第4話 襲い来る者達

 今朝は何とも寝覚めの悪いものだった。ツェイトは弱々しく光る眼を明減させながらぼんやりと空を見上げた。

 空には既に太陽が顔を出し、雲ひとつ見当たらない快晴の青空だ。まるで悩みなんてこれっぽっちも感じられなさそうに見えるのに対し、心の中の天気模様が曇天一色のツェイトはそれが少し羨ましかった。


 昨晩の会合からウィーヴィルの言葉、そしてセイラムの事、その一連の出来事が睡眠欲と言うものをかき消してしまったのか、ツェイトはロクに眠る事が出来なかったのだ。いくら短時間の睡眠で大丈夫な体質を持っているツェイトでも、殆ど寝ないと言うのはさすがに堪える。

 そのおかげで、ツェイトは今が昼間であるにもかかわらず、ふわふわとした夢見心地の様な感覚が抜けずにいた。


 彼らの所為、等とは言うつもりは毛頭無い。これも自身の胆力の脆弱さが災いしたものなのだから、責めるべきならそれは自分自身だ。

 別に戦う、等と御大層な言葉を並べる必要はない。生物を殺める事に対するこの感情を何とかすれば良いのだ。が、言葉で言うのはとても簡単である。あとは心身がどこまでそれに追従してくれるかだが、それが難しい。

 生きて動くもの、そう常識として認識している筈のものが、死と言う出来事により動かなくなる。

 それによって、長年認識していたものが崩れ去って行く。これも一種の未知、そして、ツェイトが感じている感情は、未知に対する恐怖の延長線上のものと捉えても良いのかもしれない。

 早い話が、ツェイトは殺す事も、死に対する免疫も無いのだ。

 血なまぐさい出来事とはほとんど無縁に生き、今まで培ってきたツェイトの倫理観が一線を踏みとどまらせていた。


 親しい者の死に立ち会った事もなく、身近な死と言えば、精々路上や草木のある場所に転がる動物の死体を極稀に見る程度。どれもが小さい、または人の形からかけ離れた生物だ。そしてその全てはツェイト自身が手を下したものではなく、別の外的要因によって死んだものだ。

 しかしこれから相手をする者は己の手で叩かなければならない、ましてや犬猫等の小動物といった可愛げのあるものなどと言った事ですら当然ない。 


 これは、この世界に来たツェイトが最初に直面する試練なのだろうか。


 朝起きてから挨拶を交わし、何時もの場所で食事を取るのだが、どうも違和感がある。というのはセイラムの態度だ。

ウィーヴィルは普段通りに接してくれたが、セイラムの態度は余所余所しかった。今朝の食事もセイラムでは無く、ウィーヴィルが運んできてくれたのだ。


 失望されたのか、と言えば何処か違う。ツェイトを避ける様に振る舞う仕草は、ツェイトに対して悪感情を持っているからと言う訳ではなさそうだ。

 ツェイト自身も何と話しかけたら良いのか判断を付けかねているので、互いの距離は昨晩から平行線のままだった。


 逆にウィーヴィルはツェイトのこの件については「これは自分自身の事だから、ワシが下手にどうこう言うよりも自分で考え、そして決めた方が良いだろう」と自身の意思で解決してもらう方針らしい。

 どうしても答えが出ない場合は後押しをするが、ウィーヴィルは出来るだけツェイト自身の考えで判断して貰いたいらしい。




 現在ツェイトは眠気が取れない中、日課になりつつあるウィーヴィルの講義を受けていた。せっかくウィーヴィルが自分の為に時間を割いてくれているのだから、それを無碍にしてしまうのは申し訳ない。と眠気に負けないように噛みしめながら話を聞いていたのだが、とある事態を知って眠気が一気に飛んだ。


 今ツェイトが教わっているのはこの世界の言葉と文字についてだ。NFOの頃も、NPCとの会話には同じ言語が使われていたので、このNFOに酷似した世界で昆虫人達と言葉が通じる事に関しては、仕様が同じなのか程度に思ってツェイトは特に疑問を抱いてはいなかった。

 それは良い、だが問題は次の文字についてだ。


――日本語が、書けない。


 ウィーヴィルから借りた筆を摘み、墨をつけて和紙の様な質感の紙に自身の名前を試しに書こうと試みた所、何故か全く別の文字で書いてしまった。。

 ツェイトはひらがな、カタカナの50音字から思い付く限りの単語や文章を、紙が真黒になるまで書き続けてみたものの、どれも全てが変換されてしまっている。まるで昔からそれを学んでいたかのように。

 文字そのものは見覚えがある。それはNFOの頃も度々お目にかかったNFOの世界の文字だ。

 NFOの文字は、象形文字に近い。それでいて、日本語と同じように50音字で構成されていて文章の作りも同じだ。簡単に言ってしまえば、NFOの文字とは漢字やカタカナ等がなくなり、ひらがなだけで構成された日本文字の様なものである。


 ゲームの世界ではその文字の上から翻訳された日本語が浮かび上がって来る仕組みになっていたが、これはそんな範疇を超えている。

 覚える手間が省けはしたが、逆にそれが不安とも感じる。知らない間に頭の中を弄くり回されている恐れがあるのだ。弄くり回されたと言えば、今の自身の体もそれに当てはまるので今更と言えば今更なのかもしれないが。


 


