなど出来なかったわけである。

「なんという奴だっ、国王が呼んでいるにも関わらず逆に来いなど! 私めが首根っこを掴んで――」

「いや、出向こう。これをもって本日の会議は終了し、明朝、再開する。解散」

 将軍を手で制すると広げられていた地図を丸めて抱えると席を立った。付き添いを願い出る臣下達を断り、老臣ユーニーだけを従えて塔へと向かう。

「幽閉されている者は一体どんな人物なんだ?」

 一歩後ろを歩くユーニーに尋ねた。

「私めが記憶しておる限りでは、若と同じ歳に事を起こし、七年幽閉されておりますので齢は22になるかと。妾の子供は宛がわれた屋敷から出ることはなく、存在についても知らぬ者のほうが多いくらいでした。残念ながら私めは大事の時に長らく外へ出ておりまして、居合わせた者達の話を聞いただけで詳しくは存じておりませぬ」

「その大事というのは、いったいなんだったのだ?」

「国民へのガストニー前国王様の悪評流布を中心に、革命運動的な斡旋ですな。その年は年初に税を上げた事、凶作であった事、疫病の蔓延、多数の移民受け入れによる借地縮小と国民にとってみれば不運の重なった時期と言えるでしょう」

 外へ出ると冬の冷たい風が吹き付けた。クルツが向かう塔と反対側を見上げると、ガストニーが絶えず明かりを灯し続けろと命じてきた風見塔の旗が煌々と照らされ大きく靡いている。

「ガストニー前国王様は税金こそ戻しませんでしたが、それぞれに寛大なご処置を施されております。しかし、それだけ不運が重なるといくら平等に扱おうとしても不満は噴出するものです。今回同様、周囲の国も弱っている所を放っておくはずもなく、ガストニー前国王様が厳しい状況下の戦争などで不在にすることが多かったのも、事態を大きくさせた原因でしょうなぁ。国内では暴動が目立つようになり、大規模な混乱の寸前、運よく間者を捕まえることができ崩壊を免れました。最初は敵国からの計略かと思っていたのが、間者から聞き出してみれば身内からの工作。事実を聞かされた妾の願いということでガストニー前国王様は身代わりとして妾を首謀者と公表し、公開処刑を行ったそうでございます」

 妾の子が幽閉されている塔の入口に着き、二人で見上げた。天を貫かんとするほど高くそびえ立つ塔。塔の高さのためか緩やかな円錐状であり、階段は一人がやっとの幅しかない。

「しかし若はとんでもないことを思いつかれますな」

 階段を登り始め、前を行くクルツに他愛ないといった素振りで投げかけた。

「そうだろうか?」

「禁忌に触れるに止まらず、それを利用するなど誰も考えつかんでしょう」

「藁にもすがる思いというやつだな。僕には父ほどの才覚も経験もない。可能性があるなら何でも試したい」

 冷たい石造りの螺旋階段をしばらく登っていると、

「ふぅ、老体にこの塔の階段は堪えますなぁ」

 と漏らした。

「大丈夫かユーニー。すまない気が付かなくて、少しペースを落とすよ」

「いやいや、お気になさらず老体はゆっくり参りますゆえ。それにあまり時間がございません。若は一刻も早くお会いなされ」

「ユーニーが登りきる頃には、無駄足にさせるかもしれんな」

「はは、それも仕方ありますまい」

 クルツはユーニーを引き離すようにペースを変えることなく登り続けた。閉鎖的で同じような景色が続くため、ランプの明かりも手伝って三半規管が揺らいでいるような感覚に陥る。昼間の明り取りも兼ねた隙間から外の景色を確かめ、感覚を矯正した。

 何度かそれを繰り返し、ようやく階段が途切れた。ランプ二つが下げられた小さな空間に椅子に腰かけ本を読んでいる髪を縛った女中が目についた。その横に鉄格子の扉が嵌められている。女中はクルツに気が付くと本を置いて立ち上がり手を前で重ねて頭を下げた。

 顔を上げた女中の印象は落ち着いていて、クルツより一回りほど年上に感じた。若いとはいえ国王である彼を目の前にして緊張で強張っているわけでなく、彼女は無表情である。

「ずっとここで世話をしているのか?」

「はい。ここに移られてからは私が全てのお世話を任されております」

 彼女は静かで抑揚のない声で受け答えした。

 屋敷に元々の女中もいたのだろうが、関与していた疑いも捨てられず切り離したのだとクルツは容易に想像がついた。

 女中は側近と妾の子の一連の会話を聞いていたらしく、そのやりとりだけで鉄格子の鍵を開けた。部屋の中は本棚とベッド、中央に小さなテーブルが一つと窓が三つ。格子と向かい合う正面の窓から車椅子に座って外を眺めている人物がいる。

