第3話 この世界は
とある山の中、その峰にある見晴らしの良い崖の上に彼はいた。
ややボサついた髪型と無骨気味な顔立ちが、本来は16歳位の筈の彼に老けた印象を与えていた。
服装は袴の様な穿き物を身に付けているだけ。しかし剥き出しの上半身は、引き締まった筋肉が付いているのでみすぼらしさは無い。
そして、両手両足には彼の武具と思しき手甲と脚甲が装着されていた。どれもシンプルな作りのデザインであり、少々華やかさに欠けたものだったが、それが彼には似合っていた。
彼は人間では無い。
肌は薄い緑色一色に染まっており、両肩、両肘は黒い硬質物で覆われている。
そして額からは一対の触覚が上へと伸び、風が吹く度ユラユラと揺れていた。彼は虫の人型種族、昆虫人である。
岩の上に腰掛け、その種族特有の白目の無い黒一色の眼は、ぼんやりと崖の先に広がる青空を眺めているだけだ。
まるで尻から根が生えたかのように彼はそこから動かない。空を流れる雲を眼で追うのでもなく、さえずりながら空を舞う鳥達を見て楽しむのでもなく、只、ひたすら彼は空を見る。
ぼんやりとした時間が無為に過ぎていたのだが、突如静寂が破られた。
彼が佇んでいる場所からやや離れた林の奥、そこから突如ウサギに似た動物が此方へ走って来たのだ。
しかしその姿はウサギにあらず、大きさは大型犬ほどの大きさもあり、口元には可愛らしさのかけらもない
ギザギザの鋭い牙が生え揃っている。そして頭部から生えている二本の鋭く長い角が、彼に向けられたまま突っ込んで来ているのだ。
彼は現れたウサギの怪物に微かに目を見開いて驚き、打ち向かおうと腰を上げようとした態勢で、止まった。
林を抜け、草むらから飛び出してきたそのウサギに似た動物は、真後ろから飛来してきた槍で胴体を貫かれたのだ。槍で貫かれたウサギの怪物は、短い悲鳴を上げながら地面に転がった。
突き刺さった傷口からは血が流れず、代わりに光の粒が溢れている。そしてその光は徐々にその怪物の全身を覆い、最期はフッと消えた。その場には先程ウサギの怪物を貫いた槍だけが残されただけだ。その槍は日本で言う所の素槍という、昔の足軽兵士が持っている様な槍のそれに似ている。
彼は中腰の姿勢のまま、目をパチパチと瞬かせて呆気にとられていると林の奥から人影が現れ、声をかけて来た。
「すいません、大丈夫ですか?」
やや駆け足で草むらを掻きわけて現れたのは一人の少年だ。
年頃は彼と同じくらいだろうか。やや厳つい顔立ちの彼とは違い、此方は年相応の未だ幼さが残る顔つきをしている。そしてその少年も昆虫人だった。
腰から下は袴状の穿きものの上からすね当てを付ける事でズボン状にしており、上半身はサラシを巻いた上から丈の短い和服を着崩して着込んでいる。
その少年は落ちていた槍を拾い上げて肩に担ぎ、姿勢を整える彼に話しかけた。
「すいません。戦ってたらいきなりモンスターが逃げ出しちゃって。もしかして、攻撃されましたか?」
槍を持った少年が少し心配そうに問いかけるが、彼は静かに首を横に振る。
「その前に倒してくれたから大丈夫ですよ」
「そりゃ良かった……」
そう言って槍の少年はひと安心し、ホッと胸をなでおろした。
それから彼らは昆虫人同士と言う事もあってか、その場で色々と世間話をする事となった。
話をしていく内に、槍の少年はどうやら彼と同い年らしく、それを知った槍の少年は驚いていた。
「何だよ、俺と同い年かよ! てっきり年上のプレイヤーかと思った!」
槍の少年は、胡坐をかいた状態で器用に足の裏でバンバンと拍手するように叩きながら大笑いをする。
「……悪かったな老け面で」
対する彼も胡坐をかくが、頬杖を付いてむくれていた。
彼らのいる場所は現実では無い。ネオ・フロンティア・オンラインと言う電脳空間の中に作られたゲームの世界だ。そこで自身の分身であるPC(プレイヤーキャラクター)を介してこの世界を体感しているのだ。
そのPCを作成する場合、2つの方法がある。
1つ目は自分自身の身体情報をそのまま反映させ、PCもそれに準じた姿にする方法。2つ目は、キャラクター作成の際に、各項目を調整して自分自身の好みに合わせた外見にする事だ。
彼ら二人はリアルの姿を反映させたものらしい。そこで彼の顔つきが老け顔と言う事は、リアルでも同様と言う事になる。それが妙にツボに入ったらしく、槍の少年は先程から笑い転げていたが、その後彼に謝った。
「あー……もしかして、気にしてたのか?」
「いや、別に。其処まで気にしちゃいないよ」
「何か、悪かったな」
槍の少年が申し訳なさそうにして来た所で、彼は苦笑して許した。特に気にするものでもないし、槍の少年も悪意を以て笑った訳ではないのだ。これ位で目くじらを立てる事もないだろう。16歳と言う若さにしては妙に大人びた思考で彼はそう判断する。
最初に敬語を使い合っていたのは、あくまでオンラインゲームをする上でのマナーの一環としてのものだったが、今の彼らにそれは必要は無かった。
「なぁ、今ソロでやってるのか?」
不意に槍の少年から彼は話しかけられた。それに対して彼はそうだと答える。彼の答えを聞いた槍の少年は、腕を組んで軽く唸った後、彼にこう提案した。
「……だったらよ、俺と組まないか?」
どうしてまた? と彼は槍の少年に訊くと、手に持っていた槍の柄を掌でコロコロと転がしながら答えた。
「いや、まぁ何だな。ソロでやっているのもちょっと飽きが来てな、それに此処で同族に会ったのも何かの縁だと思ってさ」
