第5話 前編 反撃
ツェイト達が村の入り口まで来た頃には、既に村は兵士達の侵入を許してしまっていた。
民家のいくつかには火が放たれ、大勢の兵士達が村中に散らばり、村のあちこちで武装した村人達と戦いを繰り広げている。
「ぬかった。裏の森にも人員は割いておいた筈なのだが……先の怪物に気を取られ過ぎたか」
ウィーヴィルが速度を合わせているツェイトと並走しながら苦々しく言葉を漏らす。しかし、もし村の裏側に警備を回していなければ、笛の音も聞こえる事なく侵入されて、事態は更に悪い状況になっていたのかもしれない。
そう考えれば不謹慎ではあるが、この状況はまだマシな方とも言える。
対するツェイトは、村の惨状を目にして足を止めかけた。
――燃えている。
数時間前まではのどかな光景だったカジミルの村が、兵士達の襲撃によって小さな戦場と化してた。
悲鳴を上げる者、怒号を放つ者、金属同士が激しくぶつかり合う音、木と、そして生物が焼ける臭い。
ゲームでも、村をモンスターや野盗が襲う様なイベントはあった。しかし、これは……
今までに感じた事の無いものがツェイトの五感を通して脳に刻まれ、ツェイトの脳裏にある懸念が浮かぶ。
――セイラムは無事なのか。
ツェイトは、虫の異形との戦いで負ってしまった傷の手当の為に、ランと一緒に村に戻ったセイラム達の安否が気になった。村の入り口付近まで退避していた村人達の中にセイラム達が見当たらないのだ。
ツェイトの様子がおかしい事に気付いたウィーヴィルが声をかけてくる。
「ツェイト、どうした」
「……セイラムは、何処に」
「……あ奴め、無茶をしなければ良いのだが」
ウィーヴィルは顔を険しくし、ツェイトもそれに同意した。
僅かな日にちしか共にしてはいないが、ツェイトはセイラムの人となりと言うものがある程度理解出来ているつもりだ。
一言で言うならばお人よし。または無鉄砲と言った所だろうか。
ツェイトの様に出会ってから日の浅い相手に色々と気にかけてくれたり、その為に心を痛める事の出来る彼女は不器用すぎるのだ。
ランが一緒について行ったが、嫌な予感がする。今すぐにでも探し出したい衝動に駆られるツェイトをウィーヴィルは手で制する。
「こうも奴らの数が多いと固まって動いては間に合わなくなる。セイラム達の事もあるから手分けして村中を回りたい」
ウィーヴィルが単独行動に移ろうと判断したのは自分自身の腕に覚えがあるから、そして、ツェイトの力の一端も垣間見る事が出来た。それに基づいた判断なのだろう。
「ツェイト、お主はやれるのか?」
これから行うのは知恵を持った人型種族との戦い、ツェイトが今最も避けたい事だ。まだ迷いがあるのならば、それを引きずったまま戦いに赴けば取り返しのつかない事を引き起こしかねない。故にウィーヴィルは問い掛ける。本当に戦えるのか、と。
しかし、ツェイトは一瞬の間を置いた後答えた。「やります」と。
やらなければ村の被害が広がる。戸惑えばその時間だけ誰かが死ぬかもしれない。そして、今兵士達がしている事を許すわけにはいかない。
惨憺たる村の光景を見たツェイトの中では、己の倫理を上回る程の感情が湧き上がって来る。
そんなツェイトの内心を知ってか知らずか、ウィーヴィルは分かったとだけ短く答え、背中に背負った大鉈を抜いた。
「よし、ここから先は別行動だ。一人でも多くの賊を叩き出すぞ」
ツェイトは無言で頷き、それを皮切りに二人はそれぞれ別の方向へ、兵士達が暴れる村の中へと飛び込んだ。
ツェイトが村の中へと飛びこんだ瞬間、戦っていた兵士達と村人達はツェイトの姿を確認すると動きを止めた。並の人型種族の倍以上の背丈と巨体を持つツェイトが、この場に地響きを鳴らしながら躍り出て来たのだ。
重量に見合った重い地鳴りを鳴らしながら走るツェイトは最初の相手を決めた。
近くにいる、村の男性に剣を振るって襲いかかっている兵士だ。