 ウィーヴィルの講義がつつがなく終わった後、ツェイトはもはやこの村では所定位置となったウィーヴィル達の家の裏庭にある岩を背にして腰かけ、そこら辺に落ちていた木の枝を片手でいじりながら思考に没頭する。


 戦う事、殺す事、今後の事、そしてプロムナードの事。

 様々な思考がない交ぜになって来た所でツェイトは深く深呼吸をし、考える事を一旦止めた。

 どうも此処に来てから、思考が後ろ向きになり過ぎるきらいがある。こうまでして自分で自分の精神をガンガン削っているのが、一種の自傷行為なんじゃないのかとすら思えて来た。

 重く考えるなとは言わないが、もう少し気楽に考えるべきなのだろう。この世界に初めて来た時も、動く事を良しと判断したは誰でもない、自分だ。

 

 せめてこの抵抗感をどうにかしないと……手始めに誰かの狩りにでも同行出来ればと思うが、村の守りと認識されているかもしれないツェイトを外に出す事は村の人達は避けたいのではないだろうか。それに、生き物を殺すのに慣れる為、狩りに行ってきます。等と言ったらどんな反応が来るのか分かったものではない。となれば迂闊な事は言えない。


 これはもしかしたらぶっつけ本番の可能性が高い、いよいよ覚悟を決めなければならなくなってきたのかもしれない。ショック療法と言う事で無理やり慣れさせるしかないのだろう。

 嫌な物はこっちが拒んでも勝手に来るからな、とツェイトは一人ごちつつふらりと立ち上がり、気を紛らわすために村を回る事にした。


 ツェイトがウィーヴィル達の家を通り過ぎようとした時、軒先で刃物の手入れをしているウィーヴィルとばったり会った。

 布の上に斧やナイフ、鉈等が置かれており、手入れをしていたウィーヴィルはツェイトに気付いき、顔を上げて話しかけて来た。


「出かけるのか?」


「えぇ、ちょっと散歩でもしようかと」


「そうか……あまり、無理はするなよ」


 無理、とはツェイトが目下悩んでいる事についてだろう。気遣わしげにツェイトに言って来た。


「ありがとうございます。でも、いずれは慣れなきゃならない事ですから、これは良い機会なのかもしれません」


 私はそう思う事にしました。そうツェイトが答えると「それがお主の答えなら、言う事は無いのだが……」とまだ心配そうではあるものの、ウィーヴィルは納得してくれたようだ。


「そういえば、お嬢さんは何処へ?」


「食事を済ませてからふらりと何処かへ行ってしまったよ。恐らくは村の中だろう。しかし、何度聞いても変なものだな、セイラムがお嬢さんなどとは」


 ウィーヴィルは可笑しそうに笑いだす。ツェイトとてセイラムにお嬢さんと言う呼び方がイメージ的に合わないのは承知の上だ。しかし、父親の前で娘を呼び捨てで言うのもはばかられる。故にウィーヴィルの前では一応の妥協点として、セイラムの事をお嬢さんと呼んでいるのだ。


「おぉそうだ、もしセイラムに会うのなら、一つ頼まれてはくれないか」


 何かを思い出したようにウィーヴィルは立ち上がり、家の中に戻って笹に似た大きな葉で包み、細い紐で縛られた小包を持って来た。


「握り飯だ。これを渡してやってくれ」


「そう言う事でしたら……」


 果たして必要なのかとツェイトは疑問に思う。昨日、セイラムに連れられて村を回ったのだが、その際セイラムは農作業をしている村人からキュウリの様な野菜を貰い、近くの井戸水で洗った後そのまま道中歩きながら丸かじりして食べていたのだ。今の時間帯からすると、もしかしたら既に現地調達している可能性がある。

 自身よりもセイラムの事を良く知っているであろうウィーヴィルがそんな事を知らないとは考えづらい。ツェイトはそう思っていたが、どうやら裏があるようだ。


「話すきっかけと言うのも必要だろう」


 成程、お見通しと言う訳か。ツェイトはウィーヴィルの意図が読めた。

 何時までもぎくしゃくした関係と言うのは回りの空気を悪くするし、互いの為にはならないだろう。二人の仲を見かねたウィーヴィルからの、ささやかながらの手助けだった。


「……ありがとうございます」


 深くは追求しない、それが無粋だとツェイトは感じたから。ウィーヴィルもそれ以上は言わずにツェイトの外出を促した。


「もし不要だったらお主が食べれば良いのだからな」


「そうならないように祈ります」


そんな軽口を叩き合いながらツェイトはウィーヴィル達の家を後にした。その大きな手に、ちょこんと葉包みの弁当を乗せて。




 さてセイラムは何処に行ったのか、と村を回っていたツェイトだが、その道中何人もの村人に話しかけられた。


最初は驚きと緊張から始まったファーストコンタクトだったが、今ではそれなりに親しみを以て接してくれている。その理由も、ツェイトはおおよそ見当が付いていた。

 ツェイトが力を貸す事、それだろう。中には期待してるよ、とツェイトの背中を軽く叩いて来る者までいた。


 ……何だか余計プレッシャーをかけられてしまった様な気がする。

 悪気なんてものは、これっぽっちも無いのだろう。ツェイトは悪意なき激励を贈った村人たちに何とも言えず、善処します、とだけ答えてそそくさとその場から逃げる様に去って行った。その際、慌てていたせいかツェイトは田んぼのぬかるみに足を突っ込んで、危うく転倒しそうになったのは御愛嬌か。