どうかな、と最後に少し心配そうに付け加える槍の少年。
当時NFOをプレイする者たちは大抵が人間、獣人、エルフなどの有名所を選び、昆虫人等の種族をイロモノ種族と警戒していたのだ。槍の少年の提案にはそう言った事に対する一抹の寂しさという感情によるものも含まれていたのかもしれない。
断る理由もないし、ソロよりコンビを組んだ方が効率が良いのかもしれないな。
彼は槍の少年の提案を聞いて考える事数秒後、分かった。と承諾する事にした。
「おっそうか! いやぁ助かるぜ!」
槍の少年は嬉しそうに笑った。
「俺の名前はプロムナードって言うんだ、あんたは……ツェイトって言うのか。変わった名前だな」
プロムナードは彼、ツェイトの頭上を目を凝らして見ながらそう言う。プレイヤー同士が近付くと、頭上にプレイヤーを現すマークが現れ、それを調べるとそのプレイヤーの名前が浮かび上がって来るのだ。
そしてそれは各種族で違い、昆虫種族の場合は甲虫の翅を模したマークが浮かび上がって来る。
「そう言うお前の名前はどうなんだ?」とツェイトが尋ねた所、プロムナードは嬉しそうに語る。
「おおっ良い質問だな。俺の名前はだな……」
早朝の頃。カジミルの村に丁度夜明けが来た時間帯に、ツェイトはパチリと目が覚めた。まだ眠気が残るせいか、普段は青白く光る両の眼に宿る光は弱々しかった。人間で言う所の眼がショボショボしているというやつだ。
――夢、か。
先程夢の中で見たのは、ツェイトがNFOを初めて間もない頃にプロムナードと出会った時の事だ。
互いにまだハイゼクタ―に変異しておらず、昆虫人のままだった。
確かプロムナードの名前の由来は、当時祖父が好んで愛用していた煙草の名前からきているんだったっけか、とツェイトは夢で見た、というよりは昔の事を思い返していた。
NFOの世界ではプレイヤーが登録した誕生日の日が来ると、年齢が加算されると共にPCの外見もその年齢に合わせる様に調整するか否かと言う選択肢が出る。それによって、電脳世界の中であっても歳をとる事が出来るし、逆に永遠に歳をとらなくする事も出来るのだ。ツェイトとプロムナードは前者を選び、今に至るまでその外見年齢はリアルの年齢と同じ様にしていた。
体を起して唸り声の様な欠伸をしながら眼を指で擦ろうとした時に、ゴツゴツと硬い物が顔にぶつかった。
自身の腕を見てそれが人間のものでは無い事を思い出し、更に周囲の風景を見渡す。
――まぁ分かり切っていた事ではあるけれど。
これは夢じゃないんだな、と自身の現状をツェイトは再認識する。
此処が現実だと理解してはいても、だがしかし、いやもしかしたら、とコレがNFOをやり過ぎた所為で見ている夢幻なのではないのかと淡い期待を抱いてしまった。
しかし、それも眼が徐々に覚めてくればそれがただの願望に過ぎないものだという事が嫌でも分かる。
空を見上げれば、日が昇り始めたばかりらしく、まだ暗い。少し早すぎたかなと思うが、二度寝をする程の眠気もツェイトは無い。
このままでいるのも手持ち無沙汰なので、ツェイトは立ち上がってストレッチをしてみる。
腕を回し、屈伸を行い、思い付く限りの柔軟体操を行う。全身を外骨格で覆っているにもかかわらず、人のそれとさほど変わらない動作をおこなう事が出来る。どんな攻撃にも耐えうる頑丈さと、極限まで固められたゴムの様な弾力を持つツェイトの外骨格だが、持ち主の多少の無茶にも応えてくれるしなやかさを持つ。全く以て謎の物質構造だ。
一通り準備体操が済むと体が程良く解れ、それに合わせて徐々に動きを激しくさせた。
反復横とびからバク転、そして片手で逆立ちを行いそのままバク宙。激しくその巨体を動かしているにもかかわらず、木々や枝にぶつからずに全てをこなしているのはツェイトがいる場所が開けた場所だからか、それとも長年NFOで培われてきた経験か。
今度は突きと蹴りを織り交ぜた軽いシャドーボクシング。四肢を奮う度に、大気が裂ける音と共にツェイトの足元に落ちていた木の葉が勢いよく舞い上がる。
頭に描くのはNFOの頃にこなしていた動き、ツェイトの戦うスタイルはもっぱら素手による格闘戦である。
NFOのPC(プレイヤーキャラ)であるツェイトは、予備加速を必要としない爆発的な加速力を活かして相手の懐まで詰め寄り、見た目を裏切らない剛力さで防御を物ともせずに相手を叩き伏せる事を得意としているのだ。
NFO内で格闘技や武器で戦う場合の動作は、概ねプレイヤー自身によるマニュアル動作だった為、センスが問われる所があったが、ツェイトはその点に関しては常人より良いものを持っていたらしい。加えてNFO経験10年と言う経歴は伊達では無かったのか、ハイゼクタ―に変異する前の昆虫人の頃からから、ツェイトは格闘技を戦闘スタイルとしている職業に就いていた事も相まってその腕は上達し、NFOというネットゲームの世界においてツェイトと言う電脳アバターは、NFO中では屈指の格闘能力を誇るPC(プレイヤーキャラ)になったのだ。
体を動かして行く内に気分が高揚して行ったのだろうか。ツェイトは軽くジャンプしてから鋭い回し蹴りを放つ。その先にあるのは森の中に生えている木々の一本。それが先の蹴りを受けて、激しい音を立ててへし折れてしまった。
「あっ」
高まるテンションに任せて蹴り折ってしまったツェイトは、他の木を巻き込みながら倒れていく木を慌てて抱きかかえる。
まずい、やってしまった。今ので村人達が起きてしまわないだろうか?