「ようこそ、クルツ国王様」

(女……。)

 車椅子の向きを変えて小さな机を挟んで対峙した人物は笑いかけるように呼んだ。

 顔はヴェールの付いた帽子で鼻先から下までしか見えない。ロングスリーブの手袋などで肌の露出はその顔の一部だけ。体は華奢でシルエット的なものと声だけで女性と判断できる程度でしかない。

「初めまして、姉さん」

「そんな表現をされるとくすぐったく感じますわ。シェラと呼んで頂ければ結構です。国王様自らおいでになられたりして、一体どんなご用件なのかしら」

「今、この国は侵略を受けようとしている。普通に抵抗したのではとても太刀打ちできない数だ。シェラの知恵を貸してもらえないか?」

 シェラは口元に片手をやり、息を漏らすように笑った。

「こんな籠の中の鳥に一体何を期待されていらっしゃるの。国王様には有能な臣下がついているではありませんか」

「残念だけど、その有能な臣下を集めて会議をしても打開策が見つからない。過去にこの国を窮地に追いやった知恵を、今度はこの国を救うために役立ててもらいたい」

 割入るように牢の扉が開き、女中が椅子をクルツの傍らに置くとテーブルへカップを並べ、紅茶を注いだ。一礼し、彼女は牢を出た。シェラは「冷めないうちに」と勧める。立ったまま紅茶を手に取り、一口啜る。

「正直に申し上げますと、この国の存亡に一切興味はありませんわ。ご覧のように私は外界から隔離された身分。死んだも同然ですもの」

「だが生きている。シェラだって前国王の血族だ、この戦いに負ければ捕まり死刑は免れない。この国が救われたあかつきには、この鳥かごから出すと約束すると言ったら?」

「鳥かごそのものが隔離なのではなく、反逆者という事実が隔離だと言っているの。貴方にそれを取り払うだけの事ができまして?」

 表面での餌に乗ってこず言い返されてしまい、クルツは気後れした。

 今の所、臣下の多くはあくまでも前国王の第一後継者という目でしか見ておらず、父の威光によって支えられている。本当の意味での主従関係は築かれていない。シェラの言うことは尤もであり、彼女を擁護する形で取り払おうとすれば臣下達は強い反感を抱くことだろう。だが、

「出来る」

 クルツは言い切った。まとめる公算は今のところない。だが、もしシェラが勝つための手段を持っているのならば、そんなことは後回しでいいと思った。多くの兵士が、多くの民が犠牲になるくらいならば、些細なことだと判断したのだ。

 シェラはテーブルに車椅子を寄せ、紅茶を手に取った。両手で優雅にカップを持ち、そっと口をつける。

「……状況を説明してくださるかしら」

 カップを置いてそう言った。

 笑顔を浮かべてクルツは状況を簡単に説明していく。敵の軍勢はおよそ4万。指揮は慎重派で手堅い手腕のボルドー、副将には隣接国では猛将として名高いゴルヘス。他にも数人が中核指揮として帯同してきている。

 続いてベッドに持ってきた地図を広げ、周囲の地形や状態を説明した。

 城は山岳地帯の中腹に建設されており、南の国境に近い場所に砦が一つ、そこから北にあるこの城までは兵が通れる道は東側と西側の二つ。東側の道には元は古城と集落があったが疫病による被害が深刻だった事と失火による大火事が発生し、南街道の整備と砦建設が完了間近だったのでやむなく放棄され現在は廃墟と化している。西側は所要な街道であり、国の行き来は主にここを通ることになる。

 もし南にある前衛砦から東を進軍するならば古城までおよそ四日、西ならば砦まで一日半。日数の大きな原因は道の幅と長さ、そして西街道は高低差があまりないのに対して東は登っていくかたちだからである。

