第3節

 キャンバスに下書きをしただけのような、真っ白な校舎と校庭。

「おーい!」

 こっちに向かって走ってくる女の子。後頭部と天辺との真ん中辺りで作った馬のような尻尾。その尻尾が左右に振る腕の動作と意図無く交互に合わせて動いている。

 俺も分かるように彼女に大きく手を振り返してやる。

 間もなく、その女の子は俺達二人の前へと辿り着いた。

「暇人一号、とうちゃーく」

「失礼ね。こんな寒い中、折角来てあげたのに」

 着いて早々の俺の言葉に彼女は機嫌を損ねた様子もなく、笑いながら右手を腰に手を当てる。そして、俺の隣にいる少女に彼女は視線を合わせる。

「この子は?」

「ウチの隣に住んでる、白積雪那ちゃん。こっちは――」

「よろしく。私は坂崎くんの同級生で、村上むらかみ りん。“かみりん”とか“リンリン”とかって呼ばれてるから、雪那ちゃんも好きに呼んでいいよ」

 両膝に手を当て、腰を落として雪那ちゃんに目線を合わせながら、紹介するより早くかみりんは自分で勝手に名乗りを挙げた。

「は、はい。じゃぁ、か、かみりんさんで」

 緊張したように胸元に手を持っていきながら、返事をした。

「うん。それで、まさか三人で雪合戦じゃないよね?」

「一応、宮守みやもりは呼んだよ。そろそろ来ると思うぞ」

 奴の名前を出すと、かみりんはサッと視線で空を仰いだ。

「ふーん。宮守が来るんだ。へぇー、そうなんだ」

 と、少し不満げな口振りだが、髪や服装をチェックし始める。それも明らかに見えている仕草を隠そうとする上で。

 そこへ、噂をするとなんとやら。白い校庭を全力疾走で駆け、俺達に近寄ってくる男が見えた。

「坂崎いぃぃぃっ!!」

 鬱陶しい雄叫びを上げながら、そいつは蹴り上げた雪を俺達に撒き散らして、目の前で急停止。ゼェゼェと息切れが激しい。かみりんは慣れたものだが、初めての雪那ちゃんは眼を真ん丸くしている。

「よう」

「凛さんはっ、凛さんはどうした!!」

 俺の襟首を掴むと、全体重で引き付けながら顔を間近に寄せてきた。

「私がどうかしたの?」

 自分の事で慌てている宮守に、かみりんは訝しげな表情を浮かべる。

「り、凛さん!? 無事なのか!!」

 ポイと俺の首を投げ捨て、今度は彼女の両肩を力強く掴み揺さぶる。

「え? 何の話よ」

「まぁ、あれだ。時間の節約というやつだ」

 俺が襟を正しながら告げた。刹那、焦り疲れていた宮守の顔がこちらへ向き直り驚愕の形相に変化した。

「おまえっ、騙したな!? しかもコーヒーまで買って来させて!!」

「あ、気が利くね。ありがと」

 怒り狂う宮守を後目に、横からかみりんは持っている袋に手を入れる。

 宮守はかみりん同様、大学の級友。実のところ、俺は浪人だがこいつは必須科目取り損ねの留年をしている。なので、かみりんとは同い年でなく、彼女は歳が一つ下だったりもする。

「まぁ、その、なんだ。今回のところは許してやる。次にこんなことしたら、本気で怒るからな」

 さり気なく袋に入っているコーヒーを取り易くする宮守。

「紹介が遅くなったけど、この騒がしいのが宮守。かみりんと同じく同級生だ」

「おいーっす、騒がしい同級生の宮守だ」

「白積雪那です!」

 宮守の印象に負けまいとしたのか、元気よく雪那ちゃんも名乗った。

 俺もかみりんに続き、袋に手を伸ばしてコーヒーを貰う。しかし、袋の中で手に触れた紅茶に暖かみが無い。

「おい、冷たいぞ、この紅茶」

「あ? 紅茶も暖かいやつかよ。文句言うな。買ってきてやったんだから」

「飲むのは俺じゃなく、この子だよ」

 雪那ちゃんの頭を軽く撫で回す。ため息を洩らして今度は自分の頭を掻いた。雪那ちゃんに向かい、コーヒーを差し出す。

「しゃーない。雪那ちゃん、俺のコーヒーで良かったら飲む?」

「ううん。紅茶でいいよ」

「体が冷えちゃうよ。交換してもらったら?」

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ」

 宮守から紅茶を受け取ると、雪那ちゃんはミトンの手袋を片方外して蓋を開けてると、また手袋をはめてから両手で缶を包み飲み始めた。俺達も彼女を気遣いながら各々コーヒーを飲み始める。

「ふぅ、暖まるな。ついでに、今の内に組を分けるか」

 グーパーの結果、俺と刹那ちゃん、宮守とかみりんという、謀ったかのような組になった。

「ルールは簡単。相手に雪の玉をぶつけるだけだ。ただし、水をかけて凍り玉にしたり、石を入れたりするのは危険だからナシ」

「やるかよ。目に見えて危険な事を」

「もう誰かやってたみたいだし、早く雪の山へ分かれよ」

 焦れたかみりんは有って無いようなルールに拘ろうとせず、肩をグリングリン回しながらさっさと雪山の陣へと向かっていく。

「それじゃあ、まぁ、二分後に開始な」


 開始から四分弱経過。

「ちょっとっ待ちなさいよ!!」

 俺の玉を宮守が回避すると、たまたまその後ろに立っていたかみりんへ命中。彼女の報復玉を宮守が避けた事をきっかけに、あっと言う間に雪合戦は情け容赦ないバトル・ロワイアルへと変化した。