幾ら種族の恩恵で身体能力が高いとはいえ、全ての昆虫人が戦い上手と言う訳ではない様だ。
「う、うわぁ!?」
男性の悲鳴がツェイトの耳に入る。
ツェイトは走る速度を落とす事無く、その兵士へと距離を詰めていく。
標的となった兵士は慌てて逃げようとするも既に遅い。接近してきたツェイトが、兵士を真横からサッカーボールの様に蹴り飛ばした。
当たり所が悪かったのだろうか。兵士は蹴りの直撃を受けて、言葉を発する暇すら与えられずにバラバラに吹き飛び、その肉片が空中高く舞い上がって村の近くの森の方へ血肉をまき散らしながら飛んで行った。
「うっ……!」
辺りに残るのは兵士の遺した人体の残骸、それが辺り一帯に飛び散り、助けた村の男性にも少しかかってしまった。男は、人が瞬く間にバラバラになる様を眼のあたりにして、込み上げてくる吐き気を抑える様に口に手を当てた。
ツェイトは蹴り上げた足を地面にズンッと叩きつける様に下ろしながら辺りを見やる。
一連の様子を目の当たりにしてしまったからだろうか兵士達は、ツェイトが視線を向けるとビクッと体を振るわせる。
各々の身に付けている武器が、鎧が、無意識のうちに震えだした持ち主の所為でカチャカチャと音を立てていた。
本来ならば、兵士達の動きが明らかに鈍り始めた今が好機なのだが、先程まで兵士と戦っていた村人達も、ひいては助けられた男性も、ツェイトの行った行為とその巨体から発する雰囲気によって動くに動けなかった。
――……やって、しまった。
湧きあがる激流の如き感情に飲み込まれつつも、その中でしっかりと保った理性で以てツェイトは呟いた。
ついに、ツェイトは殺した。しかも他の者達の様に武器を以て倒すのではなく、人を人とも思わぬ様な所業で人体を丸ごと破壊している。もはや後戻りは出来ない。
だがしかし、とツェイトは震えながらも兵士達に目を向ける。
――こいつらをのさばらせておくわけにはいかない。
今のツェイトは、込み上げてくる感情に任せて動いているに過ぎない。その感情とは何か。
恐怖か。いや、足を竦ませる様なものではない。むしろ前へ進めと心の奥底がざわつく。
ならば正義感か。それとは少し違う。村人達を救いたいと思う気持ちはあるが、そこまで綺麗なものではない。
ツェイトの心を占めているものの名は、恐怖や正義感などでは無い。
今、ここに居る兵士達全てを根絶やしにせんとする怒りと憎悪だった。
そこから先は、ほとんど一方的なものだった。
怯える体に鞭を打つように、村人達から対象をツェイトに変えて戦いを挑んだ兵士達は、ある者は胴体に拳を叩き込まれて上半身を吹き飛ばされ、またある者は電撃で灰も残らず消し飛ばされ、哀れな者の中には手刀で頭から股の下まで真っ二つに両断されてしまった者までいた。兵士達が攻撃を仕掛けようものなら、逆にその武器がツェイトの外骨格の硬度に負けてへし折れてしまう始末だ。
まさに象と蟻の戦い。はたまた生身の人間が、棒きれ片手にエンジン全開で突っ込んで来る戦車に挑む様な様相か。
まるで紙屑の様に自分達を引き千切るツェイトを見て、当初は戦う意思を見せていた兵士達はその数を減らして行く内に戦意をごっそりとむしり取られ、逃げだし始める。だが、今のツェイトは彼らの逃亡を許さなかった。
逃げる兵士を後ろから胴体ごと掴み上げては握り潰し、足を掴んでは引き摺り出して踏み潰す。最早どちらが加害者と被害者なのかが分から無くなって来るほどにツェイトは兵士達を執拗なまでに叩いて行った。
その場に動く兵士が見当たらなくなってきた所で、ツェイトは兵士達の残骸がこびりつく両の手を見ながら、怒りの中で僅かながらに戦慄する。
――どうして、こうも簡単に殺せる。
ウィーヴィルにはああ言ったものの、何処かで迷いが生じるのではないのかと密かに懸念していたのだが、こうもあっさりと、しかも残酷に兵士達を殺めて行く自分にツェイトは違和感を感じた。
相手が無法を働く兵士達だからか? それとも今の感情で感覚がマヒしたからか?