 程なくしてセイラムは見つかった。見つかったにはいいのだが、何とも話しかけづらい状況だった。

 場所は村の通りから外れた森の中、セイラム以外にその場所にいるのは村長の孫、ランだ。彼と何か話している様だ。

 まさか、これは逢瀬の類という奴か? セイラムの方は分からないが、ランの方はセイラムに気があるらしいので否定は出来ない、とツェイトは一瞬下種の勘ぐりをしてしまったがどうも様子が違う。遠目から見る限りでは、二人ともそんな甘い雰囲気と言う訳でもなかった。むしろ真面目な表情だった。

 幸いな事にセイラム達はまだツェイトの存在に気づいてはいない。丁度いいので彼女達の会話が終わった頃合いを見計らって弁当を渡そうと、ツェイトはある程度離れた所の木々に身を潜めて待機しようとしたのだが、セイラム達の会話が丸聞こえになっていた。

 ツェイトの肉体は何も筋力だけが高いわけではない。その五感も、そこいらの生物より遥かに強化されているのだ。聴覚とて例外ではない。

 しばし動揺するツェイトの聴覚器官に、セイラム達の会話が聞こえてくる。




「セイラム、警備に出るのは止めておけ」


「止めておけって、どうして」


「どうしても何も、お前が狙われているのかもしれないんだぞ。大人しく家にいるんだ」


「私が狙われているかなんて事、分からないじゃないか」


 セイラムの声に徐々に怒気が含まれていく。ランはセイラムの事を思っての発言なのだろうが、それがセイラムは気に喰わないらしい。


「村の警備や戦いは、ウィーヴィルさんや今お前の所で預かっているあの男に任せれば良いじゃないか」


 あの男、というのはツェイトの事だろう。そこでセイラムの雰囲気が変わる。


「……そ、それは……駄目だ」


 先程の怒気は消え失せ、セイラムは絞り出すように答える。その声色には戸惑いが混じっており、それがランには解せないらしく、怪訝そうにセイラムに訊ねた。


「どうしてだ、ウィーヴィルさんが強いのは俺もよく知っているし、あの男は、お前の話ではかなり腕が立つらしいじゃないか。それともあの話は嘘だったのか?」


「ち、ちがう、そうじゃない。 そうじゃ……」


 セイラムは違うと答えるも、その言葉は尻すぼみになっていき、説得力に欠けていた。それが益々ランを懐疑的にさせる。


「……セイラム、お前何か隠しているのか?」


 それが決定打だったのか、セイラムは「あ、う……」と狼狽の声を上げた。しかし、その後それを紛らわす様に語気を荒げて言い返した。


「私は何も隠してなんかいない! 嘘もついてない!」


 話は終わりだ、と言わんばかりにセイラムは身をひるがえし、ランが呼び止めようとするもその言葉を振り切り、セイラムは振り返らずに慌ただしく走り去って行った。



 

 一方、二人のやり取りを遠くから聞いていたツェイトも、静かにその場から去っていた。

 流石にあんな話を聞いた後にぬけぬけと顔を出せば、話が余計こじれてしまいそうだ。タイミングも何もあったものではない。


――セイラムには悪い事をしたかな。


 森の木々をかき分けて歩きながら思い返すのは、先程の二人の会話。セイラムは、明らかにツェイトの事について何かを引きずっている様であった。自分の所為で誰かが苦悩するというのは、寝覚めが悪い。


――この弁当、どうしようか。


 まさかウィーヴィルの言った事が本当になるとは、と掌に乗せたツェイトから見れば小さなおにぎりの処遇について頭を悩ませながら森を抜け、村の通りを一人のっそりと歩いて行った。

 結局、ツェイトはあれからセイラムとは話どころか会うことすらできなかった。


 もやもやとした感情が晴れぬまま、時間だけが無為に経っていった。そして……




 それは夕方に差し掛かった時のことだった。遂に招かれざる来訪者はカジミルの村へと現れた。

 だがしかし、それは村の皆、そしてセイラムとツェイトが予想していた者ではなかった。


 それを知る事が出来たのは、村人たちが連絡用にと携帯していた笛のおかげだった。

 空気を振るわせる程の甲高い音が村の近くの森から響き渡り、その音は村全域にまで響き渡って行った。この笛は特殊な作りをしていて、昆虫種族にのみ聞き取れる高周波の様な音を広域に発する事が出来る仕組みになっている。


 とうとうあの兵士達が現れたのか。ツェイトは緊張に身を固くしながら立ち上がった。ウィーヴィルは入り口の警備に向かうと言う事は事前に知らされているので、彼と合流すため駆け出す。