凄い音を立てて木が折れたので、もしかしたらという別に悪気があってやったわけではないのだが、この姿を村人たちに見られて妙な勘違いをされでもされやしないかとハラハラした。
木を抱きかかえたままきょろきょろと回りを見回すツェイトの姿は、セイラムやウィーヴィルが見ていたらその姿から繰り出すちょっとコミカルな動きに大笑いしていたかもしれない。
「……お主、何をやっているのだ」
ギクッと声のする方へとツェイトが視線を向ければ、そこには斧を担いだウィーヴィルがいた。腰につるしたロープなどの用意から察する所、木を切りに来たのだろうか。怪訝そうにツェイト見ていた。
「……すいません。体を動かしてたら、つい」
下手に誤魔化すのも不味いのでここは素直に謝っておく。それに、勝手に敷地内の木を折ってしまったと言う負い目もツェイトにはあった。
しかしウィーヴィルは気を害した様子もなく、ひらひらと手を振る。
「丁度薪に使う奴を切りに行く所だったから手間が省けた。それを裏庭まで持ってきてくれないか」
「えぇ、それならお安いご用です」
「とはいえ、人さまの家の近くの木を勝手に折るのは感心せぬな」
「……ホント、すみません」
今度やる時はもっと遠い所でやる事にしようと、ツェイトは先程折った木を担ぎながら反省した。
「と、まぁこんな所がワシらが住んでいる世界の事情だ」
運び込んだ木を裏庭である程度薪用に割った所で、ウィーヴィルはツェイトにこの世界の常識について色々と教えてくれた。
ウィーヴィルは薪割り台用の切り株に腰掛け、ツェイトは地面に座り込みながらのマンツーマン形式だ。
内容はツェイトが一人で出てた時に必要になる知識を軸に、昨今の国家間の事や歴史について、である。
流通している通貨は全種族通して共通しており、NFOと同じ通貨であるジェネを使っていた。
200ジェネあれば街の宿で食事つきで一泊する事ができ、10000ジェネあれば街で1カ月は余裕をもって暮らす事が出来るそうだ。
NFOの頃は最初期の武器だけでも500ジェネは必要だった事を考えれば物価は割と安くなっているようだ。それだけに所持金が全て無くなってしまった事が悔やまれる。
歴史の話に移った際、ツェイトはウィーヴィルからこの世界の事について話を聞いて困惑した。
ウィーヴィルから聞かされたこの世界の文明は、ツェイトがいたNFOの世界と比べると進歩するどころか退化していたのだ。一体何があったのかと尋ねてみると、驚くべき内容が返って来たのだ。
大昔の大戦争期。当初は領土の取り合いが発端となって始まったその争いは、様々な経緯を辿って他の種族を憎み、滅ぼし合う殲滅戦へと発展し、その結果世界は一度滅びかけたらしい。
その影響で多くの国や種族、文明がその戦争で失われ、辛うじて生き残った種族達は荒廃した世界でまで争い合う気は無かったらしく、その時だけは互いに力を合わせて今日まで生き延びて来た。そんな先人たちの築いてきたものが、今の文明の根幹にあるというわけだそうだ。
そのような歴史があるからか、現在は人間、その他種族問わずそれぞれの関係は表面上は悪くは無いらしい。
表面上、と言うのは大昔に起こった種族間で起きた争いの火種と言うものはそう簡単に無くなる事は無いらしく、世界各国では己の種族こそが優良種だと声高に叫んでは騒動を起こす輩が出ていたらしい。
尚、他の種族の国に行く場合は、しかるべき場所で手続きをすれば普通に入国する事が出来るそうだ。リアルに当て嵌めるならば外国に行く様な感覚なのだろう。
中にはそのまま永住する者もいるとの事なので、在日よろしく在エルフ国の獣人なんて言う者も珍しくは無いとはウィーヴィルの言葉。
凄い歴史を辿ってきたのだな、とツェイトは話を聞いてつくづく思った。
「まぁ一回で全ては覚えられんだろうから、此処で滞在していく中で徐々に慣れて行けば良いだろう」
「ありがとうございます。暫くお世話になります」
「かまわんよ。娘の恩人で、プロムナードの探していた友人となれば無碍には出来んからな」
過去にウィーヴィルはプロムナードに助けられた事があるらしく、ツェイトを助ける事がプロムナードへの恩返しに繋がるとなれば出来る限りは力を貸すそうだ。何だか至れり尽くせりで、ツェイトは感謝と共に少しだけ申し訳なくなった。
話を聞く限りでは、ウィーヴィルは随分と物知りだ。それもこの国家近辺だけでなく、世界の歴史についても詳しい。一介の村人が知っている知識にしては些か度を越している感が否めないが、これも昨晩話していたウィーヴィルが過去に旅をしていた事と関係しているのだろうか、と話を聞きながらもウィーヴィルの正体にほんの少し疑問を抱いた。しかし疑問を挿し挟む余地など今のツェイトにはないのであまり考え無い事にした。
そしてこの世界、というか大陸に名称があった。
その名はネオフロンティア。ゲームの頃と全く変わらない名でこの世界の人々からは呼ばれていた。誰が始めにそう呼んだかは流石にウィーヴィルも分からない。
「この位にしようか。随分と話し込んでしまったしな」
そう言われてツェイトが空を見上げてみれば、空には太陽が昇っており、暗かった空もいつの間にか青空に姿を変えていた。流石に昼にはなってはいないとは思うが、それなりに時間が経っているのは確かだろう。
「ワシはいったん家に戻ろう。もうセイラムが起きて食事を用意してくれている頃だろうからな。お主の分をセイラムに持って来させよう」
「……お手数かけます」
ウィーヴィル達の家の食事は当番制で、一日ごとに二人で交代に行っているらしい。ではな、とウィーヴィルが家に戻ろうとした時、家からセイラムが出て来た。
気だるげに腕を回しながらやって来たセイラムは既に寝間着から着替え、初めて会った時の様な丈の短い巫女服の様な衣装を着ていた。
「おはよう二人とも」