原因は分からない、今の自分が、自分であって自分ではない様な感覚に少しばかりの恐怖を覚える。
しかし今はその方が都合が良い。今自分に必要なものは、殺す事に躊躇いを持たない、まさに今の状況なのだから。
ツェイトは思考を切り、次の兵士を探すべくズンっと音を立ててその場から離れた。
その跡には、兵士達の無残な成れの果てと、それを呆然と見つめていた村人達だけが残されていた。
道中襲いかかって来た兵士、または村人と交戦していた兵士がいたが、前者は問答無用で捻り潰し、後者は村人に気を取られているうちに背後から頭を掴み上げて地面に叩き付け、その衝撃で壊れた人形の様にグシャグシャに破壊していく。
ツェイトが目視出来る範囲内の兵士達を鎮圧しながら進んでいく最中、それを見た。
大通りから外れた細道に視線を向けると、その先で兵士に斬りかかられている女性がいた。ツェイトのいる方向からだと兵士が視界を遮り、女性の姿がはっきりと見えないが、倒れながらも何かを庇う様に抱きしめている。
――本当に容赦がない。
もっとも、今の自分も人の事を言えたものではないが。とツェイトは外骨格で覆われた顔を顰める。
暴漢やテロリスト、戦場にいる一部の兵士達の非道な行いはテレビ等の様々な情報媒体で知ってはいるが、それを直に目にするのはツェイトは今回が初めてだ。
何故この様な事を、等と疑問を挟むような面倒はしない。只ひたすらに、眼前の兵士を粉砕するべくツェイトは進むだけだ。
低い地響きがハッキリと周囲に聞こえる音が女性を襲う兵士の耳に入り、何事かと後ろを振り向く。
そこには、全身に返り血を浴び、燃え上がる炎の中、ゆらりと鬼火の如く揺れる白い光を灯した眼を持つ甲虫の巨人が自身の下へと迫る姿があった。
それに慌てた兵士は何かを閃き、女性が抱きしめていたものを無理やり奪い取る。そして、それに手持ちの剣を付き付けてツェイトの前に見せ付けた。
ツェイトは兵士の腕の中にいるものを見てピタリと止める。
兵士の腕に捕まり、顔に刃を付きつけられていた者は、昨日出会った幼い少女のニニだった。体の所々が土と血で汚れているが、目立った外傷は見られない。
兵士の後ろにいる女性は、見ればニニの母親だった。ニニを庇っていたからだろうか、体中に切り傷があり、特に両足は血で染まっている。ニニの体に付着している血は彼女のものなのだろう。ニニの母親は奪われた自分の娘の名を弱々しく叫びながら手を伸ばすも、兵士がそれを踏みつけて黙らせる。
人質となったニニは、母のそんな様を見て泣きながら母の名を叫ぶ。しかし、それも兵士が剣を首筋に斬れない様に押しつけて無理やり大人しくさせた。
兵士はツェイトに人質が有効である事が分かると、ニニを盾にしながらジリジリと後退して行く。
ツェイトはそれを見て、静かにニニに話しかけた。
「ニニ」
突如声をかけられたニニは涙と鼻水でグシャグシャになった顔でツェイトを見る。
体中に付着した血に思わずヒッと声を上げるが、その顔を見上げると、ツェイトはあの夕暮れ時に見た時と同じような眼で、しっかりとニニを見ていた。
「目をつぶるんだ」
ニニはツェイトの言葉に従いギュッと眼を瞑り、それを確認したツェイトは前進する。
何故だ、娘の命が惜しくは無いのか? とでも言う様に、激しく震えながら兵士は必死に人質であるニニに刃をチラつかせてアピールするが、ツェイトはそれを無視して目の前まで接近した後、拳を脇の下まで引き絞り、放った。
ツェイトの振るった拳は眼を瞑っているニニの眼の前でピタリと止まった。拳を振るった際に起きた風が、ニニの体を通り前髪がふわりと揺れる。
それと同時に、ニニの背後にいた兵士の体が見えない力で肉片となって後方へ吹き飛ばされた。
これは、拳から放った衝撃波を障害物の向こう側にいる相手へ送る、NFO内に存在する技能だ。技を放った際、使用者と相手の間に挟まれた障害物は、傷一つ付く事はない。現にニニにはフッと風が通っただけで済んでおり、ツェイトの繰り出した破壊力は全てその背後にいた兵士へと叩きこまれた。
この技は、ツェイトがNFOにいた時、まだ昆虫人だった頃に格闘技専門の職業に就いて習得したものだ。
壁の向こう側や、結界などの障壁を展開する相手等に効果のある妙技で、大多数の敵味方が入り乱れる様な乱戦の場合は、味方に当てずにその向こう側にいる敵を倒す事が出来たりと、割と便利な技としてツェイトは時々使っていた。
しかし、まさかこんな場面も効果を発揮するのは予想外だったが。
いきなり自分を拘束していた兵士がいなくなった事で倒れかけたニニに、ツェイトが片手で支えると、眼を開けて母親の下へと駆け寄り、その胸の中で泣きじゃくった。
母親は傷こそ多いが、昆虫人の生命力の高さのおかげか致命傷のモノは無いらしく、駆けよって来るニニを強く抱きしめた。
「大丈夫ですか」
「本当にありがとうございます。 ニニが無事で、本当に……」
ニニの母親は、ツェイトの雰囲気に一瞬気圧されそうになりながらもニニが無事だった事で、ホッと安心してツェイトに礼を述べたが、それを見てツェイトは驚く。
自分の怪我の方が深いと言うのに、それよりも娘の安否を喜ぶ所は母親なんだな、と。
「立てますか? 安全な所へ送ります」
ニニの母親の両足は出血こそ治まって来ている様だが、それでも先程まで流れていた血で真っ赤に染まっているのだ。最悪、足の腱なぞ切られていたら幾ら昆虫人でも今はまともに動く事が出来ない筈だ。
傷がどの程度かは分からないが、ニニの母親は歩く事が現状出来ないらしい。ツェイトの提案を承諾した。
「……お願いします。それと、後でセイラムを探してあげてください」
セイラムを?