 その際、セイラムに居る部屋をチラリと見たが、其処にはセイラムがいる様な雰囲気は無かった。

 ウィーヴィルの所に居るのだろうか? その事の確認も踏まえてツェイトは村の入り口へと向かった。


 ツェイトが村の大通りまで来た頃には、既に村中に笛の音が届いた事で臨戦態勢に移るべく村人達が慌ただしく動き回っていた。

 戦えない者達を家に入れ、戦える者達は武器を手に取って所定の位置で既に警備をしていた者の下へ合流して行く。


 慌ただしく駆け回る村人達の中を失礼します、と断りを入れながらツェイトはウィーヴィルのいると思しき場所へ向かう。

 到着した時には既に村の入り口である柵の付近に、槍や剣等の武器を持った村人達が大勢集まっていた。

 辺りを見回した所、何処にもウィーヴィルの姿が見当たらないのでツェイトは近くに居る男性に声をかけて訊ねる事にした。


「すみません、ウィーヴィルさんはどこに?」


「おぉ、アンタか! どうしたんだ、ウィーヴィルさんならもう笛の鳴った場所まで他の連中と一緒に向かったぞ」


 場所はあっちだと男性が指差す方向は、ツェイトがこの村に来る前に来た丘の上、その先にある森だ。

 もう既にウィーヴィルさんは行ったのか、ならばセイラムは? その事についても男性に訊いてみた。


「では、セイラムは?」


「セイラムの嬢ちゃん? いや、俺は見ていないな」


「そうですか……」


 一体どこに行ったんだ、とツェイトが落ち着かない態度でセイラムがいないか回りを見渡していると、男性が更に話し続けた。


「しかし何だな、連絡しに来た奴の話だと襲ってきた奴は兵士じゃないらしいぞ」


 兵士じゃない? では一体……そうツェイトが問いかけようとした時、不意に村の入り口の先にある丘の近くの森から、重いものが叩きつけられるような轟音が響いて来た。

 音の発生地点に眼を見やると、バキバキと木々が倒れて土煙が上がり、鳥たちが慌てて飛んで行くのがツェイトの眼にも見えた。


「来たぞー!」


 村の各所に建てられた見張り台の一つにいた見張り番が声を荒げて叫ぶ。すると森の中から先に飛び出して来たのは、身の丈に迫る程の長さの巨大な鉈に似た刃物を持ったウィーヴィルと、数人の武装した村人達だった。

 その中には、弓を片手に持ったランと、槍を両手で構えたセイラムまでもが出て来た。


――セイラム、どうして。


 だから家に居なかったのか、と納得すると同時に何故そこにるんだ、という困惑。その二つの感情がツェイトの心の中に湧き上がる。


 続いて森の木々をなぎ倒しながら、件の襲撃者が丘へと身を躍らせて来た。


「な、何だありゃ!?」


 誰が最初に驚きの声を上げたのだろうか。ツェイトは村人たちの視線の先にあるものを目にした。




 それは、何とも言葉に表しがたい姿をしていた。

 獣と虫を無理やり混ぜ合わせた様な、醜悪な体をした全長が5mほどもある二足歩行の大きな異形だった。

 全身に備わった鉛色の外骨格と、額から生えた節くれだった触覚、頭部の4分の1を占めるほどの面積を持った大きな複眼の眼が、その怪物を虫のモンスターではないのかと思わせる。強いて虫で例えるのならば、翅の無いハエと言った所だろうか。そしてその怪物の外骨格の隙間からは、獣の毛皮の様なものが所々覗かせていた。



 その全貌を現した虫の異形は、先程から応戦している村人達に対してまるで小うるさい羽虫を追い払うが如く、鬱陶しそうに腕を荒々しく振り回す。

 叩きつけられた木々や岩は吹き飛び、大地には轟音を立てて小さなクレーターが生まれた。当たれば只では済まない怪力で、村人達やウィーヴィル達に襲いかかるが、ウィーヴィル達も負けてはいない。

 セイラムが突っ込んでは曲芸師の様に虫の異形の攻撃をかいくぐり、懐に入り込んだ所で首に一突きお見舞いする。

 一撃を受けた虫の異形は、セイラムを叩き潰さんと腕を振りおろそうとするも、其処でランの放つ一線の矢が突き刺さらないまでも、虫の異形の複眼に直撃して邪魔をした。

 それによって益々怒りが増して行った虫の異形はランに向きを変えようとした所で、待ってましたと言わんばかりにその背後でウィーヴィルが、まるで野球の打者の様に大鉈を振りかぶった態勢で構え、隙だらけになっている虫の異形へ駆け、渾身の踏み込みと共に胴体目掛けて凄まじい勢いでその大鉈を振り抜いた。


 大鉈によるフルスイングの直撃を受けた虫の異形は、硬い物が割れる様な音と共に、軽く唸り声を上げながらその場から数メートル引き摺られる様に後ずさり、鉈の一太刀を受けた個所を腕で押さえる。その腕の隙間からは、虫の異形の血と思しき緑色の体液が夥しい量であふれ出て来た。


 攻撃が通った! 村人達が歓喜の声を上げる中、ウィーヴィルは静かに大鉈を構えて油断なく相手の様子を見ていた。


――驚いたな。


 ツェイトは彼らの息の合った連携に眼を瞬かせた。3人の他にも戦いに参加している村人達も彼らの脇を固める様にサポートをしている。

 これも昆虫人の身体能力が成せる業か。いや、それだけでは無い。おそらく彼ら一人ひとりの練度が違うのだろう。


 そして、その中でも特に異彩を放っているのがセイラムだった。

 セイラムの身体速度がウィーヴィルを含めた他の村人達と比べると一線を画している。

 一撃こそ威力に欠けてはいる様だが、それを補うかのように、眼にも止まらぬ速度で槍を虫の異形に連続で突き立ていく姿は、もはや一介の村人というレベルでは無い。


 セイラムが戦っていたのが複雑な気分ではあるが、これは俺の出番は無いかな、とツェイトは彼らの活躍を見てちょっと内心胸を撫で下ろしていた。戦うと言いはしたものの、やはり心のどこかでは戦いたくないと願っていたものだから。


 もう大丈夫だろうか。村人達の大半が思いかけた所で、虫の異形の様子に変化が起きた。



ギヨ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォ゛!!