 ここまでクルツは説明したが、状況を説明しろといった当のシェラは紅茶の入ったカップを指で撫でまわすようにしており、あまり熱心には聞いていない様子だった。

「何か、聞きたいことは?」

「いいえ。ただ、冬の雨は指揮に影響いたしますので、お気を付けくださいませ」

 シェラが視線をクルツへ向けた――いや、正確にはベッドと並ぶようにある窓へ視線は向けられていた。その窓からは風見塔の旗がはっきりと見えた。


 ******


「申し上げます」

 陣の中で参軍らとともに作戦を話し合っていたボルドーの元へ報告が入った。

「敵は前衛の砦を放棄した模様。西街道へ陣を張り、防備を固めているとのことです」

「そうか。下がってよし」

 兵士を下がらせると図面の上に並べていた駒を報告の通りに動かす。

「えらくあっさりと後退しましたな」

 参軍が訝しげにボルドーに告げる。ボルドーもまたそれに頷いた。

「賢明な判断とも言えるが、これは罠を張っているとみて間違いない。まず一つは放棄した砦に誘い入れたいのと、西街道は通って欲しくないといったところか。東街道には廃墟がある、伏兵には打ってつけの地形だな」

 敵国の城から駒を動かし並べていく。

「斥候を出して、東街道と廃墟を調べさせろ。それと前衛砦とその付近も隈なく調べろ」

 次の日、ボルドーは兵を進めながら斥候の報告を待った。報告によれば砦付近に敵影はなく、中には多数の食糧などが残されているということである。

「ふ、食糧や休息を餌に閉じ込めて火計かとも思ったが、単に逃げ出しただけか」

 運び出せるだけの食糧を接収し、彼は用心して砦から北西へ少し進んだ小高い場所で陣を張り、警戒を強めた。陣中、次の作戦に移るためゴルヘス将軍を呼んだ。

「お呼びでしょうか」

「ゴルヘス将軍、貴殿は兵3万を率いて西街道から砦に向かって進軍してくれ。私は後方の憂いを断つために、ここで1万の兵とともに東街道を見張る。貴殿は敵陣を攻略しながら進むわけだが決して追撃はせず、敵の後退が完了するまで進撃してはならん。その後、西砦を陥落したらけっしてその砦を使わず、今のように外に陣を張るように。砦を陥落すれば次の指示を行う」

「承知した」

 日を改めゴルヘスの部隊が進軍を開始すると、ウェルゼの兵は交戦することなく陣を放棄して後退。言われたようにゴルヘスが進撃せず留まると、次の日にはまた新しい陣立てを行ったと報告が入った。

(この後退の仕方、どうにも時間を稼いでいるように見るが……。)

 そんな時、東街道に出していた斥候が戻り、「東街道、古城ともに伏兵の気配あり」と報告された。

(なるほど、東街道を通らなかった場合は時間を稼いで本陣を急襲か。しかし、無駄だな。)

 本陣に置いている数だけでもウェルゼ国の有する兵士より多い。さらにウェルゼ軍は本隊を西街道に6千を置いている。警戒している中で残り3千を用いて覆せる差ではない。

 ゴルヘスの部隊は順調に西砦の目前まで迫った。しかしそんな中、天候が突如として乱れると雨が降り始め、やがて霰混じりとなった。指揮の著しい低下を緩和させるため進軍を中止させ、その場で天候が回復するまで待機の指示を出した。

 氷雨が降り続いて三日目の事。

「ボルドー将軍、外を!」

 参軍に呼ばれ外へ出てみるとボルドーは驚く光景を目にした。降り続く雨は陣に沿うように北東から南西に向かって流れて川となっており、敵の前衛砦は浸水していたのである。

(そうか、時間を稼いでいたのはこれが目的か。危うく分断されるところだった。若造が跡を継いだと聞くが、さすがは智将の息子。なかなかやるではないか。)

 彼は土地に詳しいものを見つけ出させ、これらについて尋ねた。どうやら急激な雨量に対しては水はけの悪い土地で、度々砦は浸水するが雨が止んで一日経てば砦の水は引くらしい。ただ、川となっている部分は二、三日残るそうである。

(本来ならば東街道に潜ませた兵を動かし、この水計で砦で立ち往生した我々に奇襲をかけるつもりだったのだろうが、当てが外れたな。)

 夜が明けると強風が吹き荒れているもののついに雨が止み、ゴルヘスの進軍は再開された。ウェルゼの兵は南砦さえも放棄し、一気に城へ向かって後退を始めたと報告が入る。砦では3万もの敵兵を6千の兵で相手に出来はしない。ボルドーは奇襲も失敗したために籠城戦へ移行したと捉えた。