まさか兵士達に戦いを挑んだんじゃないだろうなと、ツェイトは村に入る前に懸念していたセイラムの事を思い返した。
「あの娘、両手を怪我してるのに兵士が村に入って来たのを知って、武器を持って飛び出して行ってしまったのです……」
ツェイトの嫌な予感が的中した。何回無茶するんだ、鉄砲玉かあいつは!
大人しくすると言う言葉を母親の腹の中にでも置いて来たのかと悪態をつきたくなったが、その怪我は元々自分を助ける為に負ったものだと言う事を思い出して、ツェイトの胸は罪悪感で絞めつけらた。
セイラムの事は気になるが、しかしこの親子をこのままにはしておけない。怪我で動けない所を兵士達に見つけられ、再び襲われでもしたらそれこそ最悪だ。
「分かりました、必ず探します。ですが、その前に貴女達の方が先です」
行きましょう。そう言ってツェイトはニニの母親をニニとまとめてその大きな背中に背負い、安全な場所を探して駆けた。
ニニ達親子を背負って村の中を移動していたツェイトは、村長の屋敷に避難している村人達を見つける事が出来た。
屋敷の入り口まで駆け寄ると、辺りを窺っていた村人達がツェイトの存在を見るやホッとし、ツェイトが背負っているニニ達親子を急いで屋敷の中へと避難させた。
当初は屋敷も兵士達の攻撃を受けていたのだが、そこをウィーヴィルが駆け付けて敵兵をまとめて斬り伏せたのだそうだ。部屋の敷地が広い為、負傷した村人達の治療と看護用、そして避難場所として村長が全ての部屋を貸し出している。
ニニ達親子を無事その場所へ送り届けた後、出かける間際に屋敷内から村長のキイトが現れ、ランを見なかったと訊いてきた。どうやら飛び出して行ったセイラムをランが追いかけて行ったらしいのだ。
幼馴染に振り回される苦労人、そんな印象をツェイトはランに持ち始め、彼の捜索も頼まれる事となった。
――どこだ、どこにいる。
ツェイトはセイラム達を探すべく、村の中を探した。
村中を荒らしまわっていた兵士達は、ツェイト達が介入した事で徐々に形勢が逆転して退いていったらしい。所々には打ち倒された兵士達の亡骸が転がっていた。
彼らがいなくなった事で探しやすくはなった。しかしウィーヴィル、ラン、セイラム。この三人が何処にも見当たらない。
村中探してもどこにも見当たらないと言う事は、まさか村の外へ出たのか? そうなってしまうと、この近辺の土地勘が無いツェイトでは探すのが難しくなる。強化された五感を最大に活用しても上手く見つかるかどうか分からない。
ツェイトが焦り始めて来た時、村の裏側にある森から甲高い声が聞こえて来た。それは今日数回耳にした、緊急時に使用される笛の音だった。
――裏の森?