 虫の異形が4つに裂けた口を開いて耳をつんざく様な雄叫び声を上げたかと思うと、先程ウィーヴィルから受けた胴体の深い切り傷が瞬く間に塞がって行き、外骨格まで修復されて無傷の状態にまで戻ってしまったのだ。


 回復が早すぎる。ツェイトは虫の異形が流血する所で顔を顰めつつ、その回復速度に驚いた。

 昆虫種族は総じて生命力が高い。だが、あれは異常だ。深手の傷が瞬く間に癒えていく様はまるで不死系種族の様ではないか。そうでないのならばあれは――


――ハイゼクターか。


 しかし、違うとツェイトは否定する。ハイゼクタ―はモンスターとして自然発生する様な種族では無い。あれは、プレイヤーからでしか成る事の出来ない種族、その筈なのだ。

 ツェイトは、ふと件の異形と目が合った。いや、正確には、虫の異形がツェイトの存在に気が付いたかのように視線を向けたのだ。距離があるにもかかわらず、しっかりとツェイトの存在を怪物はその大きな複眼で認識したのだ。

 虫の異形はピタリと動きを止めたかと思えば、体を震わせ、絶叫した。



ギ……ギヨ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォ゛ッ!!



 ツェイトの姿を視認した怪物は、森一体に響かせるかのように不快な雄叫び声を再び上げ、相手をしていた村人達を突然無視してツェイトのいる所へまっしぐらに突撃をかけてきた。ツェイトのいる場所、それは――


――村に突っ込む気か!


 虫の異形の吶喊に村人達が驚き、慌てて弓で矢を放つが虫の異形はそれらを全て弾き返し、怯む事なく、勢いを弱める事も無く村へと突っ込んでいく。


 まずい。ツェイトは一旦村人たちの集まっている場所から少し距離を取った後、その場から大きく跳躍して村の柵を飛び越えた。


 ずんっと大地に若干めり込みながら着地したツェイトは、虫の異形へと駆け出す。

 ツェイトが現れた事にウィーヴィルとセイラムが驚き、セイラムが何かを叫んでいたが今のツェイトの耳には入らない。


 ツェイトは無言のままに虫の異形へと、虫の異形は雄叫びを上げながらツェイトへ。互いがぶつかり合った時、戦車と戦車が全速力で衝突したかのような轟音が鳴り響き、衝撃波が辺りの草や石を吹き飛ばした。

 ツェイトと虫の異形は、さながら土俵の上で組み合う力士の様に掴み合った。


――よし、いける。


 村人やウィーヴィル達がその取っ組み合いを見守る中、ツェイトの心中は意外と余裕だった。

 先程の回復力には眼を見張るものがあったが、パワーに関しては此方の方が上だ。

 一応自分に分がある事でツェイトは余裕が出来たものの、油断は出来ない。長引かせて回りに被害を拡大させたくは無いのだ。

 出来れば短期決戦で済ませたいのだが、此処に来て最大の問題にぶつかる。


――……ここからどうする。


 もしもゲームの世界だったら、掴み合う暇すら与えず即座に打撃を叩きこんでいる所なのだが、それを躊躇させてしまったのは、敵を仕留める事に対する抵抗感がまだツェイトの中に残っているからだ。

 ツェイトの頭の中では、ワイルドマックを殺した時のあの光景がチラチラとちらついて離れない。


「オ゛、オ゛前、ダ」


 苦悩していたツェイトはギョッとして怪物の顔を見る。

 ノイズの様な音が混じっていて上手く聞き取れないが、目の前の虫の様な怪物は確かに喋った。

 虫の様な怪物は体を震わせ、顎を大きく開けて叫んだ。


「オ゛、オ゛前ガ、オ゛レ゛ヲ……゛ゴ、殺ジ……ダァ゛ァ゛ァ゛ー!」


 殺した? 何の事……まさか。

 外骨格の隙間から所々覗く毛皮は良く見れば赤く、ツェイトよりやや大きめの5m位の巨体は、熊の様にみえる。そして「殺した」と言うキーワード。

 忘れようもない。恐らく目の前の怪物は、ツェイトがこの世界で遭遇して初めて殺したモンスター、ワイルドマックなのだろう。


 しかし、どうしてこんな姿に? 何故言葉を話せる? 組み合う最中、ツェイトの頭の中で様々な憶測が浮かび上がってはツェイトから冷静さを失わせる。

 ワイルドマックが言葉を発し、虫の様な姿をしている。こんな事、NFOではこのようなモンスターはいなかった。今更ゲームの知識を持ち出した所でそれが当てになるかと言えば怪しいが、それでもツェイトの心の拠り所の一つあるそれを、そう簡単に捨てる事が出来ないでいた。

 混乱と忌諱感で徐々にツェイトの腕の力が落ちていく。それが、虫の異形に大きな隙を与えてしまった。


 ツェイトの力が一瞬弱まった所で、一気に畳みかける様に虫の異形はツェイトを地面に叩きつけて押し倒し、その首に手をかけて強く絞め上げてきた。

 怒りと言う感情が、虫の異形に力を与えているのだろうか。虫の異形のパワーは先程よりも上がり、今の精神状態のツェイトでは中々抜け出せない程にまで強化されていた。


 幸いツェイトの身体能力の高さのおかげで、虫の異形の絞めつけは意識が遠のく程危ないものではない。しかし、何時までもこのままで良いわけはない。ツェイトが自身の首に手を駆けている虫の異形の手を掴み上げ、押し返そうとした所で虫の異形の背後を何者かが叫びながら飛びかかって来た。


