愛されたいでも愛されたくない
なんか最近Twitterとかで同年代の、つまり高校生たちと仲良く絡ませてもらっている。それはとても嬉しいし楽しい。そして勿論大人の方々とも楽しくやり取りをさせていただいている。
で、まぁどこまで本気でどこまで冗談かは分からないけど非リアだから拾ってツイートから立候補だとかなんだとかから始まって今や夫婦漫才とまで言われるくらいにはおふざけも大概にしろよ、と言われるくらいにはそういうことをやっている。まぁ知ってる人にはこれで説明は十分笑
まぁそのやり取りは楽しくて。どこまで本気かも分からないしどこまで冗談かも分からないけど、僕としても本気で考えたり冗談としてとらえたりしている部分はある。それも全部ひっくるめて楽しい。
でもふと考えた、
僕じゃあもし仮に拾ってくれたとしても相手には不幸にしかしないよなぁ、と。
なんかね、昔の人間不信が祟ってて。
物語を書く上で必要な知識としての恋愛はしてみたいけれど日常生活の大半を占めてしまうような縛られる恋愛はしたくない。自分の頭は自分の考えることで埋めておきたいという気もある。他人が自分の頭を圧迫するのがとても怖い。その人の事しか考えられなくなるのが怖い。
でも、
逆にそういう体験をしてみるのも僕の人間として欠如した部分を埋めるためにはいいのかなぁとも思う。
しかしそれに巻き込むのもな……と。
突如言い様の無い不安だとか寂しさの波が押し寄せてきて、誰かに甘えたいと思うことは沢山ある。でもその誰かの大切な時間を、その人にとって別の大事なことが出来たかもしれない時間をこんな屑の為に割いてはもらいたくない。
僕は愛を知らないから知ってみたい。でもそれは怖い。
知識欲としての恋愛への興味と、寂しさや不安故の興味と、人間不信からくる恐怖と、罪悪感故の恐怖。
どうしたらいいんだろうな。素直に甘えられたらいいんだろうけど、幼い頃のトラウマのせいで上手く甘えられない。こうして文面だけでも自分の気持ちをまとめられるようになっただけまだマシか。
さて、こんな事書いていてこの件について巻き込んでしまっている人にでも見られたら僕はどうやって切腹しようか。本当に刺されるかもな。消えたら察して? 笑
愛されたい愛したいでも愛されたくない愛したくない。
自分すら信用の出来ない人間がこんな事を言うのも本来烏滸がましいことである。
最後に、もし君がこれを読んでしまったなら言おう。君の幸せの為に僕は拾うな。あれは冗談にとどめておけ、と。
僕なんかさっさとその辺で野垂れ死んだ方が良いようなどうしようもない人間なのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます