第2話 アムドが擬人化した理由

 私とアムドは件のPCパーツ専門店にやってきた。


 店頭に空っぽの展示ボックスが置いてあった。本来なら、ここにお客さんから預かった殻割済みのRYZENが展示してあるはずだ。


 アムドが空っぽの展示ボックスを指の腹でなぞった。


「ここにわたしはいました。そして謎の人物の導きによって擬人化したんです」


 どうやら真実に一歩近づいたらしい。ならば持ち主も探し当てようではないか。


 私は近くの店員さんに声をかけた。


「お仕事中に失礼します。こちらに展示してあった殻割り済みのCPUについてお尋ねしたいんですが」


「はいはい、それがですね、最初は盗難だと思ったんですよ。でも監視カメラには犯人らしき姿が映ってないんです。スロー再生しても、あるコマの時点で、ぱっと消えてしまって……まるで神隠しみたいに」


「実はこちらのAMDカラーの子が擬人化したんです。信じないと思いますけど」


「まぁここは秋葉原だから、そういうファンタジーな冗談もありだと思います…………ってあれ、このAMDカラーの子、殻割りRYZENを貸してくれた子にそっくりだ!」


 店員さんが大声で飛び上がった。ずいぶんと大げさなリアクションである。もしかしたら陰謀めいた事情が隠れているのかもしれない。


 私は呼吸を落ち着けてから、ふたたび質問した。


「髪の色と洋服の色が似てるんですか? それとも顔も体型も似ているんですか?」


「顔と体型が似てるんですよ。でも持ち主の子は、黒髪だったし、服装はもっと地味だったから、まったく違うんですけど……とにかく、こちらのアカウントを見てください」


 店員さんは、スマートフォンで、とある個人のSNSアカウントを表示した。


 アイコンはウサギであり、自己紹介欄には自作PCが趣味であると書いてあった。


 だが更新が数週間前に停止していた。トップにはこんなツイートが固定してあった。


『こちらのアカウントの親です。うちの娘は持病が悪化して永遠の眠りにつきました。みなさま、うちの娘と仲良くしてくださって、ありがとうございました』


 店員さんは、ちょっと悲壮な顔で事情を語った。


「持ち主の子は、数週間前に病死しています。去年十八歳でした。我々も葬儀に参加したんですよ。昔から馴染みのあるお客さんで、お母様が代わりにパーツを買いにきていたんです。この子は持病が重いものだったので、家の中でやれる趣味として自作PCをやっていたものですから」


「そんな重たい事情があったんですね、殻割りRYZENには」


「ええ。だから店頭の殻割りRYZENがなくなったときは、みんなで怒ったんです。なんて大事なものを盗んだんだって。でも監視カメラを見たら犯人の姿が映っていなくて……今度は怖くなりました。もしかして本当にオカルトなんじゃないかって」


「なんかもう偶然じゃない気がしてきました」


「はい。でも他人の空似というだけかもしれないので、もしなくなった殻割りRYZENを発見したら、ぜひとも当店にお知らせください」


 あとは形式どおりに挨拶をかわして、私とアムドはお店をあとにした。


「アムドと、病死した女の子が、そっくりさんか。なにか関わりがあるのかな?」


 私は青空に向かってつぶやいた。


「少なくともわたしには、病死した女の子の記憶はありません。擬人化してからの記憶があるのみです」


 アムドも青空を見上げていた。


 擬人化したCPUが存在していて、しかも病死した女の子と似ている。


 まぎれもなくオカルト話である。


 オカルトを解決する現代のお仕事といえば、ずばりお坊さんだろう。


 浅草寺に親戚の住職がいるから相談してみよう。


 私とアムドは浅草に向かって歩き出した。


「由紀子さん。わたし、お腹がすきました。なにか食べたいです」


 アムドが昼食を求めていた。


 苦学する大学生に昼食代を求めるというのか、この擬人化CPUは。


 私は、親の仕送りと、日々のアルバイト代を合算して、学費と生活費に充てている。そこから気合で捻出した余剰金額を使って、ちびちびと自作パーツを購入している。だからうちで使っているPCだって超高性能というわけではない。


 自作パーツの知識だけはあるのだ。お金がないだけで。


 もしお金が余っていたら、最新ゲームが動くようなゲーミングPCが欲しい!


