第5話 後編 かくして甲虫と少女は旅立った

 場所は真夜中の村長キイトの屋敷の中、昨晩会合があった場所と同じ広間の場所。そこに昨晩の様に村人達が集まり、会合を開いていた。


 避難所としての役目を終えた屋敷は、未だに怪我の深い者達の病棟代わりに一部の部屋を開放している状態だった。今集まっている村人達の中にも、体中に傷の手当てを受けた者がおり、中には会合が終わればそのまま屋敷の中にあてがわれた自分の病室へと戻る者等もいる。

 幸いな事に死者こそ出てはいなかったが、長い期間安静にしていなければならない様な重傷者が多数出ている。


 ニニの母親もそうだった。あの時足に負っていた怪我は腱にまで達してしまっていたらしく、暫くは上手く歩く事が出来ないらしい。

 種族としての生命力の高さが幸いして、永遠に治らないというものではないのが彼女達親子の救いだろうか。


 そんな怪我した体を引き摺ってでも村人達が参加しようとするこの度の会合の内容は、今回の兵士達の襲撃で分かった情報の共有と各自の状況報告だ


 家や畑、家畜を焼かれた、家族が負傷した、村にどれほどの被害が与えられたのか。

 兵士達を倒した、という追加事項があっても見逃せないその惨憺たる内容に一同は顔を顰めた。


 それと、兵士達の実態だ。

 ツェイト達が森の奥で見た時に様に、村に転がされた兵士達の亡骸も同様に溶けて消えてしまった。

 中にはマスクをはがして正体を暴こうとしたら、それで溶けた兵士もいたらしい。そのあまりにも徹底された証拠隠滅に、内容を今一度確認した村人達は慄いた。

 襲っては来るものの、正体が分からず、そして正体がばれる恐れがあったら容赦なく溶けて何も無かったかのように消えていく。まるで、幽霊を相手にしているような不気味さを村人達に印象付けた。



 そしてある意味、これがもう一つの本題だ。


 兵士達の今後の動向。村人達はこれが気になって仕方が無かったが、彼らの目的を聞いて驚愕する。

 あの兵士達は、セイラム一人の為に大人数を動員して村を襲ったのだ。しかも、彼らのリーダー格と思しき人物の発言が正しければ、彼女を捕らえる為なら何度でも襲うと言う。


 その場にいたランと、傷の手当てを受けて腹に包帯を巻かれたウィーヴィルはその事については隠す事無く全て話した。


 指揮官の発言に居合わせていたウィーヴィル達は、村に戻る際その事について隠すべきかと予定していたのだが、当人のセイラムがそれを止めた。


 自分一人の為に、村の皆に迷惑をかけたくない。そう言って、今回あった出来事を全て話す様に促したのだ。

 その際見せたセイラムの顔が、何処か思いつめた様に見えたのに3人は気に掛かった。

 


 兵士達の目的を知った村人達がセイラムに向ける視線は様々だった。



 疑問、驚愕、困惑、憐憫、そして、憎悪。



 死者が出ていなかったからこそ注がれた視線は強くは無かったが、冷たく暗い眼差しを向ける者も少なからずいた事を渦中のセイラムは気付き、顔を俯かせ、新しく巻き直された包帯で覆われた手を強く握りしめた。

 キイトは今回騒動を起こした兵士達の事について、セイラムと、そしてその親であるウィーヴィルに思い当たる節は無いのかと改めて問い質す。

 しかし、問われたセイラムは分かりません、と本当に何も分からず困惑した表情で答え、その親であるウィーヴィルもただ静かにワシも覚えが無い、と答えた。


 しかし、その返答にふざけるな、それで納得できるものか。と声を荒げて立ち上がった男がいた。

 それは、セイラムに憎悪の視線を向けた者の一人だった。報告では、その男は兵士達によって家を焼かれ、家族が負傷したと体を怒りで震わせながら言っていた。

 自身の大切なものを傷つけられた事によるその怒りは他の皆も痛いほど分かる為、彼を咎めようとする者はいなかった。

 いや、もしかしたら出来なかったのかもしれない。村人達は、自分達の感情を代わりに吐き出してくれる代弁者が欲しかったのだ。キイトも彼の気持ちが分からない訳ではなく、村の皆の気持ちを考えると無碍に止めるわけにもいかず、男の発言を許した。


「あんた達親子は、元々はこの村に流れ着いて来た余所者だ。大方、外で起こした問題のツケが今になって回って来たんじゃないのか」


 どうなんだ! 男は怒りを吐き出す様にウィーヴィル達親子を睨みつけながらそう言い放つ。

 ウィーヴィルは男の怒りに晒されても臆する事はしなかったが、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。


「……ワシらは本当に何も知らぬのだ。すまぬ」


「すまないだって? まだしらばっくれるのか……っ!」


「およしなさい」


 今まで事の成り行きを静かに見ていた村長のキイトがウィーヴィルに掴みかかろうとした男を手で制した。


「貴方達の気持は分かります。しかし、あの兵士達を退けられたのも、ウィーヴィル達の力による所が大きい筈です」


 違いますか? キイトはそう尋ねると村人たちは俯いて反論しない。男もそれに関しては同感しているのか一瞬口ごもった。しかし、それでも男は引き下がらない。


「ですが、どうするのですか。このまま兵士達の件は放置するつもりなのですか?」


 確かにウィーヴィル達は多くの兵士達を倒した功績があるだろう。

だが、本人達も自分達と同じ被害者だったとしても、事件の原因となってしまったのならば看過出来るものではない。問題を先延ばしにする様な事があれば、取り返しのつかない事になってしまう。