「おはよう。どうした? まさか腹が減って我慢が出来なかったのか?」
ウィーヴィルがちょっとだけ呆れた様に尋ねると、セイラムがむすっと拗ねた顔をした。
「そんな訳ないだろ、今起きたばっかりなんだから」
「……昨晩こっそりツェイトの所に行っていたのが原因か?」
ギクリとセイラムの顔が引き攣って来る。
「……な、何の事だろう」
「お主がワシと入れ替わる様に家を出たのは知っておる」
きっぱりと、全てを見透かすかのように言い切ったウィーヴィルの口から続いて溜息が出た。
「……セイラム、後で話があるから家に入っておれ。ツェイト、お主には食事を持ってくるからそれまで残りの薪を割っていてはくれんかな?」
話しかけづらい雰囲気にツェイトは黙って頷いて了解し、セイラムは地雷を踏んでしまった事に気づいて苦虫を噛んだ様な顔をしていた。
二人が家に入ってから数十秒後に、ウィーヴィルの雷がセイラムに落ちた。
空気が震えるのではないのかと言う程の怒鳴り声がカジミルの村全体に響き渡り、その怒鳴り声に驚いた鳥たちは止まっていた木から慌ただしげに飛び立って行ってしまった。
「……言わんこっちゃない」
セイラム達の家に一瞬だけ視線を向け、ツェイトはその巨大な手で摘んでいる斧を振るって薪を割る。
早速言われた通り薪割りをしていたのだが、その巨体では人間サイズの種族が使う斧はおもちゃの様なものだ。軽く振りあげて薪の真上からストン、と斧の刃を落とすとあっさりと割れてしまう。
薪を割っていると言うよりは、小さなナイフでゴボウを切っている様な感じだった。
天気は快晴、気温も程良い暖かさ。ツェイトにとって初めて過ごすカジミルの村の朝は至って平和であった。
「お、おぉぉ……痺れて上手く立てない」
ウィーヴィルの怒鳴り声が聞こえてからしばらくすると、セイラムが千鳥足で危なげに家から出て来た。その手にはツェイトの食事が乗せられた皿を持っていたが、絶妙なバランスで中身を溢す事は無かった。
昨晩は結局あーだこーだとセイラムはツェイトと駄弁っていたら深夜に突入し、結局眠気に襲われたセイラムはそのまま部屋に戻ったのだ。しかし次に起きた時は既に昼にまで達しており、「疲れていたならまだしも、夜更かしをして寝坊するとは何事か!」とウィーヴィルにその点について大層叱られたらしい。しかも正座付きで。こってりと搾られたらしく、セイラムの頬はどこかげっそりしていた。
フラフラと歩いては時折来る足のしびれに悶絶しながらもヨタヨタとやって来るセイラムを、ツェイトは頼まれていた薪割り作業をいったん中止して迎える事にした。
「だから早く寝ろと言ったのに」
それ見た事かと言うツェイトの言葉を聞き流し、というか痺れがきつくて聞いている暇がないのかセイラムは食事の入った皿をツェイトに渡すと近くの地面に転げるような勢いで倒れ込んで来た。
「うぅ、何でツェイトだけ起きれたんだ……?」
「うーん、習慣だろうな」
ツェイトは過去にNFOを徹夜でプレイしていた時があっても、社会人として仕事に遅刻する様な事だけはしなかった。
そんな事を度々していたせいか、短時間寝るだけでもそれなりに睡眠は事足りると言う、些か不健康な体質を手に入れたのだ。そしてそれはこのハイゼクターの身になっても健在であった。
「時間にキッチリしてなきゃ色々と辛い環境だったからな」
口周りの外骨格を開いて口を露出し、貰った食事を平らげながらそう言ってツェイトは記憶の中にある仕事の風景を思い起こした。もっとも、これは現代社会で働く者に必要なものであって、此処の様な村落でそれが必要かは定かではない。
まだ慣れていないのか、露出したツェイトの剣山の様な牙の生えた口を見て多少驚いていたセイラムは、ツェイトの話を聞いてふと思った。
「ツェイトのいた所は、時間にうるさかったのか?」
「まぁ、なぁ」
セイラムの質問はあながち間違いではない。ゲームの世界であってもリアルの都合との折り合いでプレイできる時間帯や日にちは人それぞれなのだから。
「なぁ、昨日の事、覚えているか?」
「昨日?……何の事だ?」
突然問われた質問にツェイトは自分にとっては些か小さい茶碗片手に首を傾げてはて、何だったかなと思い出そうとする。その様子を見てセイラムは少しだけむくれた。
「忘れたのか? 昨日の夜、明日になったら話してくれるって約束だったじゃないか」
そういえばそんな事を言ったな、と昨晩の事を思い出した。あの時は適当にあしらう為の方便だったのだが、セイラムはしっかりと覚えていたらしい。
約束をしたからには話した方が良いだろう。最初に出会った彼女が何も知らないと言うのも何だか悪いし、とツェイトは昨晩ウィーヴィルと話した内容をセイラムに教える事にした。といっても、大分内容をぼかしたものだ。
今のツェイトの身の上は「かなり辺境の森に住んでいた昆虫種族で、友人を探す為に旅をしていた」という内容になった。実際プロムナードを探しているのは事実だし、NFOの頃は今まで魔蟲の大森林の中をぶらついていたので辺境に住んでいたので間違いではない。辺境は辺境でも、魔境であるが。
ちなみに魔蟲の大森林の事をウィーヴィルに尋ねた所、その場所は軍でも歯が立たない程に強力なモンスターが跋扈する場所なので、超危険地域に指定されていて立ち入り禁止にしているとの事だ。
昨晩ウィーヴィルとでっち上げた自身の身の上をセイラムに話すと、納得してくれたらしい。
「そっか、友達を探して旅をしていたのか」
友達思いなんだな、とセイラムに言われてツェイトは照れ臭そうに頬を掻いた。
「ここ等辺の地理が全く分からなかったから、セイラムに会えたのは助かった」
「何言ってるんだ。助けられたのは私も同じだ。私なんて命を狙われていたんだからな」
「なら、お互い様だな」
「あぁ、そうだな……っと!」
そう言ってセイラムは体のばねだけを使って勢いよく立ち上がり、体に付いた土や草を払い落しながらツェイトに尋ねた。
「ツェイトはこの後何か予定はあるのか?」
基本的にウィーヴィルから話を聞くというのがツェイトがこの村に滞在している理由なので、それ以外は正直な所全くない。ツェイトはその事をセイラムに話したら……。
「じゃあ、今日は村の中を回ってみないか?」
と、返って来た。
ツェイトは別に構わないが、セイラムの方は何か用事があるんじゃないのかと尋ねると、少々詰まらなさそうに両手を頭の後ろに組んでぼやいた。
「今日は村から出るなとウィーヴィルから言われているんだ」
昨日の今日だ、出会った場所は此処から大分離れた場所ではあるが、またあの時の兵士達に出くわさないとも限らない。
セイラムを狙っているのか、それともその時出会ったのがセイラムだから襲われたのかは定かではないが、ウィーヴィルはそこを警戒しているのだろう。セイラムもやる事が無くなって手持無沙汰というわけだ。
「じゃあ、案内頼めるか? その前に俺はウィーヴィルさんに話をして来る」
「あぁ、じゃあ待ってるよ」
セイラムが歩いて行く後ろ姿を見送りながら、ツェイトは食べ終わった食器を乗せた盆を手に持ってググッとその巨体を立ち上がらせ、そこでふと思った。あの時の兵士達は結局何だったのだろうと。
ウィーヴィルにその事を訊いても分からないと返ってきたが、正体の分からない連中が、しかも害意を持っているというのは良い気分では無い。
ウィーヴィルも村に皆にその事について注意を促すらしい。
程なくしてウィーヴィルに話を伝えると「村を知るのも、この世界に慣れる一環だろう」と返事が返って来たので、ツェイトはセイラムに連れられて村の中を見て回っていた。
軽快な足取りで進むセイラムの後ろを、鉄巨人の如き姿のツェイトがのしっのしっと足音を立てながら付いて行く。二人の身長差はおよそ2倍以上、はしゃぐ子供の後を付いて行く父親の構図に見えなくもない。
――夜と昼間じゃ雰囲気が変わるな。
ツェイトは村の風景を眼にしては感嘆の声を上げた。
住民や動物等、色々と差異はあるが、カジミルの村の有様は在りし日の日本の農村風景に近かった。
鍬を振って畑作業を行う者、狩りで取れた狩猟品や民芸品を売りに街に出かける者。夜の間には見れなかった人々の営みと言うものが此処にあった。
「私達の村は、村で取れた作物や、狩りで捕まえた動物やモンスターの部位を近くの都で売ったりして暮らしているんだ」
男達は狩りや出稼ぎで家を留守にし、留守にした家を女や子供達が農作業をしながら守っているらしい。だが女でも普通に狩りに出る者もいる。セイラムもそんな一人だ。
「良い所だな」
都会の様な騒がしさの無い、しかし寂れてはおらず長閑(のどか)な中に活き活きとした活気が見て取れるこの光景が、ツェイトは好きになった。
それと同時に、晩年のサラリーマン達が定年退職した後田舎に暮らしたがる気持ちが何となく分かってしまいちょっと複雑な気分になる。
「そうか? そう言ってくれると案内した甲斐があるな」
自分の住んでいる村を褒められた事が嬉しいのか、はツェイトの隣を歩くセイラムはニコニコと笑っていた。
セイラムに案内されている道中で村人と会ったが、ツェイトはそれほど警戒されてはいなかった。一瞬だけ驚いた様に見つめてくるが、それだけだった。中にはあちらから先に挨拶をして話して来るものもいたのだ。これにはツェイトが逆に驚かされた。
昨晩ウィーヴィルが大丈夫だと村の皆に言い聞かせたからか、それとも今セイラムと他愛もない話をしながら歩いているツェイトの姿に恐れを感じなかったからか、それは当人であるツェイトには分からなかった。
それから適当に村の中を連れられていると、開けた場所で蔓を編み込んで作られたボールを蹴って遊んでいる10歳未満と思しき子供達がいるのを見つけた。
その中には少年達に混じって一回り小さな少女も参加していた。一見すると大人しそうな感じのする少女だが、跳んでくるボールを背中まで伸ばした黒髪を揺らしながらわたわたと必死に蹴り返している様がツェイトには微笑ましく見える。
足を止めてジッと興味深そうに見ているツェイトの視線の先に子供達がいる事に気付いて、セイラムもそれを見た。
「あー、あれ私も昔やったな。他の男達より上手かったんだぞ」
「それは、セイラムらしいな」
「ん、どういう意味だ」
「元気があって大変宜しいっていう事だよ」
と二人で話している内に、少女の蹴りでボールはあらぬ方向に飛んで行ってしまい、ツェイトとセイラムの下へと転がって来た。
幼い子供ならではの視野狭窄か、少女はコロコロと事がるボールの後を追いかけるのに夢中で前方にツェイトがいる事に気づかない。
最初は何やってんだよー、とからかい混じりに野次を飛ばしていた少年達だったが、跳んで行ったボールの先にいるツェイトの姿を見てビタッと動きを止めた。しかし少女はまだ気づいていない。
少年たちが慌てて少女に何か言おうとジェスチャーを送っているが、そんなものにも気付かず少女はツェイトの足元へぽてぽてという音が聞こえそうな足取りで駆けよっていく。
「はぁ、はぁ、ふぅ……ぇ?」
息を切らせながらボールを取ろうとしたその時だった。上から巨大な手がボールを摘み、少女の前にそれを差し出して来た。少女はそこでようやくツェイトの存在に気が付いた。ツェイトが屈んでボールを取ったのだ。
しかし小さな子供の視線から見たツェイトは日当たりの都合上顔に影が掛かり、その両の眼は淡く光っていた。大きさと外見も相まって、ハッキリ言ってかなり怖い。
「う、ふえぇぇぇ……」
その結果、少女はツェイトの顔を見てビクッと体を震わせた後、そのクリっとした目からポロポロと大粒の涙を流して嗚咽を上げ始めた。頭の生えている触覚も感情に合わせて下に垂れてしまっている。
「え゛? あ、おい、待ってくれ……」
極力そっと優しくボールをあげたつもりのツェイトだったが、そんな優しさも自身の外見で台無しにしまった様だ。
泣きべそをかく少女を見て焦ったツェイトは、何とかしてくれ、とセイラムに視線で訴えると、何となく意図を理解したセイラムは溜息をついて少女の元へ行き、優しく抱きよせて宥める。
「大丈夫だニニ、このおじさんはニニに球を返してあげようとしていただけだ。怖くない、大丈夫だ」
少女ことニニを抱きしめ、頭を撫でながらセイラムは優しく語りかける。
母親の様に子供をあやすセイラムを見て、あんな顔が出来るのかとツェイトはセイラムの意外な一面を見た。
程なくして誤解の解けたニニにツェイトはボールを返す事が出来たのだが、その際様子を窺っていた他の子供たちが意を決してツェイト達の所へ駆け寄り、怯えながらもニニを守る様にしてツェイトに前に立つと「ニニに変な事すると酷いぞ!」と威嚇されてしまった。
その際もセイラムに頼んで誤解を一応解いてもらったが、未だにツェイトを見る目はどこか厳しい。それでも、別れ際にニニがおずおずと手を振ってくれたのはツェイトにとっては嬉しいものだった。
「そういえばセイラム、俺の事をおじさん呼ばわりしたが、あれはないだろ」
道中でツェイトは先程のやり取りを思い出した。宥める為とはいえ、おじさん呼ばわりされたのはちょっとショックだった。
「え、違うのか?」
「俺は26だぞ」
「え」
セイラムはツェイトを凝視した。元の世界の若者だったら20代後半ともなればおじさんと呼ぶかもしれないが、昆虫人はそうではない。昆虫人の寿命はおよそ300年、その点を鑑みてみればツェイトの26歳なぞ立派な若者の部類である。ハイゼクターには詳しい設定が無いので寿命については定かではないが、ツェイトは昆虫人と同じくらいなんじゃないのかと考えている。セイラムに至ってはそう信じていた上での驚きだったのだろう。
実際には外見年齢を人間に換算して26歳という設定にしているのだから、本当はもっと歳がいっている筈なのだが、ツェイトはそこの所をうっかり失念してリアルの歳を述べたので、真相は今の所闇の中だ。
「セイラムは俺が何歳に見えたんだ?」
「……130歳位かと思った」
「そんなに老けて見えたのか」
「……結構」
セイラムにそう言われたツェイトは咄嗟に自分の顔を手でペタペタと触って確認するも、手に感じたものは硬い外骨格の感触だけ。
というか実際に130も歳を喰っていたら精神的に枯れてそうだ。そこでツェイトはふと自分よりも20年早くこの世界に来たとプロムナードの事を考えた。あいつはこの数十年間、どんな気持ちで過ごしていただろうか、と。
友人の事について思いを馳せていると、セイラムが申し訳なさそうな顔をして自分の方を見ていた事にツェイトは気付いた。
「その……歳の事で気を悪くしたんだったらごめん、あやまるよ」
どうやらセイラムは自分の発言でツェイトが気を悪くしたのではないのだろうかと勘違いしたらしい。誤解を解いてやりたいが、本当の事を話す訳にもいかない。なのでツェイトは適当に内容をでっち上げてセイラムの勘違いを否定した。
「いや、その事に関しては別に気にしちゃいない。友人の事を思い出しただけだよ」
「ツェイトが探しているっていう、友達の事か?」
「あぁ、あいつも大分老けた顔をしているからな」
ツェイトはそう言ってプロムナードの姿を思い浮かべた。
全身を赤黒い外骨格の鎧で身を包み、左右の側頭部からは曲がった鋸の様な角が生えていた。そしてその顔は虫、と言うよりも髑髏に近い。あれも見様によっては老けた外見と言えなくもない。いや、老け顔だ。そうしておこう、うん。
プロムナードがおじさん呼ばわりされたらどんな反応をするんだろうか、もしかしたら既に呼ばれているかもしれないが。
まぁ言われた所であいつの事だから『おじさん? 女性限定ならおじさまと呼んでくれると嬉しいかもな』と言うんじゃなかろうか、と胸を張って豪語する相棒の姿をツェイトは幻視した。
「あいつなら、それすら楽しむんだろうなぁ……」
「……?」
セイラムはツェイトの呟いた言葉の意味が分からず、首を傾げながら隣を歩いた。
空の上に登った太陽はいつの間にか大地へと傾き始め、青空はほんのり茜色へと姿を変えつつあった。
「ツェイト、あの娘」
「ん? あの時の女の子か?」
空が夕焼けに染まり始めて来た所で、家へと返ろうとした二人は道中で昼間に少年達とボール遊びをしていた少女、ニニと出会った。
ニニは少年達とでは無く、母親と思しき女性と手を繋いで歩いていた。恐らく幼いニニの迎えに来たのかもしれない。母親の方はツェイトの姿を見て驚くも二人に会釈をした。
ツェイト達もそれに釣られて会釈をすると、母親の方がセイラムを手でちょいちょい招き寄せてきた。セイラムは首をかしげつつもちょっと言って来る、とツェイトに伝えてニニ達の所へ行った。
そこで母親がセイラムに何かを話すとセイラムが合点が言った様に頷き、ツェイトの方へ向いた。
「ツェイト、ニニが話したい事があるそうだぞ」
俺に? 首をかしげていると、セイラムがニニの肩に手を置き、優しく押した。するとニニがセイラムと母親の下を離れてツェイトの下へちょこちょこと歩いて来た。それに合わせてツェイトも屈んでなるべくニニの視線に合わせる様にする。
ニニがツェイトに近付いてその顔を見た瞬間、へにゃっと眉毛をハの字に描いて泣きそうになるも、おずおずとツェイトに話しかけた。
「あ、あのね。あのとき球をとってくれたのにお礼いえなくてご、ごめんなさい」
「……気にしなくて良いよ。俺もこんな顔だ、驚かせてごめんよ」
ぽつぽつと話すニニの言葉にツェイトは努めて優しく返す。そのおかげかは分からないが、ニニの顔からそれなりに怯えが取れたようにも見えなくもない。