そこで思い付く。
考えてみれば、最初に兵士達が侵入して来たのはあそこだった。この村へ襲撃をかけるのなら、侵入経路を確保するだろう、そして退路の確保もその道を利用するかもしれない。兵士達がいる可能性は高い。そして、セイラム達も。
ツェイトは全身をバネの様に大きく屈伸させてその次の瞬間、大地を少し吹き飛ばしながら弾け飛ぶようにして跳躍し、音の発生源である裏の森へと跳んで行った。
「お前達、どうして村を襲った!?」
ツェイトが向かう前、村の裏側の森の奥にはセイラム達の三人が各々の武器を手に兵士達と対峙していた。
時間は既に夜の為、本来ならば森の中は月の光が差し込む以外は闇に染まっている筈だった。しかし今は、村から上がる火の手による明りが、皮肉にもその一帯にささやかながらも明るさを与えていた。
ウィーヴィルがランとセイラムを守る様に兵士達の前へ出て大鉈を構え、ランはその背中越しから弓を引き、セイラムは何時でも飛び込める様に深い姿勢で槍を構える。
彼女達は途中でウィーヴィルと合流し、本当ならばセイラムを安全な所に戻すつもりだったのだが、セイラム本人がそれを頑なに拒んだのだ。
なので止むを得ず、そのまま周りの兵士達を叩きのめしながら進んで森の奥にいた本隊と思しき集団を見つけ、今に至る。
兵士達と遭遇した際に、笛を使ったので応援が来るのも時間の問題だ。
セイラムの両手は外骨格の上から包帯が厚く巻かれているが、戦いの最中に傷が開いたのだろう。槍を握るその手に巻かれた包帯はじんわりと血が滲んでいた。
そこにはセイラム達だけではなく、この一連の騒動を引き起こした兵士達も相対するように武器を構えていた。その数は一桁程度まで激減してるが、誰ひとりとして逃げるそぶりは無い。
そんな兵士達の奥に、一人だけ身なりの違う者がいた。
他の兵士達が身に付けている軽鎧とは違い、その者が装備している鎧は暗闇の中に染まる様に黒く、プレートアーマーと言う全身装着型だ。所々に鋭い刃物の様なパーツが備え付けられており、頭にかぶっている鉄仮面は虎の頭部を模した造りになっている。その手には薙刀に似た槍を持ち、その背丈はウィーヴィルと同じ2m間近と言った所か。
雰囲気と立っている位置からすると、その者は一介の雑兵では無く、指揮官に位置する者であると言う事が窺い知れる。
新しく用意した槍を構えながら問いかけるセイラムに、指揮官が口を開いた。その声は鉄仮面の影響でくぐもってはいるが、ツェイトと同年代位の男性のものだった。
「娘、お前がいるからだよ」
指揮官の男にそう言われてセイラムがえっと眼を見開く。ランは眉を顰め、ウィーヴィルは大鉈を構えたまま苦虫を噛んだ様にして指揮官を睨みつける。
「何故だ、何故そこまでしてセイラムを狙う」
弓を引き絞り、何時でも放てるように構えるランが訊ねる。
「それだけの価値が、そこの娘にはあると言う事だ。どれだけ我らの兵が犠牲になろうとも釣りがくる程のな」
それは、案に何度でもこの村を襲うと言っている様なものだ。そして、それと同時に此処にいる兵士達に価値が無いと言っている様なものでもある。しかし、兵士達はその様な事を言われても全く身動きすらしない。それがかえって、セイラム達に薄気味悪さを感じさせた。
「その娘を渡せ。そうすれば、これ以上お前達に危害を加えはしない」
「断る。貴様らなぞにセイラムをくれてやる訳にはいかん。それに、ここまでの事をしでかしたお主たちを許す気は無い」
「そうだ。それにお前が村に送った兵士達はウィーヴィル達と皆で倒した。それでもそんな事が言えるのか」
ウィーヴィルが迷うことなく切り返し、ランや村人たちもそれに続いて強気に発言するが、指揮官の男はフンッと鼻を鳴らす。
「まさか、もう勝ったつもりか。おめでたい奴らめ」
何も知らぬ愚か者に教えを説く様に、指揮官の男は話し続ける。
「例えお前達が今回我らを退けようとも、我らは何度でもお前達を攻め立るぞ。お前達が娘を渡すまでは」
「ふざけるな! これ以上村にちょっかい出されてたまるか!」
激昂したランが、叫びと共に矢を放つ。放たれた矢は、狂いなく指揮官の男の下へと飛来して行った。
当たった。そうランが確信した次の瞬間、指揮官の男は数ミリにまで迫ったその矢を残像が見える程の反射速度で回避した。あまりの速度にセイラム達は反応する事が出来なかった。