 男の怒りから放たれる言葉は八つ当たり気味な所があるが、決して間違だけでも無い。


「その件につきましては、私も考えてました」


 キイトは男にそう答えた後、ウィーヴィルをチラリと見やる。それに気が付いたウィーヴィルは小さく、そして重く頷いた。

 ウィーヴィルの様子を確認したキイトは、一瞬だけ悲しげな顔で眼を閉じ、そして告げた。



「セイラムを、この村から追放します」



 キイトの言葉に、その場にいた村人達が激しくざわめきだした。ツェイトもこの判断に驚き、庭に静聴していたその身を障子窓に手を駆けて乗り出しそうになってしまった程だ。


「本気なのか?」「だが、そうしなければ村は……」「何故この様な事に……」


 セイラムを庇おうとする者、妥当だと村長の判断に一応は納得する者。村人達の様々な意見が飛び交う中、最初の発言以降黙っていたセイラムは、失神するのではないのかと思う程に顔が真っ青になってしまった。


 ざわめく大人達の中で、ランがキイトに慌てて意見した。


「お婆様! セイラムを見捨てるのですか!?」


「私は、村の皆と一人の娘の命を秤(はかり)にかけるつもりはありません」


 キイトが普段は見せない冷徹な態度でランの言葉を切り捨てる。それは、集団を統率する者としての責務か。

 しかし、ランにはそれを受け入れる事が出来なかった。


「しかし、これではセイラムは……」


 生贄ではないですか。 絞り出す様に口にしてランは両膝に手を置き、頭を俯かせた。

 ランも事の重さを理解しているが故に、それ以上の行動に出せなかったのだ。


 一度の襲撃でこれ程の被害を与えられ、しかもこれがセイラムがいる限り何度でも繰り返されると宣言されたのだ。

 一体彼らの組織にどれほどの人員がいるのか定かではないが、そう何度も責められては村が保たない。

 そして何より、兵士達の被害に遭ったこの場にいる村人達の心情を慮(おもんばか)って、安易な発言をする訳にもいかなかった。


 沈むランを一瞥した後、キイトはこの判断に異議がある者はいますかと村人達に訊ねるが、誰も異議を唱える者はいなかった。彼らも考えに違いはあれど、キイトと同じ結論に至ったのだ。


 セイラムが村にいられる期間は三日間。それまでに村から出る様にとキイトはセイラムに言い渡し、この会合はお開きとなった。






 会合が終わった後、セイラムが一目散に屋敷から飛び出して行った。それはあの場の空気と、自身を責める様な視線から早く逃れたいがためか。

 それを見たツェイトも慌てて後を追おうとした。普通ならばそっとしてあげたい所だが、今のセイラムの心境と性格を考えれば、自棄になって村から出て行きかねない。

 ツェイトが一歩を踏み出そうとしたところで、ウィーヴィルに呼び止められた。


「ツェイト!」 


「すいません、セイラムを見てきます」


「分かった。だがその後、今から言う場所へ来てくれないか」


 話したい事がある。そう深刻な表情で告げたウィーヴィルを見て、何か思う所があったツェイトは指定された場所を聞き、分かりましたと一言答えて村人達が散会する屋敷を抜け、真夜中の村の通りを走り抜けた。



 セイラムの脚力とツェイトの脚力ではツェイトに分がある。その為セイラムに追い付く事はすぐ出来た。


「セイラム」


 ツェイトが声をかけると、セイラムがビクリと足を止めて弱々しく振り向いてくる。その顔は、先日見せた時の様な明るさが無くなり、精神的に追い詰められているせいか憔悴に満ちていた。


 セイラムの様子を見て、ツェイトはかける言葉が思い付かない。気休めの言葉も、今の彼女にとっては害にしか成りえないかもしれないと思ってしまったからだ。

 数秒の沈黙が二人の間に続いた後、先に口を開いたのはセイラムだった。


「…………ごめん」


 突然の謝罪に一瞬困惑するツェイトだが、あの時虫の異形との戦いで吐き出したセイラムの言葉を思い出す。

 だが、ツェイトは謝るべきは自分なのだ、とセイラムに返してツェイトも謝った。


「それは俺もだ。もっと早く踏ん切りがついていたら、セイラムに怪我をさせなかった」


 今もツェイトの中では、セイラムに血を流させてしまった事への後悔の念が色濃く残っている。


「……私なんて、私の所為で村の皆を巻き込んだ」


 それに比べれば、こんなもの。包帯の巻かれた手を軋ませる程に握りしめながら、セイラムは苦々しく呟き、一刻の間を置いてツェイトに告げた。


「明日の早朝、村を出る事にするよ」


 明日? 三日間は猶予があった筈だぞ。 ツェイトが驚きながら訳を聞くと、早く出かければそれだけ兵士達は自分を狙って村に手を出さなくなるはずだと返って来た。


――こんな時でも、自分よりも他人の事を考えるのか。


 いや、他人ではないか。およそ16年間村の中で生きて来たセイラムにとって、村の皆はもっと特別な存在なのかもしれない。あの様な憎悪の眼で見られても、それを己の非とするセイラムの優しさが、ツェイトにはどこか痛々しく感じた。