 ……なんて台所事情をアムドに語ったところで、彼女は擬人化したばかりで人間の世界にツテがない。


 私が食わせてやらないといけないんだろう。


「アムドはさ、常識の範囲内で食べたいものってあるわけ?」


「あちらのお店にある、ラーメンという食べ物に興味があります」


 ふと気になったので、病死した女の子のSNSアカウントを調べた。


 一度でいいからラーメンを食べてみたい、というつぶやきがあった。どうやら持病のせいで食べ物の塩分に制約があったらしく、ラーメンなんてご法度だったようだ。


 アムドがラーメンを食べたがっていることと、病死した女の子がラーメンに興味を示していたことは、偶然の一致だろうか? それとも必然とか。


 それを知るためにも、私とアムドは浅草にあるラーメン屋に入った。


 二人とも魚介スープのつけ麺を食べた。


「とてもおいしいですね、由紀子さん!」


 アムドは舌鼓を打っていた。こんなに喜んでもらえるなら、おごってよかった。


「アムドはRYZENの擬人化でよかったね。もしFXの擬人化だったら、らーめんの熱だけで壊れたかもしれないし」


「それはそうなんですが、今も熱を効率的に放出できていないですね。リテールの冷却ファンではなく、サードパーティー製の大型ファンを求めます」


 アムドは胸元のリボンをつまんでいた。どうやらこれが冷却ファンと同じ効果を発揮しているようだ。


「リボンを大きくすれば、冷却ファンの口径を大型化したのと同じ効果になるかな?」


「そうですね。水冷化キットは現実的ではないですから、リボンを大きくしてください」


 また私が出費するのか。ちょっと泣きたくなってきた。でもまた熱暴走で動けなくなるのも困る。しょうがないので適当なお店に入ると、大きめのリボンを購入した。もちろん一番安いやつ。


「これが人間の可愛いなんですね、由紀子さん」


 アムドが大きめのリボンに付け直した。彼女は顔の造形が可愛いから、どんなデザインでも似合っていた。ちょっと妬ましいかもしれない。


「私はお洒落を語れるほど可愛くないからね。リボンなんてとてもじゃないけどつけられないし」


「わたしは可愛いと思いますよ、由紀子さん。だから、わたしが擬人化したときからつけていたリテールのリボンを、由紀子さんにあげますね」


 小さいリボンをもらった。でも私がつけても本当に似合わないからカバンにつけた。


 するとアムドが無邪気に微笑んだ。


「とても似合っていますよ、由紀子さん」


 なんて毒らしい毒がない子だろうか。それはそれで心配だ。人間の世界で正気を保ちながら生きていくには、悪意という名の毒に耐性を持つ必要があった。


 とくに東京の人間たちは、営業スマイルの下に見下しの刃を隠している。だから私は大学の同級生に不信感を抱くようになった。こいつらには本音を話さないほうがいいなと。


「アムドはさ、すぐにでもCPUに戻ったほうが、幸せだと思うよ」


「もしかしてわたし、人間が似合っていませんか?」


「そうじゃないよ。もし人間が似合うようになったら、アムドも怖い女の子になるのかもしれないから」


「由紀子さんは、他の人間が怖いんですか」


「怖いよ。だってすぐ嘘をつくし、見下すし、自分の嫌いなものを否定するためなら、なんだってするんだから」


 私だって、もう大学生である。小中高という、だいたいの人が通る道のなかで、酸いも甘いも経験した。


 あの狭い教室のなかで、まるで政治の派閥争いみたいな足の引っ張り合いが起きた。


 さっぱり理解できなかった。なんだってこの人たちは『誰々が嫌い』という黒い感情を人生における最優先目標にしているんだろうか。他にもやることはあるだろうに。


 教室という特殊な空間の息苦しさを思い出すだけで、気が滅入ってきた。


「由紀子さんは、繊細なんですね」


 アムドが私の手を握っていた。なんて温かい手だろうか。


「ただ臆病なのだけかもしれないよ」


「他人を深く傷つけるよりは、いいような気がします」


「そんな上等な人間でもないかな。どちらかといえば、ただうんざりしやすい性格なのかもしれないね」


 なんて会話しながら都内を歩き続ければ、かの有名な浅草寺に到着した。


 観光スポットとして定着しているため、国内外の観光客でごった返していた。なにか特別なイベントがなくとも、常に人間が溢れている。これだけ人混みが濃いと、ただ歩くだけで他人の体臭が気になってしまう。


 タバコの臭いは嫌いだ。あと汗臭いのも苦手だ。でも汗は生理現象だから気にしたら負けだろう。ただし明らかにお風呂嫌いが原因の人もいるみたいだから、一日一回は入浴してほしい。お願いだから。


 なんてことを考えながら、私とアムドは浅草寺の人混みをかきわけていく。


 アムドが迷子にならないように、手を繋いだ。だがもしかしたら私が人生で迷子にならないように、アムドと繋がったのかもしれない。そんな戯れ言を考えるほどに人混みが嫌いだった。