「この数と面子で、ある程度予想してたけどさ」

 ぼやきながらも、力一杯、追い回すかみりんの背中に雪玉をぶつける俺。急な攻撃に驚いたのか、雪に足を取られ両膝を付いてこちらを振り返った。

「ひどーいっ!」

「バトル・ロワイアルなんだから、敵は一人じゃな――」

 台詞の途中で俺の顔面に雪玉が直撃し仰け反る。誰が投げたかは、見なくたって手に取るように分かる。

「馬鹿ヤロー! 凛さんに思いっきり投げることないだろー!!」

 お前がかみりんの事好きなのは分かるけど、この際そういう言葉は無しにして。楽しいDead・or・Arriveなんだし。

「やってくれ――」

 もう一発、俺の雪を払った顔に命中する。

「おかえ――」

 今の雪玉を投げた張本人も言い終える前に、横から更に浴びた。伏兵少女、雪那ちゃん登場。彼女も乗ってきたのか、右腕をかみりんに突き出し珍しい攻撃的姿勢で言う。

「油断大敵だよ」

「やるわね」

「隙有りぃーっ!」

「ふみー!?」

 全速力で駆け出すと、低姿勢で雪を鋤くい雪那ちゃんの頭の上にそれを落とした。そのまま俺は戦線を急速離脱する。

「喰らえっ、Hスライダー!!」

 が、どこからか湧いてきた宮守が、球種をばらした玉を投げてきた。まあ、雪玉でHスライダーとか絶対無理なんですけどね。

 それを寸での所でかわすと、こちらも手早く雪玉を作って投げ返す。

「逆襲のスライダーっ!!」

 ちょっと高めの玉を投げると、宮守はしゃがんだ。

「へぶっ!?」

 しゃがんだはずの奴の顔面に雪玉は見事直撃。

「馬鹿め、スライダーでもVだよ!」

 ちなみに、Vスライダーも絶対無理です。ただのドロップボールです。

「くっ、なら――」

「敵は三人――」

「その通りぃっ!」

 追撃を浴びせたかみりんに、俺は容赦なく横やりっぽい玉を身体に投げつける。当然、その場を急速離脱。

「それー!」

「なふっ!?」

 しかし、そうは問屋が卸さず、宮守とかみりんにばかり気のいっていた俺の顔に、軽くだが雪が広がった。伏兵少女再来。

「なかなか賢いね……」

 ヒット&アウェイを忠実に守り、彼女は精一杯の駆け足で戦線を離脱していく。

「でもねぇ」

 雪玉を三つ作り、それを一つずつ離れていく雪那ちゃんに向かってかなり高く舞い上げた。

「みゃーっ!?」

 爆撃されると雪那ちゃんは慌てふためき、より早く逃げようとした。俺はそれを笑いながら、雪玉を作っては投げ、作っては投げを繰り返す。

「坂崎くーん」

 はっ、と思い振り返ったときには遅かった。二発の玉が並んでいる瞬間を目に焼き付け、モロに喰らった。背中がこれでもかというぐらい弓なりに仰け反る。これは半端な痛さじゃない。

「痛いぞぉっ!」

 想像以上に超至近距離たったらしい。それぞれ未だ十メートルに満たない距離から散っていく。

「油断してるのがいけないの」

「そーだぞ!」

「許さん! 倍返しだ!!」


「じゃあね」

「ああ。また今度な」

 学校を出たところでかみりん達と別れ、雪那ちゃんと暗くなりつつある道を並んで歩く。

「今日は良く動いたね。あんなに動き回った雪那ちゃんを見たのは初めてだよ」

「私も初めてだと思う。だから、すごく疲れちゃった……」

 雪那ちゃんは眠そうにミトンの手袋で目を擦る。すると、暗い空から新たな雪が降り始めた。

「また降ってきたな。雪那ちゃん、寒くない?」

「うん……大丈夫……」

 別の意味であまり大丈夫そうでない。足取りがふらふらしている。

 俺は彼女の前で止まり、背中を見せて屈んだ。

「おぶってあげるよ。しんどそうだし」

「え……」

「遠慮することないよ。大した距離じゃないんだ」

 眠そうな目で頷き、雪那ちゃんはその軽い体を背中に預けてきた。

 ちらほら舞う雪。背負った少女は十歩も歩かぬ内に寝息を立て始めた。雪を踏みしめて、俺は二人の時間を惜しむようにゆっくりと歩く。

「冬兄ちゃん……」

「どうしたの?」

 立ち止まり、聞き返したが何も返ってこない。どうやら寝言らしい。

「困った事があったら、いつでも聞いてあげるよ」

 眠っている少女にそう語りかけると、再び雪を踏みしめて歩き始めた。


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