「明日、ここに5千の兵を残してゴルヘスと合流する。兵たちにしっかりと休息をとるよう指示しておけ」

 当面の問題は籠城戦の攻略だけとなり、合流してからウェルゼ軍の出方を窺うことにした。

 しかし、ここ数日でも一層冷え込みが厳しい深夜、状況は一変した。突如、鐘を打ち鳴らす音と共に「敵襲」という声が響き渡ったのだ。ボルドーは飛び起きて参軍を呼びつける。

「どこからだ」

「対岸から敵が!」

「とにかくすぐ迎撃させ、おおまかな敵の数を報告しろ!」

 彼は鎧を身に着けながら考える。

 奇襲にしても何故対岸からなのか。何故このタイミングなのか。こちらは主力部隊と離れているが、覆されるほどの兵力があるようには思えなかった。

 武器を持ち外へ出ると砦の水は土地の詳しい者が言っていた通り確かに引いており、陣と砦を裂くように川は残っている。ウェルゼの軍勢はこちら側へ渡っており、乱戦のような状態で交戦していた。

「陣形を乱すなっ、整えれば負けることはない!」

 相手の数はそう多くないと見極め、檄を飛ばし近い場所から混乱を鎮めていく。すると劣勢と見たウェルゼの兵士たちは次々と対岸へ逃げ出し始めた。

「逃がすな、殲滅しろ!」

 混乱が未だ続く前線へ自ら走り統制を整える。兵士たちは川へ体半分沈めながらボルドーに言われるがまま敵を追う。だが、逃げる兵士と入れ替わるように砦のある方向から兵士が現れ、今度はその兵士たちと交戦することになった。

「怯むなっ敵は攪乱させようといているだけで少数だ、応戦しろ!!」

 取り囲ませようと兵士たちを送り込む。が、どこか様子がおかしかった。取り囲めるほど数で勝っているはずのイブロン軍の兵士たちばかりが次々と倒れていく。後退していた最初の敵兵もいつの間にか戦闘に復帰し、川岸で交え始めていた。

「ええい、何故押し切れんのだ!」

 不甲斐ない兵士たちに苛立ちながら前進を指示する。しかしボルドーはここに来て初めて、敵に乗せられたことに気付いた。

(しまった、寒さで体が動かんのか……!)

 すると、それを合図にしたかの如く後方が赤く染まった。

「ボルドー将軍、我が陣営に火の手が!」

「なんだと!?」

 さっきまで整いかけていた軍勢はたちまち大混乱となった。ボルドーがいくら呼びかけようが指揮系統はまともに機能しなくなっている。対岸で応戦していたウェルゼ軍は烏合の衆となった我が軍の兵士たちを蹴散らしながら徐々に迫ってくる。

「ボルドー将軍お逃げください、このままでは全滅いたします!」

 馬に乗った参軍がボルドーの馬を連れてきた。逡巡するも馬に跨り、

「後退だっ、ゴルヘスのところへ退け!!」

 と命令した。兵士たちはクモの子を散らすように逃げまどっていた。

 ボルドーたちも一目散に西へ馬を走らせるが、いくらもしない道中で自軍の早馬と遭遇した。

「大変でございます、砦に駐屯したゴルヘス将軍が敵の伏兵と思わしき焼打ちに会い、混乱に乗じて討ち取られました!」

 彼は耳を疑った。

「何故だ、何故砦に駐屯したのだ、私は砦には入るなと命令したはず……」

「降り続いた雨と強風、それと付近に敵兵の姿が見えぬことから、ゴルヘス将軍はこの寒さから兵を少しでも休めるために陣を張らず砦を占拠したものと思われます」

「……砦には全部の兵は入りきらぬはずだ、残った兵はどうした?」

「ゴルヘス将軍が討ち取られ混乱状態のため指揮がままならず、半数はこちらへ向かっております」

 ボルドーは脱力して天を仰いだ。後方では自分の率いていた1万は壊滅的被害を受けている。前方の部隊もおそらく主力が壊滅しているに違いないと判断した。

「将軍、いかがなさいますか」

 参軍が馬を横につけ、指示を待つ。

(おそらく残存兵力では籠城戦は勝てん。敵前衛砦を奪取して味方の援軍を待つ手もあるが……それも読まれていると考えるほうが妥当か。これ以上の被害は避けたい。)