話が済んだ所で、ニニの母親がセイラムと一緒にやって来た。
「すみません、娘が昼に迷惑をかけたみたいで……」
「いえ、そんな事はありません。私が無自覚に子供に接したのが不味かったのでしょう」
どうもこの村に来てからは外見で変な誤解を受ける事が多い気がする。見た目はこれでも中身は現代社会の荒波を汗水流して生きる只の人間でしかないのだが、それを伝える事はツェイトには出来ない。
程なくしてニニ達親子は、ツェイト達と別れて帰って行った。別れ際にニニが母親に手を繋いだままツェイトに手を振って別れを告げた。あの時とは違い、ニニに怯えが見えなかったのはツェイトは嬉しかったが、その際のニニの言葉にちょっとショックを受けた。
「「ばいばい、おじちゃん」……か」
「……あー…」
事の原因を作ってしまったセイラムは、ちょっとだけ肩を落としてボソリと呟くツェイトの後ろ姿を笑うに笑えず、何とも言えない顔で頬を掻いた。
日が沈み切り、民家に明かりが灯り始めた頃にキイトの屋敷で会合が始まった。表題は先日セイラムを襲った兵士達の事についてだ。
食事を済ませたセイラムやウィーヴィルを含めた村人たちは屋敷内の広間に集まり、ツェイトは屋敷の中に入る事が出来ない為、広間と障子一つで繋がっている庭の方に通されてそこで腰掛けていた。
当初は余所者である自分が村の会合に立ち会うはどうなのだろう、とツェイト自身は辞退しようとしたのだが、今回の件で件の兵士を見た数少ない遭遇者である為、彼らの情報を知る為にも欠席をさせるわけにはいかないというのが、村長のキイト及び他の村人達の意見だった。その際、会合に参加していたランだけが少し複雑そうな面持ちでいたが、それを気にする者はいなかった。
早速会合が始まったが、あの兵士達の正体は何なのかと言う事、それが分からなかった。セイラムとツェイトが彼らの特徴を話すが、彼らは全身を隙間なく武装し、頭部に至ってはマスクで頭部が全て覆われている。その為どんな顔をしているのか判断が付かない。
同族か、それとも別の種族なのかは見当がつかないが、それでも分かった事もある。ツェイトとセイラムが見た兵士達の外見等から察するに、彼らの体つきは昆虫人や獣人等の極めて人に近い体をした種族なのではないかという事だ。
そして次に、今後の対処法だ。もしも未だに彼らがセイラムを追っているのだとすれば、いずれこの村の近くにも表れる可能性がある。何もしないでいれば、今度はセイラム以外の誰かが襲われという可能性もあるのだ。
国から兵士を派遣してもらう?
無理だろう。相手がどの程度の規模の構成で、それでいてどれくらい被害が及んでいるのか分からないのだ。しかも襲われた形跡と言うものが無い。襲われたセイラムの傷すらもう完治しているのだから証拠と言うべきものは証言だけだ。しかし、ただの村人の言葉だけで国が動くとは思えない。
暫く村から出る事を禁止する?
論外だ。ある程度貯蓄があるとはいえ、それだって有限だ。それに何時現れるかも分からない者達の為に閉じこもっている等と言うのはばかげている。
ならば立ち向かうしかない。村人たちの意見はそこに帰結した。
昆虫人達の身体能力は高い。それこそ一介の村人ですら通常の人間の倍以上はある。だがそれで万全とは言い難い。
その時、最初に誰がその視線を向けたのだろうか。一人、二人、と広間にいた村人達が何かに気付いたようにある一点へと視線を向けた。
視線の先にいた者を見てウィーヴィルはギョッとした顔をし、セイラムはあっと合点が言った様に納得してそこを見る。そこにいたのは――
――俺?
軒先の庭で腰をおろして村人たちの会合に参加していた甲虫の巨人、ツェイトだった。皆から一斉に眼差しを向けられて一瞬だけ怯む。
ウィーヴィルが慌ててキイトに待ったをかける。
「村長、しかしこの者は……」
「分かってます。でも……」
キイトはツェイトの素性についてウィーヴィルからは深くは聞かされてはいないが、いずれ村を出る事は知っている。しかし、この非常時では一人でも助けが欲しい。願わくば、ツェイトの手も借りたいというのがキイトの村をまとめる者としての本音だ。
セイラムの話が本当ならば、この昆虫種族の男はかなりの力を持っているのかもしれない。キイトはすまなさそうに目を瞑り、村人たちは期待と不安の入り乱れていた視線でツェイトを見る。
ツェイトも話の流れ的に、自分に集まる視線の意味を汲み取っていた。
そして不安になるのだ。この世界で、果たして自分は戦う事が出来るのだろうか、と。
戦う、と言う言葉で思い返すのは、初めてこの世界に来てしまった時に戦ったワイルドマックとの一戦だ。こちらに怪我は無かったものの、ツェイトの心に大きな衝撃を与えた出来事であったのは確かだ。
飛び散る血肉、大地に沈んで動かなくなったモンスターの死体。
今度の相手は恐らく人型種族。今のこの体で戦えば、そうそう遅れはとらないだろう。しかし、相手を傷つける事、ましてや人の形をした生物に行うそれに対しての忌諱感がツェイトの心を竦ませる。
そんなツェイトの内心を知らずに、村人たちはツェイトを期待の眼差しで見つめる。これはツェイトからの返答を待っていると言う事なのだろう。
ウィーヴィルは止せ、と言わんばかりに咎める様にツェイトを睨む。対してセイラムは他の村人たちと同じようにツェイトに期待を込めた眼で見ていた。
皆が見守る視線の中で、ツェイトが口にした言葉とは――
あの後会合は順調に進んだ。今後兵士達に対する対処法は、力のない者は村の外への外出のは控え、やむを得ない場合は数人で固まって行動し、何かあれば各自持っている笛を吹いて知らせるという内容で皆納得した。
会合が終わり、皆が解散して行く中、ウィーヴィルとセイラムはこちらへ歩いて来るツェイトの下へ行った。