「私の方がツェイトより先に村を出る事になったのは驚いたけど、縁があったら旅先で会うかもな」


 そういってセイラムは口元を無理やり吊り上げて笑うそぶりをするも、それは誰から見ても強がりにしか見えない。


「明日は早いだろうから、帰るよ」


 また寝坊したらたまらないからな。 ツェイトの返事を待たぬまま挨拶を手軽く済ませて後、セイラムは早々に家へと走って行ってしまった。

 ツェイトは、その背中を只見ている事しかできず、最後に見せたセイラムの顔が頭から離れなかった。


――泣いていたのか。






 複雑な気持ちを胸に抱きながら、ツェイトはセイラムの安否を確認した後ウィーヴィルに言われた場所へと向かった。

 そこは、ツェイトが普段寝床としているウィーヴィル達の家の裏庭から少し離れた森の中だった。人の手による灯りはそこには無く、月明かりだけがその場を照らす。


 そこでは岩に腰掛けて静かにたたずむウィーヴィルが一足先に待っていた。ツェイトが来た事を俯かせていた顔を上げて確認すると、口を開いた。


「夜遅くに済まなかったな。セイラムはどうだった?」


「……明日の早朝には村を出ると」


「……そうか」


 ウィーヴィルが苦々しい顔つきで短く答え、ツェイトは驚かないウィーヴィルに何処か違和感を感じた。


「驚かないのですね」


「わしが村長に事前に進言したからな……」


 その言葉に、ツェイトは自分でも驚く位に声を荒げてしまった。それは、先程見たセイラムの表情が忘れられなかったからか。


「何故そんな事を!」


「一度は事実を隠そうとしたワシが言える事では無いのかも知れないが……村と、そしてセイラムの為だ」


「村は、分かります。ですがあの娘への処置、あれが彼女の為だって言うのですか」


 セイラム一人で村の外に放り出せば兵士達の格好の的だ。幾ら身体能力が高いとは言ってもセイラムのそれでは限度がある。いずれは兵士達の数の力に押しつぶされてしまうのは容易に想像出来てしまう。


「そうだろうな……ワシも、自分が酷い事をしている自覚がある。ワシは間違いなく酷い親だ」


 ウィーヴィルの顔は苦渋に満ちていた。それは、セイラムに村から追い出させると言う選択を取った事への後悔が強いと言う事を意味しているのか。

 しばしの沈黙が二人の間に続いた後、ウィーヴィルは改まって話した。


「お主に知っておいてもらいたい事がある」


 元々此処へはウィーヴィルが話したい事があるとの事でやって来たのだ。ツェイトは気を鎮めてウィーヴィルの話に耳を傾ける事にした。


「セイラムの事だがな」


 ツェイトはある程度察しがついていたのか驚きはしなかったが、何故ここでセイラムの話が出るのか疑問に思った。


「あの娘は、ワシの本当の娘では無い」


 薄々気づいているんじゃないのか? そう言われたツェイトは何も答えない。しかし沈黙が肯定と言う名の答えでもあった。

 元々外見の年齢的にかなり歳の離れている二人だ。それに、セイラムの体中にある外骨格は昆虫人と言う枠から逸脱しているものがある。

 今この場にはいない母親の遺伝かもと言う可能性も考えられたが、その母は一体何者なのだという疑念が浮上するも、そう言う訳では無いらしい。

 

 ならばセイラムは一体誰の、とツェイトが訊ねると、ウィーヴィルは今のツェイトにとっては爆弾発言に等しい事を言ってのけた。 




「セイラムは、プロムナードの娘だ」


「…………?」


 今何と言った? プロムナード? 娘? セイラムが、プロムナードの……娘!?

 体はまるで銅像の様にピクリとも動かないツェイトだが、その内心ではウィーヴィルの言った言葉を噛み砕きながら理解をしては混乱すると言う状況に見舞われていた。まさかセイラムが親友の娘だなどと言う話を聞かされれば、ツェイト個人からしてみれば、うろたえずにはいられない。


 だがそれと同時にセイラムの体について合点がいった。ハイゼクタ―の様なあの外骨格は、プロムナードの遺伝なのかと。

 セイラムは、ウィーヴィルがプロムナードと別れて再び一人旅を再開した時に突然現れたプロムナードに託された。そして、彼女を育てるべく、縁のあるこのカジミルの村に厄介になる事となったそうだ。


 何故セイラムの事を早く言わなかったんだ、という非難の言葉がツェイトの口から出かけたが、昨日、一昨日の自分の状況でそんな事を言われたら余計混乱していた可能性もあるので、ウィーヴィルのこのタイミングでの発言は賢明なものと一応納得した。

 

「セイラムに、この事は?」


「ワシの本当の娘ではない事は既に知っているが、プロムナードの事は何も知らされていない。プロムナードが知らせるなと釘をさしていたので……な」


 何故あいつはそんな事を、それとも知られると不味い様な状況にプロムナードはいるのかと、ツェイトは友人の取った行動の意図を読もうと思案する。


「そしてこうも言っていた。「もし自分の娘だと知られたら、間違いなくこの娘は狙われる」ともな」


 それがあの兵士達、と言う事か。

 しかし何故プロムナードの娘なら狙われるんだ? プロムナードが何かしたのか?