「は、早……」
「つけ上がるなよ小僧……!」
回避運動の勢いを殺さず、たった一度の瞬きの間に指揮官の男はランとの距離を一瞬の内に詰め寄り、姿勢を低くして懐まで潜り込んで来た。
ランは驚きのままにそれに応戦しようと背中に背負ったの矢筒から矢を取りだそうとするが、間に合わない。
指揮官の男が逆袈裟掛けに槍を振り上げて、ランの左わき腹から右肩まで切り裂こうとした。
しかし、それを阻止した者がいた。
ランに迫る凶刃を防いだのは、ウィーヴィルだった。
誰もが指揮官の男の突発的な動きに反応できないものかと思われたが、ウィーヴィルだけがそれに反応する事が出来た。
ウィーヴィルは指揮官の男の槍の一線を真横から大鉈の腹で受け止め、気合いの掛け声とともにそれを切り払った。
しかし。
「老いぼれめ!」
「ぬぅっ!?」
切り返された指揮官の男は低い姿勢のまますかさず回し蹴りを放ち、ウィーヴィルの大鉈の腹の部分を蹴り上げた。予想外の行動と蹴りの威力にウィーヴィルは大鉈を構えたままのけ反る様な態勢になってしまい、胴ががら空きになってしまった。
その隙を指揮官の男は許さなかった。
「どけ!」
回し蹴りの際の回転の勢いを止めぬまま、それを利用してがら空きになったウィーヴィルの胴体へ指揮官の男は横薙ぎの斬撃を見舞った。
「うお……ぉ……」
真横に斬られたウィーヴィルは、斬られた胴体から血を噴き出しながら力なく両膝を突き、大鉈を手放してその場にうつ伏せに倒れた。
音を立てて倒れたウィーヴィルの腹部からは夥しい量の血が流れ、その周辺に赤い水溜りを生み出して行った。
「ウィーヴィルさぁん!!」
ランが必死に声をかけるが、ウィーヴィルはピクリとも動かない。
セイラムは言葉を発することなく、眼を見開いてウィーヴィルが地面に倒れこんでいる姿を見る。
口元で、何かを呟きそして、セイラムはわなわなと体を震わせて叫んだ。
「うおぁぁぁぁーっ!!」
先程の指揮官の男の速度にも負けない勢いと速度で、セイラムは両の手から血が噴き出す事すら躊躇わず指揮官の男へ槍を突き立てんと飛び掛かった。
しかし、セイラムの怒りは指揮官の男には届かなかった。
セイラムの放った槍の一突きは、指揮官の男の槍の一振りと共に槍の刃の根元を叩き割られた。
更に、指揮官の男はおまけと言わんばかりに槍を手元でくるりと素早く回してセイラムの額目がけ、石突きを叩き込んだ。
「あぐっ!」
脳天が揺れる様な衝撃を受け、セイラムは呻き声を上げながらのけ反る様にして後頭部から地面へ叩きつけられた。
しかしまだ終わらない。更に指揮官の男は追い打ちをかける様に、倒れたセイラムの腹部を思い切り踏みつけた。
「グウゥ!…ェェ……ッ」
「セイラム!? クソ!」
セイラムを助けようとランが弓を引くが、兵士達が指揮官の男を守る様にして陣形を組み、矢の射線を遮るようにして立ちはだかった。
ランがまともに攻撃が出来ない状況を確認した指揮官の男は、セイラムの腹を踏みつけていた足に更に力を入れた。
踏まれたセイラムは、苦悶の声と共にその縛めから逃れようと指揮官の男の足をどかそうともがくが、動かすどころかずれる気配すらない。
「ぐあぁぁ……こ、の……」
「お前を生かして連れてくる事が我らの目的だが、無傷である必要はない」
指揮官の男は薙刀状の槍の刃を振り上げ、セイラムの二の腕へと狙いを定めた。それの意味する所をセイラムは察し、更に力を入れて暴れ出す。
「これ以上暴れない様、四肢を潰す。お前達昆虫人の事だ、手足の欠損と多少の流血程度では死にはしまい」
「や、止めろ! くそ、邪魔だお前達!」
セイラムへと振るわれようとしている刃を見て、ランは邪魔をする兵士達へと矢を放つ。
しかしランが焦っているからか、それとも指揮官の男の取り巻きの為実力があるからか、兵士達はランの放つ矢を上手く鎧のある部分で受けたり回避して致命傷を受けずに戦っている。
ランは兵士達の相手で手一杯、戦力の要であるウィーヴィルは先の指揮官の男の一撃で地に伏せたまま動かず、セイラムはその身に凶刃を振り下ろされようとしていた。
状況はセイラム達にとっては絶望的。万事休すかと思われた。
だがその時、それは現れた。
突如森の遥か上、上空から木の枝をへし折りながら、巨大な物体がセイラム達がいる場所へ落下して来た。
落下して来た地点は狙ったか偶然かは分からないが、丁度兵士達がいた場所のど真ん中。兵士達を押し潰しながら着地したそれは、着地と同時に大地を大きく揺らしながら衝撃波を周囲に放ち、辺りにある落ち葉や草木を吹き飛ばした。
ランや生き残った兵士達もそれに巻きこまれてしまうが、指揮官の男もその衝撃にたまらず吹き飛ばされ、結果としてはそれがセイラムの拘束を解く事になった。
「何だ!」
指揮官の男も突然の事態に驚きの声を上げ、衝撃波で吹き飛ばされるも低空で一回転して上手く地面に着地する。
そして、己の任務を邪魔立てする乱入者を仮面の奥にある眼で睨みつけた。
指揮官の男の踏みつけから逃れられたセイラムも件の衝撃波で地面をコロコロと転がされたが、途中で踏ん張り、腹を抑えて咳き込みながらそれを見て、そして眼を見開く。
森の天井が突き破られた事で、その場は月の光が他よりも強く射し込んでいた。
月光に晒されて淡く輝く紺碧色の外骨格。
大地に二の足を踏みしめるようにして雄々しく立つ4m弱の巨体。
反りを作りながら天へと伸びる、巨大な片刃状の角を額から生やした甲虫の巨人がそこにいた。
「つ、ツェイ、ト……」
笛の音を聞き付けてやって来たツェイトは、セイラムの言葉に反応してセイラムを見やり、辺りを見回し、ウィーヴィルの方に視線を向けて止まった。ウィーヴィルは血溜りにうつ伏せの態勢で体を沈めたまま動く気配が無いのだ。
まさか、そんな……ツェイトの頭の中では最悪の光景が描かれていた。
「その姿、報告にあった未確認の昆虫種族か!?」
指揮官の男の声に反応し、ツェイトはそちらへと向きを変えた。
見てくれからすると、一人だけ姿が違うあの鎧の人物がこの兵士達のリーダー格なのだろうと言う事が、何となくツェイトは理解出来た。
村を襲い、この状況を生み出している者があの男。ツェイトの感情に呼応するように、体から発する電気の出力が上がって行く。
「次から次へと邪魔……ッ!?」
指揮官の男は忌々しそうに独りごちつつ、槍を構えてツェイトと戦う姿勢を見せたその瞬間、ツェイトのいた場所が大爆発を起こして土煙を上げた。
同時に、ツェイトが稲妻を伴いながら指揮官の男との距離を触れるか触れないかの距離にまで詰めていた。その右腕は、先の虫の異形を仕留めた時の様に青白く発光している。
電光を纏った手刀が、下段から上段へ勢いよく振り上げられた。
「なん、だあがががぁぁ!?」
突然の事態に指揮官の男は驚きつつも、ランの矢をかわした時に見せた反射速度で身を捻り、辛うじてその一撃を回避した、かに見えた。
だが、その際ツェイトが纏っていた電撃に触れてしまった事で感電し、更にツェイトの怪力から繰り出された事によって生じた衝撃波で、その身を落ち葉の様に舞い上げられてしまった。
感電によって麻痺したのか、思うように動けない指揮官の男は投げだされた人形の様に地面に激突し、それから一刻遅れて空から何かがガシャリと音を立てて落ちて来た。
それは、指揮官の男の右腕だった。
ツェイトの手刀を指揮官の男は確かにかわした。しかし、それでも衰える事の無いツェイトの手刀による斬撃は触れていない筈の指揮官の男の腕を、鎧ごと切り落したのだ。
指揮官の男の傷口からは血が流れていない代わりに煙が上がる。恐らくツェイトの電撃によって生じた熱で焼かれ、無理やり塞がったのだろう。
「う…ぐううおぉぉぉぁぁ……ッ!!」
焼き切られ、熱を持った肩の付け根を片膝立ちのまま槍を持った手で抑えながら、全身から煙を上げる指揮官の男は痛みに呻き声を上げた。
指揮官の男は、戦意を失うどころか怒りに満ちた声を上げてツェイトの方へ視線を向けた。
「こ、このデカブツが、よくも……」
許さんぞ……! 怒りに声を荒げる指揮官の男だが、ツェイトも指揮官の男を許す気も、逃がす気も無い。
このままトドメをさすべくツェイトが近づこうとしたその時、指揮官の男の足元に光る円形模様が浮かび上がって来た。
「忘れるな。その娘を渡さぬのならば、我らは何度でもお前達の村を焼く!」
それが何を意味するのか、良く考える事だ。 指揮官の言葉に、セイラムの体が跳ね上がる様に震えて反応した。
捨て台詞を吐くと、光の円形模様が指揮官の男を素早く光で包み、指揮官の男と一緒に消えてしまった。入念な事に、切り落された腕も同様に消えていた。
――逃げたのか。