「残った部隊が集まり次第、体制を整え後方の敵陣を突っ切り自国へ撤退する。念のため、殿はこの私が務める、お前が先頭を指揮しろ」


 ******


「若、ご無事でなによりです」

 城門を潜る早々、ユーニーが満面の笑みで両手を広げ出迎えた。

「聞いておりますぞ、大した被害もなく大勝利だそうで」

「いや、将兵たちの働きのおかげだ。それに……」

 馬を降りユーニーと歩きながらシェラの幽閉されている塔を見つめた。

「彼女が協力してくれなければ、こんな結果になっていない」


 時はクルツがシェラの牢を訪ねたところまで遡る。


「シェラ、確かにこの時期の雨は指揮を奪うが、なんだ突然?」

 紅茶をソーサーに置くと「クゥベルカ」と、外に待機していた女中を呼んだ。

「西側の本棚からオレンジの本を3冊」

 クゥベルカは言われた通り本棚から持ってくるとテーブルに二冊置き、一冊をクルツへ手渡した。彼が開くと、びっしりと書き込まれていたのは近年の寒暖など気象に関する事柄だった。

「あと七日もしない内に雨が降るでしょう。それも豪雨が。本来なら雪が降る時期ですが、例年よりも暖かいため雪は降らず雨になります」

 籠城して敵の指揮が下がるのを待てという意味かとも思ったが、それならば雪の方が好都合である。クルツは何を言おうとしているのか理解できないでいる。

「おそらく相手も雪が降らない事を薄々分かっているから、こんな時期でも進軍してきたのでしょうね。春まで待っては機を逃しかねませんもの」

 煙に巻かれている気分で彼は黙って聞いた。シェラはクルツのそんな顔を楽しんでいるようにも窺える。

「雨量が多い時、前衛の砦が浸水することは、ご存知ですわよね?」

「あ……ああ、砦にその為の対策はしてある」

「その対策を全て取り払い、食糧などは残したまま撤退してください」

「……そうか、敵を砦に誘い入れて浸水したところを襲撃するのか」

 自分で言っていて疑問ばかり浮かんだ。

 確かに浸水するが砦の大半が沈むわけではなく、人の胸元くらいまでだ。それに水は一日経てば引く。また、奇襲する部隊をどこに潜めておくのか。堰を切って鉄砲水で敵兵を押し流すわけでもないので、兵力差そのものに何の影響も及ぼさない。

「慎重なボルドー将軍であれば、砦に迂闊には入らないでしょう。大方、砦から少し離れた北西の見晴らしの良い場所に陣を張るのではないかしらね」

 この思慮の深さは誰かに面影があった。

「ともかく、順を追って説明しますわね」

 ベッドに広げられた地図に車椅子を寄せると、クゥベルカがどこからか持ってきた差し棒を手渡した。

「まず、西街道に国王様自ら6千の兵を率いて陣を築いてください。そして、東の古城に5百、東街道に2千5百を伏兵として配置。ボルドー将軍が後方からの奇襲を避けるため、こちらの全戦力より多い1万と共に陣に残り、伏兵の疑い・進軍速度・戦闘になった場合の広さから敵は3万をゴルヘス将軍に任せて西街道を選択します。進軍してきたら前衛砦と同じように陣と食糧などを放棄し、ゆっくり後退します。敵は警戒して追撃はして来ず、一度進軍を止めその陣を使うでしょう。次の日に進軍を再開したら、また同じように後退します。陣三つを放棄したら砦に入ります。このくらいで雨が降り始めるはずなので、相手の進軍は一旦止まります。そこでばれぬよう砦の兵1千を、昼夜を問わず東の古城へ移動さてください」

 まだクルツには作戦の全容が見えない。一体、何を狙っているのか必死に頭を巡らせるが答えに結びつかない。

「東街道に配置した兵は敵が西に向かって進軍を始めたら斥候を警戒しながら徐々に古城へ集まり、筏を用意させます。それと合わせて古城から少し東に、普段は人が二人やっと通れるほどの狭い谷があり、そこは特に雨水が集まる場所で且つ水はけの悪い地面なので簡単な堰を築いてください。雨は三日ほど降り続くので三日目の夜の内に筏を浮かべ、合流した1千を残し、堰を崩して川を下ります。半日立たない時間で自然に前衛砦に辿りつくので、そこで息を顰めながら休息と暖を取ってください。砦と陣は距離があり、また夜間の雨が視界を悪くするので見つかることはありません。川を下ることに不慣れで途中で脱落する部隊もいるでしょうが、水道は砦側から迂回するように南西へ向かう事、流れが速い事を計算すれば死体や筏が敵陣の川岸間近を何かの間違いで運悪く通らぬ限りは、悟られることもありませんわ」