 ツェイトの疑念は減るどころか募るばかりだった。虫の異形の事といい、セイラムとプロムナードの事といい、そして、自分自身に感じた違和感。

 


「お主に、頼みがある」


「……何でしょう」


 今まで話の流れと、其処から頼み事と言われてツェイトはその内容が何となく予想出来ていた。

 ツェイトが頼まれた事、それは――――






 翌朝、今だ太陽が昇らず、夜の帳が上がり切っていない早朝の頃。誰も起きる気配の無い静かなカジミルの村の大通りを、セイラムは独り歩いていた。ツェイトやウィーヴィルに別れを告げることなく、静かに村を出ようとしていたのだ。

 

 普段着ている丈の短い巫女服の様な服装の上から獣の皮で出来た蓑状のものを羽織り、風呂敷包みを懐で袈裟掛けにして持ち歩いている。

 槍を肩に担ぎながら、大通りの中を静かに歩くその足取りは、どこか寂しげであった。


「……はぁ」


「おはよう」

 

「うわっ!?」


 大通りを越え、入り口の柵を通り抜けた先で軽く溜息を突いた時、真横から声をかけられてセイラムは素っ頓狂な声を上げてその場から飛び退いた。


 そしてその声の主を見て驚く、柵を背にして胡坐をかいて座っているツェイトがいたのだ。

 柵の方がツェイトよりも大きかった為か、それとも思いつめてるあまりに周りに気がつかなかったのか、セイラムはツェイトの間近にまで近付いた所で、ようやくその存在を確認出来たのだ。


「ツェイトっ何で……見送りに来たのか?」


 何故と問いかけた所で、セイラムはツェイトが自分の出発を見送りに来たのかと考え、表情を暗くした。対するツェイトはその問いに敢えて答えず、代わりにセイラムにあるものを手渡した。


「その前に、これを」


 ツェイトは手に持っていた物をセイラムの前に差し出す。ツェイトの手が大きい故に、その手の中に何か持っているのをセイラムは気付けなかった。ツェイトの大きな手の中に収まっていた物は、手折りでつくられた簡素な封筒だった。


 セイラムがおずおずとそれを手に取り、中に入っていた書簡に眼を通す。

 読んでいる最中にセイラムは泣きだしそうな顔になるが、鼻をすすって再び文章を読み進めていくと、今度は眼を見開いて驚き、ツェイトを見た。


「ツェイト、これって……」


「その手紙に書かれた通りだ」


 胡坐をかいていたツェイトはすっくとその場から立ちあがり、尻に付いた土と草を手で払い落し、セイラムを正視して告げた。




「俺と、一緒に行かないか」






 時間は遡り、ウィーヴィルがツェイトに頼み事をする所まで戻る。


 ツェイトが頼まれた事は、セイラムの傍にいてやって欲しいとの事だった。つまり、セイラムと一緒に村を出ると言う事だ。本来ならばあと数日はこの村で厄介になる予定だったが、思わぬ事態で予定が一気に繰り上げる事になる。


「身勝手な事だとは自覚している。だが、これ以上はこの村に留まらせる事も出来ぬ。今回のあの男との戦いでも分かったが、ワシではもうあの娘を守り通す事が出来なくなってきた。だから……頼む」


 セイラムを、守ってやってくれ。 そう言うや否や、ウィーヴィルはその場に両膝を突き、額を地面にぶつけるような勢いで土下座をした。


 ツェイトは慌ててウィーヴィルに頭を上げてくださいと頼んだ。その光景は、まるで娘を嫁に出す父親と彼氏の様であったが、そんな甘いものではない。

 娘を狙って襲ってくる輩が漏れなく付いて来ると言う、爆弾付きの不良物件の様なものだ。彼女と共に行くと言う事は、危険が常に隣り合わせとなってしまうのだ。故にウィーヴィルは己の頭を地面に付けて此処まで頼みこんでいるのだろう。先の兵士達の指揮官と戦った際に負った傷で、自分では庇う事が出来なくなりつつある事を自覚し、全ての事情を知るツェイトに縋ったのだ。


 その姿は血が繋がってはいないとはいえ、紛う事無く父親のものだった。

 しかし、ツェイトはそれでも解せない所があった。


「……ご存知でしょう? 私は、いずれ元の世界へと帰らなければならない身です。そうなると、あの娘はいずれ独りになってしまいます」


 ウィーヴィルはツェイトやプロムナードの素性を知っている身だ。その上でセイラムを託すと言うのならば、自身を助けると言う最初の約束とは矛盾している。それとも約束を反故にする程の父性が上回ったのだろうか。

 

「これは、プロムナードの願いでもあるのだ」


「プロムナードが? 俺にあの娘を託す様にと……そう言ったのですか?」


「ああ、そうだ。理由は終ぞ教えてはくれなかったがな……」


 土下座の体制から頭を上げ、姿勢を正したウィーヴィルは予想外の返答をツェイトに返し、返された本人は低く唸りながら考え込んだ。それが本当ならば、セイラムを追いだすと言うのも、自分と一緒に行かせる為の方便にも聞こえてくる。


 訳が分からない。あいつは元の世界へ帰る気が無いのか? いや、20年も此処で暮らせばそんな心変りも起きるのか。しかし何の為に……

 

 プロムナードはツェイトに比べて感情で動くタイプの男だが、馬鹿では無い。

 彼は直感で動く事が多いが、目的と理由、因果関係をある程度しっかりさせてから行動に移せるくらいの思慮深さも兼ね備えている。


 そんな彼が、ウィーヴィルや自身に育児放棄紛いな真似をするのは何故だ?

 狙われているが故に、止むを得ずウィーヴィルに託したと言うのは一応理解出来る。しかし、其処から更に自分にセイラムを託すような真似をするその意図、それが分からない。



――何か理由があるのか?



 思考に思考を重ねて、プロムナードの意図を汲み取って予測を立てても終ぞ分かる事が出来なかったツェイトは、セイラムと一緒に行けばそれも分かる事か、これにも何か訳があるのだろうと割り切る事にした。




「わかりました。彼女も連れて行きましょう」


「ワシは、お主に何と言えば良いのか……」


 無念そうに顔を顰めるウィーヴィルにツェイトは良いんです、と静かに首を横に振った。


「セイラムの素性を知らされて、プロムナードから頼まれた事なら、あの娘の事をますます見捨てられなくなりましたから」





 そして話は今に至る。

 

 ツェイトに事情を告げられたセイラムは、震えながらツェイトに問いかけた。


「……良いのか? ツェイトは、まだ村にいるつもりだったんだろ?」


「ある程度はウィーヴィルさんから教えてもらっているから、後は現地で慣れれば良い」



 習うより慣れろと言う言葉も存在するのだ。

 リアル世界で開拓者と言われた者達は、見知らぬ言語と文化の地に足を踏み入れても臆すること無く切り拓いて行った。


 この世界もまたそうだ。

 ネオフロンティア、新たな開拓地。言語と文字さえ分かっていれば上等。文化と歴史をある程度把握していれば尚の事だ。

 そして自分自身の今の体もある。歴史に名を残した先人達に比べれば、随分と優しい境遇に感じる。少なくとも今は。


「そ、それに私は、狙われているんだぞっ」


「だから、俺がいるんだ」


 迷うことなく言いきるツェイトにセイラムは唖然とする。以前の様な苦悩していた素振りが何処にも見られないのだ。

 

 ツェイト自身でも啖呵を切った自分に内心で驚く。昨日まではワイルドマックの死でナイーブだった筈なのに、兵士達の襲撃を退けた後からどうもその手の感情が嘘の様に無くなっているのだから。

 敵対していたとはいえ、兵士達に対して虐殺まがいの事をしでかしたにもかかわらず、吐き気も怖気も感じられない。前までの自分ならば恐れおののいている筈だと言うのに。まさか、この体になったせいでおかしくなってきたのか? それとも環境がそうさせたのか。


 セイラムが顔を俯かせながら、体を震わせて再度問う。



「……本当に、良いのか?」


「ああ」


「こんな私で、本当に良いのか? ウィーヴィルに言われたからとかじゃ、ないのか?」


「これは俺の本心だよ」


 ウィーヴィルの言葉というのも無きにしも非ずだが、本心が大半を占めているのも確かだ。そして、その中にはもしかしたら彼女と一緒にいればプロムナードと会えるのかもしれないと言うという、根拠の無い打算も含まれている事にツェイトは密かに罪悪感を感じてもいた。


「…………う……うぅ゛……」


 今まで押さえていた涙線が決壊した様に、セイラムは俯いたまま黒い眼から大粒の涙を流し出してしまった。今の今まで思い詰めていたものが限界に達したのだろう。


「お、おい、泣かないでくれ。村の人が起きる」


「だ、だっでぇ……」


 意外と涙もろい、等と思いながらも慌ててセイラムを泣きやませようと四苦八苦するカブトムシの巨人。

 ハイゼクタ―のツェイト、推定年齢26歳。NFOの世界では幾多の敵を屠るも、女の涙には少々弱かった。



 セイラムが落ち着いて来た所でツェイトはセイラムに渡した手紙には書かれていなかった事も話した。ウィーヴィルは村に残って皆を守る事に尽力するらしい。当初はウィーヴィルも一緒に行こうかと考えていたらしいのだが、寄る歳波と、今だ立て直しの真っ最中の村を放ってはおけないとの事だ。

 セイラムの親と言う事もあり、村人達からは多少なりとも悪感情を持たれるかもしれない。ウィーヴィルはウィーヴィルで辛い日々を過ごす事になるだろう。



「ランには何も言わなくて良いのか?」


 出発する際、ツェイトはある事を思いだしてセイラムに訊く。

 それは彼女の幼馴染であるランの事だ。結局一言も話す事無く村から出て行ってしまう事になってしまったが、ランがどのような性格なのかは先日の一件で短い間一緒にいたのでちょっとは理解出来たつもりだ。本質的な所は真面目で良い奴なのだろう、彼は。

 それ故に、このまま黙ってセイラムを連れだしてしまう事に少し気が引けたのだ。ランはセイラムに好意を持っているらしい。そうでなくとも、セイラムの事を色々と気にかけていたのだ。せめて少し話をしてやったほうがいいのではと、ちょっとお節介な心が疼いたのだ。

 しかしセイラムはその提案に首を横に振った


「ランにも色々と迷惑をかけたから色々と言いたい事はあるけど……会いに行けば、あいつの事だから騒ぎ出しそうだ。それだと皆が起きてしまうかもしれない」


「いや、でも、本当に良いのか?」


「何でそこまでランの事を気にしているんだ?」


 話した事なんて無いんだろ?

 本当に何も分からないまま首を傾げてそう述べるセイラムを見て、ツェイトはランが哀れに思えてきてしまい、心の中で合掌した。


 嗚呼若者よ、お前の恋心は意中の者に届くどころか空中分解して果てたぞ。


 セイラムがその手の感情に鈍いのか、それとも今までランのアプローチの仕方に問題があったのかは定かではないが、二人の仲は良いお友達同士で終わってしまいそうである。


 これ以上突っ込んだ事を話すとボロが出そうなのでいや、別に、とツェイトはこの話を切り上げる事にした。




 二人は村の入り口の先にある丘まで向かい、カジミルの村を改めて其処から眺めた。

 ツェイトが初めてこの場から見た時と比べると、いくらか住居が燃え落ちたり破壊されていた。兵士達の遺した傷跡が後を引いているのが見て分かる。今二人がいる丘の上も、先の虫の異形との戦いで草の絨毯が広がっていたのが焼け野原になってしまっていた。


 ツェイトは視線を村から隣にいるセイラムの方へチラリと移すと、やはりまだ村での事を気にしているらしく、暗い顔で村を見つめていた。

 考えてみればセイラムは16歳、リアルだったらまだ高校生の年齢だ。その歳で憎悪の眼で見られ、兵士達から狙われ、挙句の果てには村から追い出されてしまうと言うのは精神的にはとても辛く、酷な話である。

 暫く村を見た後セイラムはギュッときつく目を瞑り、数刻それを続けた後、村に背を向けた。


「……行こう」


「もう、良いのか?」


「ああ、気は済んだ」


 彼女なりに村への別れは告げたのだろう。気持ちを切り替えたセイラムの表情は先程よりも暗さは無くなり、代わりに何かを胸に秘めた様に硬く、鋭かった。それはどこか危うさを孕んだ様に見えるのは、ツェイトの気の所為なのだろうか。


 セイラムの雰囲気に違和感を感じながらも、ツェイトはある事を思いだした。


「なぁセイラム、此処から近くの街までどれくらい掛かるんだ?」


「ん?……私達昆虫人の足で行けば、地方の都までは一日も掛からないけど、ツェイトの足なら半日以内で着くんじゃないかな」


 ツェイトの今後の目的はプロムナードを探し、元の世界に帰る事。元々カジミルの村にいたのも、都市がその道中にあるからその為の準備の為の滞在という目的だあった為だ。


 それがどうしたんだ? セイラムはツェイトの質問に首を傾げ、答えを聞いたツェイトは顎に片手を当てて考え込む。それは今後の行動と、それに伴うであろう兵士達と遭遇する確率だ。


 件の兵士達がセイラムの事を狙っていると言うのならば、もしかしたら自分達がこの先向かうであろう場所にある程度は当たりを付けている可能性がある。外か中かは分からないが、近場の街で待ち伏せをされて罠を仕掛けて待ち構えている可能性を危惧したのだ。

 兵士達を率いていた指揮官の男は、ツェイトの一撃で片腕を失うと言う重症を負った為、彼自身が出るかどうかは不明だが、先行している兵士がいるかもしれないので安心は出来ない。

 なので、出来るだけ彼らの予想の先を行くような手が欲しい。


――あれなら多少は時間が稼げるか?


 ツェイトはそれに関して最適なものが自身にある事を知っている。

 一応この世界に来た時には軽く試して問題無かった事は確認済みだ。


 よし、これでいくか、とツェイトは考えをまとめてそう決断した。



「なら、もっと遠くへ行くと言うのは?」


「もっと? それだと城下町とか大きな都まで行く事になるけど、私達でもかなり掛かるぞ」


「それなら尚更好都合だ」


 ツェイトの言葉に怪訝そうにセイラムが何か言おうとしたその時、ツェイトの背中の外骨格が音を立てて勢いよく開いた。


 それはまるで、昆虫類にある鞘翅の様だ。

 そしてその外骨格が開いた内部から、折り畳まれていたものが飛び出るような勢いで展開される。それの表面は薄く、葉脈の様に筋が広がっており、ツェイトの外骨格の色よりも薄い青色に染まっていた。それが意味するものはつまり……



「飛べるのか!?」


「……悪い、教えて無かったな」


 隠していた訳じゃないんだが、とツェイトは驚くセイラムを見て頬を掻き、背中の翅をゆっくりと動かして動作確認をする。

 森でセイラムと出会ってからずっと走って移動していたが、ツェイトは空を飛ぶ事が出来る。

 ツェイトが思い付いた案とは、空から遠くまで移動するという方法だ。そうすれば地上で移動しか出来ないであろう兵士達との距離も遠のくし、その距離だけ出くわすのに時間を要し、彼らを撒く事が出来ると予想したのだ。 


「何で最初に会った時は飛ばなかったんだ?」


 そうすればもっと楽に村に帰れたんじゃないのか? と初めて出会った時の事をセイラムは思い出し、ツェイトに訊ねた。

 ツェイトの脚力も十分なものであったが、飛ぶ方が早いんじゃないかと言うのがセイラムの意見だった。


「それは飛べば分かる。さ、乗ってくれ」


 翅を広げた背中では背負う事が出来ないので、必然的に前で両腕を人が座れる様に組み、セイラムをそこに乗せる事になる。ツェイトは翅を広げたままセイラムが乗りやすい様に片膝を突いて屈んだ。

 セイラムはツェイトの言いたい事が理解でき、軽い身のこなしでツェイトの腕の中に収まる様に座りこむ。

 戸惑いもなく座りこむ姿にツェイトはちょっと戸惑った。負ぶさった事もあるので今更と言えば今更だが。


「じゃあ、行くか?」


「あ、あぁ。よ、よろしくお願いします」


 飛ぶ事に慣れていないのか、セイラムは緊張しながら何故か敬語で答えてきた。

 そんな様子がおかしかったのか、ツェイトは外骨格の内側で僅かに苦笑し、翅を高速で羽ばたかせた。


 すると、ツェイトの巨大な翅が高速で動く事によって辺りには強風が巻き起こり、重く腹に来る様な重低音が響き渡る。

 その翅音は、まるでヘリコプターが飛び上がる際に聞こえるローターの轟音の様であった。


 ツェイトが敢えて飛ぶ事を避けたのは、この翅音に依る所が大きい。これは、ツェイトの巨体とその重量を飛び上がらせる為に此処まで羽ばたかなければいけないと言う、一種の弊害である。

 もし村に向かう時飛んで行ったのならば、その翅音による轟音で兵士達に所在がばれてしまう可能性が高い。だからツェイトは敢えて走る事を選んだのだが、結果として別の要因で居場所が割れてしまった為、その努力も水の泡となってしまったが。


 もしかしたら、この翅音で村人達が起きてしまうかもしれない。ツェイトは急いでこの場を発つ事にした。


「飛ぶぞ。 俺の腕にしっかり掴まっているんだ」


「え、えぇ!? あ、うん。 分かった」


 ツェイトの翅音の所為で小さな声はかき消されてしまう為、自然とツェイト達は声を大きくして話す。

 セイラムが腕に強くしがみついた事を確認したツェイトは、その巨体を徐々に宙へと浮かびあがらせる。そして、途中から急に速度が上がり、辺り一帯に轟音を鳴らして激しく羽ばたく蒼い翅は、ツェイトの巨体を遥か上空まで飛ばして行った。







「セイラム、大丈夫か?」


 場所は地上から最低でも四千メートル以上は離れた上空、村からも結構離れている。太陽の昇らぬ暗い朝の空を、ツェイトは飛んでいた。

 気温は地上よりも大分低くなり、肌を刺す様な冷たい冷たい風が強く吹き込んで来る。下に視線を向ければ、雲が自分達の下を流れているのが見える。


 ツェイトは自身の腕の中で、毛皮で出来た蓑で体を丸めているセイラムの様子を見る。


「は、初めて空にきたげど、こ、ここ、こんなに寒いなんでで」


 ツェイト達がいる場所の気温はおよそ一桁台、間違っても半袖で来るような場所では無い。

 しかし蓑の下が上下半袖のセイラムは毛皮の蓑に包まり、全身を小刻みに振るわせ、歯をカチカチと鳴らしながら吹き荒ぶ寒風とその寒さに耐えていた。


「つ、ツェイト、も、ももももうちょっと低く飛べないのかかが!?」


 震えながら喋っている所為か、途中から正確に聞き取れなかったツェイトだが、セイラムの言いたい事は理解出来た。 しかし、今ここで高度を下げるわけにはいかない。翅音との大きさと言うのもあるが、他にも、この時間にこの高さで無いと駄目な事があるのだ。


 だからといってそれでセイラムが凍えるというのは本末転倒。なのでツェイトは一つ手を打つ事にした。

 ほんの一瞬、ツェイトの頭部の角がパリッと静電気が起きた時の様な音を立ててから数秒後、ツェイトの体に異変が起きた。

 それに最初に気付いたのは、ツェイトの腕の中にいたセイラムだった。


「あ゛、あ゛れ? 暖かい?」


 その正体は、電気を生み出す際にツェイトの体から発する熱だ。とは言っても、虫の異形や指揮官の男の時の様に焼けるようなものではなく、触れた者を温める程度のものだ。

 殺傷レベルまで電気の出力を上げれば全身は高熱を発し、触れる者の肌を焼け爛らせてしまうが、逆に極最小限に押さえれば、この様に即席の暖房器具となる。


 程良い暖かさなのか、震えが大分治まったセイラムは、ツェイトの腕に、さながら抱き枕にしがみ付く様にして全身を押し付けていた。そうでもしないと体が温かくならない、と言うのもあるのだろう。先程の寒さに震えて強張っていたセイラムの表情は、ツェイトの体から発する熱で暖められたおかげで随分と気持ちさそうに眼を細めていた。


「……はしたないから自重してくれ」


「寒くてそんな事言ってられないんだよ」


 恥が怖くてやってられるかと言うかのように、セイラムはツェイトの腕にしがみ付く事を止めない。


 ツェイトからすればセイラムの今の態勢は、子供がじゃれついて来ている様な感覚なのだが、客観的に見ればセイラムの今の姿はうら若き乙女がする態勢では無い。

 とはいえ、ツェイトがこの高度を維持しているのが原因なので、ツェイトはそれ以上は咎めなかった。


 ツェイトの体から発する熱のおかげで寒さがだいぶ和らいだセイラムは、先程から一向に動く気配の無いツェイトの顔を見上げた。ツェイトがある一方を見つめたまま移動しようとしないのだ。


