晴れのち雪

葵 一

第1節

「よし、完成」

 表情を作り終え、俺は一息付いた。

 俺は『坂崎さかざき 冬貴ふゆたか』。お気楽な大学生だ。今は何処よりも早い春休みのため、俺は退屈な日々を送っている身分である。

 最近はあまり降ることすらなかった雪。だが、今年は降るどころか、いくらか積もった。それで暇つぶしに、男一人ながら家の前でいい歳こいて、少し小さめの雪だるまなんぞを作ったりしてみたのだ。ただ、その降った雪もおそらく最後の一絞りみたいなものだろう。

 紛れもなく、季節は徐々に春へと代わろうとしている。

「なかなかの出来映えだな」

 真っ白で、丸い雪だるま。一週間もすれば、その姿は消えてしまう。ちょっと儚い運命にある雪人形。

 俺の作った雪だるまは、黒いボタンであしらわれた純真な瞳で俺を見ている。

「折角作ったんだし、名前をつけてやるか。そうだな……」

「冬貴ー、友達から電話よー」

 玄関から母親の声が響いてきた。

「へーい」

 俺は雪だるまの名前を保留し、腰を上げて電話に向かった。が、二歩目を踏み込んだところで足が滑り、まるでマンガみたいにキレイに体が中へ浮く。落下の時間はさほどなく、冷たくて固い地面に俺は頭と背中をぶつけた。打ち所が悪かったせいか瞬間的にブラックアウトして、それが戻ると、視界がチカチカしてちょっと気持ち悪くなった。

「大丈夫、冬兄ちゃん?」

 頭の上から女の子の声が聞こえてきた。

 結構クラクラする状態で起きあがり、背中側を振り向く。

 白に近いライトグレーの長い髪。スカートをほとんど覆うほどの暖かそうなダッフルコート。背丈がそれほど高くない、幼げな少女が俺を心配そうに眺めている。

「えっと……」

 頭がずきりと痛んだ。

「せ……つな……ちゃん」

 どう言っていいのか分からないが、なにか、引っかかる。自分で言っておきながら、出した言葉に疑問みたいな間が開いた。知り合いの名前を口にしただけなのに、俺は気分の悪さとは違う眉根を寄せる表情になる。

「気を付けなきゃ危ないよ」

 ロングヘアーの少女――雪那は俺の背中に付いている雪を、ミトンの手袋をした手で払っていく。

 この子は隣に住んでいる中学生。名前は『白積しらつみ 雪那せつな』。俺が五つ年上ということもあって、一緒に遊んだり、勉強を見てあげたこともある。その縁か、「冬兄ちゃん」と呼んで懐いてくれている。ただ、体が丈夫ではなく、彼女が必要以上に外にいる記憶はあまりない。基本的に見た目や言動自体は物静かではあるが、その性格は特別に暗い、といったようなことがないのが救いだ。

 こういった娘は他人を羨ましく思い、自分に対してマイナス思考をすることが多い。おそらく、それが病弱な娘の暗い性格のイメージとなったのだと思う。

「ありがと。雪那ちゃんが外に出てるなんて珍しいね」

 ちょっと水っぽい地面から立ち上がり、自分でズボンに付いた雪を払った。

「今日は入試だったから」

「あ、そうか。高校の入試か」

 俺は大学を一浪したから入試は三度経験している。やっぱり、あの入試の時の雰囲気は好きに慣れない。

「冬兄ちゃんはなんで外にいたの?」

 真っ黒で大きな瞳を、日差しに照らされた雪に負けないほど輝かせながら瞬きする。

「久しぶりに雪が積もったから、雪だるまを作ってたんだよ」

「え……雪だるまって……?」

「ほら、ここにある小さな……あれっ!?」

 不思議そうに聞いた雪那ちゃんに教えてあげようと、俺が指を指した部分に、雪だるまは存在していなかった。代わりに、無惨に潰れた顔が恨めしそうに俺を見ている。

 転げた時に、手の辺りに何か当たった気がするから、きっとそれだろう。

「あ~ぁ、可哀想に」

 悲運な事故により、この雪だるまは名前を与えられぬまま、その短すぎる一生を終えた。

「また、作ってあげればいいよ」

「まぁ、そうなんだけど、同じ雪だるまって作れないんだよな。人と一緒で」

 雪那ちゃんは屈んで、大きさの違う雪玉を二つ作って重ねると、それに潰された雪だるまの目とかをつけ、新しい雪だるまを完成させた。俺が作ったものより小さいサイズなので、用意した目がさっきより大きく感じる。

「大丈夫だよ。例え少しくらい形が違っても、気持ちがあれば同じ魂が宿るから」

「確かにそうかもしれないね。雪那ちゃんは賢いな」

「そんな……ことないよ……」

 ちょっと照れた風に手袋を合わせ、俯く。積もりたての雪みたいな白い顔に、赤みが差していく。

「冬貴! いつまで友達またせる気なの!!」 

 母親の怒鳴り声で、ハッ、となり俺は電話のことを思い出す。

「雪那ちゃん、ごめん。電話がかかってきてたんだ。またね」

「うん。バイバイ」

 そう言ってしゃりしゃりと足音を鳴らして、自宅の玄関に入っていく雪那ちゃん。彼女が作った雪だるまを一瞥した後、俺も駆け足で電話に向かった。そして、また浮いた。


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