 シェラは一度差し棒を左手に持ち、空いた右手を横へ差し出すと紅茶の注ぎ足されたカップをソーサーごとクゥベルカが無言で近づけ、彼女は取っ手を掴んで口を湿らせる。唇へ二度つけ、満足するとソーサーへ戻した。

「さて……雨が止むと敵は進軍を開始しますが、この西砦も他と同じように一旦は放棄します。ただし、敵は寒さからくる指揮の低下と相手が逃げ続けていることで慢心し警戒が緩んでいます。なので、砦の中に兵士を潜ませようとも、充分に油を染み込ませた藁をあらゆる場所に設置していても気づくことはありません。ゴルヘス将軍は猛将ですが慎重さに欠ける部分があります。最初は言いつけを守っていたものの、ボルドー将軍がいくら念押ししていても、その先の籠城戦を懸念し砦に兵を入れて休ませるはずです。あとは後退した5千は反転、寝静まるのを待ってから伏している兵が開門と火つけを行い、混乱している所を襲撃します。我々がうっかり大量に忘れていったお酒でも召し上がっていたら、ゴルヘス将軍も討ち取れるかもしれません」

 突然、クゥベルカが車椅子をベッドから少し離したかと思うと、シェラは肘置きに両手をついて立ち上がった。

(え……立ち上がった……?)

 優雅にゆっくりと腰を振り、一歩、二歩とクルツに近づく。

「国王様は私が歩けないと勝手に思い込んでおられましたね?」

「ああ、車椅子にずっと座っているものだから……」

 彼女の口元が緩んだ。

「生まれつき足が弱いので使っているだけですわ。歩けないわけではありません」

 自分の尻のあたりを払う仕草を見せると、再び車椅子に座った。

「ボルドー将軍も、雨が止んでこちらが南砦を放棄したとき、今のように先入観を持つことでしょう。伏兵を阻止した、奇襲を阻止した、もう打つ手はなくこれで籠城戦に決め込んだな、と」

 笑みを消すように頬や唇を左手の人差し指でなぞる。

「雨が止んで陽が落ちたら、古城に残した兵1千が川を下り敵陣側の川岸へ上陸し、身を顰めます。こちらも警戒は緩むので寝静まるのを待ち、砦から半数を出して奇襲を仕掛けます。いくらか戦い、頃合いを見て砦に逃げるように見せかけ敵を川へ引き込みます。敵兵は深夜の奇襲で叩き起こされ、また寒空の中を充分な防寒対策も取れないまま戦闘を開始します。そのタイミングで砦に残っていた半数を出し、川岸で迎え撃ちます。体を温め防寒を施したこちらと違い、敵兵は寒さから体が思うように動かず、面白いほど圧倒できるはずですわ。対岸で迎撃するタイミングで潜んでいた1千の兵は本陣を急襲し、火をかけます。これで前も後ろも混乱し、統制は崩壊するでしょう。ただ、ゴルヘス将軍の率いていた部隊が殲滅できるわけではないので、ボルドー将軍と合流するはずですが、おそらく進軍を諦め前衛砦側を通って撤退を開始します。その部隊には追撃など加えず、そのまま見逃してください。慎重なボルドー将軍ですから、また罠を仕掛けられていると訝り、前衛砦に居座って援軍を待ったりすることなく素直に引き上げますわ。何かご質問は?」

 反論のしようなどない。クルツにすれば無造作に散らばっていた積木が、気づけば目の前に形を成して積み上げられていたような気分だった。手を重ね淑やかに座る華奢な彼女だが、体に収まらぬ大きな何かを潜ませているように感じる。

「……これで間違いなく勝てるのか?」

「将兵が勝手に動いたり、運に見放されない限りは」

「わかったよ、ありがとう」

 地図を丸め、部屋を出た。女中が座っていた椅子に遅れていたユーニーが腰かけており、出てきたクルツへ歩み寄る。

「何か良い策は頂けましたかな?」

 鉄格子の中で顔も見えない女を一瞥してから階段を下りていく。

「ああ。これで勝てるそうだ」

「左様でございますか、この老体も鞭打って戦わねばなりませんかな」

「だけど実は策を貰う代わりに一つ約束をしたんだ」

「ほぅ、それは一体どのような?」

「彼女をこの塔から出す」

「若それは……」

「わかっている。もし無闇に出すようなら重臣らに不信が募り軋轢を生む。この策も当分は僕とユーニーで考えたことにしておこう」


 祝賀の宴を抜け出し、クルツはシェラの幽閉されている塔を上った。最初と同じようにクゥベルカがクルツの姿を見て一礼し、鉄格子の鍵を開ける。クゥベルカに持ってきた籠を手渡し中に入る。シェラはストールを羽織り車椅子で本を読んでいた。