「やめろぉーーっ!」


 それはセイラムだった。鬼気迫る表情で虫の異形の肩に飛び乗り、槍の柄を短く持って異形のうなじ目がけて何度も刺突しはじめた。だがそれは虫の異形の外骨格を貫くには至らない。終いには槍の刃の方が根を上げてしまい、根元から折れてしまった。それでもセイラムは止まらない。折れた槍を捨て、今度は外骨格に覆われた両の腕で虫の異形の頭部目掛けて殴り始めたのだ。しかし、先程から攻撃を受けているいる虫の異形は、ツェイトを締め上げる事に夢中の為か全く意に介さない。


 無茶だ、何と言う事を。ツェイトは虫の異形の腕を振りほどきながらセイラムに制止を呼び掛けた。


「よせ、手が割れるぞ!」


「だって! 私は、お前を無理やり戦わせたんだぞ! 戦えないのに!」


 とうとうセイラムの手の外骨格が割れ始め、割れた個所から赤い血が流れ始める。それでも、セイラムは殴る事を止めない。痛みに顔を歪めながらも、彼女は言葉を紡ぐ。


「それなのに……私は、喜びながら、お前を戦いに強要するような事をして……っ!」


 最低だ……擦れそうな声で呟くセイラムのそれは、まるで今まで溜めこんだ己の罪を告白する様だった。


 ……そう言うことだったのか。途切れ途切れではあるものの、ツェイトはセイラムが何を言わんとしているのか何となくではあるが理解した。

 昨晩から今日に至るまでセイラムの胸を苛ませていたものは、おそらくツェイトに対する罪悪感だったのだろう。

 ツェイトがこの世界とゲームとのギャップと、生き物を殺した事で色々とショックを受けている最中、知らなかったとはいえツェイトの事を村の皆に話し、結果として戦わせるよう仕向けてしまった。そんな自分が許せなかったのかもしれない。


――優しすぎる。


 今時のリアル世界でもあまりお目にかかれなさそうな性根の持ち主だ、やや頑固な気もあるが。


 そして、そんな彼女が自分の為に血を流している事に腹が立った。その怒りの矛先は、自分自身だ。


――何をやっているんだ俺は。


 助けた筈の娘に助けられ、更にはその娘を傷つけ、挙句の果てに自分はこのザマか。助けた時のあの感情は何処へ行ったのだ。


 何と不甲斐ない、そして度し難い。


 確かに自身の中身は只の一般人だ。しかし、今この体は“ツェイト”だ。NFOと言う世界では、赤と青のハイゼクターの片割れとして名が知られたPCなのだ。


 そして、何よりも。


『よっしゃあ! 突っ込むぞツェイト!』


 そうだ。


『俺達二人を止められるのなら、止めてみろ!』


 そうだった。


『俺は胸を張って言えるぞ。お前が俺の相方でいてくれて、本当に良かったってな』


 何よりもこの体は、自身の相棒であり、親友であるプロムナードが誇ってくれた体なのだ。

 故に、この様な醜態を晒してはならない。それが、プロムナードの名を辱める様に思えてしまったから。


「セイラム、もう良い。そいつから離れるんだ」


「で、でも!」


「良いから、遠くへ離れるんだ。巻き込まれるぞ」


 ツェイトの雰囲気が変わった事にセイラムは動揺しながらも、ツェイトの言うとおりに虫の異形から飛び退いて距離を取った。

それを確認したツェイトは、自分の首に手をかけている虫の異形の手を掴み上げ、押し倒されていた態勢から徐々に立ちあがる。自身の腕力が押し負け、逆転しはじめて来た虫の異形は驚いてもう一度押し倒しにかかるも、ツェイトの体は嵐に晒されても折れる事の無い巨木の様に、ビクともしない。


――こんな事で、止まる訳にはいかない。


 プロムナードと合流したい、元の世界に帰りたい、しかし自分の手は汚したくない。


 何とも酷い話だ、まるで子供の駄々ではないか。ツェイトは自身をそう評しながらワイルドマックの成れの果てを押し返す。互いの態勢は拮抗した状態に戻ったが、状況は虫の異形の方が悪い。ツェイトよりも一回りは大きい筈の虫の異形は、ツェイトの腕力に抗う事が出来ずにいる。


 ツェイトはジッと目の前の虫の異形を見つめた。


 確かに怖い、今でも恐ろしい。だがそれでも、踏み止まってはいけない時と言うものがある。ツェイトは、今まさにこの時がそれだった。


――プロムナード。


 今はこの場にいない友の名を心の中で呟き、そしてチラリとその場から距離を取ったセイラムを見た。


 セイラムへの情と己の感情、その両方を天秤にかけた時、ツェイトの心の中の計りの針は、セイラムへと傾いた。もしくは、セイラムの裏に見え隠れする友に対する友情へか。


――俺は、俺を誇ってくれたお前の為に戦おう。


 それが、今この場で俺に出来る事ならば。

 その言葉は、プロムナードとセイラムの二人に対して言っている様であった。


 ツェイトの中で、錆ついていた何かが音を立てて動き出す。


 ツェイトの意思に呼応するように、眼に灯った青白い光が強さを増していく。

 鬼火の様にユラユラと揺らめきながら光を灯していたその眼は、力強く光を放って相手を見つめる。


 その光に虫の異形が何故か怯む。その隙を好機と捉えたツェイトは組み合っていた手を解き、両手で内側から虫の異形の両腕を外側へとはじいた後、がら空きになったその胴体へボディブローを叩きこんだ。