セイラムが何かツェイトに話しかけようとしたのをウィーヴィルが手で遮り、ツェイトに問い掛ける。
「何故、自分から買って出たのだ。断ると言う選択も無いわけでは無かった筈だ」
セイラムが驚いてウィーヴィルに何か言おうするも、ウィーヴィルに黙っていろ、と睨まれて何も言う事が出来なかった。問われたツェイトはウィーヴィルにやや力なく答える。
「あの場で断るなんて事、出来ませんよ。それにもし断ったら、村に居辛くなります」
ツェイトは村を助ける事にしたのだ。仮に断ろうものならばあの眼差しの裏返しとなれば、きっと自分の事を良い眼では見ないだろう。厄介者扱いと言う可能性も否定できない。
本音を言えば、遠慮したかった。しかし村で滞在する事と、早々に村を立ち去る事、その両方を天秤にかけた時、村で滞在する事の重要さの方がツェイトの中では重かったのだ。
損得勘定以外にも、自分を迎えてくれた事に対する恩もその中にはあったが。
「しかしお主、奴らと戦えるのか」
その一言で、ツェイトは凍りついた様に動きを止める。
「……戦えないのだな?」
ツェイトは何も答えない。しかし、その無言が答えだった。
ウィーヴィルは眉間にしわを寄せてきつく目をつぶる。
彼はプロムナードから話を聞いていたのだ。「多分、ツェイトは生き物を殺す事を躊躇うだろう」と言う事を、そしてプロムナード自身も最初はそうであった事も。
今はこの場にいないツェイトの友の言葉が、まさに的中したのだ。
「ツェイト、よく聞いてくれ」
ウィーヴィルは正面に回り込み、正対してツェイトの眼を見て、言葉を紡ぐ。
「殺せ、とは言わない。だが、もし戦う時がきたら決して、目を背けないではくれないか」
でなければこの先お主が村を出た時、とても辛いものになる。その言葉が、ツェイトの耳に深く響いた。
その後の帰り道は誰も言葉を発する事無く、静かにそれぞれが部屋へ戻った。
ツェイトは裏庭の近くの岩に背もたれ、俯いた状態でウィーヴィルの言葉を何度も思い返す。
分かっている、分かっているのだそんな事は。それでも、あの時ワイルドマックを殺した時の感触と、恐ろしさが心の奥底に纏わり付いて離れないのだ。
苦悩するツェイトのすぐ傍に、気が付けば人影があった。俯いていた顔を上げて見てみれば、それはセイラムだった。服装は昨晩見たときと同じように寝間着姿だ。
何時の間に居たのだろうか、考え事をしていて気が付かなかったのか。ツェイトは人影がセイラムだと確認したが、彼女の顔を見れないでいる。
不意に、セイラムから話しかけられた。
「……戦えないっていうのは、本当なのか?」
セイラムの言葉に軽蔑の色は見えない。果たしてどんな顔で自分に話しかけてきているのだろうか、そう思うと、ツェイトはセイラムの顔を見る事が出来なかった。
「ガッカリしたか?」
視線を合わせられずにいる自身を恥じながらも、ツェイトはポツリと返した。
「意外、とは思った。でも……」
セイラムも静かに言葉を返すが、何処か煮えきらない口調だった。
何か言おうとしては躊躇い、それを何度か繰り返してようやく話すが……
「ツェイト、私は……」
しかしそこで言葉は途切れてしまう。
「……ごめん、何でもない」
突然来てごめん。おやすみ、と普段より元気のない挨拶を済ませた後、速足にセイラムは家へと戻って行った。
セイラムが何を言いたかったのかは分からないが、少なくとも、自分が戦えないと言う事に関するものなのだろうと言う事だけは、ツェイトは察していた。
――情けない。
自身に対してそう愚痴る。NFOの頃は平然とモンスターを倒し、それどころか時にはプレイヤーとすら戦って叩きのめした事すらあると言うのに、リアルのファンタジー世界に来てみればこの有様だ。
モンスター一匹殺しただけでその死にざまに恐怖し、目を背けたがる。そんな自身の臆病さが、ツェイトはとても恨めしかった。
明日からはウィーヴィルの指導を受ける傍らで、村の用心棒紛いの事もしなければならなくなるのだろう。
出来ればあの兵士達とは二度と会わないでいたい。それは、ツェイトの切実な願いだった。
日付が変わり始め様としている深夜の森の中、その暗闇に溶け込むかのようにひっそりと、それでいて素早く駆ける人影が複数いた。
彼らは深緑の衣装を身に纏い、軽鎧とフルフェイスのマスクを装着している。
もしもツェイトとセイラムが彼らを見たら驚愕するだろう。彼らはセイラムを襲い、ツェイトが撒いたと思っていた兵士達だった。彼らはツェイト達の事を諦めてはいなかったのだ。
兵士達はただ静かに、誰一人言葉を発する事無く森の木々の合間を走り抜ける。
まるで暗闇など意も介さないように闇夜の森を駆け抜けていた兵士達だったが、先頭を独走していた兵士が突然止まり、片腕を上げた。 それに呼応するように後続の兵士達はピタリと動きを止め、先頭の兵士の相図が来るまでひっそりと身構える。
しきりに先頭の兵士が回りを確認し終わった後、手首を軽く動かして合図。すぐさま待機していた兵士達は先頭の兵士達の下へ駆けよる。
集まった彼らの視線の先には、明りの灯らぬカジミルの村があった。
彼らは来た、来てしまった。ツェイトの願いを裏切る様に。
先行していた兵士が他の兵士に告げる。
「本隊に連絡。目標の住む集落を発見、次の指示を待つ」
そう兵士が言うと、言われた兵士は何も言わずに向きを変え、さっき通った場所を逆走して行った。
兵士達はジッと身を潜めて標的の村を見つめる。そのマスクの裏では、果たしてどの様な顔で村を見ているのか、それを知る者はいない。
ゆっくりと、しかし確実に平穏を脅かす輩は近付いている。
彼らがその手を伸ばす日は、近い。
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