 ようやく境内に達すると、親戚のお坊さんが待っていた。


「こんにちは、由紀子ちゃん。半年前の法事以来かな」


 頭を丸めた中年男性だ。今年で五十歳だが、中年太りとは無縁で枯れ木みたいに痩せている。目尻の皺が深くて、いつ会ってもありがたい顔をしている。名前は宮内義之さん。親戚一同は宮内おじさんと呼んでいた。


 私は宮内おじさんにお辞儀した。


「どうもお久しぶりです、宮内おじさん。このAMDカラーの子が、事前に伝えておいた擬人化したCPUだよ」


 説得力を出すために、アムドはCPUを手のひらに具現化してから、すぐに消した。


 宮内おじさんは、魚みたいに目を大きく開くと、ゆっくりとうなずいた。


「ははぁー、本当に擬人化なんて起きるんだねぇ。かれこれ三十年近く仏道を歩んできたけど、こんな目にはっきりと見える心霊現象は初めてだよ。人形の髪が伸びるとか、幽霊の訴えを聞くことになるなんてのは、日常茶飯事だけどねぇ」


「今だったら、呪いの人形を見ても驚かないと思うな」


「うんうん、由紀子ちゃんが心霊現象を理解してくれて、おじさんは嬉しいよ。みんな信じてくれないからさ」


「そんなおじさんなら、アムドがどうして擬人化したのかわかるんじゃないの?」


「うーん、具体的な方法まではわからないけど、強力な人間の意志を感じるよ。呪いの人形とか、付喪神の感覚に近いはず」


 宮内おじさんは、アムドの額あたりに人差し指を当ててから、念仏を唱えた。低い声による祝詞が続くと、なぜか参拝客や観光客の声が遠ざかっていく。


 浅草寺の本堂に一陣の風が吹いた。天井から釣り下がっている金色の鐘や、仏像に捧げてある鏡台が不自然に揺れ動く。


 私は身震いした。人間の常識を無視した超常現象が起きている。どうやらアムドはオカルト中のオカルトだったらしい。


 宮内おじさんが、年季の入った数珠を握り締めた。


「遠くから声が聞こえる……二人とも聞こえるかい?」


 私とアムドも耳をすませた。


 どこからともなく、声が聞こえてくる。


『我は病気で亡くなった娘の願いを一つだけ叶えた。あの子は幼いころから病気で自由に動けなかった。だから自由に動ける体を手に入れて、同性の友達を欲しがっていた』


 アムドが虚空を指差した。


「あ、この人が、人間の友達を作ったらCPUに戻れると条件を出した人ですよ」


 私にはなにも見えないのだが、アムドにはなにかが見えているらしい。


 宮内おじさんも、追加の念仏を唱えてから、虚空に向き直った。


「どこの宗派の神様かわかりかねますが、CPUに生命を与えるなどと、なにかの気まぐれでしょうか?」


『無念を抱えながら亡くなっていく人間の強い感情が神を動かした、というだけだ。それ以上でも、それ以下でもない』


「つまり気まぐれというわけですな。無機物に意思を与えると、いたずらに混乱を増やすですよ。今後は自重していただきたい」


『我が神とわかって意見するのか、浅草寺の神職者よ』


「神職者といえど、神に唯々諾々と従うだけなら、あなたがたは人間に意思を与える必要がなかったはず」


『問答を続けても意味はない。病死した娘の願いはすでに叶えた。あとはお前たちがどうするかだ』


 神様の気配が消えた。彼はどうやら気まぐれによって人間界を乱すことがあるようだ。神様は万能ではないどころか、人間に試練を与えるのかもしれない。


 それはともかく、今大事なことはアムドをどうするかだ。


「ねぇ宮内おじさん。神様の気まぐれで擬人化したアムドだけど、やっぱり元に戻ったほうがいいよねぇ」


「いくら無機物といえど、意思を持ってしまったなら、本人の意見を尊重しよう。元の姿に戻りたいなら元の姿に戻ったほうがいいし、戻りたくないなら戻らないほうがいいだろうさ」


 宮内おじさんの一般論に対して、アムドはこう言った。


「できれば元の姿に戻ったほうがいいんでしょうね。どうやら神様という存在は、気まぐれによって、みなさんを混乱させているみたいですから」


 アムドの意思は固まった。なら次は私がどうするかだ。究極をいえば、アムドを手伝う義務はない。だが見捨てていくのも罪悪感があった。乗りかかった船という言葉もあるぐらいだし、どうせなら最後まで手伝うとするか。

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