「グギギィッ」


 鈍い破砕音が辺りに響き渡ると共に、虫の異形は口から体液を吐き、呻き声を上げながらその体を宙に浮かせた。

 それをすかさずツェイトは胴に叩きこんだ腕とは逆の腕を振り上げ、浮き上がった虫の異形の肩目がけて握りこぶしを振り下ろす。ツェイトの拳は虫の異形の肩を叩き割るとともに、その巨体を大きな音を立てながら大地に沈めさせた。

 乾いた大地に大質量の物体が衝突した事によって周囲に亀裂が生まれ、土煙を舞い上がらせる。


 うつ伏せに倒れた異形に追い打ちをかけるべく、ツェイトは組んだ両手を振り上げ、プロレス技で言うダブルスレッジハンマーを虫の異形の背部目がけてお見舞いした。

 その瞬間、虫の異形の背中が嫌な音を立てて外骨格諸共その胴体を潰され、ツェイトと虫の異形を中心とした周辺の大地がその衝撃で、まるでミサイルの直撃を受けたかのように大爆発を起こした。


 大地が大きく揺れ、近くの木々はその振動で激しく震える。


 まるで踏み潰された虫の様に、背中と腹部の両方から夥しい量の血液と臓物を飛び散らせて虫の異形はビクビクと痙攣を起こしている。

 


 先程まで、村人達が傷を入れる事すら困難だった虫の異形の体が、まるで嘘の様にツェイトの攻撃でその体を破壊されていく。

 村人たちは遠目にそれを驚愕の眼で、近くにいたセイラムとランはツェイトの戦う姿を呆然と見つめていたが、ウィーヴィルだけはその光景を、まるで納得していたかの様に見据えていた。


「イ……ガ、ギィ……!」


 一旦距離を取り、構えなおしたツェイトは痛みに身を悶えさせる虫の異形の姿に、外骨格に囲まれたその眼をきつく歪めて一瞬手を止めかけたが、軽く首を横に振る。


 生物ならば確実に致命傷になる程の打撃を与えた。しかし、再び先程のウィーヴィルが与えた傷の時の様に体が再生して行く。流石に内臓が飛び出るほどの重症では回復の速度も遅いのか、ゆっくりと内臓が虫の異形の体へと戻って行く様は、見る者に怖気を振るわさせる。

 虫の異形は体を痙攣させ、再生途中である事を気にする事無く、未だ使い物にならない腕とは逆の健在な腕と両足で必死に立ち上がろうとする。

 その口からは、壊れた笛の様に空気が素通りする音が聞こえてくる。まさに虫の息と言う奴なのだろう。


――これでもまだ動くのか。


 放っておけばまた復活しかねない。ならば、とツェイトは自身の体に備わったもう一つの力を使用する。

 ツェイトの角が一瞬バリッと青白い稲妻を走らせた瞬間、ツェイトの右腕が稲妻を伴いながら青白い光を放ち始めた。

 チラリとその腕を確認したツェイトは、メキメキと音を立てる程に指に力を入れ、その稲妻を帯びた腕で手刀の構えを取って中腰姿勢のまま呻き声を上げる虫の異形の懐へ踏み込んだ。


 ツェイトの行動が意味する所を察した虫の異形は慌てて腕を振るうが、ツェイトはそれを頭から伸びる片刃状の角を使い、すれ違う際に切り飛ばした。緑色の体液を飛ばしながら、虫の異形の腕が宙を舞う。

 そして、切り落された腕の痛みに悲鳴を上げる虫の異形の胸目がけてその手刀を突き刺した。

 突き刺した腕から発する電流が、虫の異形をその内部から焼き焦がす。それにより、辺り一帯に生物を焼く嫌な臭いが立ち込めてくる。


 胸を貫かれ、内部から電撃で焼かれていく痛みに虫の異形は聞く者全てに不快を与える様な金切声で悲鳴を上げながら暴れ出し、自身をこんな目に遭わせた張本人であるツェイトに何度も殴り掛かった。

 殴られたツェイトはそれを物ともせず、そのまま腕力に任せて大地に叩きつける様に虫の異形を押し倒す。倒れ込んだ所でツェイトは更に電流の威力を上げていき、今度は全身から稲妻を迸らせながら青白く光り出した。


 眼を覆わんばかりに光を放つ強力な電流を全身に流し込まれた虫の異形は、肉体を維持できずにぼろぼろと崩れ始め、最期は影も形も残らず消えて無くなってしまった。


 ツェイトのもう一つの能力、それがこの電気の力だ。

 遠距離まで放つ事が出来ないが、ツェイトの身体能力と併せる事でより強力な一撃を生み出す事が出来る。




 電撃によって焼け焦げた大地と化したその場からツェイトはゆっくりと立ちあがり、深く呼吸をする。


――震えが、止まらない。


 決して武者震いなどの高揚感の類では無い。この震えは、全く別の物だ。あの様な事をした後にも関わらず、やはり根底部分では忌諱しているのだろうか。

 


 村人達がツェイトのもとへと駆けよって来るが、皆一定の距離を保って近づこうとはしない。先程の電撃を目の当たりにしたと言うのもあるが、ツェイトの全身は電撃を放ったばかりの為か未だ弱々しく電気がパリパリとほとばしっているのだ。