「結果は聞いていますわ。おめでとうございます」

 本から目を離すことなくそう告げた。

「シェラの策のおかげだ。それと約束だが、しばらく待ってくれ。時期が来たら必ず果たす」

 彼女は特に気落ちした様子もなく「そう」とだけ漏らす。

 クゥベルカが椅子を一つ置き、テーブルに一人分のナイフとフォークをセッティングすると彼が籠に入れて運んだワインや食べ物を並べた。グラスだけ二つ置くとワインの栓を外しクルツの側から注ぎ、続いてシェラのグラスに注ぐ。

「ささやかだが、シェラにも振る舞おうと持ってきた。食べてくれ」

 やっと顔を上げてクルツを見た。クゥベルカが車椅子をテーブルまで押し、閉じた本を受け取ると本棚へ戻す。先にグラスを持ったクルツに対してシェラもグラスを持ちあげると、

「国王様の未来に」

 そう言ってから口へ傾けた。

「国の未来に」

 クルツも捧げて煽った。

 食事が終わり、食器が下げられるのを待ってから彼は引っ掛かっていたことを尋ねる。

「シェラ、幽閉という現状はただの建前じゃないのか?」

 口元しか見えない彼女から表情を読み取るのは難しい。だが、クルツは続ける。

「まず、シェラの頭脳を用いれば脱出することは造作もないはずなのに、キミはそうしない。さっきナイフとフォークを並べた時も興味を示さず、普通に食事を終えた。僕を刺し殺すことも人質に取ることも出来ただろうに。それはシェラにその意思が皆無であることを意味する。次にクゥベルカは7年間シェラの世話をしているそうだが、洞察に優れた人物なのは認めるが、それにしても君の行動に呼吸が合いすぎている。おそらく世話という名目による監視が目的ではなく、君の手足としてここに居るではないだろうか。その理由は僕が状況の説明をしたことよりもシェラは詳しいことを知っていた。地形、環境、敵の将軍の性格。ここへそれらの情報を持ち込む人間がいなければそれは知り得ない事柄だ」

 彼からは見えない視線がジッと見据えてきている。

「次に、窓が多すぎる。この部屋に3つ、格子の先に見える階段の所に1つ……普通ならばこんな狭い場所に窓は4つも必要ない。この城の中で最も高い位置にあり東西南北の周囲の景色も見渡せるうえ、風見塔も見えることから僕に見せてくれた本のように観測が目的ではないだろうか。わざわざこんな場所にいる理由はそれだけじゃない。父はシェラの才能を見抜いたのと、その当時僕が若すぎたことを懸念し、キミに様々な知識を学ばせ、僕が充分な知識と経験を吸収する前に父の身に何かあった場合に備え、国の窮地を救う切り札としたのじゃないのだろうか。箝口令を敷き幽閉に見せかけるのは、他国に存在を知られないようにするため。別の言い方をすれば、シェラの身の安全を確保するため……僕の命が無くなっても、一族の血を絶やさぬ切り札でもあるため。これらの推測から幽閉は形骸――いや、周囲を欺くための囲いでしかない」

 シェラの口元が緩むと、右手の指先を当てて静かに笑った。

「……では、国王様には本当の事をお話ししておきますわね。私は国を崩壊へ招こうとし、その罪は母上が肩代わりして国民から罵声を浴びながらゆっくりと火あぶりで処刑され、そして私は重臣から嫌われ腫物を扱うようにここへ閉じ込められた……ただ、それだけ。国王様は前国王様に負けず聡明なようでいらっしゃいますが、少々、お優しすぎるみたいですわね」

 内容に対してぼやかすような否定だけで細かく何も訂正しないことから、クルツは推測が間違いではないことを確信した。

 あとは何も話すことはなく、ただ、姉弟で静かにワインを飲んだ。

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ラグドール 葵 一 @aoihajime

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