第2節
あまりの寒さに、俺は一気に眠気が冷めた。
「さむ……」
そんな言葉を洩らしながら、ベッドから起きあがってカーテンを開けるという、矛盾した動きをとる。朝のはずなのに日差しは無い。結露の浮いた氷と変わらない冷たいガラスを手で拭いて外を覗き込んだ。日差しの代わりに、灰色の空からふわふわ無尽蔵に落ちてくる雪で、町が昨日よりも真っ白だ。まるでヨーグルトを被せられたフルーツミックスになっている。
「昨日が最後かと思ったけど、あと二、三日は降るかな」
これが過ぎれば、間違いなく後は春を待つばかり。
時折吹く風に踊る雪につられ、俺は窓を開けた。
「さむっ!!」
が、あまりの寒さに二秒と持たず、俺は窓を勢いよく再び閉じる。
薄いパジャマの上、部屋の中ですら白い息が見えるのに、吹き込んでくる外の空気に耐えられるわけがない。おまけに、俺は寒さで目が覚めたのだ。
「さっさと着替えるか」
挫けてしまう寒さを凌ぐため、パジャマを脱いで防寒着に身を包む。冷たい布が肌に触れると、更に身が縮み上がった。直にその冷たさにも慣れ、俺は下へ降りて洗顔等を済ませる。
台所に顔を出すと、母親が朝食の準備をしていた。
「おはよう」
「おはよう。今日はやけに早いわね」
「まぁね」
休みの間はいつも昼まで寝ているせいで、たまに早く起きると、こんな嫌味を言われる。が、それに反論するつもりもなければ、直そうとも思わないのが自分である。
俺は用意された朝食を軽く済ませ、その後は部屋に籠もって二時間ほど本を読み耽った。
ふと窓の外に目をやると、降っていた雪はいつの間にか止んでおり、白い世界と灰色の雲だけになっている。本を閉じて伸びをすると、部屋の戸がノックされた。
「冬貴、雪那ちゃんが来たわよ」
「え? なら、上がってもらって」
彼女から俺の家にくるのは久しぶりだな。
お隣さんとはいえ、雪那ちゃんは学校以外で家を出ないから、実は家へ遊びに来るのは珍しい部類に入る。
「冬兄ちゃん、入っていい?」
扉越しに雪那ちゃんの声が響いてきた。
「ああ。いいよ」
俺が本を机に置いて声で招くと、彼女はドアを開けてひょこひょこ、と短い足取りで入ってくる。その仕草はまるでヒヨコだ。
「どうかしたの?」
「いや、何でもないよ」
部屋に入ってきた自分を、含み笑いをしながら見ていたことが不思議だったのだろう。雪那ちゃんは小首を傾げて俺に尋ねてきた。
その仕草まで俺にはヒヨコに見え、あまりの無垢な可愛さで笑いが止まらない。笑いといっても、微笑む程度だが。
「ねぇ、どこか変?」
背中や服装を見回しながら、雪那ちゃんは髪を振りながらクルクルその場で回った。正しくヒヨコだ。
「どこも変じゃないよ」
「じゃあ、何で笑ってるの?」
微笑み続ける俺に奇々怪々といった様子で、無垢な瞳を向けながら彼女は再び首を傾げる。やっぱりヒヨコだな。
「ごめんごめん。別におかしいところはないんだけど、雪那ちゃんが可愛かったから」
「なんで笑うのか余計に分かんないよぉ……。」
ちょっと潤んだ目で見つめられ、俺は本当のことを言うべきか否かに迫られた。
ホントのことを言うと怒るかもしんないし、もし言わなかったら、今度はそのまま泣きそうだ。つまり、どっちもあんまり良い結果は生みそうにない。
回答に困った挙げ句、
「ところで、雪那ちゃんがここに来るのも久しぶりだね。どうしたの?」
と、会話をはぐらかす。
「う、うん。外、いっぱい雪が積もったよね。それで、雪合戦がしたくて」
「雪合戦か」
はぐらかすことは出来た。が、雪那ちゃんがここに来た理由もまた珍しい。雪合戦くらい普通かもしれないが、彼女が外で体を動かすのが極めて珍しいことなのだ。くどいかもしれないけど、隣であるウチにも滅多に来ないんだから。
「やるのは構わないけど、二人だけじゃつまらないよ?」
「あ……そっか……」
「うーん……。ま、とにかくやろっか」
少し考えたが、可愛い雪那ちゃんのお願いだ。聞いてあげないわけにはいかない。俺は取り敢えず、椅子から立ち上がり壁に掛けていたコートを羽織る。ドアを開けてあげ、先に雪那ちゃんを部屋から出し、俺もそのすぐ後に出た。
ライトグレーの髪を揺らす少女の後ろを歩いていると、玄関の近くにある電話が目に映り、あることを思い出した。
「あっと、ちょっと待って」
玄関で靴を履いて出ようとする雪那ちゃん。それを呼び止めて俺は電話に手をかける。
「さすがに二人は寂しいからね」
番号を押しながら、彼女に軽く笑ってみせた。
『はい、もしもし。村上です』
「俺だよ。かみりん」
覚えのある声が受話器越しに聞こえてくると、俺は慣れ親しんだ返事で名乗る。
『はぁ? 誰? 分かんないんだけど』
が、手痛い反応が返ってきた。
「う……坂崎冬貴です……」
『あはは、冗談よ。ちゃーんと坂崎くんて分かってたわよ。“かみりん”なんて呼ぶのキミしかいないし』
にしては、やけに素の反応に近かったのは気のせいだろうか……。
『で、何の用?』
「今日は暇だったよな。ウチの近くの中学校で、雪合戦でもしないか?」
『それはいいけど、まさか二人ってことはないでしょ?』
「大丈夫だ」
『そ。なら、十五分くらいで行くから、グラウンドで先に待ってて。じゃね』
「うん。また後で」
受話器を一旦置き、そしてまた違う番号を押して次の相手にかける。今度は呼び出しのコールが少し長い。柱に手を置き、凭れながら待つと、
『はぃ……もひもひ』
やっと出たと思いきや、隠す様子もない寝起きの状態。この時のこいつは何をするにしても、はっきり言って行動が遅い。これでは普通に雪合戦に誘っても、家を出るのに一時間はかかる。付け足しておくと、家はかなり遠い。
使いたくなかったけど、奥の手を使うしかないようだ。
「大変だ! か、かみりんがっ!!」
俺は受話器を抱え、逼迫した事態を呈するかのように振舞った。
『な、なにぃっ!? 凛さんがどうかしたのか!!』
俺の言葉にゆるゆるの声は突如として、焦りの色を濃く浮かべたものへと変化した。
「とにかく大変なんだ! 急いで俺ん家の側にある、中学校のグラウンドに来てくれ!!」
『分かった! 何で中学校のグラウンドか知らないが、三……いや、二十分で行く!!』
「それから、暖かい缶コーヒーを三つと缶紅茶を頼むっ!!!」
『まかせろ!!』
向こう側で慌てて受話器が置かれたようで、いきなりブツッ、と切れた。
切られた受話器を眺めた。
(アホだ……飲み物に何の疑いもなく了承しやがった。)
どさくさにまぎれて何でも言ってみるものである。
俺は何事も無かった風に普通に受話器を戻す。すると、いつの間にか雪那ちゃんが傍らにおり、俺を不思議そうに下から覗き込んでいる。
「ゲストが二人ほど来るから、先に行ってよう」
その視線の答えを言うように、俺は玄関に歩を進めた。
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