「ツ、ツェイト!」


「待て、来るな!」


 心配そうに駆け寄って来るセイラムにツェイトは声を荒げて叫ぶ、その言葉にセイラムはビクッと体を震わして動きを止めた。


「今、俺に近付いたら不味い」


 帯電状態もさることながら、放電した事によって発生する高熱がまだツェイトの全身に残っているのだ。下手に触れば大火傷になりかねない。


「俺の事は良いから、お前はその腕を村に戻って治してもらうんだ」


 ツェイトが見やったセイラムの両手は、虫の異形を殴った影響で外骨格が割れたままだ。その割れた隙間からは、まだ血が流れ出てきておりとても痛々しい。


 そう言うとセイラムは、小さくうなずいた後しょんぼりと頭を垂らしたままトボトボと村へと戻って行き、その後をランが追い掛けていく。


――ごめん。


 心の中でセイラムに謝るツェイトも、実際の所はあまり大丈夫では無い。

 息こそ荒くは無いものの、心臓と思しき器官が荒々しく脈を打っているのがツェイト自身でも自覚できるのだ。


――この先も、こんな事があるんだろうな。


 慣れるしかない。慣れたくは無いが、慣れなければこの先にっちもさっちもいかなくなる。先日、村の会合の後にウィーヴィルから言われた言葉が思い返された。

 しかし、止まる訳にはいかないし、逃げる訳にもいかない。それだけプロムナードへ、そして元の世界へ帰る道が遠のいてしまう。ならば歯を食い縛って行くしかない。


 夢と冒険のファンタジー。

 言葉の聞こえは美しいが、目の前に広がる有様はゲームや遊びでひと括りにされてはいけないものだ。


――取りあえず、何とかなった。


 ツェイトは色々な意味を込めて、深く溜息を付いた。

 



「大丈夫か」


 村人達が後片づけをするために村とこの場を行ったり来たりしている中、鉈を荒縄で背負ったウィーヴィルがツェイトの下へやって来た。ウィーヴィルもツェイトに近づこうとしたが、例の電撃の影響がある為距離を取るようにとツェイトは念を押す。


「えぇ。本当に荒治療になってしまいましたが、何とかなりました」


「全く、お主が飛び出した時は冷や冷やしたぞ。セイラムなんて顔を真っ青にしていた位だ」


「……そこまで心配されていたのですか」


「みたいだな、そもそも今回あの怪物と最初に出くわしたのはセイラムなのだぞ。おかげでワシも肝を冷やしたわ」


「えっ?」


 コレが己の傲慢からなる予想でなければ、セイラムはまさか自分の為に警備に出ていたのか? ツェイトは虫の異形と組み合った際に聞いたセイラムの独白と、今までの彼女の行動からセイラムの心情を読み取ろうとした。


 ともなれば、さっきはセイラムに申し訳ない事をしてしまった。この件が落ち着いたらセイラムとは腹を割って話し合おう。彼女も、自身も色々と負い目があるのでもしかしたら謝罪合戦になりそうな気もするが、まぁそんな事は問題では無い。


「……後でセイラムと話すのが怖いですね」


「お主たちの間で何があったのかは敢えて聞かぬが、まぁ腰を据えて話し合えば良いだろう」


 それもそうですね、とツェイトは答え、先程の虫の異形のいた場所を見つめる。

 

「ウィーヴィルさん、あのようなモンスターはここ等辺では良く見かけるものなのですか?」


「いや、ワシもこの村にそれなりの年月は住んでいたが初めて見る奴だった」


 ワイルドマックが突然虫の異形に変異する等と言う現象は、やはりこの世界でも普通では無いのだろう。

 とすると一体アレはなんだったのだろうか。


 色々と憶測を頭の中で浮かべては沈む作業を悶々と繰り返しながら、ふと日が沈み始めて暗くなった森にツェイトは視線を向けた。そこで、何かが鈍く光るのをその眼で見た。


 眼を凝らしてその場所を見てみると、木々の隙間の藪の中に佇むそれをツェイトの強化された視力が偶然捉え、凍りついた。


 見間違う筈もない。森の奥、草むらの中から顔を覗かせていたのは深緑の衣装を身に纏い、軽装の鎧を装備したマスクの兵士だった。


――あいつらだ!


 驚いたツェイトの視線に気づいたのだろう、その兵士はさっと素早くその場から姿を消した。

 ツェイトは慌てて兵士がいた事をウィーヴィルに話すと、ウィーヴィルも眼を見開いた。


「……これはもしかしたら、不味い事になったのかもしれない」


 まずい? ツェイトは先程まで兵士がいた森の方へと向けていた視線をウィ―ヴィルへと向けた。


「もしも、もしもこれが連中の仕組んだものだったのだとしたら、次は……」


 ウィーヴィルが仮説を立てていく最中、それが的中するかの如く村の方から笛の音が響いた。

 二人してその方向を見てみると、村の奥、森に面している部分からは煙が上がっていた。


――陽動か!


 突如村の正面近くから現れた虫の異形、それらを監視していた兵士、そしてこの警報を知らせる笛の音のタイミング。

 これらがもし何らかの意図によって起こされたものならば合点がいく。先程の虫の異形は囮なのだろう。

 しかしこの怪物をけしかけたのがあの兵士達だとしたら、どうやってワイルドマックをあんな姿に変えたんだ?



 様々な疑問が頭の中で飛び交う中、ツェイトは火の手が上がる村へと駈け出して行った。

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