第5節

 街へ繰り出すと、早速、乎夜梨はあれこれと店を見て回り俺を各所へ連れ回した。それは正に端から端までといえる距離だろう。途中、イタリア料理の店で昼食を取り、再び買い物を続けた。気付けば日は暮れかかっており半日近くを歩き回ったようだ。しかし、それでも買ったのは三つほど。それも安物ばかり。

 遠慮しているわけでは無さそうで、単に欲しい物が安いだけか、高い物一つより安い物を幾つも買う方が好きなのかも知れない。

「まだ欲しい物はあるか?」

「ううん、もう思いつかない。でも、クタクタ~」

 俺には大したこと無いが、やはりこの少女くらいだと相当な距離になるだろう。見るからに疲労していた。

 ――戻る前に少し休憩を取るか。

 昼食の時以外、全く足を止めていない。さすがに俺も喉が渇き、休憩できそうな所を捜したがある店を思い出した。

「俺も喉が渇いた。休憩するのにいい場所を知っている」

 そう言って俺は商店街の裏側へと足を向ける。さほど距離はなく、五分ほどで到着した。

「アーク?」

「そうだ。方舟(はこぶね)という意味がある」

 俺がよく利用するショットバー“Ark”。情報の交換や人と会うのにも良く使わせてもらっている。古いジャズが中心に店内に流れており、同じ獣の臭いを持つ奴らが集まる独特の雰囲気が好きだ。

 戸を押し、店内へ入ると俺が一番好きなジャズがかかっていた。今は一つのテーブルに男三人が居るだけだ。

 店内はそう広いわけでなく、カウンターに七人、四人掛けのテーブルが二つ、二人掛けのテーブルが一つ。余程、客が入ってくるようであれば、周りのテーブルを詰めて三人掛けくらいのテーブルが一つ出される。

「久しぶりだな」

「いらっしゃい。今日辺り来るような気がしたよ」

「時間も大体当てたな。いい勘だ」

 軽い挨拶を交わしながら、カウンターへ腰を降ろした。隣にキョロキョロ周囲を見渡しながら乎夜梨も座る。

「おや、女連れとは珍しい。若いけど、愛人ですか?」

「あと十年もしていい女になってるならば、それも有り得るだろう」

 乎夜梨にだけ気を利かせてつまむ物を出し、俺の前にはコースターだけが置かれた。

「黒鷲さんらしい回答ですね。で、何にします?」

「スコッチ。こっちにはソフトドリンクを」

「あ、乎夜梨も何かお酒飲んでみたい」

「……だ、そうだ。薄目のカクテルを作ってやってくれ」

 マスターは失笑すると二つのグラスに氷を入れ、片方にスコッチウィスキーを注ぎ、もう一方にオレンジジュースとジーマがブレンドされた。

「さぁ、どうぞ、お嬢さん」

 マドラーで一混ぜしてグラスが乎夜梨の前に置かれた。ニコニコ笑顔でカクテルを持つと、

「かんぱーい」

 俺のグラスへ軽く当てた。彼女がグラスを唇に触れさせてから、俺もようやくグラスを手に取る。

「そうそう、シルバーさんから言伝を頼まれています」

「……それで?」

 スコッチを少量口に含み、ゆっくり喉へ通しながらマスターを見やる。

「貴方の後ろで待っていると」

 手を向けられ振り向いた。すると、さっきまで誰もいなかったはずの二人掛けのテーブルにシルバーがおり、こちらへ静かに手で挨拶をした。こちらも同じように手で挨拶をしてから、グラスを持ってシルバーの席へ移る。

「来ていたのか」

「ああ。仕事が終わって、一息付いていたところだよ」

 キープのワインボトルを傾け、空のグラスに赤い液体が注がれていく。

 ――どうやら、無事に仕事はこなせたらしい。

「キミこそ、まさか女連れとは思わなかったよ」

 マスターと話をしている乎夜梨へ横目に眺めてそう言った。

 ――シルバーなら、話しても良いかも知れない。

 そうも思ったが、口は開こうとはしなかった。やはり、信頼できる人間でも、言える事とそうでないことがある。それに、仕事の瞬間を目撃した人間を連れて歩いているなどと知れれば、組織内で今以上に良い影響を与えない。

「妹だ」

 適当な単語を出して俺はその事を隠した。

「なるほど。実は、キミに話しておいた方が良さそうな事がある」

「だから俺を待ってたのか?」

「今日会ったのは偶然に、だよ。率直に言うと、キミの組織内での立場が微妙なものになってきている」

 ――だろう……な。

 幹部の連中やキュンストラーというものにまったく従う様子もなく、協調性も持ち合わせていない。何故そんな俺が会社に属しているのかと問われれば、俺には「理由はない」としか答えられない。誘われたから属したに過ぎないのだ。

 元々、一匹で売っていた。それを突然に協調性なんて求める方が土台無理である。

「どこかのスパイという疑いも出てきている。これ以上の勝手な行動をしていると――」

「消される……か?」

 好きな曲が終わり、次の曲が流れる数秒の間が完全な沈黙を生んだ。

 シルバーは頷き、ワインにそっと口をつける。ポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱から、俺は一本取りだし火を点けた。

「キミはそれを判っていながらやっているんだな。じゃなきゃ、あんな場所でいつまでも自分のポリシーがどうなんて言えない」

 ――自分もそうだろ。

 ワインのボトルを持ち、彼はグラスに注ぎ足した。俺は大きく煙を吸い込むと、ゆっくり鼻から抜いた。

「他人の心配をするなら、自分の事も心配した方がいいぞ」

「だから言ってるんだよ。もし、キミに消えられたら、次はついでみたいにボクに矛先が向いたら困るじゃないか」

 煙草を持つ手で薄まったスコッチのグラスを回し、水と混ざり合った頃合いに半分を一気に口へ入れた。

「どうしろと言うんだ。大人しく牙を抜かれて、総入れ歯の飼い犬になれと言うのか?」

 椅子に凭れて傾ける。二度、荒っぽく燻らせると、銜えた煙草の灰が服の上に落ちた。

「……どうやら、ボクも逃げる準備をしておいた方が良さそうだ。キミとの仕事が一番楽しかったんだけど」

 そう言って残念そうにグラスのワインをテイスティングする。

 ――勝手な事を言う。

 すでに俺が殺される風な言い方だ。もしかすると、実行は近く。シルバーなりの警告なのかも知れない。

 ――そろそろ、潮時か……。

 やはり、俺は一人の方が性に合っている。昔から集団での行動は苦手だった。

「そんなことより、妹さんはほっときっぱなしでいいのかい?」

 乎夜梨を完全に忘れており、振り向けば彼女はテーブルに突っ伏していた。

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