手下の兵士達を見捨てて? ツェイトが生き残った兵士達に視線を向けた時、兵士達の様子がおかしい事に気が付く。
兵士達は手に持った武器を取り落し、胸を抑えて急に苦しみだしたのだ。相手をしていたランもその様子を訝しげに見ていたが、そこで驚愕する。
兵士達の体が突然、溶け出した。
人が徐々に溶け出し、体内に収まっていた臓物や骨が露出してはすぐさま同じ様に溶けていく様はあまりにもグロテスク。
異臭を放ちながら崩れていくそれにランは顔を強く顰めて口を押さえ、セイラムは顔を青ざめさせて両手で口元を覆っていた。
全身が服や鎧ごとドロドロに溶け始め、人の形を保つ事も出来ない位になった所で、今度はその溶解物が徐々に小さくなっていき、最期はその場に何も残さずに消えてしまった。
良く見れば周りの兵士達の死体も同様に溶け始め、同じ様にして消えてしまっている。この様子だと、村の兵士達の死体も同じ事になっているのかもしれない。
――終わった。
指揮官の男が退いた事で周りにいた兵士達も溶けて消えてしまい、その場にはツェイト達4人だけとなった。
村の方からはツェイト以外にも笛の音を聞き付けたのであろう村人達の声と足音が聞こえてくる。
村も兵士達がいなくなった筈だ。今の所はこれで大丈夫、そう思いたい。ツェイトは怒りの感情が急に鎮まった事に気付く事無く胸をなでおろしそうになったが、まだ予断を許さない事が一つある。
「ウィーヴィル!」
ハッと思いだしたようにセイラムがウィーヴィルの下へと駆けだし、ランとツェイトもその後を追う。
「ウィーヴィル! 大丈夫なのか? ウィーヴィル!」
セイラムがウィーヴィルの体を仰向けにして、呼びかける。腹部からの出血はもう止まっているが、ウィーヴィルは呼びかけに応える様子が無い。
「……ウィーヴィル?」
まさか、本当に? 皆の頭の中で想像したくない事が思い浮かび、セイラムの目尻から涙が滲み出て来た。
この場にいる者達が絶望に顔を歪み始めたその時、ウィーヴィルの眼が突然バチッと音が聞こえそうな勢いで開いた。
流石にこのタイミングでこの様に眼を開くとは想像できなかった三人は、三者三様に驚いた。
ランは「うわっ!」と飛び退き、ツェイトも無言のままに一歩後ずさる。心配そうに呼びかけていたセイラムに至っては「ヒィっ!?」とまるで気味の悪いものを見たときの様な悲鳴を上げる始末だ。
「…………聞こえとる。耳元でわめかんでくれ」
「ウィーヴィルさん! だ、大丈夫なんですか!?」
ランが上体を起こすウィーヴィルを気遣いながら訊ねると、ウィーヴィルは痛みに顔を少し歪ませながら自身の腹部の斬られた傷口を見た。
「どうやら、腹の筋肉で何とか止まってくれたみたいだな」
でなければ、今頃内臓が飛び出て悲惨な事になっている筈だろうからな。とウィーヴィルが自分の事ながらも客観的に言うと、セイラムとランは顔を青ざめさせた。
「歳は取りたくはないな、どうも打たれ弱くなった様だ」
どうやら指揮官の男に斬られた時に失神してしまっていたらしい。指揮官の男が逃げる頃には意識は戻っていたらしいのだが、血の流し過ぎで急には動けなかったとの事。
呻きながら傷口を抑えるウィーヴィルの顔は、死とは縁の遠い顔をしていた。
血を流し過ぎた所為で多少青褪めてはいるが、顔に精気が宿り、額から生えた一対の触覚もウィーヴィルの気力に合わせるかのようにシャキッと上へ伸びている。
元気なウィーヴィルを見て三人はハァ~っと安堵して肩を落とし、セイラムがポツリと呟いた。
「でも、無事で本当に良かった」
「心配をかけさせてしまって済まなかったな。だが、お前の先程の悲鳴は中々に堪える」
腹の傷より効いたかもしれん。セイラムの呟きをしっかりと聞いていたウィーヴィルが肩をすくませながら言うと、セイラムがバツが悪そうに眼をそらした。
緊張がやや抜けた彼らのもとへ、応援に来てくれた村人達が駆けつけて来た。ウィーヴィルの傷を見た村人達は慌てていたが、本人が元気そうな事に気付いて安心する。
村の方も兵がいなくなって落ち着いたとの事なので、セイラムやランがその話を聞いてホッと安心した。
これにてこの騒動は一件落着、した……かに見える。
しかし、一部の者達にとっては、この騒動が本当の始まりに過ぎないように思えて仕方が無かった。
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