「ツェイト、なんで行かないんだ?」


「もう少し待つと分かるよ」


「分かるって何が……」



 そこまで言いかけた所で、セイラムは突然地平の彼方から眩しい光が出て来た事に気が付いた。

 あまりの眩しさに片手で光を遮りながら、その光の出所を見て、言葉を失う。


 遥か大地の向こうからゆっくりと顔を出しながら昇るそれは、太陽だった。


 地平線の先から時間をかけて昇り、地上のもの全てに等しく光を注がんとする程の勢いで輝きを放つそれは、とても力強かった。

 日に照らされて、暗い色に染まっていた山々は一面緑色に彩られていく。


 それの広がる青空も、大地に広がる森と山も、空を流れていく雲も、どれもが輝いて見えた。


 初めて見る大自然の新たな一面を眼のあたりにし、眩い光に眼を細めてセイラムは見惚れた。

 


「凄い……陽の光って、こんなに綺麗だったんだ」


「……だな」


 この世界に来て初めて上空から日の出を見たツェイトも、セイラムのこぼした言葉には同感だった。

 ツェイトはこの世界に来ても飛べる事が分かってから、いずれはやってみたいと思っていた事なのだが、予想以上の美しさだった。


「もしかして、これを待ってたのか?」


 暫くその光景を二人で見ていたが、そこでセイラムが向きをツェイトに変えて訊いてくる。


「まぁ、旅立つ前に縁起の良いものの一つでも見ておこうかなと思ってな」

 

 出かける時は気分良く行きたいじゃないか、そう付け足してツェイトはセイラムに話す。

 本人の前では言わないが、暗くなりがちだったセイラムの気が少しでも紛れれば、等と言う目的も含まれていた。


「そっか……そうだよな」


 再び視線を陽が昇る方へと向けたセイラムの顔は、自然と頬が緩み、口元に笑みが出来ていた。少なくとも、それはツェイトの体が温かいからというだけではないだろう。




「ツェイト」


「うん?」


「…………ありがと」


「……」


 翅音でかき消されてしまいそうな小さな声でセイラムが言うものの、それをツェイトの聴覚はしっかりと聞きとっていた。

 そして、その礼は何に対してのものかは敢えてツェイトは聞かない。少なくとも、セイラムなりに気が晴れたのであろうその表情を見て、この風景を見せた事が無駄ではなかった事が分かれば、それで十分だった。



「ようし、じゃあ行こうか! 目指すは……ツェイトの友達のいる所、なのか?」


 セイラムが威勢よく声を上げる。その顔には村を出たばかりの時の様な暗いものは無く、ふっきれた様に清々しい顔つきだった。額の触覚も上へとピンと伸び、気力は十分と言った所か。

 そしてセイラムは、ツェイトに確認を取る様に訊き返して来た。元々これは、ツェイトがプロムナードを探す旅に、セイラムが付いて行くという形での旅なのだ。肝心の本人から確認を取らないと意味が無い。



「あいつのいる所を探すにしたって情報が欲しい。だから。セイラムが言ってた城下町か都……だったか? そこに行こうと思う」


 プロムナードが何処にいるかは分からないが、行先は人が多くて情報が入りやすそうな場所が理想的だ。そこに行けば、何か手掛かりが掴めるかもしれない。

 それに、もしかしたら他のプレイヤー達もそこにいるのかもしれない。プレイヤーの方が他のプレイヤーの事を詳しく知っていると考えるのはそう難しくは無いだろう。それにもしかしたら、彼ら同士で既にコミュニティーを形成しているという可能性もあり得る。


「そうか……実は私も行った事が無いから少し楽しみなんだ」


「行った事が無いって事は、ウィーヴィルさんから教わったのか?」


「うん、ウィーヴィルは昔から私に色んな事を教えてくれてた」

 

 少し寂しそうに語るセイラムを見て、ツェイトはもしかしたらウィーヴィルはこんな時が起きた時の為に彼女に教え込んだのではないのだろうかと予想する。最悪、セイラムが一人でもやっていける様にするために、と。




 それにしても、とツェイトは自身の腕の中に収まっているセイラムに眼を向けた。


――まさかプロムナードの奴に娘が……ねぇ。


 話を聞いた今でも、何処かで信じられないと思う気持ちが僅かに残る。


 始まりは、川を流れて来た彼女を拾った事が発端だった。

 それがどういう因果か、助けた娘は自分の友人の娘だと言う事が判明する。世の中とは狭いのだか広いのだかよく分からないものだ。

 だがまぁそれも良いか、とツェイトは思う。


――助けるって、言ったしな。


 誰でもなく、それはツェイトが自分自身に戒める様に言った言葉だ。


 こうなれば一蓮托生、とことん付き合ってやろうじゃないか。彼女と出会ったこの縁が、いずれは自分をプロムナードに出会わせるものだと願って。



「それじゃあ場所、分かるか?」


「えーっと………あっちだ!」


「よし、それじゃ飛ばすぞ」

 

 ツェイトがセイラムの指さす方向に向かって飛翔を開始した。


 太陽の光を浴びて、蒼く輝く甲虫の巨人は、腕に抱いた昆虫人の少女の導きに従って大空を駆けて行く。

 彼らの行く先に何があるのかは当人達も、そして、誰も分からない。




「セイラム」


「ん? 何だ?」


「改めていうのもおかしいけど、これからも宜しく」


「……ああ、宜しくな!」



 だが少なくとも、今の彼らに不安は無かった。

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